貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

104 / 136
第104話 自分なりに

 長めの休暇をもらって、菜沙と一緒に温泉旅行へ行った。森林浴をしたり、色々なお土産屋を見て回ったり。それはもう有意義な時間を過ごすことができた。三泊四日のちょっとした旅も終盤、明日には帰ることになる。

 

 今日も歩き回って疲れが溜まっていた。旅館の温泉の外には露天風呂がある。湯の色は白色。なんでも、にごり湯と呼ばれるものらしいが……これ、風呂から出ると本当に肌が潤ってすべすべ感が増す。それに、浸かっているとなんだか若返ったような気分にもなっていく。

 

 ……こんなにゆったりと何も考えずに過ごすのは、久しぶりかもしれない。先輩達と過ごしていても時折ブラックな話は出てくるものだ。その点、菜沙とはそんな話は一言もない。それに、互いに気の知れた仲だ。一緒にいて迷惑なんてこともない。

 

「……ふぅ」

 

 肩までどっぷり湯に浸かると、自然と息が漏れていく。湯の温かさが心地よい。周りを見回してみれば、シーズンが違うせいか、それとも田舎の温泉のせいなのか。人は誰一人いない。風呂の縁に背中をあずけ、上を見あげれば夜空が綺麗に見えた。黒の布地に、パウダーをまぶしたような。都会と田舎では空の見え方が違うと言われるが、こうまで違うものだとは思ってもみなかった。

 

 そうして空を見ていると、どうにも昔の出来事に思いを馳せてしまう。昔といっても、俺がこの組織に入った数ヶ月前の話だが。

 

 ……今思えば、随分と無茶な場面を生還してきたものだ。最初の任務の神話生物。ナイアが言うには、ショゴスと呼ばれるもの。あれは大変だった。加藤さんがいなければ、まず間違いなく死んでいたことだろう。

 

 次々と浮かんでくる神話生物との激闘。そして……汚れていく己の手。湯の中から右手を取り出して見つめてみる。一瞬、手が真っ赤に染まっているのを幻視した。けれどもすぐに肌色を取り戻す。一種の強迫性障害のようなものなのだろうか。それとも……自分が徐々に壊れていってるのか。

 

「……いつになったら、終わるのかな」

 

 この世からせめて、人に害をなす神話生物がいなくなってくれるのはいつになるのだろう。そしてそれまで……自分はどれほど手を汚してしまうのだろう。そんな真っ赤になってしまった自分は……果たして、幸せになっていいのだろうか。

 

 他人の命を奪っておいて、幸せになるのはあまりにも酷い話じゃないか。いつかきっと、誰かにその事実を突きつけられる気がしてならない。その時自分は、どう答えるのだろう。

 

「……やめだ。旅行に来てまで考えるのは、馬鹿らしい」

 

 湯船から上がって、脱衣所に戻る。部屋に置いてあった青色の浴衣を身に纏い、首からタオルを下げて部屋に向かって歩いていく。そろそろ菜沙も部屋に戻っていることだろう。

 

 そして部屋につけば思っていた通り、菜沙は部屋に布団を敷いてその上で座って待っていた。俺が着ているものと同じく、青色の浴衣を着た状態で。携帯も弄らずに何をしていたのかと思えば、彼女は窓から見える外の景色を眺めていたらしい。俺が部屋に戻ってきたのに気がついた彼女は、おもむろに立ち上がって手を取ってくる。

 

「ねぇ、砂浜に降りられるんだって。行ってみない?」

 

 せめて温泉に浸かる前に言って欲しかったが、彼女の頼みだ。いいよ、と快諾すればすぐに彼女の顔が笑顔になる。じゃあ行こうっとそのまま手を引かれて旅館を抜け、海辺にまでやってきた。石で作られた通路の上にはいくつかベンチとテーブル席が設置されている。ここで朝食を食べたりもするのだろう。

 

