貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos- 作:柳野 守利
目の前にいる巫女服を着た女の子は、珍しそうに、そしてどこか驚いたような様子でこちらを見てくる。隣で興奮している先輩はさて置いて、なるべく不振な素振りを見せないように歩み寄っていく。これでも、内心緊張しまくっている。自己紹介で噛みはしないだろうか。
「……どうも、記者としてこの集落の取材に来た唯野と言います」
「……あっ……ど、どうも……。巫女をやってます、
とりあえず噛みはしなかった。その事に安堵しつつ、彼女の服装などを見る。重たそうで、生地も厚そうだ。こんな炎天下の中そんな服装でいては熱中症で倒れないだろうか。とても心配になる。現に、彼女の額から流れる汗が首筋を伝って落ちていく。
「あ、あの……質問、なんですけど……?」
「なんでしょうか?」
彼女、花巫さんは俺のことを……いや、目線がどうにも違う。彼女はどうやら俺の身体を見ているようだ。部分的には、心臓辺りだろうか。どことなく言いづらそうにしている彼女はオドオドとしたまま言葉を紡いだ。
「……腹黒い、と言われたことありませんか……?」
「……ないですね」
いきなり内面否定されて驚いた。普通初対面の人に腹黒いなんて言うだろうか。答えを返してもなお、彼女は俺の身体の一部分をじっと見つめたまま動かなかった。
「……不思議な人、ですね」
「そっくりそのまま貴方に返させていただきます」
言い返してしまったが、仕方がないだろう。別に怒っている訳では無い、ただ条件反射でツッコミ返してしまっただけだ。しかし、俺の返答に彼女は少しだけ笑うと、確かにそうですね、と返してきた。
「ごめんなさい、失礼なことを言ってしまって」
「構いませんよ。特に気にしていませんから」
「ありがとうございます。ところで、こんな寂れた神社に何か御用でも……?」
「……寂れている、とは自分は思いませんよ。立派じゃないですか。年月が経っているのに、原型を留めていて破損箇所も少なく、しっかりと掃除されていて、境内も綺麗ですし」
率直に思った感想を彼女に伝えた。彼女はどこか恥ずかしそうに、頬に片手を添えて笑った。そんな彼女の顔を見ていると、やはり眼帯が気になってしまう。しかし、それを本人に聞くのは無粋というものだろう。
「ありがとうございます。これでも毎日お手入れ頑張っていますから……そう言っていただけると、嬉しいです」
「おひとりで、ここら辺全部を?」
「いいえ、時折祖父も手伝ってくれます」
「なるほど……。しかし、記事にするには中々にいい場所ではないですか。立派で風格ある神社に、綺麗な巫女さんまでいると」
「……そんなこと、ないですよ。綺麗だなんて……」
視線を逸らし、少しだけ恥ずかしそうに俯いた。けど、その逸れた瞳の見つめる先は、やはり自分の心臓付近。彼女は一体、何を見つめているのだろうか。谷間があるわけでもない、まして彼女が女性で俺が男性だ。逆ならともかく、彼女が俺の身体を見つめる必要はないと思われる。
……単に話しにくいか、俺の顔が直視したくないほど醜いのか。後者なら泣ける。
「後ろの御方はお友達ですか?」
「……えぇ。仕事仲間ですよ」
彼女が指差した後ろ側を向くと、先輩はカメラ片手に写真を撮りまくっていた。恐らく数分後にはSNSに挙がっている事だろう。流石に撮影許可くらい取りましょうよ。
そんな願いが通じたのか通じていないのか、見られていることに気がついた先輩は笑顔で手を振りながら近寄ってきた。
「いやぁどうも、 同じ仕事やってる鈴華 翔平って言います! よろしく!」
「巫女をやっています、花巫 菖蒲です。……随分と明るい御方ですね」
「まぁ、そうですね……。先輩は元気で明るい人ですから」
どことなく頬が緩んだように、安心した表情になった花巫さん。その視線は、先輩の顔から心臓付近に。やはり、表情ではない。ならば、彼女は一体そこに何を見ているのだろう。
「あっ、お時間大丈夫ですか? お茶入れますよ」
「なら、お願いできますか? こちらも幾つかお話を聞きたいものでして」
彼女から話を切り出してくれたのは助かった。記者という名目上、記事になりそうな話を聞きながら本来の調査を進めなければならない。悟られるのは流石に拙いだろう。
彼女は箒を片付けると、俺達を神社の裏手に招いた。裏手には、大きな洞窟のようなものがあり厳重に縄などで入れないようになっていて、何かを祀っているのか供え物も置かれている。それを通り過ぎると、小さな一軒家が建っていた。ここが彼女が普段生活する家なのだろう。
