貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第81話 蝙蝠

 暖かいを通り越して、暑いと思った。空を見上げれば、眩しすぎる太陽が輝いていて。でも、不思議と汗は出なかった。周りの風景は……いつかの、あの公園へと続く道だ。

 

「桜華、大丈夫?」

 

「……えっ?」

 

 隣から声が聞こえてきて、振り向けばそこには氷兎君がいた。いつものように優しそうな顔で、私に笑いかけていた。

 

 ……なんで、私はここにいるんだろう。それと、なんで氷兎君は名前で呼んでくれたんだろう。わからない、でも氷兎君もいるし、なら別に不思議なことが起きているわけじゃないよね。

 

「ひーくん、桜華ちゃん。早く行こう?」

 

 私と氷兎君を遠巻きに見ていた菜沙ちゃんがいた。菜沙ちゃんは、ひとりでに先に歩いていってしまう。氷兎君はそれを見てため息をついてから、私に手を差し出してきた。

 

 ……手? なんで、私に手を差し出しているんだろう。怪訝そうに顔を傾けた私を見て、氷兎君は吹き出すように笑った。

 

「ほら、行くよ桜華」

 

「あっ……」

 

 氷兎君が、私の手を握ってくる。そして引っ張る形で私を連れていってくれる。

 

 握られた手は暖かくて、少し手の皮が固くて、男の子なんだなって思えた。そのまま、どこまでもどこまでも、私の手を引いていってくれる。

 

 私と貴方が出会ったあの夏を思い出した。菜沙ちゃんと仲良く手を繋いでいるのを見て、私はきっと羨ましかったんだ。こうして今繋がっているのがわかると……離したくなくなってしまう。

 

 手を繋いでいるだけなのに、たったそれだけのことなのに、私の中を暖かいモノが埋めていく感覚がある。それは夏の日差しのような熱さと、木陰にいる涼しさを合わせたような……不思議なものだった。

 

「……手、握らない方が良かった?」

 

 咄嗟に顔を上げる。氷兎君は悲しそうに俯いていた。きっと私が下を向いて歩いていたから。握られていた手を強く握り返すと、氷兎君は驚いたように私を見た。

 

「ううん……大丈夫。氷兎君の手、繋いでると安心できるから」

 

 私は笑った。すると氷兎君もつられて笑った。幼さが残る笑い方に、私は心だけじゃなくて身体まで熱くなってきていた。

 

 普段は頼りにされるような態度と仕草で、笑う時もどこか捻くれているようにニヤッとするけど……こうやって、無邪気に笑う氷兎君も、目を逸らせないくらい素敵だった。

 

「そっか。よかった」

 

 繋がれた手は離れることなく、私達は歩きだす。どこまでも、どこまでも、私の手を握ったまま……。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

「七草さん、七草さん起きて」

 

「んっ……ぅ……」

 

 カプセルの中で眠っている桜華の身体を、氷兎が右手で揺らす。その豊満な双丘も揺れ動き、幸せそうな顔で眠っている彼女の唇が少しだけ開く。そこから寝息が聞こえ、氷兎は不意にドキリとした。

 

 なんだこの寝顔、天使かなにかか。自重するために氷兎はそっと視線を逸らした。

 

「……しっかし、周りの連中は皆起きてこねぇんだな」

 

 先程西条に叩き起された翔平は周りを見回しながら呟いた。自力で起きれた氷兎と西条は、現実に対する強い楔があったから戻れたようなものだ。普通の人間がそれを持ち得るはずもない。

 

「嫌な現実から目を逸らしたくなるのは自然な行為だ。今の日本に、これから逃れられる者はそういまい」

 

 西条は呆れたように呟いた。結局のところ技術革新が進んだとはいえ、世の中は何も変わらないからだ。東京オリンピックを終えて、日本の経済は一時回復したように思えた。しかし、インフレが起これば次はデフレが起こる。オリンピックのためだけに作られた建物の維持費等々に加えて、技術開発に金を注いだ結果……日本はまたもや不景気に突入していた。

 

 経済的なものに幼い頃から関わっていた西条は、日本だけでなく世界的にも人間の低能さに呆れていた。もっとも、彼自身にどうこうできるわけもないと思っているが。

 

「夢だとわかんなかったからなぁ……。ごく自然に、現実に溶け込んだ感じがしたし。痛みもあったから、あぁ現実なんだなって思ってた」

 

「……ちなみになんの夢を?」

 

「んー……新作のゲームが次々と発売されてた。んで、確かお前と一緒にやってた気がする」

 

「……先輩らしいっちゃらしいですね」

 

