貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第122話 人間らしさ

 眠るのが怖い。寝てしまえば、次に起き上がることはないんじゃないか。起き上がったのは、自分ではない誰かじゃないか。自分以外の誰かが、ナニかが身体の中にいる。それがどれほど、恐ろしいものか。

 

 全人類でありながら、個人である。さながら存在自体がチートじみたバケモノ。それをどうこうするというのは、俺にはできる気はしない。

 

 ただ……あの時言われたことを、その答えをずっと探していた。俺は人か。俺はバケモノか。俺は神話生物か。

 

 例え、この身が異形になり変わろうとも。俺を俺だと言ってくれる人がいるのならば。俺の名前を呼んでくれる人がいるのならば。俺は……皆のいる方につくのだろう。それで迫害されたとしても。元より俺は、人間という種族が好きじゃなかった。だから俺は個人につく。あの人たちの隣にいる。

 

 ……答えは出た。あとは、あの醜い自分の面を……歪ませてやるとしようか。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 自分のいる世界が夢であるとわかる。感覚的なものでもあったし、やけに現実味がないというのも、その理由のひとつ。でも一番の理由としては……自分の身体が、あの時同様に黒煙の塊になっていることだった。

 

 風が吹いても飛んでいかず、人の形を保ち続ける。モヤモヤとして輪郭は不安定だが、どこら辺までが自分の身体なのかはわかった。

 

 立っている場所は、あの無残な事件が起きた公園。凄惨な光景は、最後に見た時よりも悪化していた。立ち並ぶ木には、槍で縫い付けられた少年少女。地面に横たわるのは、一部身体の原型を保っていない人間。隅の方では、膝を抱えて許しを乞う人型。

 

 許して欲しい、と彼らは言う。助けてくれ、と乞い願う。震えて泣く彼らの瞳は、きっと俺を捉えてはいないだろう。何に脅えているのかなんてものは、わかりきっていることだ。

 

「自らこちらにやってくるのか。自殺願望でもあるのか、お前は?」

 

 背後から聞こえる、声。きっと先輩がいたら、その声を俺の声だと言うだろう。自分でも少し首を傾げるものがある。もうちょっと良い声だと思っていたのに。自分の声は自分にはちゃんと聞こえていない、というのは変な話だ。

 

「……お前を殺したら、自殺になるのかね。ちょっとばかり興味はある」

 

 振り向いた先にいたのは、紛れもなく自分自身。ワイシャツに制服のズボン。年相応な格好と言ってもいい。俺はまだ高校三年生だったはずなのだから。

 

「戯れに投げかけた質問の答えは出たのか?」

 

「俺が人か、否かって?」

 

「人の姿ではなく、しかしバケモノとは言い難い。だが心には確かに巣食っている魔物がいる。やがて内から這い出でる、人ならざるものがな」

 

「中に巣食ってたら、皮があろうとバケモノか? 心を持っていても、人ではないのか? 果たして仮に、俺がそうなったとして。俺は人間を殺すのか?」

 

 いいや、答えは否だ。俺はいつまででも、人間であることを主張しよう。俺個人で抱えきれなくなった時は……きっと、隣にいる誰かが止めてくれる。それで死んだのなら、それはそれで仕方がない。

 

 過ぎ去った過去は変えようがない。だとしたら、今を生きる他ないんだろう。

 

「俺は、ヒトだ。そう主張し続ける。例えこの身が変わり果てようとも、俺は自分がヒトであることを信じよう」

 

「何を持って人間たらしめると言うのか」

 

「今も行っていることだよ」

 

「……なに?」

 

 不機嫌そうに眉が動く。人間の身体でいるのならば、その仕草や表情もまた、人間の制限に縛られる。だからこそ察しやすい。その上俺は、今は人間の姿をしていないのだから、悟られることもない。

 

「人間? バケモノ? 差異なんてないじゃないか。人間は堕ちて獣になる。お前たちと同じようにな。だとしたら、人間が人間らしくいるために、何をすべきか。

 それこそが、対話だよ。共感を図るべく、理解をすべく、俺たちは言葉を交わす。人間は未知の解明を目論んできた種族だ。理解したいという本懐を抱えた獣に過ぎない。けれど……それこそが、人間らしさだろう。

 だからこそ、俺は……人間らしくありたいから、言葉を交わすんだ」

 

「対話か。果たしてそれになんの意味がある。獣とて会話をする。人語でないだけで、な。それは差異とは呼べないだろう」

 

