貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第59話 夏の終わりに願うこと

 祭りの会場は人が多く、そして騒がしかった。周りを見回せば、私服や浴衣や甚平と色々だ。道端には赤白の断幕を吊り下げた屋台が所狭しと並んでいる。空は既に真っ暗だった。

 

 流石にこの人の多さでは手を繋いでいないとはぐれてしまいそうになる。菜沙は既に手を掴んでいるからいいとして、だ。

 

「人いっぱいだね……あっ、綿飴あった!!」

 

 子供のように無邪気に笑っている七草さんの手を握っておいた方がいいのか、だ。なんとなくこう……勇気がいる。尻込みして彼女の手は結局握れなかった。

 

「せんぱい、リンゴ飴買ってくださいよ!」

 

「はいはい、あまり暴れるなっての」

 

 先輩の方はというと、藪雨を真ん中にして左右で先輩と加藤さんが浴衣を掴んでいた。一見家族のようにも見える。俺と菜沙は……兄弟あたりがいい所だろうか。そんなことを考えていたら、グイッと菜沙に手を引っ張られた。

 

「今年は人が多いね。ひーくん、勝手にどっか行ったらダメだよ」

 

「行かねぇよ。お前に手を握られてんだからどこにも行けないって」

 

 その言葉に何故だか菜沙の頬が赤くなった。暑いのかもしれない。確かに会場は人の多さで熱気が溢れ、夏の夜だから普通に気温も高めだ。適度に水分を補給させた方がいいかもしれない。

 

 ちょっと前を歩いていた七草さんが急に立ち止まり、俺の方を振り返ってきた。

 

「氷兎君、綿飴だよ!」

 

「はいよ。じゃあ並ぶか」

 

 どうやら本当に祭りが楽しいらしい。天真爛漫な彼女の笑顔が、本当に尊い物のような気がする。どうかなくさないでほしい、と俺は切に願う。

 

 先輩達はリンゴ飴の屋台に並び、俺達は綿飴の屋台の列に並ぶ。綿飴を食べるのに並んでいるのは小さな子供達だ。子供は確かに綿飴が好きだ。歳をとるにつれて綿飴は食べる人が少なくなると思う。かく言う俺も、普段はあまり食べない。

 

 ならなんで今日は食べるのか? それは……まぁ、七草さんが食べたいから、一緒に食べるんだろう。他に食べたいというものもないしな。

 

 そんなことを考えながら待っていると、遂に俺達の番になった。待ちわびていた七草さんが笑顔で綿飴を注文する。

 

「綿飴二つくださいっ」

 

「あいよ、800円だ。そこから二つ好きなのを取りな」

 

 俺が店主にお金を払っている間に、七草さんが壁にかけるように置かれていた綿飴の袋を二つ取った。七草さんはピンク色の袋を。俺は青色の袋を彼女から受け取った。

 

 七草さんは手に取ってすぐに袋を開けて、ふわふわな綿飴を口の中に入れていった。口の中に入るとすぐに溶けていって、その甘さに彼女の顔が緩んでいく。

 

 ……可愛らしい顔だった。なんとなく、見てるだけで胸が暖かくなるような気がした。

 

「甘くて美味しいっ! 氷兎君、綿飴ってこんなに甘いんだね!」

 

「……喜んでもらえてよかったよ」

 

 ずっと俺に笑顔を向けてくる彼女に俺は微笑みを返し、持っている綿飴の袋を開けた。綿飴を口の中に運び込むとすぐに、菜沙が俺の持っている綿飴をパクリと食べていった。

 

「……うん、甘いね。私は全部はキツいかも」

 

「だろうな。クドい甘さだけど……俺は結構好きだ」

 

 祭りに来た時は基本的に大きいものを買って菜沙と一緒に分けて食べていた。今回も綿飴が二つでいいのはそれが理由だ。菜沙が言うには、安く済むし、他にも色々な物が食べれるから、だそうだ。

 

