とある襲撃事件の記録、国家錬金術師の創設につながる
銀時計を携えた少女の話。
(独自に構築している設定もあります。お気を付けください)
かち、かち。
銀時計が音を刻む。鎖と蓋のついたそれを彼女は手でもてあそんでいる。
遠くを見れば黒い煙。そして鳴り響く汽笛の音。にやりと微笑むのは、それを待ちわびていたからだろう。
彼女が視線を落とせばそこに敷かれたレールがある。小さな谷のはざまを通るそれは絶好の襲撃のポイントだった。
彼女は赤いコートを翻す。背中に描かれた十字の文様。個人的な趣味で買っただけの派手なデザイン。銀時計をポケットにしまい、代わりに白い手袋を両手にはめる。
いや、正確には純白ではない。その手の平に描かれた「錬成陣」が彼女を錬金術師だと物語っている。
「きたきた」
近づいてくるのは黒い装甲を誇る機関車。もうもうと力強く煙を上げ、ぴぃいと蒸気を鳴らす鉄の塊。
彼女はすうと息を吸い込む。周りには彼女の仲間が潜んでいる。あの鉄の機関車を止めるのは自分の役割なのだ。白い手袋をつけたまま、彼女は地面を撫でる。それでだいたいの構成が想像できた。
ぱん。両手を合わせる。
不敵な笑顔を浮かべながら、手のひらの錬成陣を地面に押し付けた。
ばちりと光が走る。それは彼女を中心に一気に広がり、地面が急に音をたてて形を変えていく。がらがらと谷が形を変えて、下に合った路線を轟音ともに押しつぶしていく。
後に残ったのは谷にできた巨大な土の門。路線をふさぐようにたたずむそれに大きく描かれた「KEEP OUT」の文様。満足そうに両手をぱんぱんとすり合わせて砂を払う少女はご機嫌な顔をしている。
そこにぶわっと広がる土煙。彼女は「しまった」という顔で逃げようとしたが土埃に包まれてしまう。
「げほ、ごほ、ごほ。うえー」
自分で作り替えた谷の煙でせき込む。そんな彼女の後ろから大柄の男が一人やってくる。筋肉で膨れ上がった上半身と肩に担いだ大型の銃。短く切った髪と深い眉間のしわ。まるで獣のような「獰猛な」顔である。
「すさまじいな」
男は静かに言う。眼下に広がるのは一人の少女に崩された渓谷だった。彼はよれよれのたばこをくわえてふかす。
ふうと白い息を吐くその先で、向かってくる哀れな「鉄の塊」が必死に止まろうとしている。このまま「門」にぶつかってもいいし、そうでなければ当初の計画通り男と周りに潜む男の部下たちにより、始末するつもりだった。
「ん」
よこの少女がたばこをせがんできたから、男は手をぱんと払って。わざとらしく煙を吐く。
「ガキが吸うもんじゃねえよ。エドワルダ」
「私はガキじゃないって。それにエドって呼んでよ。ジーク」
のんきな会話をするふたり。背の小さなエドが突っかかろうとしても大男の手に頭を押さえられて動けない。エドは仕方なく両手を組んで、ふんと鼻を鳴らした。
「ともかく、これでアメストリスの連中が南に行くことができなくなるわ」
「ああ、そうだな」
ジークがたばこを捨てる。手に持った銃を何度か構えて、感覚を確かめる。彼は横目ではしゃぐエドを見て、つぶやくように言った。
「エド。この先、お前ができることを考えてろ」
「は? それどういう意味?」
「まあ、時期にわかる。余計なことを考えるな、やれることを考えてりゃそれでいい。俺達には、俺たちのそしてお前にはお前にやることがあるんだからな」
エドは、わからぬ様子で首を傾げた。彼女はまだ戦場の景色を知らないのだった。
☆
機関車の中は混乱していた。突然前方の谷の形が変わったのだから、それは当然だろう。
青い軍服を着た兵たちが狭い車両の中を右往左往している。将校と思わしき階級章をつけたものですらただわめくだけである。列車は火花を散らしながらブレーキをかけている。彼らにできることなどほとんど何もないにもかかわらず、このありさまだった。
人はどうしようもない時ほど意味のない行動をするらしい。
がこん、と列車がゆれる。そのたびに悲鳴が沸き起こる。軍人としてあるまじきと言ってよい。怒号も悲鳴も混ざり合わさって深い混乱を醸成していく。
一人の兵士が後方の車両に向かって、走り始めた。口を引き結び混乱の中を冷静に駆けていくいく。彼は同僚たちをかきわけ、殴りとばし、強引に進んでいく。
