貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第21話 幸せの与え方

 それはまるで、思春期ならば多くの人が感じたであろう胸の鼓動の高鳴りだった。脈打つスピードがどんどん早くなって、胃がキュッと痛くなる。そう、それは母親に隠していたエロ本をそっと本棚にしまわれていた時の感覚に酷似していた。

 

 ……俺の場合は母親ではなく菜沙に見つかったが。いや待て、今考えるのはそうではないだろう。現実を見なければ。一刻も早くこの場から立ち去ろう、そうしよう。否、しなかったら間違いなく殺される。目の前の爺さんの目がそれを物語っている。

 

「……菖蒲。家に戻っていなさい」

 

「えっ……あ、でもお爺ちゃん……。唯野さんは悪い人じゃ……」

 

「戻りなさい。儂は彼と話があるのだ」

 

「……はい、お爺ちゃん……」

 

 寂しげな目でこちらを見てから背を向けて離れていく花巫さん。けど、今はそれを悠長に見ていられるほど状況はよろしくなかった。まるで人を言葉で殺せそうなくらい年季の入った声だ。震える声を察されないように腹に力を入れて話しかける。

 

「……場所、変えませんか? 彼女物陰から見てるかもしれませんよ」

 

「……ついてきたまえ。下手な真似はするんじゃないぞ」

 

「さて、下手な真似とはなんのことでしょうかね……」

 

「………」

 

 何気なく冗談をかましたら、睨みつける目がより一層鋭くなった。いや、状況的に挑発と取られた可能性もあるか。どちらにせよ……いつでも逃げ出せる準備だけはしておこう。

 

 心構えだけはしておき、花巫さんの祖父の後についていく。階段を降りて、中程の場所にある踊り場で彼は立ち止まった。俺も少しだけ距離をとって立ち止まる。体を半分ほどこちらに向けて、彼は鋭く細めた目で睨みつけてきた。

 

「……これ以上儂らの村に関わるな。そして、あの子……菖蒲にもだ。今お主らが出ていくのならば、儂らは何も言うことは無い。菖蒲の幸せの為にも、帰ってはもらえぬか」

 

「……話がよくわかりませんね。皆さん言いますが、何故そこまでしてよそ者を、自分達を拒むのですか」

 

「相互理解が出来ぬからだ。儂らには、儂らのルールというものがある。お主には、お主なりのルールがある。それらは、あまりにかけ離れたものだ。最早相互理解はできぬ」

 

 男の発する言葉は、諦めの色が濃いように感じた。本当にそう思っているのだろう。辺鄙な田舎の独自のルールと、都会という程でもないが、世間一般のルールの中で生きてきた俺達とでは、見えているものや感じるものが違うのだと。

 

 ……だが、それを理解する前に俺の心には怒りがふつふつと湧き上がってきた。逃げるべきだという恐怖の感情すらも塗りつぶして、それは前面に出てくる。

 

「……『うちはうち、よそはよそ』って理論ですか。いや……全く以てくだらない意見ですね。そういうの、昔っから大嫌いなんですよ」

 

「何も知らない若造が大層な口をきくな。お主には何もわからん。そして何も、理解出来ぬ。今お主が手を引くことが、誰もが穏便に事を済ませられる最善手なのだ。それこそが菖蒲にとっても幸せなことなのだ」

 

「……幸せだなんだと言ってますがね。爺さん、アンタ本当にそう思ってるんですか? 思ってるなら鏡を見た方がいい。到底、その内心とは似ても似つかない顔をしてますよ」

 

 皺だらけの顔の裏側の感情が、言葉となって現れた。それは諦めであろう。しかし、何に対する諦めなのか。それはもう、俺の中では一つの結論として出ていた。そして、その結論は最悪の予想の果てに行き着いたものだ。コレが真実だったなら……俺も流石に平常心を保てるかどうかも怪しい。

 

 だが、それこそが現状を打破できる可能性を秘めたモノだ。意を決して、口を開く。

 

「……彼女、花巫 菖蒲さんの左眼。先天性のものではないですよね」

 

「ッ……」

 

 驚きに目を見開いたあたり、予想は当たっていたようだ。彼女は生まれつき目が視えていなかったと言ったが、天上供犠についての話が出てきた辺りで俺は不思議に思った。今まで読んできた本の中で得た知識ではあったが、一つ儀式にまつわるものとして関連された事柄があるのだ。それは……

