マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第7話

 

 

 

 一夜を徹して行われた議論を持ってしても、みくと李衣菜のゲスト出演ユニットを決定することは出来なかった。

 もっとも、それは当然の結果といえるかもしれない。

 

 アイドルオタクとアイドルのプロデューサー。

 

 どちらもアイドルに対して譲れない信念を持っている。意見が食いちがい、そして議論を戦わせる場合には〝どうやったら相手をねじ伏せられるか?〟という攻撃的な思考の元に言葉を投げる。相手の投げる言葉は異教徒の世迷言(よまいごと)であり、自分の言葉こそ世界を正しい方向へ導く福音(ふくいん)であって、それを相手に分からせるためだけに言葉を重ねるのである。

 

 そんな状態で、共通の結論を導き出せるわけがない。

 

 結局のところ、伊華雌(いけめん)も武内Pも主張を譲らなかった。アイドル本人に最終決定を任せることにしてとりあえずの休戦協定を結んだ。

 

 廃墟となった戦場で戦車の残骸に腰掛けて空をあおぐ兵士のように〝激戦を潜り抜けた疲労感〟をかみ締めていると、猛烈な勢いで鳥が鳴き始めた。早朝に鳴くのは鶏だけじゃない。雀だのカラスだのといった鳥達もまた夜の終わりを告げる太陽を喜びクチバシを開くのだ。

 

 その時点で開き直ればよかった。今日は徹夜の倦怠感と共に一日をやり過ごす。帰宅してからの爆睡を夢見て睡魔と殴りあう。

 

 徹夜のまま出社する覚悟を決めるべきだったのだが――

 

 武内Pは、最終ラウンド終了のゴングを聞いたボクサーが脱力するように、ベッドに崩れ落ちてしまう。

 そして伊華雌も、つられるように寝てしまった。

 伊華雌はマイクの身でありながら意識の消失をともなう休息――すなわち睡眠のようなものを必要とする。

 

 二人の眠りは深海のように深く、海上の騒ぎが深海に届かないように、目覚まし時計の音はまるで聞こえなかった。

 

 その時、伊華雌はとても幸せな夢を見ていた。

 自分一人のために島村卯月がスマイリングを歌ってくれる。彼女は最高の笑顔でスマイリングを歌いきり、伊華雌は拍手喝采をする。

「じゃあ次は、スマイリングを歌います」

 卯月は再び、スマイリングを歌った。その次も、スマイリング。いつまでも、スマイリング。それしか曲をもらっていないアイドルみたいにスマイリングを繰返す卯月に違和感を覚え、この世界そのものに疑問を抱いた瞬間――

 

 これって、もしかしてスマホの着うたじゃ……ッ?

 

 覚醒は一瞬だった。

 

 意識を取り戻した伊華雌は、窓からさしこむ強い日差しに血の気が引く感覚を思い出した。部屋の中が妙に静かだった。それは、風邪で学校を休んでいる時の静寂。

 

 もしかして、とりかえしのつかない遅刻を――

 

 突然、スマイリングが大音量で流れ出した。伊華雌のすぐ横にあるスマホからだった。誰の呼び出しか分からないが、本能が恐怖していた。大好きなスマイリングが地獄の前奏曲(プレリュード)に思えた。

 

〝武ちゃん! 起きろッ! 寝過ごしたッ!〟

 

 体を揺すって起こせないのをもどかしく思いながら伊華雌は声を張り上げる。しかし武内Pの眠りは深く、スマホから流れるスマイリングを聞いては「いい笑顔です」と言って微笑む。

 

〝いい笑顔、とか言ってる場合じゃねえから! このスマイリングは、なんかやべえヤツだからッ!〟

 

 伊華雌の時と同様、武内Pは突然に覚醒した。

 窓から射し込む午後の太陽に戦慄し、スマホから流れるスマイリングに息を呑む。

 

 本当の恐怖を前にすると何も出来なくなってしまう。それは人も動物も同じである。道路に飛び出した野生動物が迫りくるトラックを見上げて硬直するように、武内Pはスマホを見つめて何も出来ない。

 

 やがて、スマホが沈黙した。

 

 武内Pはショック状態から立ち直り、青い顔でスマホをつかむ。画面を見るなり、拳銃を突きつけられた人のように顔を強張らせる。

 

〝……誰から?〟

 

 武内Pは答えず画面を見せてきた。

 