いくつかの車両をなんとか抜けて。彼は目的の車両に飛び込んだ。
「大佐殿! 前方の路線をふさがれました」
彼の飛び込んだ車両を静かだった。
人がいないわけではない。規則正しく並んだ椅子に何人もの青い服の兵士がいた。彼らはもくもくと手元にある長銃を点検している。今できることをやっているだけとも言えるだろう。
飛び込んだ男は背筋を伸ばしてまっすぐに歩く。この異常事態に冷静を保っている「車両」をみて彼の心の中で落ち着いていくものがある。
車両の後部は向かい合わせの席になっている。そこには二人の男がいた。肩の階級章からみれば佐官級だった。片方の男は面長で丸眼鏡をかけた柔和な顔つきをしている。
その男の前で飛び込んできた彼は直立し、短く言葉を放つ。
「進行方向にて錬成反応も確認されました! グラマン大佐殿」
はりのある声に丸眼鏡のグラマンははあとため息をはいた。
見れば目の前の男とチェスをしている。彼は手に持ったポーンをおでこでとんとんとたたき、首を振る。
「こまったねぇ。ブラッドレイ少佐」
「はい。大佐殿の番です」
目の前の男は眼帯をしている。精悍な顔つきをした男だが、開いている目は少し細い。どうやらチェスの局面は彼に有利らしい。グラマンのいう「こまった」というのは今の状況か、チェスのことかわからない。
「最近多いんだよねぇ。どこもかしこもテロだらけでやになっちゃうよ」
「そうですな。われわれはどこに行っても人気者です」
グラマンは世間話をするかのように話す。少佐、と言われたブラッドレイものびやかに返した。
「ときに少佐。頼みたいことがあるんだけど」
「待った以外でしたら。大佐殿」
「こまったねぇ」
グラマンとブラッドレイは顔を見合わせてはっはっはと笑う。周りの兵士たちも手を止めずに口元に笑みを浮かべていた。そして、がっと列車が大きく揺れる。ばらばらとチェスの駒がはじけ、ボードが壁にたたきつけられた。
ぎぎぎぎぎっぎぎ。と強烈なブレーキ音。体を持っていかれそうな衝撃に彼らは黙って体勢を低くする。一人グラマンのみ、慌てる様子をしながら散らばったチェスの駒をにまにま見ている。
だんだんとブレーキ音が止み。列車が止まる。どうやら緊急停止はうまくいったのだろう。
ブラッドレイはゆっくりと立ち上がる。その片目で車両の様子を確認すれば兵士たちに乱れはない。誰もがブラッドレイとグラマンを見ている。指示を待っているのだろう。
「グラマン大佐殿。私もお願いしたいことがあります」
「なんだね少佐。盤面は崩れてしまったねぇ」
あっけらかんと答えるグラマンにブラッドレイは薄く笑う。グラマンはチェスのことを言いながら、ブラッドレイを見返した、何かを感じさせるような強い眼光である。
散らかった盤面。ある意味では今の状況でもある。
「少し部下をお借りしたのですが」
「うん、いいよ。誰に攻撃したのかはちゃんとわからせるように。のちの証拠となる人間以外は処断してよし。そこらへんは少佐に任せる。お前たちも行っておいで、後部車両については僕がなんとかしようかね」
グラマンはなんでもない様子で言う。
兵士たちは手に武器を取り、立ち上がる。「はっ!」と答える声と、啓礼の姿勢にグラマンは「うん」と小さく言うだけである。丸眼鏡の奥は光で見えない。
ブラッドレイも敬礼をする。グラマンの指令は単純で理想的である。全権を任せることと、数名を残しての撃滅である。
☆
ジークはたばこを捨てた。
眼下には止まった哀れな鉄の塊がいる。そこから這い出してきたのは青い服のアメストリスの軍人達である。どうやら混乱しているらしく、なにか意図があって出てきたようには見えない。
「まるで蟻だな」
ジークは崖の中腹や線路の向こう側を見た。そこは森になっている。伏兵を置くにはちょうど良い場所だったのだ。
反対の崖、その中腹に向かってジークは片手を上げる。彼の目線の先にいた車輪のついた大型の銃、つまりマシンガンを構えた兵士が笑いながら手を上げる。彼は煙草を吸いながらマシンガンの照準をゆっくりと下に向けていく。マシンガンが専用の取っ手を手で回さなければいけない。彼はくるくると、くるくるとそれを回し始める。
そして列車の近くを群がる「蟻」に間断なく弾幕が降り注ぐ。
バリバリバリ!