「あ、金魚すくいとかもある! それにあれは……」

 

「ちょ、待って七草さん。先に行きすぎるとはぐれちゃうよ!」

 

 初めての祭りに興奮しているのか、七草さんは俺達よりも先に前へと進んでいく。早いところ引き止めなくては、彼女がはぐれてしまう。

 

「ん、どうした氷兎。俺達は今買い終わったぞ」

 

 ちょうどその時に先輩に呼び止められた。少し目を離しただけだというのに、その短時間で七草さんを完全に見失ってしまった。人が多過ぎてなかなか進めない上に、前の方も全然見えない。

 

 話しかけてきた先輩に非難の目を向けると、先輩は慌てた様子で、俺何かしたの!? っと驚いていた。

 

「まずいです、七草さんが迷子に……」

 

「うっ……恐れていた事態が……」

 

「彼女に電話してみたらどうだ?」

 

「祭りの会場は基本的に電波が届きません。それ以前に、七草さんは携帯持ってないんですよ」

 

 加藤さんの提案は残念ながら使えない。本当に、なんで七草さんに携帯を持たせておかなかったのだろうか。明日絶対に彼女の携帯を契約しに行こう、と心に決めた。

 

「こんな人混みの中迷子は見つけるの大変ですねー。本当、あんな天然で可愛い子とか絶対にナンパされちゃいますよ。私達はせんぱい方が睨み効かせてくれてるんで大丈夫ですけどねー」

 

「困ったな……連れ去られたりはしないだろうけど、七草さんはお願い事とか中々断れないぞ。それに何かと騙されそうだ……」

 

「氷兎、探しに行ってこいよ。流石にこの集団じゃ移動出来ねぇし、もし万が一、七草ちゃんがこっちに戻ってきた時のためにも俺達はここに残ってるからさ」

 

「わかりました。じゃあ俺探しに行ってきます。菜沙はここで待ってて」

 

「嫌よ」

 

 菜沙を置いていこうとしたら、手を強く握りしめられた。彼女の顔を見れば、絶対に離すものかと言いたげな様子だった。

 

「私も一緒に行くから。二人の方が探しやすいよ」

 

「……まぁ、仕方ない。お前は絶対に離れるなよ」

 

「離れないよ、絶対に」

 

 手を一旦離すと、彼女は俺の腕に彼女の腕を巻き付けてきた。これなら絶対に離れないし、幅も取らない、ということなんだろう。柔らかい感触と共に、少し綿飴とは別の甘い香りが漂ってきた。

 

「……青春、だな。私にはなかったものだ」

 

「青春でいいんすかね、これ」

 

「なんで唯野せんぱいって可愛い女の子二人侍らせといてあんな反応なんですかねー」

 

 後ろから聞こえてくるそんな会話を無視しつつ、俺と菜沙は七草さんが消えていった方向に進んでいった。俺と腕を組んでいる菜沙の顔が、少しだけ緩んでいる気がする。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 祭りの会場から少し離れた場所。人も多くなく、屋台もない。ちらほらと花火を見ようとしている人がいる程度だ。そしてここは、河川敷。俺と菜沙が初めて七草さんに会った場所だ。

 

 今にして思えば、本当に不思議な出会い方だったと思う。不良に絡まれているところを助けたのなら、まぁそりゃどこにでもある小説みたいな話だ。しかし事実は違い、不良に絡まれているところを助けようとしたら逆に助けられたという展開だ。

 

 辺りが一層暗くなってきた。そろそろ花火の上がる時間である。その前に七草さんを見つけないといけないのに、彼女はどこを探しても見つからなかった。だから俺は、最後の希望をかけてここにやってきたのだ。

 

「……あっ」

 

 河川敷の土手に設置された白い柵の上に、真っ白な浴衣を着た女の子が座っている。遠くからでもわかるくらい、その顔は暗かった。けど、ようやく見つけた。俺は菜沙の手を引っ張るようにして彼女の元へと向かっていく。

 