「……なんだか、夜の浜辺っていいよね」

 

 並べられていたベンチに腰をかけ、そのまま二人で押し寄せてくる波を見つめていた。夜の浜辺は確かに、不思議と心が落ち着くような気がする。俺と彼女の間にそれきり会話はなく、波の音だけが響いていた。未だに握られている手には熱がこもり始めている。温泉で火照っていたせいだろう。

 

「……なんか、あっという間だったね」

 

「確かに、な」

 

 今までの旅を思い返しているのか。彼女の声には名残惜しさが滲み出ていた。それでも時というのは残酷で、いくら待ってと言っても止まってくれない。

 

 ふと、視線を海から菜沙に移した。眼鏡の奥に見える瞳は真っ直ぐで、口元は優しく緩んでいる。浴衣から見える健康的な鎖骨。そして視線が下にいけば……ほっそりとした身体が目に入ってくる。悲しいなぁ。

 

「……ひーくん、あんまり胸とか見ないで」

 

「うんまぁ、そう……育ち盛りだし、多少はね?」

 

「おい何考えてるのか言ってみろこの馬鹿っ」

 

 空いている左手で頬を思いっきり引っ張ってくる。痛みよりも、怒った顔でそれをしてくる菜沙を見て笑ってしまった。引っ張られて喜ぶとかMみたい、なんて菜沙が言ってくるが……そうじゃない。

 

 右手で彼女の頭を撫でてやると、怒っていたはずなのにすぐさま破顔していく。頬を引っ張る手も離れていき、恥ずかしいのか口元を抑えて俯いてしまった。

 

「……お前は変わらないでいてくれ」

 

 撫でる手を止めてそう言った。不思議そうに彼女は見つめてくるが、俺は視線を逸らして海を見つめ始める。俺達はこれから、どうしようもなく変わっていってしまうんだろう。良い方向か、悪い方向かはわからない。けれど、きっと今より悪い方向にいってしまう気がしてならない。撫でていた右手は赤く染まり、気がつけば元に戻る。

 

 本当に、我儘な願いだけど……すり減っていく心を、いつものように支えていて欲しい。前々から、それこそ組織に入る前から一緒にいる菜沙だからこそ……安心できるし、こういった何気ない行動でも笑えてしまう。それこそが、何よりも荒んだ心を治してくれるのだと、今回の旅行で学んだ。

 

「……変わらないよ。ずっと、ずっと……ひーくんの隣にいるから」

 

 左肩が重くなる。乗っけられた彼女の頭から甘い香りが漂ってきた。いつもと違う匂いなせいか、少しドキリとしてしまう。匂いが違うのは温泉のせいだろうか。

 

 ……あぁ、それでも落ち着いてしまう自分がいる。彼女の匂いでなく、彼女という存在自体に落ち着いてしまう。それは果たしていいことなのだろうか。

 

「ひーくん」

 

 肩に頭を乗せたまま見つめてくる彼女を見ていると、そんなことがどうでもよく思えてきてしまう。口元に落ちてきている髪の毛を耳の後ろにまで掬ってきてやり、そのまま後ろにいってしまわないように彼女の身体を支えるよう、背後に手を回して肩を抱き寄せた。

 

 お互いの呼吸の音すらも聞こえてしまうような距離。そんな中で、彼女は小さく呟くように言った。

 

「このまま……時間が止まればいいのに」

 

「……そうだね」

 

 あぁ、それもいいかもしれない。返事を返せば沈黙が流れ、彼女が部屋に戻ろうと言うまでは無言が続いていた。そんなお互いの頬が薄らと赤かったのは、やはり温泉のせいなのだろう。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 氷兎が菜沙と旅行に行っている間、翔平と西条は自炊をしていたが、美味しいとは言い難いものだった。最初の頃は楽しくできていたものを、今となっては皿洗いが面倒だからコンビニ弁当にしようと言い出す始末。

