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その後、弥彦は道場に戻り、稽古には途中から参加したのだが、どこに行っていたのかは教えてくれなかった。特段何かに悩んでいる様子もなく、稽古自体も真面目に取り組んでいたので深くは追及しなかった。
稽古を終え帰宅し、夕飯時。居間に集まり家族で食卓を囲む。
「おっ、今日は鮪かぁ」
醤油に漬けられ赤黒くなった身が、なんとも美味しそうだ。いただきますといいながら、私はその漬け鮪をホカホカのご飯に乗せ、さらに薬味である大根おろしをその上に乗せる。あとは醤油をかけてかっ込む。うむ、うまい。
「ちょっと、竜さん。下品だよ。ごはんの上におかずを乗っけるなんて…」
さよにご飯をおかずで『汚す』ことを注意されるが、もう遅い。私の茶碗の白飯は、漬けと醤油により見るも無残な姿になってしまった。
「いいのいいの。美味しんだからさ」
「もぅ。仕方ないんだから」
さよには悪いが、これだけはやめられない。ご飯の熱で、ほんのり温まった鮪が最高に美味しい。味噌汁を啜りながら、幸せを感じる。具はシジミか。
「それよりさ、竜さんが通っている道場に弥彦君って男の子がいたよね」
「ん? あぁ、弥彦君ね。その子がどうかしたのかい?」
さよから弥彦君の話だなんて珍しい。ご飯を食べる手を止め、話を聞く。
「妙さんに聞いたんだけど、最近うちのお店でよく日雇いで働いてくれているみたいなんだ」
「へぇ。それはそれは。初耳だね」
コッソリ出かけていたのはあかべこだったのか。灯台下暗しとはまさにこのこと。意外である。何か、欲しいモノでもあるのだろうか。それとも神谷道場の生活費の足しにするつもりなのであろうか。
「大したお給金も払ってあげられないんだけど、よく働いてくれているみたいでね。今度会ったらお礼を言っといてくれないかい」
「あぁ、わかった。伝えておくよ」
話は終わったようなので、食事を再開する。あっという間に残りのご飯をペロリと平らげ、たけさんにご飯のお替りを頼む。漬けも味噌汁もまだ少し残っているからね。
「たけさん、少な目でもう一杯お願い」
茶碗を差し出す私を、冷たい目で見るたけさん。あれ?
「下品な食べ方をする人はお替り禁止だよ」
そんなに厳しいことを言わなくてもいいと思うんだけどなぁ。
次の日、今日は仕事の日なので赤べこに顔を出す。普段は売上や仕入れの確認が主な仕事になるので、店に来ても必要な書類や売上金を持ち帰り、家で仕事をしている。だけれども、今日は弥彦のことが気になるので何となくお店に居座ってみることにする。
「おはようございます」
開店準備中の店内に入ると、お店で働く人たちから元気な挨拶が返ってくる。特にそんな教育をしたわけではないのだが、元気のいい挨拶って気持ちがいいよね。
お店に入りお目当ての人物を探し声をかける。
「あっ、妙さん。いたいた。おはよう」
「あら、竜之介さん。おはようございます」
妙さんのお父さんは、赤べこ創業当時から一緒にお店を育ててきた盟友だ。今は大事な娘さんをうちの店に預け、京都で姉妹店の白べこの店長をしている。そんな経緯もあり、妙さんとは家族ぐるみでお付き合いをさせて頂いているのだ。
「今日は店の奥にいるからさ、弥彦君が来たら声をかけて貰えないかな」
「はぁ、わかりました」
怪訝な表情で返事を返す妙さん。もう少し説明が必要かな。
「なに、いつもお世話になってるみたいだからね。少しお礼をするだけだよ」
奥の部屋でしばらく仕事をしていると、妙さんから声がかかった。
「あのぅ、竜之介さん。ちょっといいですか」
「はーい、今行くよ」
妙さんに呼ばれて出ていくと、案の定、弥彦が店に来たので声をかけてくれたようだった。お礼を言い、物陰から弥彦を観察しようとすると…。
「あれ、剣心さん? いらっしゃい」
「おろ?」
剣心さんだけでなく、神谷さんと左之助もいる。話を聞くと、道場を抜け出す弥彦を尾行してここまで来たそうだ。
