―――――永い、夢を見ていた。
――――誰かが泣いていた。誰かが怒っていた。嘆いていた、様々な感情が入り乱れて流れ込んでくる。
頭が痛い。割れるような痛みに耐えきれなくて叫び声を上げようとするも喉から声が出ることはない。どうしようもない苦痛がグルグルと渦巻いて体内を駆け巡る。
これは何だ。
これはどういうことだ。
知りたくてもわからない。理解できない。
わけが分からない。どうしようもなくなって、全てを諦めかけた時。空から光がさしてきた。
手を伸ばす。届かないと知りつつもその向こうにある何かに希望を信じて力いっぱい手を伸ばす。
そして、少年の手は―――――
◇
「えっと、そう熱烈に手を握られると照れるんだけど…」
最初に感じたのは温かな温度。それが人の体温だとわかるのに数秒費やし、感じるけだるさが寝ていたものによるものだと気づくのにさらに数秒。眠け眼でまだ重い瞼を上げつつ最初に映ったのは上下赤の女子制服。見知ったものだが、それを身に纏っている生徒は記憶にない。誰だ?と首を傾げていると、
「いい加減起きろよ進藤。それからラブから手を放せ」
背後から聞こえてきた声。今度は男だ。自分が着ている物と同じブレザーの男子制服。彼がラブと呼んだ少女から繋がれた手を放す。
「あ・・・・悪い」
「それにしてもよく寝るね。いつも何時に寝てるの?」
「23時」
「それで何で眠いんだよ…」
伏せていた顔を上げて瞼をこすって目を開ける。まだ眠けが酷い。
「そんなに寝てまた夜寝るんだろ?よく眠れるよなホント」
「それで先生に気付かれないんだもんね。まるで最初っからいないみたいに」
知念大輔の言葉に桃園ラブが繋げる。彼女の言う通り件の彼、進藤歩夢は授業中に居眠りの目立つ生徒だ。いわゆる不良とも言う。それがどしたと言われればそれまでだが、問題はそこではない。学校で一番厳しいと言われる教師でも、彼の居眠りを見過ごしているのだ。ラブの言う通り、まるでそこに居ないかのように。大輔曰く「羨ましい」らしいが、歩夢本人はむしろいらないとさえ感じている。こうも何もないとまったく張り合いがいがないからだ。
「もしかしたら、そういう星のもとに生まれてきたのかもしれないな」
「なにそれ」
おもしろい冗談だと笑うラブ。わけがわからないと首を傾げる大輔。時刻は16時。放課後だ。一日の授業を終えた生徒達が自宅へと帰る時間だ。窓の外から見える下校する姿を見下ろしつつ歩夢は横にかけてある鞄を持って肩にかける。
「さて、帰るか」
「あ、ならまたダンスの練習付き合ってよ。ミユキさんもまた来て欲しいって言ってたし」
「気が向いたらな」
ラブの誘いを適当に流して教室を出る。下駄箱で土足と上履きとを履き替え、校庭を縦断し校門をでる。自宅へと続く帰路を歩きながら何気なく見るいつもの風景。
すれ違う人、建物、そして町並み。全てが当たり前に見えて――――色あせてみえる。まるで、自分だけがこの世界から切り取られたかのように。そんな居心地の悪さを感じながら歩夢は商店街、クローバータウンストリートをまっすぐ歩いていく。
「おぅ、坊主!今帰りか」
道中、八百屋の店主に声をかけられた。その後も色々な店の店主や店員に声をかけられ、十人十色に返事を返す。この会話も、いつも通りだ。
言い知れぬ浮遊感。物理的にではない、心情的にだ。
「歩夢君、今帰り?」
後ろから声をかけられて振り向く。自身とは違う上は黄色のブレザー、スカートは深緑と黄色のチェック柄のスカートをはき鞄を両手で前に持った少し小柄な少女が彼の隣に並ぶように少し早歩きで歩み寄る。
「山吹・・・」
「祈里でいいよ。・・・って、いつも言ってるのに」
「迂闊に下の名前で呼ぶと色々とめんどくさいからな、おまえ含めた信号機トリオは」
「信号機・・・・?」
「制服の色」
そのキーワードを聞いて脳内で自分達が並んで歩いている姿を想像する。・・・うん、確かに信号機だ。いや、そうではなくて。
「一応クローバーっていうユニット名があるんだけど・・・」
「そうだったっけか。まあなんにせよおまえらのファンクラブに追い回されるのは面倒だ。とくに蒼乃だけは二度と御免だな」
「あははは・・・あれは確かにちょっとやりすぎな気もするね」
