真・恋姫†無双 袁術さん家の天の御遣い   作:ねぷねぷ

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4話 紀霊と橋蕤

 この時代の中国の主要都市はいわゆる城郭都市だ。都市をぐるりと囲んでいる壁のことを外城、または郭という。そして、都市の中心部には領主が住み政務を執り行う内城があり、通常城と言う場合にはこの内城を指すことが多い。この内城にも城壁は存在し、外の郭と合わせて二重に守られている。

 美羽が治める荊州の南陽は郡の中では一番人口が多く、当然美羽が住む都市も人口が多い。それだけに城郭都市としての規模も大きく、兵舎がいくつも存在する。

 調練が行われる兵舎は規模が最も大きいもので、内城の支配者を守るために宮殿の近くに配置されている。そのため、昴たちはさほど歩くことなく目的地である兵舎へとたどり着いた。そこでは袁術軍の中でも内城勤務となる最精鋭たちが気合と共に叫びながらそれぞれに課せられた訓練を行っていた。

 その中でも一際目立つのが、周囲の男の兵士たちの肩ほどの身長でありながら、その兵士たちの身長よりも長い武器を持つ少女だ。緋色の長い髪をうなじの辺りで左右二箇所結んでいて、長い二つの髪の尻尾が腰のあたりまで届いている。大きな瞳には強い意思の光が宿り、周囲の兵士たちに次々と大声で指示を飛ばしている。

 

「いたいた、あそこにいる赤毛の子が紀霊さんですよ」

 

 七乃の言葉に昴は一瞬愕然とするが、この世界では三国志の武将の多くが女性であるという知識がなぜかすでにあり、そして袁術と張勲がまさに女性であったのだから、紀霊が女性である可能性も考えていたわけですぐに立ち直る。そして、少女が持つ長い武器を見て、なるほどあれが三尖刀(さんせんとう)かと呟く。

 三尖刀とは、三国志演義で紀霊が使う武器で、刀身が長い両刃の槍だ。最大の特徴は、穂先が三つに分かれていることで、分かれた穂先の左右はそれぞれ左右の外側へと湾曲している。

 三人が近づいていくと、袁術の姿に気づいた兵士がざわつき始める。周囲の兵の様子に、指導に集中していた紀霊もやがて三人の姿に気づいて三人に駆け寄る。

 

「袁術様、兵舎に自らいらっしゃるとは何事かありましたか?」

 

 紀霊は美羽に臣下の礼をとると、緊張した表情になる。

 それもそのはずで、美羽が兵舎に来たことなど紀霊の記憶になく、しかも事前の連絡もなしとなれば一体どれほどの不測の事態が起こったのかと紀霊でなくても考えてしまうだろう。

 

「妾は面白そうだから来たのじゃ!」

「……は?」

 

 美羽の能天気な答えに思わず紀霊は間抜けな声を出す。

 

「あー、紀霊さん、事情がありまして。昴様が紀霊さんに用事があるんですよ。昴様のことはご存知ですよね?」

 

 出るタイミングを計りかねていた昴の背中を七乃がぐいと押して紀霊の前に立たせる。

 紀霊は昴を見てすぐに、昨日の朝議で紹介されていた昴のことを思い出す。顔は間近で見てはないが、上下共に黒の衣服は見たことのないデザインで記憶に残っていた。

 

「天の御遣い様……でしたっけ」

 

 紀霊はやや不審げな表情になってしまう。目の前の男は衣服こそ見たことのないもので、顔の造詣も大陸の男たちとは若干違うようだが、見た目に威厳や風格といったものが存在せず、兵士と同じ格好になればすぐにその存在を忘れてしまうだろう。

 とはいえ、自分の主君である美羽が直々に昴のことを天の御遣いと認め、しかも自らとほぼ同じ権限を渡しているのだから、臣下である自分はそれに従うだけと、昴に対しても臣下の礼をとる。

 

「私は紀霊と申します。天の御使い様、私にどのようなご用件でしょうか」

「とりあえず、天の御遣い様ではなく、仲川か昴、どちらかで呼んで下さい」

「では、仲川様とお呼びすることにします。そして仲川様、私に対しては敬語は不要です」

「了解した。早速だけど、誰でもいいから手合わせをしたいんだ」

 

