京都編はサクサクと進めるつもりですので、若干駆け足になるかもしれません。
「おええぇぇ」
弥彦の嗚咽とともに、周囲に酸っぱい匂いが広がる。私はゆっくりと弥彦の背中をさすりながら声をかける。そんな我々を、神谷さんは澄ました様子でじっと見ている。
「大丈夫かい? そのうち慣れるからもう少し我慢だ」
「だっ、大丈夫くない…」
弥彦はなれない船酔いに死にそうになりながら、手に持った木桶の底を見つめている。乗船してからずっとこの様子である。
我々は今、京に向かった剣心さんを追いかけるために大阪行きの船に乗っている。
剣心さんが京へ向かってから、神谷さんは目に見えて落ち込み、寝込み、食事も喉を通らなくなった。その様子を見かねた弥彦が神谷さんを焚き付け、京まで追いかけることを決意したそうだ。そのことを聞いた私は、京へ向かうことをなんとか思いとどまってくれないかと神谷さんの説得を試みた。聞く限り、現在京へ向かうことは大変危ないことだと思う。剣心さんとしても、神谷さんには安全な場所に居て欲しいと考えているだろう。
しかしながら神谷さんは、「もう決めたことだから」と一向に譲らず、ついぞ意思を曲げてもらえることはなかった。
弥彦と神谷さんが京に向かうことをさよに伝えると、「女、子供だけでの旅は危ないから、竜さんついて行ってあげなよ」なんて言う始末。彼女に志々雄のことは伝えていないので、京が危ない場所であるとの認識はない。さよとしては神谷さんの思いを尊重し、剣心さんとの仲を応援してあげたいだけなのだろうけれど。
さよにすべてを話す気にもなれず、さりとて断る理由も見つからない。私としても二人だけの旅路に不安があったため、ついていくこと自体はやぶさかではないのだが、どうも釈然としない。そんな経緯で私は彼女たちの保護者として京へと向かうことになったのだ。
船酔いで体調を崩す弥彦を見ていると、なんとも先行きに不安を感じてしまう。一人旅ならいざ知らず、保護者として今後も気苦労する場面は多そうだ。そんな弥彦の様子を見かねた由太郎が、弥彦に自分の水筒を差し出す。
「ほら、水だ」
「わっ、悪ぃ」
弱弱しく返事をしながら、弥彦は由太郎が差し出した水筒の水を口に含み、口を漱ぐ。弥彦の手元の木桶には、先ほどからの弥彦の吐しゃ物がけっこな量溜まっており、あまり目に入れたくはない。
「バカっ、直接口をつけるなよ。俺も使うんだから」
弥彦の手の水筒を奪い取り、慌てて由太郎は飲み口を拭う。
自治右派京に向かう旅には、由太郎も同行している。神谷さんと弥彦、それから私が不在になるため、しばらく道場を閉めることになると由太郎に伝えると、自分も連れて行って欲しいと言い出した。
道場の面々の中で、彼だけ置いてけぼりのようでかわいそうではあるが、弥彦とは違い由太郎には父がおり、帰るべき家がある。旅先で怪我をさせるようなことがあってはいけないと思うと、正直もろ手を挙げて歓迎というわけにもいかないのである。そこで私は、物見雄山に行くのではないのだから、きちんと父と相談し許可をもらうよう伝えた。これには神谷さんも同意してくれた。
大事な一人息子を旅に出すような真似はしないと踏んでいた私の予想は、その日のうちに裏切られることとなった。家に帰り父を説得するといった由太郎は、数刻後に父と神谷道場を訪れた。由太郎の父の塚山さんは、我々を見るや否や「息子をお願いします」と、私たちに頭を下げるのであった。
予想外の展開に面食らいつつも、危険な旅になるかもしれないのでお勧めできないと遠回しにお断りしたい旨を伝えたのだが、神谷さんと浜口さんがいれば安心できると自信満々に言われてしまい、閉口してしまった。塚山さんは、由太郎君が親元を離れ旅をすることが、彼の成長になると考えているようであった。言葉の端々に、私と神谷さんに対する信頼が見え隠れしており、どうにも気恥ずかしい気持ちになってしまう。
なんというか、塚山さんは人を信頼しすぎるきらいがあり、なんとも危うい。それが彼の魅力でもあるのだろうが、そんなことだから雷十太に付け込まれてしまうのではないかなんて、余計なことが頭に浮かんでしまう。
その後も何とか断る方便を探そうとしたのだが、息子の成長を願い旅に出したい彼の愛情を無下にできず、結局引き受けてしまったのだ。いや、この件に関しては、はっきり断れなかった私にも非があるのかもしれないが。
そんなわけで、神谷道場の門下一同勢揃いの旅が始まったわけである。
「神谷さんは船酔い、平気みたいですね」