 途中で彼女も気がついたようで、柵から降りると暗かった表情が一気に笑顔に変わった。

 

「氷兎君っ、菜沙ちゃんっ!」

 

 俺達の名前を呼ぶ。そしてその場から駆け出すと、俺と菜沙に抱きつくような形で飛びついてきた。なんとか菜沙が倒れないように踏ん張ると、むにゅんっと柔らかなものが押し付けられる感覚があった。少しだけ顔が熱くなるのがわかる。彼女は俺と菜沙の肩に顔を埋めるようにして少し涙ぐんだ声で言ってきた。

 

「よかった……二人とも、来てくれた……」

 

「まったく……祭りで楽しみなのはわかるけど、離れちゃダメじゃないか」

 

「ごめんなさい……」

 

 シュンッと彼女はしおらしくなってしまった。そんな彼女の頭を空いている手で優しく撫でた。無事でよかった。漂ってくる彼女の匂いに脈を早めながらも、俺は安堵のため息をついた。

 

 そして、撫でている最中にふと気がついた。七草さんの纏められている髪を縛っているのは、俺が以前山奥村であげた黒いヘアゴムだったのだ。

 

「……七草さん、まだこれ着けてたの? 可愛らしいのを買ってくればよかったのに」

 

 俺のその言葉に、彼女は埋めていた顔を戻した。肩に当たっていた柔らかな彼女の頭がなくなったことに、少しだけがっかりとする。

 

 七草さんはヘアゴムの部分を触りながら嬉しそうな声で言った。

 

「だって……氷兎君がくれた物だから。私の大事なものなの」

 

「……そっか。そりゃよかったよ」

 

 内心驚いていた。そんなに大層なものでもないのに、そこまで大事にしてくれていたことに、少しだけ嬉しく思う。彼女はえへへっと笑いながら、壊れ物を扱うような手つきでヘアゴムを触っていた。それを見た菜沙が、やれやれと言いたげな表情で言ってくる。

 

「桜華ちゃんね、可愛らしいヘアゴムつけようとしても、これがいいって言って聞かなかったのよ」

 

「……まぁ、貰いもんを大事にするのはいいことだ。気に入ってくれたのなら俺はよかったよ」

 

「うんっ」

 

 ニッコリと笑って彼女は頷いた。そしてふと何を思ったのか、数歩前に進んでいくと、彼女と初めてあった場所……橋の下の暗がりを見ながらポツポツと話し始めた。

 

「はぐれちゃった時ね、なんだかもう会えないような気がしたんだ。全然そんなことないはずなのに、おかしいよね」

 

「………」

 

 夏の魔物の仕業か。彼女はどうやら昔のことに想いを馳せるあまり、気が沈んでしまっていたらしい。彼女はそのまま続けた。

 

「それで、私また独りになっちゃうのかなって、怖かった。歩いて歩いて、気がつけばここに来てた。ここ、覚えてる?」

 

「……覚えてるよ」

 

「私達が、初めて会った場所だね」

 

 菜沙も橋の下の暗がりを見ながらそう言った。七草さんは俺と菜沙に背を向けて、また話し始める。

 

「私が独りになっても、また助けに来てくれるんじゃないかなって、思ってた。そしたら……本当に来ちゃった」

 

 彼女が振り返る。その瞳には薄らと涙が浮かんでいて、彼女が本当にそう思っていたのだと実感させられた。そして……彼女は誰もが見惚れるような笑顔を浮かべてから俺達に言った。

 

「助けに来てくれてありがとう、氷兎君、菜沙ちゃん。私、二人のこと大好きだよ」

 

 彼女の頬を、溜まっていた涙が零れ落ちていく。しかしそれは彼女の笑顔を一層際立たせた。その笑顔は無垢で、隠されたものもなく、とても綺麗だった。言葉では言い表せない、不思議な感情が蠢いている。

 