連続で続く射撃音がのんきにたばこを吸う男の手で掻きならされる。
小さな連続した光とともに黒いマシンガンの銃口から発射された数ミリの玉が、アメストリスの「蟻」を血で染めていく。
青い服の軍人は数秒でハチも済まぬ肉片にされていく。
悲鳴を上げて逃げ惑う彼らにさらに森からの射撃が襲った。横と頭上からの射撃で効率よく「片付いて」いく。
列車に逃げ込もうとした兵士は側頭部から「なくしもの」をした。ふらふらと妙な動きをしてから、地面にぐしゃりと倒れる。
銃撃音が響く。そのたびに誰かがわめく。それは撃たれたのか恐慌で叫んでいるのかわからない。
高度からの弾幕。そして側面からの集団射撃。インスタントな地獄。列車の車両にもマシンガンの照準を合わせて打ち続ける。無数の穴の開いた車両の中は、男達の悲鳴しか聞こえない。
そんな中でも勇気のある者はいる。列車の中から一人の若い兵士が銃を構えていた。
反撃する気なのだろう、次の瞬間その兵士の額に小さな穴が開いて列車の中に倒れるのがジークには見えた。
狙撃手を置いておいて正解だった。ジークは思う。
そして森の中からライフルを携えた男たちが飛び出してくる。移動を援護するために森の中からの射撃は続いている。この混乱に乗じて車両内の残存兵力を皆殺しにする。
「そのあとは列車に爆弾を積み込んで軍の駅まで一直線か」
崩れたがけは錬金術で修復させる。エドにはもう少し働いてもらうつもりだった。子供を人間兵器として扱うのは気が進まないが、仕方ない。
「あ、ああひとが、ひととがぁ」
エドが戦場の現実を見ている。
その顔をジークは見る気はない。彼女の頭を抱えながら首を振る後ろ姿だけで十分だった。
戦場では轟音が響き渡る。一瞬の光の後に、後方の車両が爆炎を上げて黒い煙を上げた。占領するのはあくまで機関部と前方車両のみで構わない。ジークは最初から仕掛けていた爆弾が仕事をしたことを、空に伸びる煙で知った。
☆
車内に突入した男たちは息のある兵士を必ず殺して回った。
ジークの部下であろう彼らは無表情に車両を制圧していく。椅子などの遮蔽物に隠れハンドサインを使いながら驚くほど静かにそして迅速に進んでいく。
彼らの目的はあくまで車両の制圧である。爆発物を使っても使われても困るのである。すでに「哀れな」機関士は確保している。乗り合わせたのが不運とあきらめさせるしかない。
散発的な戦闘が行われ、青い軍人の残りが倒れていく。一撃で前方車両の命令系統はマヒしたらしい。死体の中に指揮官の死体があるのだろう。探すものは誰もいない。
男達は次の車両のドアをあけて、突入する。誰もいない車両のようだった。
「…………」
警戒しながら男たちは車両の中に入ってくる。そこに――
ダン。
短い発砲音とともに男たちの一人の顔が、減った。ぱしゃあぁと何かがはじけて飛ぶ音がする。列車の壁に赤い模様ができるのと、男が倒れるのはほとんど同時だった。
彼らはすぐに遮蔽物に隠れながら応戦する。相手はおそらくこちらが入ってくるまで伏せていたのだろう。指揮を執っている者がいるはずである。
車両の反対側に青数名服の軍人が身を乗り出して、銃撃を加えてくる。
そして、侵入した男たちは強烈に応射する。
車両のいたるところに穴が開き、調度品が音をたてて破壊される。人に命中したときには声が漏れる。音を立てるところは物も人もかわりはない。
☆
男の両手にサーベルがあった。磨き上げられた白銀の刀身に眼帯の男が映っている。
男は青い上着を脱ぐ、下につけた黒のインナーは鍛え上げた肉体を映している。腰につけたのは四本の鞘。そのすべてのサーベルが差してある。