「さ、どうぞ上がってください。すぐにお茶を入れますね」
「あ、どうも、お邪魔します!」
「……お邪魔します」
玄関に靴を脱ぎ、案内されたのは客間のような場所。真ん中にテーブルが置いてあり、座布団が何枚か敷かれていた。一面畳張りで、和風な家のようだ。
そう言えば、畳には熱を吸収する作用があるんだとか。夏場には畳の上に寝っ転がると少し涼しいらしい。流石に招かれた家でそんな馬鹿な真似はしないが。
「はぁー、歩き疲れてクタクタだよまったく……」
「無駄足って訳でもないでしょうけど……収穫ゼロですからね」
聞いて回ってみても、有益な情報は何も得られなかった。ここは、彼女が何か知っていないかにかけるしかないだろう。
そんなことを考えていると、扉が開いて花巫さんが飲み物を持ってきてくれた。氷も入っており、受け取った容器が冷たくて心地よい。ゴクリッ、と一口飲み込むと乾いていた喉に冷たいものが流れていき、キンッと頭が痛くなった。
「冷たすぎましたか?」
「いいえ……とても美味しいです。喉が渇いていたので助かります」
「はぁ……冷たい麦茶って良いよな……。なんか、ザッ夏! って感じがする」
貴方の脳内は年中春なのでは……? と突っ込むのを抑え込んで、適当に相槌を返しておく。花巫さんも麦茶を飲んで一息ついているようだ。
「……そういえば、この集落を見て回ったんですけど、花巫さんくらいの年齢の人って見かけなかったんですよね。子供は多かったんですけど……」
「えぇ。今では私一人です。大きくなると、皆都会に行ってしまいますから」
「はぁ、なるほど……。花巫さんは跡継ぎとして残っているとか」
「概ね、そんな感じですね」
たわいない世間話を繰り広げる。どうやら本当に同年齢の人がいないらしく、友人もいないんだとか。だから、都会から来て尚且つ歳が近い俺と先輩と話すのが楽しいらしい。
「そういえばさ、花巫さん眼帯つけてるよね。ものもらい?」
「あっ……いえ、これは……」
花巫さんが言葉に詰まった。それより、一体全体何やらかしてるんですか先輩はッ!! せっかくその話題に触れないようにしていたのに、台無しじゃないか。言葉に詰まるってことは、言い難いことなんだろう。しかも、会ってすぐの人に話すようなものでもない。だというのにこの人は……。
内心先輩に対する愚痴を言いながら、困っている花巫さんに言葉をかけた。
「言い難いなら言わなくても大丈夫ですよ。それより、先輩はデリカシーが無さすぎます。普通聞きませんよ」
「えっ、いやそりゃ……気になったら聞きたくなるじゃないか」
「初対面で、会って間もない上に女性ですよ。流石にダメですって」
「お、おう……その、ごめんな花巫さん」
「いえ……大丈夫です。やっぱり、気になっちゃいますよね」
頭を下げる先輩に、困ったように笑う花巫さん。どんよりとした重い空気が部屋に蔓延する。どうするべきか。元凶たる先輩が話題を振るか、俺が空気を変えるか、それとも……花巫さんが詳細を語るか。
……いや、それは酷というものか。時間もいい頃合だ、ここら辺で引き上げるのがいいかもしれない。
そう結論づけて、何か迷った表情をした花巫さんに向けて俺は言った。
「……そろそろ暗くなってきましたから、自分達は帰りますね」
「あっ……そうですか。わかりました。唯野さんと鈴華さん、お話をしてくださってありがとうございました」
頭を下げてお礼を言ってくる花巫さんを尻目に、先輩に視線を送る。先輩は、もう帰るのか? と言いたげな表情だったが、これ以上留まるのも良くない、と強引に視線と首の動きで帰るように促した。先輩は、小さく頷いてアタッシュケースを片手に立ち上がった。
「こっちも、楽しませてもらってありがとね。それじゃあ、先に外に出てるわ」
「了解です、すぐ行きますよ」
先輩は足早と出ていった。流石にこの空気では居づらいだろう。優しいのは先輩の美徳だが、その心配する心は時に人を傷つける。親切は時に人のためにはならないのだ。
「……すいません花巫さん。あの人、優しい人なんですけど……」
「……いいえ、大丈夫ですよ。わかってますから」
彼女は優しく微笑んだ。わかっていますから……か。確かに、先輩の話し方や態度を見ていると、そう思うのかもしれない。話すのが好きで、人と接するのが得意で、優しい心の持ち主だ。少なくとも、俺はそう思っている。
「……あの、お聞きしたいことがあるんです」
「なんでしょうか?」
槍の入った袋を持ち上げて、忘れ物がないかを確認している途中で花巫さんにそう声をかけられた。不思議に思って彼女を見れば、彼女の目は伏せがちだが……今度はしっかりと自分の目を見ていた。
「……人と違うのは、いけないことなんでしょうか」