「いいや、明確なまでに差異になるさ。猿にだって物は扱える。拳で殴ることはできる」

 

 未だに要領を得ないと首を傾げている俺に向けて、少しずつ歩み寄っていく。共感を得るために対話をし、衝突を避けるために対話をする。

 

 しかし、もっと古いものがある。人間として、古から伝わる技術だ。

 

「人間は獣と同じだと、お前はそう言ったな。いや、事実俺もそう思うよ」

 

 お互い、殺ろうと思えば殺れる距離。自分の姿がすぐ目の前にある。

 

「それでも言葉を交わすということこそが、大事だと思う。相手の意志を聞き、自分の意思を伝え、歩み寄り、衝突を避ける。対話こそが、人間らしさだ」

 

 あくまでもそう主張するのだと、伝える。すると、ペリッ、ペリッと何かが剥がれるような音が聞こえ始めた。見れば、目の前にいる俺の顎から皮膚が剥がれていくのがわかった。やがて周りも次々剥がれていき、宙を漂って俺の元へ帰ってくる。奴の鼻から下は黒煙に変わり、俺には口周りだけが帰ってきた。

 

「言葉が大切だと言ったからかね」

 

「私にはわかりかねるがな」

 

「いいや、わかるとも。少なくとももうひとつ、伝えることがあるからな。口も戻ってきたし、ちょうどいい」

 

「伝えること、だと?」

 

「あぁ、そうだとも」

 

 間髪入れずに、目の前にある顔面を殴りつける。完璧だ。完全に不意をついた一撃だ。避けられるはずもなく、全力の拳は相手の身体をふらつかせる。

 

 両目が揺れ、俺の姿を捉えた。あぁ、ようやく口元が戻ってきてくれた。ざまぁみろ、と嘲笑(わら)い返す。

 

「対話っつうのはなぁ、こういった使い方もできんだよ。卑怯? 馬鹿言うんじゃねぇ。弱い人間が獣を狩るために、知恵を絞った結果だろうが。言葉もまた道具に過ぎない。だが獣にはそういった使い方はできない。だからこそ、対話が人間らしさだと言ったんだ。

 そして対話が通じないのであれば、力を振るうこともまた人間。お前が初手で対話に応じた時点で、こうなるのは避けようがなかっただろうよ」

 

「……言葉巧みに騙すか。人間の証明など、もっと別の方法があるだろうに」

 

「そうだな。俺がお前を殺して生きていたら、バケモノだという証明を実行してもよかった。が……俺にとっては言葉こそが最も重要でね。話し合いができるのなら、無駄な血を流さなくても済む。見つけたから殺す、なんてことをしなくて済むのは楽だよなぁ」

 

 いつものように、皮肉るように、嘲笑(わら)うように。言葉を口にする。あぁ、俺が話せなくなった時。対話ができなくなった時。それこそが、俺がバケモノに堕ちたという証明だろう。

 

 その時まで、俺は言葉を紡ぎ続ける。言葉の力がどれほど素晴らしく、残酷なものなのか。奴らはきっと理解できないだろう。

 

「じゃあ次は……その身体、返してもらおうか」

 

 言葉はもう通用しない。ならば、あとは殴る他ないだろう。言って聞くような輩じゃないんだから。

 

 肩幅程度に足を開き、身体から余計な力を抜く。大丈夫、徒手空拳だって訓練はしてる。人間の身体としてそこに存在しているのなら、まだ勝機はあるはずだ。

 

「……ここまでコケにされるのは、中々久しい。記憶にあるのはクトゥグアに森を焼き払われたとき以来か」

 

 口だけが黒煙の俺も、同じように構える。そのまま、しばらくは無言の時が流れていった。先に動いたら、対処される。そんな気がしていたからだ。

 

 元より相手の動きに合わせて対処を変える戦い方でもあった。奴が俺と同じように動くのなら、きっと戦法も似たようなものだろう。

 

 だとしたら不意をつくか。けれどもどうやって。飛び道具も何もないのに、どう先手をとる。

 

「……おいおいどうした? コケにされた割には、殴りかかってこないのか?」

 

「安い挑発だな」

 

「喧嘩買ってくれないと、挑発が安くなっちまうものでね。どうだ、今なら安いぞ?」

 

「私にその類が通じると思うのなら、笑止千万だな」

 

「さっきそれで顔面殴れたんだよなぁ」

 

 どんな軽口を言おうとも動じる様子はない。なら、こっちから動くしかないだろう。

 