「浜口さんは知っていたの?弥彦がここで働いているって」
「いやぁ、私も昨日の夜に聞いたばっかりなんですけどね。何で働こうと思ったのかは、これから聞こうと思っていたんですけど…」
非難がましい神谷さんと目を合わせられず、頭を掻きながら笑って誤魔化す。事実ではあるのだけれど、弥彦を心配していた神谷さんからしたら、あまり面白くないのであろう。
「
意味深に言う左之助の視線の先には、女の子が一人。たしか、三条燕さんだったかな。この間、近所の知り合いから預からせて頂いた、大事な一人娘だ。あの年で家計を助けるためにウチで働いている、健気ないい子であったと記憶している。
弥彦と二人で蔵から荷物を運ぶ雑用をしているようだ。
「そら
左之助の予想を妙さんが否定する。さすがに弥彦の歳で女の子目当てはまだ早いか。
二人の様子を見ていると、三条さんが弥彦のことをちゃん付けで呼んだりしていたので(呼ばれた弥彦は怒鳴り返していた。今度説教が必要だな。)、昔の知り合いとかそんな関係なのかもしれない。
「結局何が目的かわからんでござるな」
時間もちょうどお昼時ということもあり、折角なので、皆で牛鍋を食べることにした。話題はもちろん、渦中の弥彦でもちきりだ。
「働いているってことは、お小遣いが欲しんじゃないんですかね。もしかして神谷道場の家計の手助けをしたいとか」
「それはない!」
私の意見をバッサリと切り捨てる左之助。弥彦は口が悪いけど、優しくないわけではないし、案外いい線言っていると思うんだけど。
「コラァ注文遅いぞ!」
「はっ、はい。ただいま」
ガラの悪い客でもいるのだろうか。店内に野蛮な声が響き渡る。三条さんが注文を取りに小走りで駆けていくが、ちょっと心配だ。
立ち上がり、そっと様子を見に行くと、ガラの悪い男の前で顔を青くしている三条さんがいた。これは助けに入らないと。
「ちょっとすいません。ウチの店員がなにかご迷惑をおかけいたしましたかね?」
「んだぁ? オッサン、何か文句あるのかよ」
おっ、オッサンか。初めて言われたな。
「だっ、旦那様。その、大丈夫ですので…。こちらは昔お世話になった方で…」
「そうそう、他人の事情に顔つっこむなよ。積もる話もあるんで、コイツ、ちょっと借りるぜ」
横で恐縮しきりにすいませんを連呼する三条さん。それにしてもなんという態度だ。
「すいません。三条ですが、今お仕事中でして…」
「旦那様、少しだけでいいので、この方たちと、その…」
まさか、三条さんからも言われてしまうとは。頭に手を当てて考えてしまう。
「三条さん、その、
私の質問にコクりと頷く彼女を見ていると、何か弱みでも握られているんじゃないかと勘ぐってしまう。彼女がここまで言うのだから、一旦は言う通りにしておこう。
「分かった。あまり遅くならないようにね」
再度すみませんと連呼しながら、彼女はガラの悪い男たちと店の外に出ていった。ガラが悪いとはいえ、ちゃんとお会計を支払っていったその一点だけは、左之助よりマシな客であると評価できるのだが。
「へっくし!」
「ちょっと左之助! 鍋に向かってくしゃみするんじゃないわよ!」
左之助を見ていると、もう少し人付き合いの相手を選んだ方がいいのではないかと思ってしまう。少し頭が痛くなってきた。目頭をつまみ、溜息をついてしまう。
「竜之介さん…」
「わかっている。心配だからちょっと様子を見てくるよ」
「…おおきに」
心配する妙さんに一声かけ、私は三条さんの後を追った。
ご飯の上におかずを乗せることは、私は問題ないと思ってます。T.P.Oはあるかもしれんせんが。
チラ裏ですが。私の知り合いに、ご飯の上にホワイトシチューとラー油とキムチを乗せて食べる人がいます。時々そこに、納豆も追加されます。一度どんな味がするのか聞いてみたところ、中華丼の味がすると言ってました。
狂っていると思います。
17.09.16 三条さんが会津出身との設定でしたが、勘違いだったため修正。神田らへんに住んでいるようです。