 氷兎もまた呆れたように肩を竦めた。左腕には包帯がキツく巻かれているが、じんわりと血が滲んでいる。それを見て翔平は悔しそうに顔を歪めた。

 

「……何のんびり寝てたんだろな、俺。お前がこんな目に遭ってたっていうのに」

 

「仕方ないですよ。まぁ一応銃創にしては軽傷らしいので、そこまで悩まなくてもいいですよ。なんか腕動きませんけど」

 

「充分重症なんだよな……菜沙ちゃんに合わせる顔がねぇよ……」

 

「あっ………」

 

 翔平の出した名前に一気に氷兎の顔が青ざめていく。帰ったら絶対に面倒なことになる。氷兎はもう確信していた。今すぐにこの傷を治せる魔術を教えてくれと心の中で叫んだが、誰も答える人はいなかった。

 

「ん……氷兎、君……?」

 

 カプセルの中から眠たそうな声が響いてくる。氷兎が中を覗き込むと、瞼を擦っている桜華と目が合った。

 

「……夢、だったの?」

 

「……何の夢を見ていたかは知らないけど、まぁそうだな。ほら、起きて」

 

 氷兎が桜華に向けて手を伸ばすと、彼女はおずおずといった様子で手を握った。そして何度か強く握ると、どうしてか微笑みながらカプセルの中から出てきた。

 

 そして彼女が氷兎の腕に巻かれた血濡れの包帯を見ると、顔を青くして問い詰めた。

 

「氷兎君……これ、どうしたの……?」

 

「あー……いや、ちょっとヘマした。まぁ消毒も止血もしてあるから大丈夫だよ」

 

「止血の時に泣き喚いた奴がいうセリフではないな」

 

「ちょっと西条さん!?」

 

 クツクツと笑っている西条に氷兎は怒鳴った。そんな元気な氷兎を見た桜華は少し安心したが……やはり目線は包帯から逸れない。でも彼女には何もできることは無かった。寝ている間に守るべき人が傷ついたことを知って、彼女は唇を噛み締めた。

 

「……大丈夫だって。これくらい平気だよ」

 

 氷兎が右手で彼女の頭を撫でる。彼女の表情は少し柔らかくなったが、依然として心配そうに傷跡を見つめるばかりだった。

 

「……さてと、こっからどうするよ。この眠ってる人達叩き起こすか?」

 

「起こしたところでどうにもならんだろう」

 

「……いや、待ってください。誰か来たみたいですよ」

 

 氷兎の耳には遠くの方から聞こえてくる金属音とゴムの擦れるような音が聞こえていた。それを聞いた彼らは武装の確認をしてから、その音の発生源へと向かって走り出して行った。

 

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 

 その音が大きく聞こえるようになってきたのは、地上と繋がっているエレベーターのすぐ近くだった。転々とある柱やカプセルに身を隠しながら、彼らはやってきた人物に接近していく。

 

 キコキコッと鉄の擦れるような音が聞こえるなか、翔平は苦虫を噛み潰したような顔で移動していた。怪訝に思った氷兎だが、何も指摘しなかった。

 

 物陰に隠れて近寄ること数分。すぐ向こうにはやってきた誰かがいる。翔平が柱から顔を出して、誰がやってきたのかを確認すると……やっぱりか、とばかりに落胆した。

 

「……海音さん」

 

「っ……鈴華さん、ですか?」

 

 車椅子に乗っている海音が翔平を視界に捉えた。隠れる必要もないとばかりに、翔平は彼女の前にまで歩み出る。氷兎達もその後に続いて姿を現した。彼らの服装と、持っている刀や槍といった武器を見て……彼女は目を見開いた。

 

「皆さん……こんなところで、何を……?」

 

「……都市伝説を調べていたらここに辿り着いたって言ったら、信じてもらえないっすかね」

 

「それにしては……その、そんな武器とか……」

 

「あー………」

 

「先輩、もう隠すのは無理ですよ」

 

 ため息をつきながら、氷兎が前に出た。自分達がどのような組織に属していて、どんな活動をしているのかを、部分部分を端折りながら説明していく。そして……ここがどういった施設であるのかも、事細かに説明した。

 

 その説明を聞いてなお、海音は落胆の顔を見せずに辺りを見回した。彼女がここに来た理由にいくつか心当たりのあった翔平が言った。

 

「海音さんのお母さんも……ここにいるかもしれないっす。探すの、手伝いましょうか?」

 

「……私は、その………」

 

「……ここに眠っている連中の名前と場所を記載したファイルがあった。それを見ればどこに母親がいるのかわかるぞ」

 

