「それでは行ってきます」
「旦那様! おにぎりを忘れてるよ!」
「ああ、たけさんどうも。忘れてたよ」
朝、道場へ向かおうとする私をたけさんが呼び止めてくれる。忘れ物とはいかんな、少し気が抜けていただろうか。なんというか、朝からそわそわしている自覚がある。
原因はわかっている。あの手紙を受け取ってから数日が経ち、いよいよ今日、斎藤さんと会う日を迎えたのだ。もともと稽古がある日ではあるので、道場に顔だけ出してから待ち合わせ場所へと行く予定ではあるが。
私は不安と緊張と期待が入り混じった複雑な気持ちを胸に抱きながら、家を後にした。
神谷道場の前まで来ると、私は少し違和感を感じた。どことなく、いつもより道場が静かな様に感じる。
不思議に思いながら神谷道場の敷地に入ると、道場の壁に開いた穴が目に入る。人が一人が通れるほどの大きさの穴なので、今までに比べると被害は小さいとも言えるかもしれないな。
もう何度目になるだろうか。神谷道場が破壊されることに慣れてしまった私は、ああまたかと思いながら、道場に入っていく。願わくば誰も怪我などしていなければ良いのだけれど。
「剣心さん、おはようございます」
「浜口殿か。すまないが今日の稽古は中止でござる」
道場の中に入ると剣心さんが一人立っていた。稽古を中止といったが神谷さんに何かあったのだろうか。
「中止、ですか。一体何があったんです?」
ただ誰かが風邪で寝込んでいるとか、そういったことではないのだろう。それぐらい、神妙な剣心さんの顔を見ればわかる。
破壊された道場から、不逞の輩が暴れ神谷さんが怪我をしてしまったのではないかと想像し、少し心配してしまう。
「…昨日左之助が襲われた」
剣心さんがぽつりぽつりと、昨日の出来事を話してくれる。
昨日、神谷道場の面々が出稽古から帰ってくると、道場の中で左之助が血まみれになり倒れていたそうだ。左之助の怪我は右肩への強烈な突きが原因であり、現在も道場の客間で高荷さんに治療を受けている。残念ながら、意識はまだ戻っていないとのこと。
神谷さんと弥彦はというと、昨夜から徹夜で左之助の治療の手伝いをしていたそうで、二人とも寝ているらしい。
由太郎は家に帰される際に、今日の稽古を中止する旨を伝えられていたのだが、私の方に連絡を回す余裕はなかったようだ。左之助の怪我がそれほど重傷だったのだろう。やむをえまい。
「強烈な『突き』ですか…」
話を聞いて気になったことが、自然と口から零れてしまう。
左之助の意識が戻らないため、どのような人物に襲われたのかはまだ分からないそうだが、強烈な『突き』と聞くと、どうしてもこれから会うあの人物を想像してしまう。
「浜口殿が気に病む必要はないでござるよ」
そういいながら困ったような表情をする剣心さんを見て、下手人については私と同じ予想をしているのだと想像がついた。
犯人が我々の想像通りの人物だとすると、恐らく狙いは左之助ではなく、剣心さんではないかと思う。あの頃から時が経ったとはいえ、新選組と人斬り抜刀斎の因縁はある。ただ、斎藤さんが剣心さんに今更ちょっかいを出すかと問われれば、疑問を感じずにはいられないのだが。
「…人違いであって欲しいものですけれどね。どちらにせよ、早く下手人には捕まって欲しいですね。それと、剣心さんこそあまり気に病まないことですよ。悪いのが誰かなんて、子供でも分かる話ですからね」
私は眉間に皺を寄せたまま剣心さんに返答する。剣心さんを狙った斎藤さんが、剣心さんが不在のためにたまたま道場にいた左之助を標的にしたと考えてしまい、自分を責めているのではないかと心配してしまう。
どんな理由があるにせよ、剣心さんが巻き込んでしまっただとか、そんなことを気にする必要なんて無いはずだ。
そんなことを思いながらを見つめ合っていると、なんだかおかしくなってしまいお互いに苦笑してしまう。
斎藤さんとの約束もあるため、私は剣心さんとの話を切り上げ別れの挨拶をすると道場を出た。また、襲撃者が道場にこないか心配ではあるが、約束があるため致し方ない。
聞かなければいけないことが一つ増えてしまったな。一目だけ左之助の顔を見ようかとも思ったが、様子を見ている高荷さんの邪魔となっては申し訳ない。少し悩んだ末に神谷道場を後にし、
まだ待ち合わせの時間の正午までは時間がありそうなので、それまで