 

 そんな彼らだが、氷兎が行ってしまってから三日目。昼飯をどうするのかという話になり、翔平はラーメンが食べたいと言い出した。しかし西条は……。

 

「ラーメン? 食ったことないな。汁を飲むと身体に悪いとか言われている、あのラーメンだろう?」

 

 なんて真顔で言うものだから翔平はすぐさまラーメンを食わせねば、と氷兎とよく食べに行くラーメン屋に向かうことにした。もちろん、玲彩と藪雨、桜華も連れてだ。

 

 五人で昼間の街を歩いていると、どうにも人目を引くことになる。桜華は言わずもがな、藪雨も玲彩もそれなりに良い容貌を持ち、西条に至っては目つきの悪いイケメンだ。翔平は顔よりも天パに目がいくことになり、嫌でも視線が集まっていく。

 

 女性陣は慣れたもののようだが……西条は視線を鬱陶しそうに感じているようだ。時折周りを見回しては小さく舌打ちを繰り返す。翔平も苦笑いを浮かべる他なかった。

 

「……こんなことなら、俺と鈴華の二人だけで行くべきだったな」

 

「そもそも、せんぱい達が自炊できないなら頼めばよかったんですよぉ。私が作ってあげたのにぃ」

 

「料理できるのか? そんな足りなそうな頭で?」

 

「かぁーっ! 料理に頭の出来は関係ありませーん!」

 

 藪雨と西条の口喧嘩が続いていくその隣では、翔平が玲彩と桜華と共に最近の出来事について話を繰り広げていた。そして話題は今旅行中の氷兎の話になり、楽しそうでいいなぁ……っと羨ましそうにしている桜華と、休暇で旅行したことがないと嘆く玲彩。そして、翔平だけは氷兎の身を案じていた。

 

 翔平には竹馬の友ではないが、友人がいる。氷兎のことだ。互いに無言で頷きあい、邪智暴虐な王の前に差し出されようとも快く人質になり、ひしと抱き合って全力で殴り合える程の友である。翔平には女の心はわからぬ。大学に進み、平凡に暮らしてきた。けれども他人の色恋に対しては人一倍に敏感であった。

 

 旅行に行く前に、寝る前と起きた時の身体の状況と周りの状態を報告しろと言っておいたのだ。なにしろ氷兎は幼馴染に対してはあまりにも鈍感である。どれくらい鈍いかと言うと、足の小指をぶつけても平気な顔をするくらいには鈍いだろう。

 

 そうして翔平は送られてきた内容を確認していたのだが、二日目のメールを見た時は流石に気の遠くなるような思いであった。

 

『菜沙が身体に跨っていて、目が合った瞬間首を絞められる夢を見たんですよ。苦しくてハッとなったら目が覚めたんですけど……えぇ、周りは特に変化なしです。ただ……自分溜まってるんすかね。恥ずかしながら、なんか夢精してたっぽいんですが。なんかカピカピしてるし』

 

 氷兎、それ夢とちゃう、現実や。声を大にして言いたかったが、翔平にはそれは叶わなかった。仕方なく、思春期だし、俺も高校生の時あったから……と励ますことしかできなかったのだ。幼馴染相手に劣情を抱くなんてと後悔していた氷兎だが、その幼馴染がやべぇ程劣情を抱いているなんて彼は知らないんだろう。

 

 これはもう既に童貞は奪われてますね、間違いない。前に氷兎が、菜沙といると頻繁に眠くなってしまう時期があったと言っていたが、睡眠薬でも盛られてヤラれちゃったんだろうと予想はついていた。なんて罪深いことを、と一瞬思ったが、結局は羨ましいという感情に落ち着いた翔平である。

 

「まったく、唯野君は旅行とか羨ましいね。けどまぁ、休まなきゃいけないくらい酷い目にあったってことなんだけどさ」

 