 西条がポケットから取り出したのは何回も折られた紙だった。データ上に記載されていた情報を印刷して持っていたのだ。幸いにも、ここにはそれらの機械も置いてあった。医療用の薬などがあまり置いてなかったこと以外、ここで生活するには困らないだろうというだけの物資もあった。

 

 どれだけ日向 葵という人物が、自分の夢の為に頑張ろうとしていたのかがわかるくらいだ。

 

「西条、どこら辺かわかるか?」

 

「……加茂 朱音(あかね)という女性であってるのなら、Cブロックの17番目だ」

 

「……やっぱり、母もここに………」

 

「よし、じゃあ行ってみるか。海音さん、俺が押していきますよ」

 

「あっ……はい、お願いします」

 

 翔平が車椅子を押していき、西条が先頭に立って場所を案内する。最後尾を、氷兎と桜華が並んで歩いていた。

 

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 西条の言う通りに着いて行った一同は、参列するカプセルを見て回りながら海音の母親の眠っているカプセルを探していた。しかし、皆の足がピタリと止まる。

 

 西条の言ったCブロックの17番目。そのカプセルの前に……女性が立っていた。膝下程度の丈のスカートを履き、胸元の大きく開いた服を着ていて、そこからは桜華に匹敵するくらい大きな山が見えている。綺麗な肌色で、目を奪われそうになるが……それよりも目を引いたのは、その女性の背中にある蝙蝠のような翼だった。

 

「……やっほ。ようやく来たのね」

 

 女性が氷兎達に向き直る。氷兎の身体は既に違和感を訴えていた。目の前にいる存在は、神話生物だ。しかも、かなり上位の存在だ。それを実感した全員は臨戦態勢に入る。翔平は桜華に海音を任せてデザートイーグルを構えた。西条は刀に手をかけ、氷兎も片手で銃を構えた。

 

 敵意剥き出しの氷兎達を、しかし女性は笑って済ました。海音の母親の眠っているであろうカプセルの上に座ると、目尻を上げて氷兎を見てきた。氷兎は、また俺かと内心ため息をつきながら話しかける。

 

「……どちら様ですか?」

 

「んー、そうだな……。君にわかりやすく言うと、君が契約した彼女の従姉妹だよ」

 

「……従姉妹? 冗談でしょう、全然似てない」

 

「プッ……ククッ、アッハハハハハハッ!!」

 

 氷兎の返事に、女性は腹を抱えて笑いだした。目尻には薄らと涙が浮かんでいて、どれほど彼女のツボに入ったのかがわかる。そんな彼女の行動に、少しだけ警戒心を緩めていた。

 

「ハハッ、はぁ……いやいや、まさか二回も同じこと言われるとは思ってなかったよ。君、中々ギャグセンスがあるんじゃない?」

 

「……二回?」

 

「前に言われたんだよねー。まぁ、君は知らないだろうけど。とりあえず自己紹介からしとこうかな」

 

 カプセルから飛び降りた彼女は、翼を軽く動かしてから片手でピースサインを作って自分の名前を伝えてきた。

 

「私の名前は、マイノグーラ。君達は特別に、気軽にマイって呼んでいいよ」

 

「えぇっと……マイさん、は……なんでこんなところにいるんすか?」

 

 翔平が恐る恐る尋ねると、マイノグーラは薄らと笑った。その笑みは見たものによっては凍りつかせるようなもので、しかし見方によっては相手の心を魅了する微笑みにも見える。ここにいる人は、誰もが背筋に寒気を感じていたが。

 

「なんでここに来たのか、か。気まぐれと言えばいいのか、約束を果たしに来たと言えばいいのか……。まぁ、気にすることでもないよ。用があるのは、君だからね」

 

「……俺?」

 

 彼女が指をさしたのは氷兎だ。案の定俺かと嘆いた氷兎は、向けていた銃を下ろして彼女の言葉の先を待った。しかしそこに西条が割って入る。刀に手をかけたままで、どうやらやる気のようだった。

 

「いつまで話し込むつもりだ」

 

「いや、西条さん。やめたほうがいいです。絶対勝てません」

 

「そうそう、私に勝つのは諦めた方がいいよ。君ならわかるよね? 彼女の従姉妹ってだけで……私がどれだけ規格外なのか」

 

 瞬きする間に、マイノグーラが消えたかと思えばすぐさま目の前に移動してきた。彼女の手が氷兎の頬に添えられる。流石に氷兎も身じろいで距離をとった。そんな彼の姿を見てまたマイノグーラは笑った。

 

「……そういうことされると、地味に傷つくんだよ? 私これでも、感性は君たちと同じなんだから」

 