 

「我々日本人の昔話では、人身供犠……所謂生贄を神に捧げることで自然災害や川の氾濫を防止したとされます。そして……その生贄となる人は、片目がないか足が不自由な人であったというらしいです」

 

 彼はこの神社の神主だろう。ならば、全て知っているはずなのだ。あの祠の中に何がいるのかも。その事実を突きつけて、何が変わるという訳でもない。ただ、真実を知らなければならない。一息ついてから、俺は再度目の前の男を睨むようにして口を開いた。

 

「───花巫 菖蒲は、あの祠の中にいるバケモノの生贄となるべくして産まれ、左眼を抉られた。違いますか?」

 

 あのバケモノがあんなにも多くの食料を毎日食べているのにも関わらず、それでも尚何かを捧げなければならない。それこそが、天上供犠。犠牲によって数多の命に幸あれと願われる、少数切り捨ての儀式。

 

「……いいや、違う。半分だ。残りの半分は、正しくない」

 

 爺さんの言葉は、先程よりも更に重々しい。俺に対して警告を発した強気の爺さんはもういない。今目の前にいるのは、おそらく彼女の祖父としてではないだろうか。

 

 ……そう考えていたのも、次の言葉で全てが吹き飛んだ。

 

「あの子に生きる意味を見出させないために、儂が抉ったのだ」

 

「……は?」

 

 拍子の抜けた声が漏れた。今、目の前の老人はなんといった。生きる意味を見出させないため、確かにそう言った。それは、人としての存在の否定ではないのか。自論だが、人が生きるのは意味を見出すことにある。自分がそこにいて、何をしたのか。何を残すことが出来たのか。自分がそこに確かに存在していたのだという証拠を残すことこそが、俺達の生きる意味だと、俺は思っている。まさか、家族だというのに彼女からそれを奪い去ったというのか。

 

 俺の内心を知る由もない彼は、その言葉の節々から悲壮と怒りを感じさせる物言いで彼女の境遇を語り始めた。

 

「元より決められた運命だった。ならば、それをどうにかしてやりたいと思うのが家族としての情だ。元から世に期待も後悔もしていなければ、死ぬことに何の悔いがあろうか。元より何にもなれず死ぬのなら、痛みはきっとないだろう」

 

「………」

 

「義務教育はさせた。だが、高校には行かせなかった。あの子は自分の見た目からか友達を作らなかった。最早、あの子に希望はなかったのだ。それこそが、幸せであった。だが……お主は菖蒲にいらないものを持ってきた。期待だ。希望だ。生きる活力だッ。それは確実に、菖蒲を苦しめることになる!」

 

「絶望の中にいれば、死を絶望だと感じないと……。幸せがわからなければ、また不幸を不幸だと感じることもないと……。アンタ、それでも保護者かよッ!! 両親はどうした!? あの子の両親までもそんな想いだと言うのか!?」

 

「二人はとうにこの世にいない。生贄となって死んだ!」

 

「ッ……!!」

 

 怒鳴りつける俺の言葉に、彼もまた怒鳴り返す。次に彼が語り始めたのは、まだ花巫さんが幼かった頃に行われた儀式についての話だった。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 それは菖蒲が産まれてすぐの頃だ。我が家系は代々当主の嫁が生贄となることを義務つけられていた。無論、菖蒲を産んだ儂の娘がその義務を全うしなければならなかった。儂はそれを悲しんだが、儂の妻もその義務を果たしたのだ。

 

 だが、それに対して婿は怒った。到底耐えられるものではないと。こんな悪習は捨て去らねばならぬと。

 

 その意気込みは凄まじいものだった。そしてとうとう、儀式に参加して共に中に入ると言い出した。

 

 ……儂は、その時は婿の言葉に従った。儂も娘を失いたくなかった。だから、娘の儀式に儂と婿は共に臨んだのだ。互いに猟銃を持ってな。

 

 

 ───君は絶対に守るよ。そして、菖蒲のところに帰るんだ。

 

 

 婿の言ったその言葉に娘は泣いた。儂も、いざとなったら身を挺して守るつもりだった。両手で握りしめた猟銃を頼りに、祠の奥へと進んで行く。どうにかなるかもしれない、という期待が胸の中で生まれつつあったのだ。

 

 

 ───あ……っ………。

 

 

 その決意は、呆気ないことに簡単に砕けた。誰の声か、いや皆の声だったのかもしれない。穴の中に響く呆気に取られた声。

 

 祠の最奥に、ソレはいたのだ。不定形で、多くの目玉がついている、そう……例えるならば、アメーバか。ソレは不思議な声と共にジリジリと迫ってきた。液体が動くように近づいてきて、その体ともいえる部位から触手のようなものを伸ばす。

 

 

 ───っ……ぅ、あぁぁぁぁッ!!