ブラッドレイの武装は6振りの細身の剣。ただそれだけであった。
「がっ」
ブラッドレイの横で奇妙な声が響く。赤い血がさっと床に霧吹きのように巻かれる、すぐに一人の若者が倒れた。胸元にどす黒い血の穴が開いている。彼はブラッドレイとグラマンに報告を行った部下だった。
「あ、しょ、しょうさ」
銃撃の音が止むことはない。彼はこの中で死ぬのだろう。
ブラッドレイは感情のない目で彼を見ていた、グラマンと談笑を演じていたブラッドレイとは違う顔だった。
「なんだね少尉」
男を「少尉」と呼ぶ。それは名前ではなく軍人としてのそれだった。少尉はこふこふと血と息の混ざったものを吐きながら言った。
「敵は、5にんです。車両にしんにゅうして、いないもののかげを、みました、しょうさ」
それだけを言い、彼はこと切れた。肉眼で視認した情報を彼は遺言として残したのだった。
ブラッドレイはそれに眉を少し動かして、小さく敬礼する。
「職務遂行ご苦労、少尉」
ブラッドレイの表情は変わらない。周りの残りの部下たちも彼の死を横目でちらりとみて、悲しむことはできない。ブラッドレイはその中で言う。
「諸君、援護してくれたまえ」
頭上を銃弾が飛び交う、その中でサーベルを握る。ブラッドレイの声に部下たちは応じるように頷くのを片方の目で見る。
一斉射撃。突撃への援護射撃。
ブラッドレイは身を狭い車内を駆けだす、遮蔽物から顔を出す敵の顔は見えている。彼ら慌てることもなくはライフルの銃口を突撃する眼帯の男に向けて、引き金を引いた。破裂音とともに複数の銃弾が刹那を飛ぶ。
白刃が煌く。金属と金属がぶつかり合う音。後方に飛んでいく、二つになった銃弾たち。
「!」
何が起こったかわからずに侵入者たちは初めて驚愕の声を上げた。それはアメストリスの言葉ではない。彼らが今起こった事態を理解しようとするその一瞬、
「ほう、アエルゴのかね」
ブラッドレイはその懐に飛び込む。言葉の響きは聞いたことがある。
一番手前にいた男の肩に左手のサーベルを突き刺す。その男は壁に「固定」された。彼が何か言う前にブラッドレイの剣が残りの男たちを切り裂いていく。鮮血が飛び、わずかな悲鳴が残る。
ブラッドレイはさらにサーベルで列車のドアに突き立てる。その向こうで「ぐが」と短い声がする。一人車両に入らずに残っていたのだろう。「少尉」の見た影だった。
どさ、どさと首から血を流して男たちが倒れた。この殺戮は数秒にも満たぬものだった。
「さて」
ブラッドレイは一人残した「男」に刺したサーベルをつかんで手首をひねる。それで男の肩の中で「刀身が回る」。男は目を見開き、歯を食いしばる。
「!!……っ」
しかしブラッドレイをにらむ目は死んではいない。声を強引に押し殺している。
「襲撃の首魁はどこかね」
「……!」
サーベルを回しながらブラッドレイは聞く。穏やかで底響きのする声だった。
ぼたぼたと男の肩から血が流れでていく。それでも抵抗をする彼から、サーベルを抜いた。拷問しても無駄だろう。少ない時間で聞き出せるような男ではない。
だからこそ、男のもう一つの腕にもサーベルを刺した。痛みに顔をゆがめても悲鳴を上げないのは変わらない。男は唇から血が流れるほどに噛み、荒い息でブラッドレイをにらみつけている。
ブラッドレイはふ、と息を吐き。サーベルを抜くと部下の一人に捕虜として任せる指示を短く行う。
両手はまともに使えないようにする。単純で合理的な拘束をしただけである。
車両に侵入した敵の部隊はまだいるはずである。
「さあ、続きだ」
