貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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また期間が空いてしまいました……また徹夜中です。


第129話 アラクネ

 何も手がかりが得られないまま、とうとう三日目になってしまった。彼女の周りを探ってみたものの、得られたものは何もない。彼女に違和感を覚えないから人間のはずだし、周りに神話生物の気配も感じなかった。

 

 実はあの映像は偽物で、本当は何も起きませんでした。そんな展開になればいいのに。でもきっと、そうはならない。そんな気がする。

 

 もうじき深夜だ。風俗店は軒並みバグってるせいで働くにも働けず、自宅で待機しているか、そこら辺を散歩しているくらいしかしていない。神話生物との接触もない。このまま、彼女がアパートから出てこなければ……この事件は杞憂だったで済むのに。

 

「やっぱり、あの人は変わってしまうのかな」

 

 隣で携帯をいじっていた唯野さんが、憂鬱げな声で尋ねてくる。俺に聞かれても、わからない。できることというのは、この場でじっと……カップルの振りをして見張りを続けるだけだ。

 

「どうだろうな。部屋の電気は消えたままだし、多分もう寝てるだろ。このまま起きないで欲しいもんだがね」

 

「そうだよね……。でも、もしも。彼女が変わってしまったとしたら……あなたは、殺せる?」

 

「……わからない。殺すしかないのなら殺すし、そうでないのなら助けられる方法を探すよ。なんにせよ、意思疎通ができるかどうかだ」

 

 その時になってみなければ分からない。けれど、覚悟だけはしておかないとダメだ。いざとなった時に身体が動きませんでしたじゃ話にならない。

 

 あまり考えたくはないことだ。憂鬱な気分を紛らわせるために、アンパンを齧る。餡はこし餡に限る、なんてことを唯野さんと話していたら、とうとう深夜を周り、時刻は午前一時。あの映像、日付は覚えているが、時刻がいつだったかは忘れてしまった。けど、これ以上遅くなるのなら、もう何もないと思っていいだろう。ここからあの公園まで、それなりの距離がある。

 

「……動かないね」

 

「ハズレかな。とりあえずもう少し様子を見て……っ!?」

 

 そろそろ切り上げようとしたところで、アパートの扉が開いた。それは風俗嬢の部屋で間違いなく、中からは水色の服と黒い長丈のスカートを履いた女性が出てくる。吐きそうなのか、口元を手で抑えて前屈みになっていた。

 

 止まればいいものを、彼女はふらふらと、ゆっくり歩みを進めていく。階段を下り、路地の奥へと消えていく。遠目からでも違和感はない。だけど……どう見たって、今の彼女は異常だった。

 

「唯野さん、連絡回して。多分……アウトだ」

 

「……わかった。声の届かない範囲で、追いかけていこう」

 

 見るからに覇気をなくした唯野さんは、鈴華さんたちに携帯で連絡を入れた。これで向こう側も待機しておいてくれるだろう。今はともかく、バレないように彼女の後をついていかなくては。

 

「……助けられなかった、のかな」

 

「……まだ、わからない。これから助けられる可能性だってある」

 

 今はそう願うしかなかった。外套を羽織って、彼女の後をつける俺と唯野さんの顔はきっと……ずっと苦々しく歪んでいただろう。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 こちらの世界の唯野から連絡が来て、公園付近で待機していた西条たちは各々の装備を改め、映像に映っていた事件現場へと向かう。念の為に比嘉刑事に辺りを封鎖してもらったとはいえ、街中でドンパチを繰り広げるわけにはいかない。未だにマスコミが辺りをうろついているのもあり、騒ぎをでかくするわけにはいかないのだ。

 

「氷兎ちゃんの言った通りだとして……俺たちはどうするべきなんだ? まさかとは思うけど、出会い頭に殺す……なんて言わねぇよな?」

 

「確証もなしに斬りかかるような奴に見えるのか? 俺は手遅れと判断して斬るか、見逃した場合に起こる被害を考えて動くまでだ。とりあえずは、奴のその後の行動を観察すべきだろう」

 

「その後っつうと……変異してから、か。結局……俺たちは、何もできなかったな……」

 

「全員を救えるだなんて思うなよ。神様とやらを見てみろ。奴は救った数より殺した数の方が多いぞ。神ですらそれなのだ。その出来損ないが、それ以上のことをできるものか」

 

 信じていない神様を皮肉るように嘲笑し、現場へ向かう足を早める。最後の最後まで何かないかと探してみたものの、彼らには何も見つけられなかった。魔術的な素養がないからだと考えてはみたが、氷兎を連れてきた時も何も感じることはなく、結論としては公園は偶然近くにあっただけで、事件とは何ら関わりがないのではないか、ということになった。

 

「鈴華と、そっちのも。奴が街の方に走ろうものならすぐに撃ち殺せ。躊躇うなよ」

 

「あんまりそういったのは考えたくないけど……わかった。とりあえず、私は西条と隠れてればいい?」

 