 

 

 婿が悲鳴のような叫びをあげて銃を乱射した。しかし、それは奴に対して有効ではなかった。弾丸は体に当たると内部に吸収されて、溶けてなくなる。ジリジリと詰め寄る奴に、果たして娘と婿は捕まった。そして……

 

 

 ───ぁ…………….ぃ…….。

 

 

 婿が喰われた。口のような部分に放り込まれ、ポキリ、ポキリ、と噛み砕かれた。そして、奴の半透明な身体はそれを儂に見せた。まるで地獄を見たような泣き顔のまま、混ざり、砕き、やがて溶けていく。そして今度は、気絶してしまった娘を口へ放り込んだ。

 

 ……儂は逃げたのだ。娘を置いて、死にたくないと逃げ出した。手に持つ猟銃も投げ捨て、大切なものを何もかも置き去りにして、息を切らして逃げたのだ。奴は、追っては来なかった。あぁ、だが最早どうにもならぬのだと理解してしまった。

 

 祠を爆破しても、隙間から這い出てくるだろう。コンクリートを流して固めようとしても、奴はそれを察知して出てくるだろう。最早これは、止められぬものなのだと……儂は諦めたのだ。

 

 逃げ延びて数年、菖蒲には両親は菖蒲を捨てて逃げたのだと説明した。そして、儀式のことも……ただ、神様と一緒になるための儀式だと教え込んだ。

 

 儂は文献を探し回ってあのバケモノについて調べたが、わかったことは少なかった。昔この村にやってきて、祠に住み着いた。当初飢饉で苦しんでいた昔の人々は必要な食料数を減らすために生贄を捧げたらしい。すると、飢饉は過ぎて作物は実っていった。彼らはその後も生贄を出すことをやめなかったようだ。やがて供給が間に合い、余りが出ると生贄の代わりに作物を供えた。

 

 これで犠牲が出ることもなくなったと思っていたのだが、何年か経つと村に現れて人を一人喰らって帰ってゆくらしい。人肉が好みなのか、それとも何か別の理由があるのか。しかし、それこそが儀式を行い続ける理由だった。機嫌を損ねては、儂らが生活出来なくなる可能性があったからだ。

 

 誰も、辞めようとは言わなかった。否、言えなかったのだ。死ぬのが嫌だったからだ。

 

 歳をとれば死を恐れなくなる? いや違う。歳をとればとるほど、儂らは『死』というものを理解する。そしてよりいっそう恐れるのだ。だから、何も知らぬ子供のうちに……生贄にしようとしたのだ。

 

 菖蒲が儂の家系の最後となるだろう。年々奴は人肉を求める期間が短くなっていっている。次の犠牲者は……おそらく、なすりつけ合いになるのだろう。人間同士、醜い争いの果てに……儂らは、やがてどちらがバケモノなのか分からなくなってしまうのやもしれん。わかっていても、どうしようもないのだ。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 ……爺さんの話はさほど長くはなかった。だが、その話はあまりに非常識だ。とうてい現実のことだとは思えないだろう。

 

 ……俺達以外ならば。

 

「せめて苦しまぬようにと、そう思ってやったことなのだ。理解してくれ。そして……ここから出ていってくれ」

 

 後悔、諦め、そして親愛。あぁ、確かにこの爺さんは彼女を想っているのだろう。しっかりと、考えているのだろう。だが、それは彼女が死ぬことを前提としたものだ。決して彼女の本当の幸せを思ってのことではない。

 

「そこまで聞いたのなら尚更です。最早俺達も引けないのですよ。嫌でも、介入させてもらいます」

 

「無責任なことをするな! 助けたとして、そのあとどうするつもりだ!? あの子は、高校には行っていない上に社会で働くことも知らぬ生娘だ。助かったとして、そのあとどう生きさせるつもりだ!? お主があの子の面倒を見るとでも言うのか!!」

 

 助けるだけ助けて、それでさよならをするのを許さない、と爺さんは言った。確かにそうだ。助けたとして、彼女はどうするべきだろう? 彼女は死ぬために生かされた。生きるために生きてきた訳ではない。世間に出るために必要なものが多く欠如しているだろう。ならどうするのか? 俺達が彼女の行く末を決めろと?