「……人と違う、ですか」
彼女の質問は、答えるには中々に難しいものだった。彼女の表情は、良いものではない。彼女が眼帯をつけているのから察するに、その目は良いものではないのかもしれない。しかし、彼女は同情してほしい訳では無いだろう。
彼女が欲しい言葉ではなく、俺の自論……俺の考えを、彼女に伝えるべきなのかもしれない。
「……人は、出る杭は打ちます。平均の中で突飛すれば、嫉妬に駆られて貶すでしょう。平均の中で下位に位置すれば、優越を感じて驕るでしょう。人というものは、そんなものです」
「……いけないこと、なんですよね。やっぱり……」
彼女の表情は更に暗くなっていく。しかし、やはり人はそういうものなのだ。自分が誰かに劣っていると思いたくない。だから、他人を貶める。そうして心の安寧を保つのだ。一種の自己防衛機能だろう。
……俺は、そんな人という存在があまり好きではない。自分もその人の一人だというのに。
「……ですが、その群れの中で自分の意思を貫き通せたら、どれほど素晴らしいのか、とも思えます。自分という存在の在り方を尊重し、他者に何を言われようとも、自分は自分だと言い張れるのなら、それはきっと素晴らしいことだ」
「………」
「……自分の考えなんですけどね。人の定義ってのを考えたことがあるんです。結論としては、意思疎通ができる。道具を扱える。人型である、といったところでしょうか」
「……あの、それはどういう……?」
……まぁ、そうなる。いきなりこんな話をされても困惑するだろう。俺だって自分の頭の中で何を話せばいいのか、纏まっている訳では無い。正直緊張のせいで噛んだり、変なことを言いそうになって仕方がない。
ただ……彼女に伝えたいことは、もっと別のことだ。困惑する彼女に、俺は言った。
「……貴方は紛れもなく人だ。そこに差異があるのだとしたら、それは最早個性と呼べるものでしょう。人が人を貶すのも、人が人を拒絶するのも当たり前のことだ。決して、貴方だから貶すという訳ではないんです。貴方だけが違うんじゃない。人という存在自体に、間違いが内包されているんですよ」
「………」
「まぁ……ただの自論なんで、あまりアテにしないでくださいね。なんか、本題からズレたような気がしなくもないですし……」
アハハッ、と空笑いでその場をごまかそうとした。しかし、彼女の表情はもう暗くはなかった。驚愕と、嬉しさだろうか。おそらくその二つが混ざったような微妙な表情をしていた。
……選んだ答えが合っていたのかはわからない。けれど、間違ってはいなかったようだ。
……あぁ。なるほど、そういった考えもできるか。合ってる間違ってるのマルバツ問題じゃない。サンカク、という答えもあったか。
彼女が欲しがったのは、恐らく〇か✕かではなく△だったのだろう。同意でも、反対でもなく、同情でもなく……。そのどれでもない、誰かの別な意見が彼女の欲した答えだったんだろう、きっと。
「……貴方は、わからない人ですね」
「……わからない人、ですか」
「はい」
彼女はニッコリと笑ってそう答えた。俺には彼女の考えていることが理解できない。しかし、彼女が笑顔ならばそれでいいのだろう。今はきっと。
「……また明日、会えませんか? 今度は、二人だけで」
「……構いませんよ」
「……良かった。あっ、それじゃあ連絡先を……」
彼女はポケットから携帯を取り出した。俺も携帯を取り出して、彼女と連絡先を交換する。それが終わると、彼女は微笑みながらその携帯を両手で包んだ。
「……それじゃあ、自分も帰りますね」
「はい……。お気をつけて、唯野さん」
胸元で小さく手を振る彼女に別れを告げて、彼女の家から出た。外では先輩が携帯を弄りながら待っていて、出てきた俺を見るとすぐに謝ってきた。
「悪い、氷兎。謝ったりしてくれたんだろ?」
「えぇ、まぁ……気にしないでください。俺も、貴方に助けられることが多いですから」
先輩はバツが悪そうに頭を掻いた。俺はそんな先輩の前に歩み出て、後ろを振り向くようにして言った。
「帰らないのなら置いていきますよ?」
「あっ、いや帰る、帰るって!」
早足で隣に並ぶように移動してきた先輩に対して軽く笑いながら帰路を歩いていく。
田舎だからか、空に浮かぶ星が綺麗にハッキリと見えた。心地よい風が吹き抜けていき、神社の裏に存在する洞窟のような場所を横切る時に、風に乗って何かの声が聞こえたような気がした。
『テケリ・リ』
高い声だったように思える。しかし、周りには誰もいない。先輩も聞こえなかったようで、俺はそれに対して何も不思議に思うことなく、空耳として済ませることにした。
To be continued……