ブラッドレイは部下たちをまとめて歩を進める。血はサーベルを振って、払う。
☆
側面から射撃をくわえた。
規則正しい轟音ととともに、連なった車両の窓ガラスが音を立てて割れる。ドンドンと間断なく続けられる射撃だが、それでも後部車両を中心にまとまった反撃がある。
アエルゴの兵士が突入しようとした瞬間だけは、森からの援護射撃をやめなければならない。その瞬間を見計らってアメストリス軍は「顔を出した」。
突撃しようとする男達に車窓からの精密な射撃が直撃する。ばたばたと倒れこむ彼らを中心に赤い水たまりができていく。車内に先に突入した者たちも動きはない。あるいは逆襲を受けて全滅したのかもしれない。
かといって、アメストリス軍から決定的な反撃ができる状況でもない。外に出た瞬間にマシンガンで蜂の巣にされるだろう。高所はすでに抑えられているのだ。
逆に考えれば高所を押さえているマシンガンさえなければアメストリスには優位になるということである。
がこん。
一人の男が列車の天井を開けて、そこに立った。サーベルを数本携えたその男は悠々と歩き始めた。両手にサーベルを持ち、目に眼帯をしている。
おかしな姿だった、まるで散歩をするかのように男は緩やかに歩いている。
だんだん。だんだんと歩く速さが上がっていく、がんがん、がんがんと金属で覆われた天井を駆けだしていく。男はまっすぐに高所をみている。列車の周りには青い服の軍人、その死体が散らばっている。
『なんのつもりだ』
マシンガンに取りついている兵士は一人、たばこを歯でかみちぎり捨てる。照準を合わせる暇もない。眼下のブラッドレイはさらに早く、奔る。男はマシンガンのハンドルを回す。
バリバリバリと打ち出される銃弾の雨。
ブラッドレイはその雨の中を奔る。体の前にサーベルを構え、わずかに動かす。金属のぶつかる音、銃弾を斬る音。ブラッドレイは少しもひるむことはない。
『ば、バケモノ!』
マシンガンの男は口調とは裏腹に冷静だった。向かってくるブラッドレイに銃撃を加え続ける。自分は崖の上にいるのだ。たとえ列車伝いに近寄ってきたとしても、サーベルでは届かない。
ブラッドレイが飛んだ。男はその姿を見る。地面に着地した一瞬は動きが完全に止まるはずだ。手は緩めない。機関銃の弾幕をそこに集中する。ブラッドレイは空中で両手をふるい、体をひねる。地面に足が着いた瞬間、刀身が閃光のように踊る。
瞬き。男のひたいから汗が落ちる。ブラッドレイはゆっくりと地面に立つ。その足元に無数の小さな穴が開いている。二つになった銃弾が彼の足元でいくつか転がっていた。ブラッドレイは両手に持ったサーベルを軽く振った。
汗が目に入る。男は右手で目をこすり、初めて慌てる。目を開けてみれば、さっきまでいたはずのブラッドレイの姿がない。
『ど、どこだ、ぎげっ』
男は目の前に迫ったブラッドレイを見る。次の瞬間に視界は黒く、永遠に染まる。首筋に鋭い痛みが一瞬だけ、あった。
☆
「ふむ」
ブラッドレイはびくびくと痙攣する男の死体からサーベルを抜くために蹴飛ばす。崖に足をかけてから、駆けあがるのは多少の疲れもある。
こきこきと首を鳴らし。ぐちゃりと体から抜いた刀身を見る。
多少曲がっている。ブラッドレイはそれを捨てて、腰に鞘から新たなサーベルをとりだす。下を見ればアメストリスの反撃が始まっている。高所にあるマシンガンの脅威を取り除いたのだから、歓声が沸き上がっている。
「なかなかいい眺めだったろう」
ブラッドレイは死体に問いかける。答えなど求めてはいない。列車の周りに散らばったアメストリス軍人「だったもの」は黒光りするマシンガンで大量生産したのだ。ある意味では壮観である。