 その唐突な申し出に紀霊は目を丸くする。続けて昴がその理由を話すと納得し、自分たちを遠巻きに眺めている兵士たちの中から、周囲の男の兵たちと比べても頭一つ背が高くて目立っている少女を呼ぶ。

 

紫乃(しの)! こっちに来てください!」

「うん! お姉さま!」

 

 紀霊の呼び出しに、紫乃と呼ばれたその少女は満面の笑みを浮かべて走り寄ってきた。紀霊の前まで近づくと、服を盛り上げるほどの大きな胸が紀霊の頭の上に載りそうだ。背こそ高いがその顔はどこかあどけなさが残り、肩の辺りで切り揃えられている髪は綺麗な黒だ。

 

「その子は、紀霊の妹?」

「いえ、違います。私のことを勝手にお姉さまと呼んでいるだけで……」

「えへへー、お姉さま!」

 

 紫乃はにへらと笑うと紀霊の後ろから抱きつく。背の違いから上からのしかかるような感じで、大きな胸が完全に頭の上に載っかっている。

 

「こら、重いですよ! 紫乃、はーなーれーなーさーい!」

「えー、いいじゃん」

「袁術様の御前ですよ!」

 

 その言葉に初めて袁術の存在に気づいた紫乃は、さすがに慌てて紀霊から離れる。一方の美羽は、紫乃の胸をじっと眺めて、自分の平坦な胸をぺたぺた触り、複雑な表情を浮かべる。

 

「のう、七乃……」

「好き嫌いなく食べないと、大きくなりませんよ、お嬢さま」

「なんと……!」

 

 そんな二人のやり取りを聞こえない振りでスルーして、紀霊は軽く咳払いをして仕切りなおす。

 

「紫乃、こちらの仲川様にご挨拶しなさい。あなたも噂では聞いていると思うけど、この方が天の御遣い様です」

 

 紀霊の言葉に目を丸くした紫乃は、好奇心を隠さない表情で昴をじろじろと見る。

 

「ボクは橋蕤(きょうずい)! はじめまして、天の御遣い様! ボクのことは真名の紫乃で呼んでね!」

 

 大きな声で名乗ると、紫乃は昴の両手をギュッと握ってぶんぶんと上下に振る。

 

「あ、ああ……。私は仲川昴、仲川でも昴でも好きな方で呼んでくれ」

「じゃあ……昴様! うん、昴様って呼ぶ!」

 

 ひとしきり昴の両手を振った後、食べ物の好き嫌いについてあれこれ話し合う美羽と七乃のもとにとてとてと走り寄る。

 

「袁術様! 張勲様! こんにちは!」

「うむ!」

「はい、こんにちは」

 

 紀霊はその紫乃の態度に気まずそうな表情を浮かべながら、紫乃を呼んだ理由を説明する。

 

「それでは仲川様、手合わせならばこの紫乃が最適です。こう見えてそこそこ腕は立ちますし、器用なので対戦相手に怪我を負わせるようなことはないでしょう」

「分かった。で、武器はどこにあるかな」

「試合用に刃をつぶした武器があそこの倉庫の中にあります」

 

 

 

 それから、昴は紫乃に案内されて、壁に立てかけられている様々な武器の前に立つ。

 選ぶ武器は候補を二つに絞っている。どうせ使うなら、三国志の中でも有名な武器、呂布の方天画戟か関羽の青龍偃月刀だ。方天画戟は方天戟の亜種で、青龍偃月刀は青龍の意匠が施されている偃月刀であるため、ここに置かれているのは普通の方天戟であり普通の偃月刀だ。本来この時代にはどちらの武器も存在しないのだが、こうして存在するということは三国志演義準拠の世界なのだろうかと昴は思考を巡らせる。

 昴は少し悩んだが、刀身が大きい偃月刀の方が使いやすいだろうと踏んで偃月刀を手に取る。

 それを見て紫乃は少し意外そうな表情になった。

 