「いや、四方に散れ。なるべく互いに対角線上に位置取り、何があってもすぐに対処できるようにしろ」

 

「だってさ。西条もちゃんと聞いてた?」

 

「……確認せんでもわかってる」

 

 設置された監視カメラの近くまで四人が辿り着くと、それぞれが四方を囲むように、木や遮蔽物に姿を隠す。相変わらず西条同士の仲は険悪なままで、なんとか鈴華が間に入って取り持とうとしている。翔平も向こう側の薊と仲良くするべく近寄ろうとするが……西条にやめておけと止められてしまう。その理由を、彼は未だに話してはくれなかった。

 

 唯野の連絡から時間を逆算すれば、もうじきこの場所に風俗嬢がやってくる。この場にいる誰もが、好き好んで人を殺したい訳ではない。だが、殺らねばならない事態になるかもしれない。そしてその時、何も悩むことなく引き金を引けるのか。どちらの翔平も憂いていた。

 

 敵が悪であればいい。迷うことなく引き金を引けるクソ野郎なら、どれほど楽なことか。だからせめて。敵になるのだとしたら、変に人間性を残さないで欲しい。化物であって欲しい。そんな身勝手で、人としてあまり良くない考えばかりが頭に過っていく。

 

『……来たぞ』

 

 インカムから西条の声が響く。長丈のスカートを揺らしながら、ふらふらとした足取りで歩いてくる女性。遠目からでは表情は分からないが、少なくとも正常な精神状態には見えない。

 

 今からでもなにか助けられることはないのか。翔平はそう考えるも、何も手立てはない。

 

「……ゥ……ァ……」

 

 女性の顔が街灯で照らし出される。西条が眼鏡を弄って、彼女の顔にズームしていった。拡大された女性の表情は、病人のソレだ。青紫色の唇はカタカタと震え、額には汗が滲み、目の焦点は定まらない。その姿は、まるで自分の意思で動いているのではなく、何か糸のようなものに引かれているかのようであった。

 

 少し小突けば倒れてしまうだろう。そんな足取りだというのに、目的地だけは決まっているようで。それを表す言葉があるとするのなら、(いざな)われていると言うべきなのだろう。

 

 しかし、何に。少なくともこの付近一帯でそのようなものは見受けられなかった。このあとの行動次第では、殺すのではなく泳がせる必要も出てくる。この嬢が見たという化物を探し出すという意味でも、これから彼女が行き着く先に何かしらの答えがあるはずだと、西条は踏んでいた。

 

 それが例え、彼女を見殺しにするという手段であっても。

 

「な……んで、わたじ……がらだがァ」

 

 隠れている彼らにも声が聞こえるくらい、彼女は近くまでやってきた。自分の身に起きていることが何一つわからないのか、身体を抱きしめるように抑え、鈍重な足取りで一歩一歩、ゆっくりと歩いている。

 

「いだい……わだじ、なにもわるいごどしでないのに、いだいよぉ……」

 

 とうとう彼女は動かなくなる。身体を震えさせ、その場で口を大きく開いて呼気を漏らす。口の端から垂れ落ちていく唾液。両目から流れ落ちる涙。自分は何も悪いことはしていないのに、どうしてこんな目に遭わなくてはならないのかと、怨嗟の声を漏らす。

 

「どうじで、だれもいないの……だれがぁ……いだぃ、ぃだぃぃ……」

 

 隠れていた木から翔平が飛び出そうとするのを、西条が視線で留める。その目が物語っていたのは、もう手遅れであり、自分たちにできることは何もないのだという、諦めであった。

 

 翔平には魔術は使えない。不可思議な力なんてものはない。あるのは、たった一丁の銃だけ。それで彼女をどう救えようか。

 

 あるいは、これから彼女の身に起こることを考えるのならば……いっそ殺してやった方が、救いになるのかもしれない。未だに人の形を保ち続ける彼女に、銃を突きつけるなんて真似は……彼にはできないが。

 

「あぁ……あ゙ッがギ」

 

 何か、固いものが捻れるような音が聞こえる。ミシミシと粉砕するような、ゴムを無理やり捻じるような、乾いた音。

 

 街灯が照らし出している彼女の姿は、徐々に変化していった。這うような姿勢になると、臀部が肥大化し、巨大になった楕円の臀部を突き破るように、内部から節足動物のような足が生えた。黒色で、産毛のように細い毛がビッシリと生えていて、体液で濡れているソレが動くと、ピチャリと音がする。

 

 顔を覆うようにしていた両手も、開かれていた足も、黒色に変わっていく。ガタガタと、産まれたばかりの子鹿を連想させる動きをしていたが……やがて、八本ある全ての足を駆使して立ち上がった。

 

 両目を開いて空を仰ぎ、黒く染った自分の手を見る。そして身体を捻り、あるはずのない複数の足を見て……渇いたように笑った。

 

「なに、これ……なによ……なんなのよぉ……」

 

 粘着質な体液を足から滴らせ、その場で数歩動き回る。ぎこちない動きは、やがて本物の蜘蛛のように、複数の足を同時に、または別々に動かせるようになった。

 