思い出してうんざりとした顔で肩を落とす歩夢に苦笑いで返す祈里。ダンスユニット”クローバー〟はこの四葉町では有名な4人組のダンスユニットだ。リーダーの桃園ラブを筆頭に蒼乃美希、山吹祈里、そして今はこの町にはいない東せつなを加えた中学生4人のメンバーで、大会でも優勝を飾るなどして一躍有名となった。その勢いもあってか、この町のみならず隣町にまでその名は広まりあっという間にちょっとした有名人になってしまった。その過程で密かにファンクラブも出来上がり、元々読者モデルとして人気だった美希には今まで以上にファンが増え、その中でも意識が強い者たちにとって歩夢は目の上のたん瘤のような存在らしい。転校でこの町に来てからそう長くいたわけではないが、そうなる切っ掛けについては覚えがあった。
「ダンスの練習に偶々居合わせて偶々口を挟んだらいつの間にかちょっとしたコーチ扱い。ちゃんとした指導者がいるなら俺は必要ないだろ?素人だぞ」
「何度も言うけど、歩夢君の言ってることってちょっとキツいけどちゃんと私達のダメなところ指摘してくれるし、何より口だけじゃないでしょ?クセとか修正すべき点とかは自分もやってみせてくれるし、何よりあのミユキさんも言ってたじゃない。貴方にはひょっとしら才能があるかもって」
「過大評価しすぎだろそれは。それにダンスなんてまともに踊った事もなければ知識があるわけでもなし。素人がこれ以上しゃしゃり出てったらあの人の立場ないだろ」
「それこそ考えすぎだよ。ミユキさんもラブちゃんも言ってたよ?歩夢君なら任せられるって」
論破寸前。これ以上は不毛だと思って会話を切ろうとするも、そんな現実を突きつけられては負けず嫌いとしては引き下がりたくないという気持ちに駆られてしまう。
断じて、毛嫌いしているわけではないということだけは心の中で弁解しておく。
「・・・・」
「――――あ、ブッキーに歩夢。今帰り?」
と、そこへ渦中の一人である美希が合流。スラッとした佇まいに中学生とは思えないバランスのとれたスタイル。腰まで伸びる青い髪は太陽の光を反射してキューティクルが煌めきを放つ。肌のいろも白く、美人という言葉がよく似合うそんな印象を受ける女の子だ。そんな子が、此方を見て親し気に話しかけてくる。普通ならば喜ぶべきことなのだろうが、歩夢にとって避けるべきことであることに変わりはない。いくら羨ましいと言われようと、周りの同性から幸福だと言われようとそんなものは関係ない。
ほら、あちこちから感じる冷気すら帯びた視線。これが一定のラインを超えると行動に変わるのだから厄介なことこの上ない。
「あー・・・」
「えっと、なんかごめんね」
「いや、もう諦めた・・・それよりもこんなところで俺とのんびりしてていいのか?学校でアイツ、今日は練習があるって張り切って出て行ったぞ」
「あっ、いけないそうだった。急ごうブッキー」
「うん。歩夢君、また後でねっ!」
そう言って走り去っていく二人を見送りながらひとりボソッと呟く。
「いや、俺練習観にいくとは一言も・・・はぁ」
悪く言えば身勝手かもしれない。たった一度の出来事だけで次もまともな事を言えるとは限らないのに。なのに彼女たちは声をかけてくる。いくら否定しても、それを肯定するかのように。良く言えば・・・・――――
「――――気を使ってくれている・・・いや、
マイナス思考もここまでくると手に負えないものだ。もう一度溜息をついて帰路に戻ろうと一歩踏み出したその時――――それは、起きた。
◇
怪獣映画やSFの類でよく見る人々が逃げ惑うシーン。そんな非現実の物語の中だけの光景が今、目の前に広がっていた。大きく轟く爆発音。そして天高く立ち込める煙。逃げる人達の恐怖に染まった顔。それら全てを生み出したと思われる、異形の存在。全身黒一色で、身の丈は優に3mは超えている。屈強な体に怪しく鋭く光る赤い複眼はその目に映る全てを破壊しつくさんと暴れている。外見のシルエット的にはゴリラを連想させるような見た目だが、コレとゴリラとではゴリラの方が愛くるしささえ感じさせるほどにその異形は不気味さを出している。
「なんだ、アレ・・・」
その光景に絶句する。いきなり訪れた非日常に思考が追いつかないでいると、逃げ行く人達とは反対方向に歩いていく小さな女の子が見えた。両手を口元に持って行き、何やら叫んでいる。離れた母親を探しているという訳ではなさそうだ。歩夢は一端その女の子に向けていた視線を暴れまわる異形に移す。そしてそれが背中を向けたところで、彼は駆け出した。その頃にはもう逃げ回る人影は見えずすんなりと駆け寄ることができた。