また木桶とにらめっこを始めた弥彦をしり目に、神谷さんに声をかける。由太郎は父と船旅をしたことがあるため耐性があるらしいが、神谷さんは初めての船旅であると聞いている。
「私は少し酔っていますけど、これくらいでへたり込んだりしません。しばらくの間いじけてばかりで皆に心配をかけてしまったので、もう絶対に弱音なんか吐かないって決めたんです」
「それはまたなんとも、前向きなことで…」
神谷さんの言葉を聞いていると微笑ましい気持ちになり、思わず頬が緩んでしまう。そんな私の顔を見て、神谷さんは少し恥ずかしそうな表情を見せる。
「おぇぇぇぇ」
再度船内に響き渡る弥彦の嗚咽。船酔いはまだよくならないようだ。由太郎は呆れた様な目で弥彦を見つめている。
「少し潮風に当たりに行こうか」
「おぅ」
周りの客にも迷惑をかけているだろうと考えた私は、弥彦を連れて船外へと出ることにしたのであった。
「ようやく陸についたぜ…」
「ちょっと弥彦、フラフラすると危ないわよ」
左右によたよたと揺れながら桟橋を歩く弥彦に、神谷さんが注意を促す。数日間の船旅も終わりを告げ、我々はようやく大阪港についた。ところどころ建物が新しくなっているようであるが、ほぼ記憶にある通りだ。懐かしいとまではいかないが、見覚えのある景色をみていると不思議な気持ちになるな。
「今日は
そう私が提案したところ誰からも反対はなかった。先を急ぎたいなんて意見が出るかもしれないと思っていたのだが、思いのほか皆冷静なようだ。
私は平気であるのだが、神谷さんや少年達のことを考えるとこの先も無理は禁物。特に弥彦には、なにか精のつくものでも食べさせてあげないと体が持たないだろう。東京を出たころに比べると、どことなく線が細くなったようにも見える。船酔いのせいで食事が喉を通らず、食べた分もほとんど戻してしまったので無理もないのだが。
港を出てそのまま本日の宿に向けて移動する。移動中に徐々に元気になった弥彦から食事をせがまれ、私たちはうどんを食べることにした。消化に良さそうなので、胃腸が弱っている弥彦にはちょうど良いだろうとの考えだ。
店に入ると、私はきつねうどんを四つ頼んだ。しばらくして出てきたうどんは、東京とは違う透き通った汁。食べ始めると皆、味が薄いだとか汁の色が薄いだのと感想を漏らす。決してまずいとは思っていないようなのだが、食べなれない西の料理に面食らっているようだ。彼らを見ていると、まるで昔の自分を見ているようで、私はすこし嬉しくなった。旅先でのこういった楽しみは、先達の特権であろう。
腹を満たし他にすることも無い私達は、早めに宿に入り英気を養うことにした。
京橋に移動し一泊した私たちは、次の日三十石船に乗ることにした。乗船前に、すっかりと船嫌いになった弥彦が駄々をこねたのだが、陸路を行くよりも安全で早いのであるから我慢してもらうほかない。大阪の町では、京の治安が悪化しているような噂はなかったのだが、用心して損はないだろう。
元気がなくなった弥彦を船に押し込み、一日かけて淀川を上り、私達はようやく京へと着いた。
京都に行くきっかけや理由が、なんというか無理やりっぽい展開ですが、勘弁ください。弥彦がゲロ吐いてばっかの件でした。導入回(?)で会話が少ないですが、サクッと進めたいのでこんな感じになりました。
更新が遅くなりましてすみません。時代考証とか原作人物のイメージ通りの行動、発言とかを考えるとどうしてもまとまった時間がないと書けないのです。以前はあんなにポンポンかけていたのになぁなんて思いながら、原作を読み返しているのですが。
大阪から陸路を行き、十本刀の誰かとばったり会わせてみようかなぁなんて思ったりしましたが、あまりうまくかけず断念。そんな感じです。
以下時代考証とかそのあたりの話です。歴史に詳しくないため、矛盾しているかもしれませんがご容赦ください。
「かわいい子には旅をさせよ」の言葉がこの時代にあったのかは不明です。簡単に調べてみたのですが、もしかしたらもう少し後の世のことわざ(?)かもしれません。
東京と大阪間の幕末の船旅の日数がわかりません。数日かけていたのでしょうかね。幕末以降蒸気船があったようですし、原作でも蒸気船を使用しております。それでも当時は数日かけて東京大阪間を移動していたと思うと、次に新幹線に乗る際にはありがたみを感じてしまいそうです。
きつねうどんの発祥には諸説ありますが、江戸時代に大阪で作られた、明治時代10年代以降に誕生した説など諸説あるようです。るろ剣時代的には結構新しい食べ物となりそうです。