しかし、これで形勢はかなりアエルゴには不利になった。もう一つで積みだろう。
「さて、君が指揮官かね? 私としては投降してくれるとありがたいのだがね」
ブラッドレイの視線の先にジークとそして、おびえた顔のエドがいた。マシンガンの場所と彼らは分断されていたはずだが、エドの錬成で「つながってしまっている」のだ。
「なんだおまえは」
ジークは素直に言った。アメストリスの言葉を彼は話せる。
下では銃撃が続いている。ブラッドレイはまた悠々と歩きながら会話する。
「君たちは襲撃する相手のことも知らないのかね?」
「……その中にバケモノが紛れ込んでいるとは知らなかったがな」
ジークは言いながら、エドに目配せする。逃げろとその目は言っていた。エドはこわばった顔で首を振る。おびえ切った顔だった。
「その娘がこの錬成をやったのだな」
ブラッドレイはエドがつなげた道を歩いていく。
「この質量を即座に変化させることができるとはすばらしいものだな。錬金術の軍事利用とはなかなかよい着眼点だと感心する。我軍でもさっそく検討を具申しよう」
表情を変えずに歩く。
ジークは手に持っていたライフルを捨てた。ブラッドレイはいぶかし気にしている。
「本当に降参するのかね」
「いや、バケモノはお前だけじゃないということを見せようと思ってな」
ジークは咆哮する。体が膨れ上がり、牙と爪が凶悪なまでに伸びていく。体毛がぶわりと生え、人ならざる者に姿を変えていく。
雄々しい鬣をした二息歩行の獣。その姿はまるでライオンのような姿。
エドは「ひい」と信じられないものを見た顔でしりもちをつく。
「ほう、キメラとはこれはまた珍しいものだ。しかし子供の子守には向かぬようだな」
『このスガタになる、のはヒサシブリダ。喰い殺してやるぞ。人間!』
「…………人間?」
ぴくりと反応したブラッドレイはサーベルを構える。彼は「眼帯」を静かに外す。閉じられた左目が露になった。
ジークは地面に手をつく、低く身を構えて足を立てる。力を込めた。彼は一度エドに言う。
『おい、エド。逃げろ』
「え、え?」
いうのは一度だけだった。ジークは膨れ上がった両足のふくらはぎの力を一気に開放する。その瞬間、巨体が一塊の弾丸になって、飛んだ。瞬きすらもできぬわずかな時間。ジークはブラッドレイに向けて牙を立てた。
その、小さなはざまに彼は聞いた。懐にブラッドレイの体がある。
「なかなか速いが、私の最強の眼には遅すぎる」
開かれた左目に浮かんだ「ウロボロス」。
ザシュと何かを切り裂く音がする。
腕が飛んで行った。ブラッドレイはゆっくりと血の付いたサーベルを払った。片方しかないのは、通り過ぎたジークの首元に刺さっているからだった。ブラッドレイは新しいサーベルを鞘から抜く。
『て、テメェ』
鬣を血で濡らしながらジークは振り返った。目は血走り失った右手の付け根を抑える。ぼたぼたと容赦なく血が流れ落ちていく。
「ほう、さすがはキメラというべきか、尋常ならざる生命力だ」
なんでもないことのようにブラッドレイは言う。彼の余裕を崩す要素はこの場にはない。
『なんだ、そのメは』
「それをお前に話す必要があるのかね」
ブラッドレイは左目を閉じている。彼はゆるやかにジークに近づく。とどめを刺そうというのだろう。
「う、うぁあああああ!!!」
赤い上着が飛ぶ。エドはこの状況でブラッドレイに走り寄った。その両手をぱんと合わせて、地面に手を触れる。錬成の反応。雷のような電流が奔り、地面から無数の丸太のような土の塊がブラッドレイを襲う。