「どうした!?」
「あ・・・えっとね、タマがいなくなっちゃって・・・」
「タマ?・・・ペットか」
「うん。白い猫で、赤い首輪をした小猫なの。さっきまで一緒だったんだけど、びっくりして飛び出しちゃって・・・」
次第に涙目になる少女。事情を聞いてしまった以上、この子だけを連れて逃げるというにはいかないだろう。意を決して、歩夢は言う。
「わかった、俺も一緒に探すよ」
「ホント!?」
「ああ。ただし、危なくなったらすぐ逃げる。それでいいね?」
「うんっ」
奴がこちらに向かない事を祈りつつ、はぐれた小猫であるタマを探す。声を出して名前を呼んで見るも、どこからかひょっこりと顔を覗かせる事なんてある筈もなく、緊張感と焦燥だけが募り募って行く。
しかし、そこで幸運が巡ってきた。
「タマっ!」
女の子が指さす方向。それは商店街の並木の上に登って降りられなくなっている白い小猫の姿だった。赤い首輪もちゃんとついている。
「待ってろ、今とってくるから」
木に登る。しかしこの並木、商店街のど真ん中にある巨木だけあって中々タマの下にたどり着くことができない。後少し、そこまで見えているのに異形が動くたびに気が揺れる為枝を伝って動くことができないでいた。さらに今までこちらに背を向けていた異形が、此方に振り返った。その赤い目が気に登る歩夢を捉える。マズい。そう直感した歩夢はとっさの判断で跳び、何とか小猫を抱きかかえることに成功した。そのことに安堵してホッと胸をなでおろす女の子。だが、次の瞬間にはその木を異形が巨腕を振りぬいてバキッとへし折ってしまう。崩れた姿勢、頭から真っ直ぐ地面に向かって落下していく躰。せめて、この腕の中の命だけは・・・・。死を覚悟した歩夢。そんな彼にが次に感じたのは、誰かに抱きかかえられたかのような感覚。ハッとなって気が付いた時には地面に降ろされていた。
胸の中のタマがニャー、と鳴く。
「ありがとう、その子を助けてくれて」
聞こえた声に顔を上げれば、そこには黄色い癖毛の少女が立っていた。その姿に、歩夢は一瞬困惑するもすぐにそれは解消される。
「キュア、パイン・・・?」
口から出た一言によって。
「どうして、私の名前を・・・?」
名乗ってもいない。ましてや初見の相手。しかも人の名前というには少し異質なその名前を、あたかも脳内の引き出しから知識を引っ張り出すが如く浮かんだ名前。そして次にでた言葉にも困惑することにある。
「プリキュア、なのか?」
プリキュア。そんな名前、今まで聞いたことなどなかった。生まれて初めて口にした言葉と知る筈もない女の子の名前を言い当ててしまったことに軽くパニックを起こしそうになる。が、そんな事をできるほど状況に余裕があるわけではなかった。咆える異形にハッとなり、パインは振り返り歩夢は自分を案じて駆け寄ってきた女の子にタマを引き渡す。
「プリキュアだ!」
「知ってるのか?」
「お兄ちゃん知らないの?プリキュアって、すっごく強くてかっこいいんだからっ!」
まるで自分の事のように話して胸を張る少女。そんな彼女に微笑みで返してからパインは歩夢を見る。
「ここは危険です。早く逃げてください」
「アレはどうするんだ?」
「私と、私の仲間たちで退治します。貴方はこの子と一緒に避難してくださいッ!」
そう言うと踵を返して跳躍する。その飛距離は人知を遥かに超えており、とても人間業ではない。まるで、テレビの中のスーパーヒロインのようだ。彼女は仲間がいると言っていた。あんな凄い力を持っているなら、きっとあの化け物も本当に退治してくれるに違いない。
しかし、と。何故か本能でそれに否と答えをだす。ここで逃げていいのだろうか、と。先ほどとは打って変わって何かを鬱陶し気に腕を振り回す異形を眺めながら、歩夢は自身の中の疑問に答えをだす。
「・・・ここから逃げるんだ。できるだけ早く。いいね?」
「お兄ちゃんは?」
「・・・大丈夫だ。お兄ちゃんはプリキュアのお手伝いをしてくるだけだから。だからきみは早く逃げるんだ」
「・・・わかった。気を付けてね」
「ああ」
女の子に別れを告げて走り出す。何故こんなことをしているのかなんてわからない。ただ・・・・ただ、
そして、この出来事が彼の運命を大きく変えることとなる・・・・。