 一気に詰め寄って、初手でフェイントを混じえ、右で殴りかかる。けど、案の定受け流された。やっぱり動きは基本的に同じようだ。受け流されて体勢が崩れたところに、相手も左で殴ろうとしてくる。体勢を低くするが、そうなると膝蹴りがきた。何やろうとするのかは、だいたいわかる。すぐさま後退して、膝を避けた。

 

 受け流されないような攻撃をするしかない。軽くステップを踏んで、顔めがけてハイキック。腕で防がれると、相手も同じように腹に向けて蹴りを入れてきた。

 

 けど、前蹴りなら受け流せる。逸らしてまた詰め寄り、今度は腹に向けて拳をぶつけにいく。

 

「おいおい、後ろガラ空きだぜ?」

 

 相手の思考が一瞬遅れる。もちろん、後ろには何もない。嬉々とした笑みを浮かべ、顔面を殴りつけた。そしてそのまま腹、腕、胸、顎と次々ラッシュを決めていく。

 

 ペリッ、ペリッと剥がれ落ちていく身体。戻ってくる度に力が満ちていくのがわかる。

 

 ここで止めたら、二度目はない。腹を抉るように拳をいれ、頭が下がったところで再び側頭部にハイキック。流石に立ったままではいられず、奴は地面を転がって距離をとった。

 

 帰ってきたのは右腕、右足、胴の右半分。鏡合わせのように、半分に分かたれていた。ただ差異があるとするなら、奴は無表情で、俺はきっと嘲笑(わら)っているという点だろう。

 

「私にその類が通じると思うなら、笑止千万だな……ってのは、俺の聞き間違いか?」

 

「……いいや、なるほど。確かに」

 

 戦意を失ったのか、奴は構えを解いて対峙する。黒煙の部分が揺らめき、さながら以前見た影のように見えた。

 

「随分と、『私』らしくなったな」

 

「……どういう意味だ」

 

「そのままだとも。まぁ私はもっと……醜く嘲笑(わら)うがね」

 

 残された奴の目が歪む。黒煙の右腕から煙が噴出し、宙で漂って形を成していく。先端が鋭く、刃のついた槍。それを引くようにして、投擲の構えをとる。

 

「おいおい、素手相手に武器か」

 

「お前たちもよくやるだろう? 無力な者に刃を向けるのは、よくあることではないか」

 

 槍を引いたまま、そこから急に身体の向きを変える。向けられた先は……公園の隅。膝を抱えてる連中がいる場所だ。

 

「ッ……ざっけんな!」

 

 すぐにその場から走り出す。それとほぼ同時に、槍は投擲された。間に合うかどうかは、ギリギリ。それでも止めなければ。例えこいつらが悪人であっても、今のこいつらを殺すなんてのは許されないはずだ。

 

 もう少し。けど、手が届いたところで止められない。かくなる上は……。

 

「ッ……!!」

 

 飛ぶ槍の側面に向かって、全力で飛びかかる。持ち手の部分に当たれば怪我もしないと思ったが……回転して、その勢いで穂先にあった刃が身体を切りつけていく。右肩から血が流れ、力が入りにくくなる。

 

「っ、くそ……」

 

 未だに動く気配のない人たち。それらを庇いながら戦うのはもう無理だ。しかもこの怪我じゃ、自分が勝てるかすらも怪しい。

 

 せめてとばかりに、奴を睨みつける。けれど、奴に残された俺の目は……何か奇怪なものを見たように丸くなっていた。

 

「……私を止めるでなく、庇いに行くか。なんとも不可解だな」

 

「……それがわからねぇのなら、お前は人間にはなれねぇな」

 

「それもまた、らしさというものか」

 

「きっとな」

 

 右肩を抑える俺を一瞥すると、奴はその場から離れていく。半分ほど俺の体を残したまま、背中を向けた状態で言ってくる。

 

「答えは得た。暫し、静観するとしよう」

 

 そう言うと、奴の足元から黒煙が広まっていく。辺りの景色すらも飲み込み、視界が全て黒に染っていった。そして訪れる……浮遊感。目覚めが近い合図だった。

 

 奴が何をしたかったのか。俺にはわからないけれど……身体の半分だけ、帰ってきただけだ。それが指し示すことは、きっと俺はまだ人間であり……また、バケモノにもなりうると言うことなんだろう。

 

 

 

 

To be continued……




異世界ものを書き始めたので初投稿です。

執筆遅れ気味ですね……。
異世界物の方も、どうぞ。
家族をテーマにしたハートフルな物語です。
ちなみにハートって、hurtで痛みという意味がありますね。

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