 彼女の背後を流れている川が、街灯で照らされて輝いていた。その輝きもまた、彼女を綺麗に映させる。川も、空も、この場所も。何もかもが彼女を取り囲んで美しくさせていた。それは例えるのなら幻想のよう。儚いものであり、触ってしまえば壊れてしまうような美しさだった。

 

 俺はただ、彼女のその姿に見惚れて何も言えず、恥ずかしい感情を隠すように頭を掻きながら視線を逸らした。我ながら格好悪い。気の利いた台詞のひとつも言えないのか、と思いながら彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「これからもずっと、ずっと一緒にいたい。色んな所に行ったり、色んな人と話したり。それをするのも、私は二人と一緒がいい。私の事を助けてくれた二人と、一緒に……」

 

 恥ずかしそうに両手を胸の前で重ね合わせて、彼女は俯いた。チラリと菜沙を見やる。菜沙もどうやら、俺と考えていることは一緒のようだ。二人でゆっくりと彼女の目の前まで歩いていき、菜沙が七草さんの手を取って言った。

 

「桜華ちゃんが本当にそう望んでるのなら、私はいいよ。私も、桜華ちゃんともっと色んな話がしたいから」

 

「菜沙ちゃん……」

 

 ……さて、俺も何か言わなきゃいけない訳だが。正直何を言えばいいのかわからない。けど、俺は彼女の手を取って話すという勇気はないし、ましてそれ以外何か出来る程の度胸もない。だから俺は、彼女の目を真っ直ぐ見据えて言うことくらいしか出来なかった。

 

「……人生、まだまだこれからだ。夏が終われば秋が来る。秋になったら紅葉を見に行くのもいい。冬になったら、雪合戦をするのもいい。そうして何度も何度も同じ季節が回っていく。これから先も、七草さんが願うのなら……いや、違うな」

 

 自分で自分の言葉を訂正する。恥ずかしいけど、俺は少しだけ彼女に微笑みかけながら言った。

 

「俺も、七草さんともっと一緒にいたいよ。だから、これからも宜しくな」

 

 そう言って俺は彼女に手を差し出した。おずおずと、彼女は空いている手を俺の手に重ね合わせ、握ってくる。柔らかな手に包まれ、不思議と手だけでなく身体も熱くなってきてしまった。

 

「氷兎君……ありがとう……」

 

 無垢な笑顔が、少し歪んだ。泣きたいのを我慢している子供のようにも見える。それがどうにも……愛らしい。彼女の言葉に何か返事をしようと思った矢先、ヒュルルルルッと空気の抜けるような音が聞こえてきた。

 

 火の玉のようなものが空に向かって駆け上がっていく。そして……ドーンッと空気を震わせる大きな音と共に花火が上がった。

 

「うわぁ……綺麗……!! 氷兎君、花火、花火上がったよ!!」

 

「ッ……ふふ、あぁ……そうだな」

 

 指をさして花火を見あげ、身体全身で楽しんでいることを伝えてくる七草さんを、俺は少しだけ笑いながら見ていた。

 

「菜沙ちゃん、あの花火クマだよね!?」

 

「うん、色んな形のがあるね。あれは……UFOかな?」

 

 彼女達は二人して指をさしながら、あの形はリボンだとか、星型だとか、笑いながら言い合っていた。

 

 それを、俺は横から眺めている。花火なんかよりも、この二人の笑顔の方が綺麗な気がするから。

 

 ドーンッ、ドーンッ、と空気が揺れる。その振動の心地良さに俺の口は自然と上がっていき、気がつけば笑っていた。

 

「たーまやー!」

 

 空に向かって叫ぶ七草さん。それを見て笑う菜沙。

 

 あぁ、護らなくては。この二人を。この笑顔を。

 

 彼女達が明日も明後日も、笑い続けられますようにと流れ落ちていく花火に向かって祈った。

 

 一際大きな花火が弾けた。今までよりも大きな音が響く。そして俺は思った。あぁ……もうすぐ夏が終わるのか、と。

 

 

 

 

To be continued……


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