「つーことはつまり……マイさんは悪い人ではないってこと?」

 

「そうそう、悪い人じゃないよー。ごく普通に人間の生気が大好きなだけの女神だよー」

 

 そう言った瞬間、西条の刀が振り抜かれた。しかしマイノグーラに当たるかと思えば、その身体をすり抜けていく。マイノグーラの身体は霧のように消えていき、少し離れた場所に現れた。

 

「ちょっと、流石に傷つくって言ったでしょ」

 

「目の前で敵対宣言されて待つほど俺は甘くはない」

 

「つれないなぁ」

 

 刀を地面と平行に構えた西条に続いて、氷兎と翔平も再び銃を構える。海音はそんな彼らを見て怯えていた。桜華は彼女をすぐにでも連れて逃げられるように、体勢を整えている。

 

「いやいや、やめてほしいな。私人間が主食じゃないから。確かに美味しいけど、私にとって人間は趣向品なんだよ」

 

「……危険性はないってことか?」

 

「馬鹿者。感性が人間よりだと言っただろうが。小腹が空いたから、そこにあったから、暇だったから。置いてあるお菓子を食べる感覚で、奴は人間を喰らっているということだ」

 

「……女子高生が学校帰りにスタバに寄る感覚で人を喰らってるってわけかよ。冗談じゃねぇ……」

 

 翔平の目つきが鋭くなる。軽かった雰囲気はどこへやら。もう既にこの場には張り詰めた空気が存在し、警戒も高まっていた。

 

 敵意剥き出しの彼らを見て、マイノグーラの表情が変化した。そこには微笑みも何も無く、少しの苛立ちが感じ取れた。

 

「……そっか。慣れてた彼とは違って、君達はこういうの許せないのか。これをあげようと思ってたけど……気が変わった。私だって、そういった態度取られると……怒るんだからね」

 

 どこから取り出したのか、彼女が片手で持っている薄汚れた茶色の本を軽く叩きながら彼女は言った。

 

 なるほど、アイツの従姉妹というのも納得がいく。氷兎は心の中で彼女を蔑んだ。やっぱりコイツらロクなもんじゃない。

 

「……来なさい」

 

 彼女がそう口にすると、辺り一面に酷い悪臭が満ち始めた。鼻が曲がりそうな刺激臭だ。思わず鼻を抑えてしまう。

 

「私の子供じゃ強すぎるから……彼らに頑張ってもらおうかしら」

 

 悪臭はとどまることを知らない。あまりに酷い臭いに顔を歪めていると、()()()()()()から青黒い煙が吹き出した。

 

 その煙は辺りに広がるかと思えば、ひとつに集まっていき何かの生物を形とっていく。それは貴方達が目にしたこともない形で、四足歩行の何かとしか表現はできない。

 

 口であろう部分から伸びる太い管のような舌の先には注射器のような針があり、長く伸ばしてはユラユラと揺らして誘っているように見える。その身体であろう部分からは青みがかった脳漿のような液体が垂れ流されている。

 

 それはそこに存在しているのかわからない。しかし確かにそこにいる。実態を持たないような煙の如きその生物は、彼らを見ると狼の遠吠えを上げるように喜んだ。

 

 それを見た彼らの心は軋んで悲鳴をあげ、冷や汗が頬を伝っていく。胃の中身が悪臭とその醜悪な見た目に反応してせり上がってきている。事実海音は嘔吐した挙句その身体を震え上がらせている。

 

 彼らは吐きそうになるのを堪え、それぞれの得物を手に目の前のバケモノを見据えた。そんな彼らをマイノグーラはせせら笑う。

 

「さぁ猟犬よ、行きなさい」

 

 猟犬と呼ばれたその生物は目の前にいるエサに喜んで襲いかかってきた。

 

 

 

 

To be continued……




 マイノグーラ

 人間の前に姿を現す時は、蝙蝠の羽をつけたグラマラスな女性として現れる。いわゆるサキュバス。怒ると真の姿が……それは例えるならばギリシャ神話のゴルゴーン。髪の毛は蛇のようで、睨まれると石化する。サキュバスなのかゴルゴーンなのか……これもうわかんねぇな?

 影の女悪魔の別名を持つが、れっきとした女神様。ただ昔に死にかけた人間の生気を吸ったら美味すぎてハマってしまっただけの、感性が人間よりの神話生物。

 感性が人間寄りだからセーフ? そんなことはない。彼女にとって人間の生気とは趣向品。クッキー☆感覚でポリポリ食べているヤベー奴。やめてくれよ……。



疲れのせいか筆がのりませんでした。許してヒヤシンス。

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