『やめろ、エド!!』
その土の塊の上にブラッドレイは乗る。憐れむような眼でエドを見下しながら、サーベルをふるった。
「攻撃とは殺意をもってするものだ。小娘」
「わかって、るよ!」
エドは思う。この一瞬だけ、この目の前の男を上回ることができなければ、自分もジークも間違いなくし死ぬ。彼女は全力で身をかがめた。その上を剣が通る、髪が数本斬られる。腰につけた銀時計がきらりと光る。
ぱんと手をたたく。
両手をつける。エドは地面を変化させる。
「ぬ」
足場が崩れた。ブラッドレイは表情は変わらない。少女の捨て身の策にまいあがった土煙が視界を覆っていく。この足場が崩れるまで数秒もないはずだった。
土煙の中から牙をむいた獣がとびかかってくる。ジークはエドの作った一瞬の好機を見逃しはしなかった。ブラッドレイは迫る牙にいささかも動じない。身をかがめて首筋に刺さったままのサーベルを握った。
『きさま』
「返してもらうぞ。アエルゴのライオンよ」
サーベルを抜く。鮮血が土煙に混ざる。ジークは落ちながら血の止まらない首を押さえて、土煙の中に消えていく。遠すぎる。ブラッドレイに傷のひとつもつけることはかなわなかった。
しかし、今の彼が思うのは、一つだけである。自らの身を考えなかった馬鹿な小娘がいるはずなのだ。それを助けなければならない。
☆
「やあ、ブラッドレイ少佐。おつかれさん」
血の匂いのする場所でグラマンの陽気な声がする。ブラッドレイはひょこひょこ向かってくるその男に軽く敬礼した。グラマンはあたりの甚大な被害に辟易した顔をしている。
「まったく、いやになっちゃうねぇ。どうやら生き残った中で一番階級の高いのは私のようなんだけど、これじゃあ責任を取ることになるかも」
沈鬱な表情を作るグラマン。完全に演技としか見えない。周りでは「後片付け」を兵士たちが行っている。生き残ったのはグラマン麾下とそれに合流した兵士のみだった。ブラッドレイは言う。
「いくつか椅子が空きましたかな」
「やだねぇ。それいっちゃう?」
はっはっはとブラッドレイとグラマンが笑う。ブラッドレイはさらに言った。
「ついでと言っては何ですが、敵に錬金術師がいたようですな。それにどうやら錬金術で作られた兵士も」
「ほう」
グラマンの顔つきは変わらない。彼はブラッドレイが何を言いたいのかはわかっている。錬金術を武器として使う部隊の創設。そしてさらに、
「まあ、考えておこうかね。私が出世したらだけど」
気のない返事をするグラマン。喰えるところが少ない男だった。内心はどうなっているか外からはわからない。
「そういえば敵の錬金術師はどんな格好をしていたのかな」
「年端もいかぬ少女のようでしたな。そうですな。銀時計を持っていたようですから」
ブラッドレイは空を向く。そこに笑顔はない。
「白銀の錬金術師とでも呼ぶとしましょう」
☆
逃げた。
ジークはがれきの中から気絶している、エドを見つけ出して力の限り逃げた。この瞬間だけはキメラの体にした軍に感謝した。少なくとも命のろうそくは人のみより長いらしい。
「う、うう」
『はあ、はあ』
腕の中にいる少女は軽い。錬金術しかとりえのないような子供なのだ、当たり前だろう。その子供を兵器として使う自分に何度嫌味を言ったかジークは覚えていない。
彼は部下をすべて失った。少なくとも残った者たちも無事ではすんでいないだろう。
『罪滅ぼしのつもりか、クソッタレが』
ジークは一人でつぶやく。視界がぼやけて、彼は石に転んで倒れた。その時身をかばうことは一切せず、エドを抱いて守った。彼は仰向けに寝転がる。ここがどこなのか見当もつかない。