 その姿を遠目で見ていた彼らには、まさしく蜘蛛人間のように見えていた。上半身だけが人間で、下半身は蜘蛛。

 

 西条の脳裏に過ぎるのは、ギリシャ神話に登場したアラクネだ。女神アテナとの機織りに負けた彼女は、人の姿から醜い蜘蛛へと変えられてしまう。全く傲慢な、神による仕業。人智の及ばぬ異形の業。

 

「やだ……やだよ、なに、なんなのこれ……」

 

 彼女の複眼に、世界はどう見えているのか。彼らには知る由もない。ただ、彼女は一心不乱に辺りを見回して、周りの状況を何とか知ろうとしていた。その行動はまさしく人であり、心を持った生物であることを知らしめる。

 

「いや……見ないで……見ないでよ……見るなっ……見るなァァッ!!」

 

 理解できず、状況も飲み込めない。彼女の視界に映りこんだのは防犯カメラ。それを人ならざる跳躍力で跳びかかると、無理やり引きちぎってその場で放り捨てる。

 

「嫌ァァァァァァァッ!!」

 

 また両手で顔を覆い隠すと、誰にも見られたくないようで……通りの方ではなく、公園の中へと姿を消していく。嫌でも耳に届いてくる女性の金切り声に、さすがに西条といえども気が滅入ってしまう。

 

「西条さんっ!!」

 

 女性の背後から追跡していた氷兎と唯野の二人が、西条たちと合流する。各々自分の武器を携え、交戦する用意はできていた。けれど……覚悟ができているのかと問われれば、それには肯定できない。

 

「……アレは、化物ではありません。まだ彼女は人の心を持ってる。どうにかして、彼女を元に戻す手段を探さないと!」

 

「それができるのは、唯野……お前だけだ。アレを物理的手段で戻せると思うのか? 何か言うのであれば、とっととお前の中のアレから魔術を教わってこい」

 

「奴が教えてくれるわけないでしょう!」

 

「二人とも、言い争ってる場合じゃないでしょ! ほら、他の三人も。追いかけていって、足止めなり捕獲なりしないと、助けるどころじゃないでしょ!?」

 

「……捕獲か。確かに、それが一番かもなぁ。早いとこ追いかけようぜ。あの人が……誰か殺しちまう前にさ」

 

 鈴華に怒られ、氷兎と西条は互いに顔を見合わせたあと、なるべく足音を立てないようにしてその場から走り出した。それに続くように、残りの四人も走っていく。

 

 それなりの速さではあるはずなのに、女性にはいっこうに追いつける気配がない。速度を上げていき、公園の奥の方にある森林に囲まれた散歩コースまでやってくると……氷兎が頭痛を訴え始めた。神話生物の反応ではなく、魔術反応。それがどういうことなのか……彼らが先に進んでいくと、その答えが見えてきた。

 

「なんだありゃ……こっちの世界に来て、とうとう俺たちの目までイカれたとか、言わないよな?」

 

 翔平の力ない声に答える者はいない。誰もそれに対する答えを持っていなかったからだ。

 

 コースから外れた森の中に、明らかに目を奪われるような"穴"が空いていた。まるで空間を左向きに捻ったように、空間に跡を残しつつ……ポッカリと空いている。その向こう側は森ではなく、岩肌のゴツゴツした洞穴のようであった。

 

 現実の光景とは到底思えない。足を止めてしまった彼らの中で一番先に動き出したのは氷兎だった。すぐ近くまで歩み寄ると、その境目に既視感を覚える。

 

 空間を無理やり繋げるような、雑な手口。ともあれば自分にもできる気がしないでもない。別の次元同士を繋ぎ合わせたその裂け目を作ったのは、自分が魔術を扱う際に賛美する存在(ヨグ=ソトース)とは別な存在だろう、と。

 

 そしてこめかみに鈍く響く痛みとは別に、胸元に発生する嫌な感覚。

 

「……この先に、多分神話生物がいます。おそらくあの女性も中に入っていったと思いますけど……どうしますか」

 

「……行く他あるまい。今回の事件の首謀者かもしれん。この穴も、放ってはおけんしな」

 

 西条の言葉に、小さく頷く。薄暗く、明かりのなさそうな洞穴を、二人の翔平が持っているタクティカルライトで照らしながら進んでいった。生暖かい空気が奥から流れ出て、彼らの額や背中をじんわりと蒸らしていく。一人で歩いていたら、即座に引き返していただろう。隣を歩く仲間の姿に自分を鼓舞しつつ、奥へ奥へと進んでいった。

 

 

 

To be continued……




何か言いたいことがあった気がしますけど忘れてしまったので初投稿です。

徹夜続きで俺の体はぼどぼどだぁ!
また次の話も間が空くかもしれません。だって冬休みの間ずっと図面書くんですもん。
来年も似たようなこととか嫌になりますよ……。
感想とかお待ちしてます……。

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