「……俺達がさっさと任務終わらせてれば、そんな目にあわせずに済んだんすけどね」

 

「仕方あるまいよ。過ぎたことより、これからどうするのかが大事だ」

 

 優しく諭すように言ってくる玲彩に対し、あぁ……年上のお姉さんってやっぱいいわと再認識した翔平。口喧嘩の絶えない二人と、桜華によってほんわかとした状態のまま歩く三人。もう少しで目的地であるラーメン屋に着くといったところで……彼らのすぐ側に一台の黒い車が停まった。まるで新品のような輝きを持つ高級車だが……それを見た西条の足がピタリと止まる。何かあったのかと翔平が顔を見てみれば、西条の顔は仏頂面ではなく怒りに近いものであった。眉に皺を寄せ、目つきも普段より鋭い。

 

 周りにも変な動揺が広まる中で、車の後部座席の扉が開かれた。中から出てきたのは、黒髪をワックスで整え、胸元にふわふわとしたジャボと呼ばれるものをつけたスーツ姿の男性だ。見てくれは翔平達よりも年齢は上だろう。落ち着いた表情ではあるが、口端が上がっている。どうにも見下されているように思えてしまい、翔平は心の中でなんだこいつ、と蔑んだ。

 

「……家にも帰らず何をしているかと思えば。まさかこんな場所を彷徨いているとはな、薊」

 

「……今更何の用だ、兄上」

 

 西条の口から出た言葉に、その場にいた全員が驚いていた。なんと、目の前の男は西条の兄だという。藪雨がうっそだぁなんて目で見比べているが、どうにも見た目が違っている。兄は優しそうだが、弟は厳格そうな雰囲気だ。ただ……翔平にはその仮面の下が見え透いていた。アレは他者を見下す……前の西条と同じ。いや、それ以上に酷いものだと。

 

 西条は確かに人を見下していたが、それは人を真正面から見据えた上で、そう対応していただけのこと。しかし兄にはそんな様子はない。言葉の節々や態度からわかる。庶民に向ける目はないのだろうと。

 

「そろそろ、あのお嬢と結婚しろと催促されているだろうに」

 

「……断る。何もかも、貴様らに決められてたまるものかッ。俺の生き様は、俺が決める」

 

「今まで従う他なかったのにか? 随分と、反抗的になったな……後ろにいる、お前達の仕業か?」

 

 優しく開かれていた彼の目が一気に鋭くなる。怯えて後ずさりする藪雨の前に翔平が立ち、玲彩も心做しか表情を固くした。そんな彼らを見て、西条の声に段々と熱がこもっていく。

 

「こいつらは関係ないッ。俺の意思で、俺はここにいるッ!」

 

「西条の名前が無ければ、お前は何もできんだろう。不祥事を起こして揉み消したのは誰だ? 不自由なく生活できたのは、誰のおかげなんだ?」

 

「不自由なく、だと……? こんなものが、名前がッ、自由の証だとでも言いたいのかッ!!」

 

 自分の胸を叩きながら西条は怒鳴りつける。ここまで激昂する西条を見るのが愉快なのか、彼は口元を更に歪ませて畳み掛けていく。

 

「じゃあ、大学に受かったのも自力で頑張ったからだと思っているのか?」

 

「……なんだと?」

 

 彼はニヤリと笑って西条に言う。どの道大学側も落とすつもりもなく、例え点数が足りていなくとも、西条グループによって無理やり入学させていたのだと。西条の点数が足りていたのか、いなかったのか。それを彼はあえて濁していた。それのせいで西条にはわからない。自分が本当に、自力で合格できていたのかが。先程までの威勢はどこへやら。怒りの表情が驚愕へと移り変わる様を、彼は鼻を鳴らして見ていた。

 

「本当に努力で勝ち取ったものだと、思っていたのか?」

 

「バッ、馬鹿げたことを!」

 