 

「……いいや、いいや違う! それは俺達が勝手に決めていいものじゃない。彼女の人生は誰かに決められてはならない。彼女が自分の手で選ばなければならないものだ!」

 

「それを無責任だというのだ!!」

 

「違うッ!! これは、人として当たり前の事だ!! いつまでも、あの子を生贄として扱うな!! あの子は人間だ!!」

 

「何の苦労も、苦しみも知らぬ若造が、知った口をきくな!!」

 

 爺さんの怒声が響いた。だが、それでも俺は怯まない。俺の心の中では、また別の決意が産まれていたのだ。天在村に来た時、俺は自分の将来の夢がないと言った。目標が思い浮かばないと言った。だが、今ここで指針は決まった。

 

「俺はバケモノのせいで理不尽に死なねばならない人を助ける。これは、俺の決意だ。アンタらの理由なんかで止まる訳にはいかないんだよ」

 

「……ふん。何も知らぬから言えるのだ……。直にわかる。お主の行動は、ただの子供の行為の延長線上だとな」

 

 爺さんが踵を返して階段を上っていく。俺も背を向けて階段を下りていった。民宿に向かいながら、俺は彼女の境遇を再度考え直す。

 

「……..あぁ。彼女が人を信用できなくなるわけだ」

 

 ボソリと呟いた。彼女の人の感情を色として認識できる能力は、それこそ昔から使えたのだろう。そして気がついた。周りがどう思っているのか。そして……愛を向けてくれるはずの祖父は、きっと彼女を憐憫の情で接していたことだろう。そして村の人達も……。

 

 誰かからの愛を欲していた彼女に待つのは、生贄という終着点。あまりに……酷い話だ。俺もきっと彼女の立場なら、誰も信用したくなかっただろう。自殺もきっと考えただろう。それでも強く生きていた彼女は、やはり何としてでも助けないといけない。

 

「……とりあえず、先輩達に報告しないと」

 

 急いで帰って民宿に辿り着き、自分達の部屋へと向かう。先に帰ってきていた先輩と、調査が終わったらしい加藤さんが部屋で待機していた。部屋には料理が既に運び込まれていて、時計を見ると夜の八時を越している。長いこと話し込んでいたらしい。俺の表情から事態を汲み取った加藤さんが座るように促して話を聞こうとしてくる。

 

「……進展はあったようだな」

 

「はい。そこら辺踏まえて話したいんですけど……」

 

「血生臭そうな話はメシの後にしようぜ。食欲が失せちまう」

 

「それもそうだな。私も部屋に戻って食べてくるとしよう」

 

 加藤さんが部屋を出ていき、俺と先輩は料理に手をつけ始める。食べ始めはいつも通りの味だった。だが、様々な料理に手をつけていくと、やがて口の中で違和感を感じるようになってきた。薬味のような、酷い味だ。あまりに酷く耐えきれなかった俺は口の中に入れたものを吐き出した。畳の上に噛み砕かれた野菜が撒き散らされる。先輩も口元を抑えていた。

 

「ゲッホゲッホッ……な、なんだこれ……クソマズイ……」

 

「何を間違えたらこんな……いや、まさかこれ……」

 

 身体から力が抜けていく。手先の感覚から徐々になくなっていき、全身が痺れて動けなくなってしまった。息をするのも苦労するくらいに、全く身動きが取れない。箸が手からこぼれ落ち、そのまま俺と先輩は横向きに倒れていく。

 

「ぐっ……おっ……ちくしょう……」

 

「……盛られてたか……ハ、ハッ……クソッ……」

 

 自分の警戒心のなさに悪態をついた。田舎は横の繋がりが強いと何度も自分で言ったではないか。なのにこの始末だ。苛立ちと恐怖が募っていく。そんなグチャグチャな精神状態の中で、段々と瞼が重くなっていった。開けようとするが、瞼は逆らう様に落ちていく。

 

 ……もう、耐えられない。諦めた俺は目を開こうとする努力をやめた。意識がなくなる直前、多くの足音が聞こえた気がする。

 

 

To be continued……


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