「偃月刀は重いから、うちの兵たちは誰も使わないんだけど、昴様は平気なの?」

「……いや、特に重くは感じないかな」

「すっごーい! 見た目と違って力持ちなんだね!」

 

 紫乃は感心することしきりだが、昴は言われて初めて気づいたという感じで偃月刀を握る右手をじっと見た。重さをほとんど意識しないほど軽々と持ち上げられたことに今更ながら驚く。日本にいた頃は、平均的な体躯で力も男として平均的だと思っている。戦乱の時代に生きる兵士でも持て余すような代物をこうやって持ち上げられるのに、自分の腕の太さは日本にいた頃と変わらない。それどころか、ここの兵士たちの誰よりも腕が細いかもしれない。

 

(こういう筋力も武力に含まれるってことだろうか。……いや、筋肉が実際についてないから何と言えばいいんだろう)

 

 深く考えても仕方ないと昴は割り切ると、偃月刀の扱い方を確かめるために外に出る。

 二、三度片手で大きく振った後、体が自然と動くまま偃月刀を自在に振るう。初めて手にするはずなのに、何年、何十年とその武器を振り続けてきて、何をどうすればいいか分かるような不思議な感覚に戸惑いながらも無心で偃月刀を振るう。それはすでに一つの演舞であり、周囲で見ていた兵たちから歓声が上がる。

 

「これは……かなりのものじゃないですか、紀霊さん」

 

 七乃は驚きを隠せない表情で紀霊に声をかける。

 

「……演舞では実戦の腕前を測りきることはできませんが、偃月刀を軽々と降りぬく膂力だけ見ても大したものです。これは、紫乃では相手にならないかもしれません」

 

 袁術軍の中で武の順位付けをするなら、紀霊が頭二つ三つ抜けて一番であり、二番目に一応七乃がくる。とはいえ、七乃は剣しか扱えず、様々な武器を器用に扱いこなす紫乃の方が総合的には上であると言える。その紫乃が相手にならないかもしれないという紀霊の言葉を聞いて七乃は安心する。

 もしここで兵士たちが見守る中、昴が手合わせで簡単に負けてしまったら、天の御遣いというイメージが崩れるのではないかという不安を抱いていたのだ。もちろん、天の御遣いが武力に秀でていなければならないわけではないが、無様な負けぶりを見せてしまったらどうしてもその印象が兵士に付きまとってしまう。そして、手合わせの噂はたとえかん口令をしいたところで瞬く間に袁術軍の中で広がってしまうだろう。

 そうならないようにするために、兵士たちの来ない場で手合わせができる場所を脳内でいくつか挙げていたのだが、どうやらその必要はなさそうだ。

 

 やがて、やる気満々の紫乃が、刃をつぶしてある試合用の三尖刀を持って昴の前に立つ。偃月刀ほど重くはないが、それでも他の兵士たちが敬遠するほどには重く扱いづらい代物だ。紫乃が三尖刀を普段の武器にしているのは当然紀霊の影響である。

 

「さあ! 昴様、お相手になるよ!」

 

 その言葉に、さすがに緊張した表情になりながら昴も偃月刀を構える。いくら刃をつぶしているとはいえ、これだけの重さの武器が当たればただの怪我ではすまないだろう。運が悪ければ死ぬことがあるかもしれない。

 一方で、兵士たちはどちらが勝つかで賭けをして盛り上がっている。

 紀霊は兵士たちが試合の邪魔にならないようにある程度距離を取らせると、一番見やすい位置に美羽と七乃を案内した。すでに他の兵士に椅子を用意させており、美羽は当然のようにその椅子に腰掛ける。

 

「昴殿、頑張るのじゃ!」

 

 美羽のよく通る声が昴に届くと、昴は小さく笑ってふっと肩の力を抜いた。

 そして、紀霊の「はじめ!」の声と共に試合が始まる。

 

「それじゃ、いっくよー!」

 

 まずは挨拶がわりと紫乃は三尖刀を真正面から振り下ろす。狙いは偃月刀で、万が一昴が何もできなくても致命的な怪我になる心配はない。この一撃にどう昴が対処するかを見てから、その腕前に応じて攻撃の仕方を変えていく腹づもりだ。