「裏でずっと手を引いてやってんのは、俺達なんだよ。お前はただ、引っ張られていただけ。西条の名前がなかったら……空っぽなんだよ」

 

「人の、努力をッ……」

 

「それも全て、提供してやっただろう。優秀な家庭教師、教材、何もかも揃ってる。誰だってそうなるものだ。お前にある価値なんてものは……自分の名前だけなんだよ」

 

「ッ……貴様ァ!!」

 

 とうとう西条は我慢ならなくなった。実の兄に向かって胸ぐらを掴みにかかり、凄まじい剣幕で詰め寄る。流石に場所も場所だ。周りには人の目がある。このままでは何かしら西条に不利になる事態になることを考えて、翔平は西条を背後から掴みにかかり、無理やり引き離した。翔平の腕の中では、西条が離せと叫んでいる。それを見て彼はまた笑っていた。

 

「無様だな……。素行も悪いとくれば、西条の名に傷がつく。そうなれば婚約も破棄されるやもしれん。父に報告して、何か起こる前にさっさと結婚の日程を決めてもらおう」

 

「ふざけるな!! 俺は、貴様らの操り人形なんぞではない!!」

 

「空っぽなお前を助けてやろうとしているのに。今のお前に何ができると言うんだ。それに、そんな社会的な価値もなさそうなボンクラどもと行動を共にするとは……」

 

「ッ……貴様には、わからんだろうなッ!! そんな驕り腐った眼球には、光り輝く金目のものしか目に入らんのだろう!! 血反吐も吐いたことの無い貴様に……何もわかるものかッ!!」

 

「どうどう、落ち着けって西条!!」

 

 暴れる西条をなんとか押さえつけるべく、翔平だけでなく玲彩も加わり始めた。あぁ、こんな時に氷兎ならばどう言い返すのだろう、と翔平は思案する。こういう時に頼りになっていたのは、氷兎と西条だった。しかし西条は今や乱心。氷兎もいない。彼らのような相手の核心をつく皮肉を、なんとか言えないものか……。

 

 しかし……考えても考えても、翔平には何も浮かんでこなかった。この状況をひっくり返せるような、格好いい言葉が何もないのだ。

 

 でも……それじゃ何も解決できない。それならば自分なりに言ってみるしかないのだろう。どの道氷兎のようにはなれないのだから……自分なりの、青臭さで戦おうと翔平は決意を固めて口を開いた。

 

「……実の兄だかなんだか知らないっすけど……西条のこと、馬鹿にすんのやめてもらえないっすかね」

 

「これは西条家の問題だ。口を挟むな」

 

 案の定簡単にあしらわれてしまったが、それでも翔平は怯まない。相手の言い方にカチンときたようで、眉間に皺を寄せて話を続けた。

 

「……いいや、挟ませてもらう。俺、頭も足んねぇし、運動能力だって西条には適わない。大層な歴史を持つ家柄でもない。でも……俺は、コイツの友達なんで。大事な仲間傷つけられて、何も言わねぇとか……そんなの、友達失格だろ」

 

 なんとも馬鹿馬鹿しい。そう言いだけな目で彼は翔平達を見下していた。突然そのようなことを言われた西条は、ただ唖然としている。口を少し開けたままポカンとしている珍しい西条を見て、翔平は笑っていた。

 

 完全に互いに喧嘩腰になり、険悪な雰囲気になってしまっている。そんな中だというのに、一人だけ雰囲気に飲まれずにいる人物がいた。桜華である。彼女は持ち前の強さと世間知らずの天然を発揮しているのか、翔平達の前に歩みでて必死に喧嘩を止めようとし始めた。

 

「み、皆喧嘩はやめようよ! こんなことしても、なんにもならないよ! ほら、もうお昼だし……お腹空いてるんだよね? だからきっとイライラしちゃってるんだよ! ほら、この人だって今からご飯に行くんだし!」

 

「……俺は一言も、昼食を摂りに行くとは言っていないが」

 