久しぶりに見た沖田の墓は、意外にも綺麗であった。花は置いていないが、最近誰かが掃除したようにも見える。命日には少し早いのだけれど、姉のみつさんがお参りにでも来たのだろうか。
周囲を見渡しても斎藤さんはいないようなので、私は沖田の墓の前で手を合わせ最近の出来事を報告することにした。
再び道場に通い出したこととか、これから斎藤さんと久しぶりに会うこと、それにあの人斬り抜刀斎と知り合いになれたこととか、最近はいろいろとあった。そういえば
ドォンと響く午砲の音にハッと我に返り、目を開ける。報告することが多く、あれもこれもと語り掛けているうちにあっという間に時間が過ぎてしまったようだ。
「それじゃ、また来るよ。寂しくなっても枕元には立つなよ」
去り際に墓石に挨拶すると、私は寺へと戻っていった。
待たされる側というのは、いつだって暇だ。待てども待てども現れない斎藤さんを待ち続け、悶々とした気分のまま時を過ごす。
気分転換に住職を捕まえて無駄話でもしようと思ったのだが、やんわりと断られ、さりとて私以外に参拝客が来るわけでもなし。来るのは餌をもらいにきた野良猫ぐらいだ。
仕方がないので賽銭箱の前に座りながら、たけさんに持たされたおにぎりを食べながら待ち人を待つ。念のために持ってきておいて良かった。斎藤さんのことだからお昼は蕎麦屋にでも連れていかれるかと思っていたんだけれどな。
左之助の怪我の件、斎藤さんの思惑。いろいろなことが気になり心が落ち着かず、おにぎりを食べ終えてからも境内の中をウロウロしてしまう。
全く落ち着きがないな。溜息をつきながら、斎藤さんは本当に私に会いに来るのだろうかと疑問を持つ。
なぜ待ち合わせをすっぽかすのか。斎藤さんに限ってうっかり忘れてしまったなんてことはあり得ない。意味もなく、約束を破るような人ではないと思うんだけどなぁ。悪戯をするような性格でもあるまいし。最初から会う気はなかったってことか。
じゃあ。呼び出した意味は?
足を止めて顎に手を当てて考えてみる。私に会うことが目的ではないとすると、斎藤さんはどうしたいのだろうか。
私にここへ来て欲しかった? しかし、住職に私宛の言伝も無ければ、何か手紙のようなものがあるわけでもない。沖田の墓参りには毎年命日に来ているし、いまさら私に沖田の墓の場所を教えたかったなんてことはないだろう。
そもそも何か伝えたいことや渡したいものがあるのであれば、手紙を使ってわざわざ呼び出すような回りくどいことをする必要はない。
もしや何らかの理由でこれなくなったか? うーん、これはわからないな。斎藤さんを襲う賊がいたとすると、命の危険があるのはどう考えても賊の方だしなぁ。急用がありこれなくなったとなんてことまで考え出すと、想像がつかない。これ以上考えても答えが出ないので、一旦この考えは保留しよう。
では、私に本来いる場所から移動させたかったと考えるのはどうだろう。
呼び出されなければ、私は道場で稽古をしていたはずだった。いや、左之助の怪我の件で稽古は中止だったな。そうすると、左之助のお見舞いにでも行っていたかもしれない。
少なくとも、道場にいたことには間違いない。それが斎藤さんにとって都合が悪いということか。
左之助の怪我と斎藤さんの呼び出し。あぁ、やだなぁ。偶然にしては出来すぎている。考えれば考える程、左之助を襲ったのは斎藤さんではないかと思考が収束していく。
ただ、私を道場から遠ざけるためにこの呼び出しを行ったとすると、理由はなんだ?
私にこれから剣心さんとの闘いを見られたくなかったから? 今更そんなことを気にするような性格ではあるまい。
私に邪魔をされると思ったから? 私が斎藤さんよりも弱いとはいえ、目的遂行の障害になると考えたのかもしれない。一応筋は通るが、どことなく腑に落ちない。
待ち合わせの時間はとうに過ぎ、太陽は西に傾き始めている。もはやここに居ても時間の無駄だろう。これ以上考えることはやめて、後は自分の目で確かめるしかないか。
私は自分の考えがどうか間違っていて欲しいと願いながら、駆け足で神谷道場へと戻っていった。
次回更新は明日の夜か月曜日ごろになる予定です。その次は、恐らく来週の日曜日の夜に一話かな。
少し仕事が忙しくなり投稿ペースが落ちますが、年内に完結する予定で進めております。