 その紫乃の武器狙いの一撃に対し、昴も同じく武器狙いで下段から思い切り振り上げる。その際の衝撃が想定以上に強く、紫乃はその一撃で手が軽く痺れてしまう。

 

「うわわわ!? 思ったより一撃が重い!?」

 

 その後十合ほど打ち合った末に、紫乃は武器を叩き落されて敗北を認めた。その圧倒的な勝利に一瞬場が静寂に包まれるが、次の瞬間兵士たちが歓声をあげる。「さすが天の御遣い様!」「袁術軍万歳!」「お、俺とも手合わせしてほしいっス!」「橋蕤殿も頑張った!」「橋蕤ちゃん可愛いよ!」など様々な声が沸き起こる。

 

「おお、昴殿! かっこいいのじゃ!」

 

 早速蜂蜜水を飲んでいた美羽は、昴の圧勝に満面の笑みで叫んでいた。

 

「あっちゃあ、想像以上に強いなあ。ボクじゃ相手にするのは無理だー」

 

 完敗となった紫乃が残念そうに言うと、その紫乃が持つ試合用の三尖刀を手に、紀霊がわくわくした表情で昴の前に立つ。

 

「紫乃が相手では失礼だったようです。次は私が相手をします!」

「え? 紀霊さんが?」

「袁術軍『一」の武の使い手たる私は、紫乃のように簡単にはいきませんよ!」

 

 その紀霊の発言に周囲のボルテージは上がり、昴はその申し出を断るわけにはいかなくなった。昴としても、強い相手と戦って自分の力を計ることは必要だったので問題はない。

 

 紫乃との戦いを見て昴の強さを知った紀霊は、これなら遠慮することないと最初から本気を出した。その一撃は紫乃のものとは比べ物にはならず、昴はすぐに顔を引きつらせながら応戦することになる。まだ頭の中に浮かんでくる戦いのイメージと体の動きとが完全に重ならず、紀霊の猛攻に対して防戦一方となってしまうが、攻撃する手がかりがなかなかつかめなくても、ただ攻撃を防ぐだけなら今の状態でも十分にできることが自信となる。

 

「てぇあぁっ! とぅぅりゃぁっ!」

 

 気合の声と共に三尖刀が何度も突き出されるが、目が慣れてきた昴は体を小さく動かすだけでよける。だが、その突きに混ぜられて振るわれる薙ぎ払いは強力なので、昴から攻撃するきっかけもなかなかつかめないでいる。

 何十合と打ち合ったところで、二人は後ろに下がって距離を取るも、そのまま武器で体を支えるようにして動きを止める。

 

「な、なあ、紀霊、このへんでもう終わりにしないか?」

「ハァ……ハァ……、そ、そうですね! 引き分け! はい……そうです、引き分けってことに……しますですよ! 引き分っ……ハァ……ハァ……」

 

 防御に徹したことで多少体力に余裕のある昴に対して、終始攻撃していた紀霊は肩で大きく息をするほど消耗していた。

 二人の戦いぶりに周囲が惜しみない拍手をする中、昴はふと思いつくことがあった。

 

「紀霊は孫策が戦ってるのを見たことある?」

「ハァ……ハァ……はい、あります……ハァ……ハァ……ありますよ」

「孫策と私だと、どっちの方が強いと思う? あと、先に呼吸を整えようか」

 

 まだ息を整えることに必死になっていた紀霊は、その昴の言葉に微妙な表情を浮かべる。

 

「あ、本当のことを言っていいよ。そっちの方がありがたい」

 

 紀霊は呼吸が整うと、真面目な表情で昴に向かい合う。

 

「……孫策さんですね。あの人の戦いぶりは、それはもう鬼神もかくやという凄まじさです。正直、夢に出るかと思いました」

「あともう一つ。うちの兵士たちと、孫呉の兵士たち、どっちが強い?」

「……意地悪なことを質問しないでください」

 

 その言葉と頬を軽く膨らませた顔が答えを雄弁に物語っていた。

 昴は自分のところに駆け寄ってきて興奮ぎみに感想を言う美羽の相手をしながら、これからやるべきことを考えていた。

 


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