 目頭を抑えて呆れたように彼は言う。しかし彼に対して放った桜華の言葉が、完全に場を凍りつかせる事となった。

 

「えっ、だって……首からよだれかけみたいの着けてるでしょ?」

 

 ……一同唖然。彼の首からかけられているのは、ジャボと呼ばれる貴族のつける胸飾りのことだ。それがふわふわとして広がっているものだから、彼女にはよだれかけのように見え、食事に行く予定があるのだと考えたらしい。

 

 流石のその言葉に、彼は何も言えなかった。まさかそう言われるとは思ってもいなかったのだろう。

 

 そんな誰一人言葉を発さないその場で……肩を震わせている者がいた。西条だ。彼は俯いて口元を右手で抑え、肩を細かく震わせている。それが笑いを堪えるものだと気がつくのは、西条の我慢の限界が迎えた時だった。

 

「クッ、ククッ……ハハハハハハハハッ!! そうか、よだれかけか!! なるほど中々……ククッ……やるじゃないか、七草!! こんなに笑ったのは久しぶりだ!!」

 

「ッ……薊ッ!!」

 

「黙れ、よだれかけ かけ太郎!! 俺は今から、こいつらとラーメンを食いに行くのでな!!」

 

「ラーメン……だと?」

 

 目を見開いて驚く彼に、翔平はなんだか阿呆を見ている気がしてならなかった。それと同時に、良かったとも。こんな奴よりも、西条の方が何千倍もマシだ。出会った頃はともかく、今では大事な仲間なのだから。

 

 未だに笑いが収まらないのか、西条は今までに見た事のないくらいの笑顔のまま彼に向かって言った。

 

「ククッ……空っぽだと言われた俺にも……付き合う底抜けの馬鹿がいるのでな! あぁ、馬鹿は嫌いだが、底抜け程の馬鹿ならば、俺もレベルを合わせて馬鹿になってやらなくもない! 貴様はせいぜい、高級食材でも適当に食って満足していればいいのだ!」

 

「薊ッ、家に歯向かうつもりか!!」

 

「歯向かう? いいや、とんでもない……そんなレベルで済ますものか。いずれ貴様らを潰す。俺に……いや、こいつらに手を出してみろ。その四肢、一瞬で斬り落としてやる」

 

 ハッハッハッハッと高笑いしていた西条が一転して、いつもの鋭い目と不敵な笑みを浮かべる彼に戻った。斬り落としてやると言った彼の言葉には確かに殺意が込められており、言葉の刃が実の兄を斬り裂いていく。その場に立ちすくんで動けなくなった彼を置いて、西条は先に先にと歩いていった。それを笑いながら翔平が追いかけていき、他の三人も続いていく。

 

 翔平が西条に追いついた時に、そのまま勢いよく肩に腕を回して笑いながら腹を小突いた。

 

「なんだよ西条〜、なんだかんだ言って俺達のこと友達だって思ってくれてんじゃーん」

 

「……フンッ、友ではない」

 

「なんだよー照れちゃってさー」

 

「照れてなどおらんわ!! さっさとラーメンを食いに行くぞ!!」

 

 翔平の腕を振りほどいて、歩く速度を早めた西条に置いていかれぬように翔平もまた速度を上げる。それでもなお先を歩く西条の口元は、普段とはかけ離れた微笑みを浮かべていた。

 

 ……友なんて軽い言葉では、表せぬものだ。笑っている西条には、どうしても彼らを一言で表す言葉が見つからなかった。実に西条らしい考えであったが、その心は本人以外には知る由もない。

 

 こうして、一悶着ありながらも彼らは無事にラーメン屋にたどり着き、西条のお気に入りの食べ物にラーメンが追加されるなど……彼らにとっては中々に濃い一日となった。

 

 

 

 

 

 

To be continued……




地の文多めって書くの疲れますね。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。