森の中なのだろう、鳥の声が聞こえる。腕の中でもぞもぞと動くものを感じる。
「じ、ジーク。わ、私。ここは」
『とりあえず……あのバケモノからは逃げた……。ああ、たばこ、すいてぇ』
「け、ケガが、今私が」
『無駄なことはやめとけエドワルダ……』
寝転んでいると温かいものが体を包む、何かと思えば自分の血だった。エドはそれをみてぽろぽろと涙を流している。
「ごめんなさい、役立たずで、ごめんなさい」
『……ばかやろう……子供が、やくたたずじゃなけりゃ大人はなにをすりゃいいんだ』
本当はそのはずだった。実際には大人である自分がエドを戦場に連れてきた。ジークはふらふらと頭を揺らす。
『いいかエド。これからは……好きに生きろ、もう軍なんかにかかわるんじゃ、ねえ、ぞ。ガキなんだから、服でもかって……男でも、ひっかけろ』
「……ばか」
『……なにも、きにすんな。おまえは、わるく、な』
「ジーク……? ジーク!」
ジークの瞳から光が消えていく。エドの泣き叫ぶ声がこだまする。
エドは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた、その顔に決意が浮かんでいる。
「し、死なせたりなんかしないわ。私は天才、なんだから」
エドはふらふらと立ち上がるとその場で銀時計をとりだす。その金属の表面で地面に「線」を描き始める。
「死なせない。絶対に死なせたままなんかにしない。人の死ぬところなんて、もう見たくない」
突き動かすのは強い決意。エドはがりがりと地面を掘りながら、頭の中で式を構築していく。いや思い出していく。
彼女の頭にはあらゆる錬金術の理論が刻み込まれていた。それが彼女の唯一の特技だった。
「人間の体なんて大したものじゃない……。私の体を使ってでも、生き返らせて見せる。ぜったい、ぜったい」
描く錬成陣の上に涙がぽたぽたと流れている。衝動のままに彼女は人体錬成を進める。
――無駄なことはやめとけ、エドワルダ
ジークの声が蘇りそうになるのをエドは頭を振って払った。彼女はもう引き返すことはできないのだ。
その少女をあざ笑うものがいる。木の陰に隠れているのは青い服の男だった。
「少尉」言われたあの男だった。口元に笑みを浮かべ、笑っている。彼は自分の顔を触る、ばちりと音がして顔の形が変わっていく。まるで麗しい少年のような少女のような、そんな姿に変わっていく。
「思わぬ収穫ってやつ? さあさあ、頑張ってねおちびさん」
エドにその声が届くことはない。
錬成陣を描き終わった彼女はジークの「 」をその中央に据えた。荒い息をしているのは自分が禁忌を犯そうとしていることがわかっているためだろう、エドはそう思い込むようにした。
「ジーク」
手袋を取る。エドのひたいに汗が流れていく。必ず助けるともう一度だけ念じ、錬成陣に両手を置いた。ばちばちと光があたりを包み込んでいく――
「あれ?」
いつの間にかエドは立ち尽くしていた。あたりは何もない、白い、白いだけの空間が広がっている。
「どこ、ここ?」
エドは必死に思いだそうとした、なにか大切なことをしていた気がする。彼女は後ろを振り向いた。
大きな扉があった。
黒い、エドのが見上げるほどに大きな扉である。そこには大きな木が描かれている。
「よお」
「ひゃあ!」
びくっとエドは飛びあがって慌てて後ろを振り向いた。
そこいたのは人なのだろうか、真っ白な人がぼんやりと座っていた。
「ようこそ。身の程知らず」
その真っ白な「それ」は、にやりと笑った。