 着信履歴が、千川ちひろで埋まっていた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 346プロに出社した時、時計の針は午後の3時を指していた。重役出勤とすらいえない時間だった。アフタヌーンティータイムに出社した人間と一緒にされたらさすがに重役も怒るだろう。

 

「うまく、誤魔化しておいたから」

 

 シンデレラプロジェクトの地下室にやってきた武内Pをちひろは共犯者の笑みで迎えてくれた。聞けば、着信履歴を埋めたのは別に怒っていたわけでもヤンデレとして覚醒したわけでもなくて――

 

「心配したんだから。ほら、武内君、寮で一人でしょ? 何かあったら誰も気付かないだろうし」

 

 ギャルゲーの幼馴染みヒロインが見せる笑みだった。本気で武内Pを心配していたのだと分かるちひろの笑みを前に、伊華雌の中で罪悪感が膨れ上がる。

 

「どこか具合悪いの? 目の下にクマが出来てるよ?」

 

 武内Pの顔をのぞきこむちひろに何て言い訳をするべきなのか? 明け方までアイドルのことを話してました、とか白状するのは論外として、何か適当な言い訳を――

 

「実は、明け方までアイドルについて討論を……」

 

 そうだね、やっぱり正直に話したほうが――

 

 ――いいわけないからッ! 何でこの人は何でもかんでも正直に話しちゃうかな! 自白剤要らずでスパイ大喜びですよ! マキノンもにっこり!

 

 伊華雌は思考を混乱させつつ、何かフォローしなくてはと思った。

 討論していた、という言い方が実に不味い。それはつまり、相手がいることを暗に示しているわけで、ちゃんと釘を刺しておかないとまゆの時みたいに〝このマイクは意思を持っているんです〟とか言いかねない……。

 

「……えっと、とりあえず、ソファに座って。まだ眠そうだし」

 

 武内Pはちひろにうながされてソファに座った。変な時間に寝たせいかまだ眠そうで、()いているのか閉じているのか分からないくらい目が細い。

 

「コーヒーのむ? それとも、こっちのほうがいいかな?」

 

 事務室に備え付けられている冷蔵庫からちひろが持ってきたのは――

 

 スタミナドリンク。

 

 滋養きょうそう、虚弱改善。夜のお伴に効果抜群――というのは下品なインターネット掲示板の戯言(ざれごと)であるが、とにかく元気になるドリンクであるのは間違いない。〝元気になる〟の後ろに(意味深)をつけるかどうかは個人の裁量に任される。

 

「ほら、これ飲んで頑張ろっ」

 

 ちひろの台詞のあとに(意味深)をつけるかどうかも個人の裁量に任される。紳士として成長期の伊華雌はもちろんピンク色の妄想を膨らませてしまうが、すぐに自分を殴る感覚をもって己を処刑した。

 

「えっ、わっ、ちょっと……っ!」

 

 伊華雌が桃色の葛藤と戦っている間に事態は急変する。

 睡魔に負けた武内Pが、その体を爆破されたビルのように傾かせて――

 

 隣に座るちひろに武内Pの重みが加わった。

 

 ちひろはスタミナドリンクを握りしめたまま動かない。メデューサに睨まれて石化した戦士のように全身を硬直させて、赤く燃える頬にその心境を暴露する。

 

 その感覚を、伊華雌は奇跡的に共有することができた。

 

 あれはいつぞやの満員電車。隣に座る川島瑞樹似の美人OLが睡魔に負けて意識喪失、揺れる電車の慣性に身を任せ伊華雌に寄りかかってきた。

 

 その瞬間、伊華雌は枕になった。

 

 美人OLからもたらされる素敵な感触とか香りとか、幸せの意味を教えてくれる全てを逃したくなくて枕になった。

 

 そう、俺は枕。この美人OLの全てを受け止めるために生まれてきた!

 

 伊華雌が生まれた理由を誤解するころ、瑞樹が起きた。

 彼女は寝ぼけ眼ですみませんと言って、伊華雌のイケメン(意味深)なフェイスを見るなり絶句した。

 その反応に伊華雌も絶句した。

 彼女は次の駅でそそくさと電車をおりた。伊華雌はそのまま終点まで行って少し泣いた。

 

「武内……君? 寝ちゃった……の?」

 

 武内Pは小さな寝息で熟睡を肯定する。

 ちひろは小さな体を石化させたまま動かない。

 二人と一本のマイクしかいない地下室に冷蔵庫の駆動音がやたらと大きく聞こえる。やがて一際大きな音を立てると、冷蔵庫も空気を読んで沈黙した。

 武内Pの寝息だけが残る地下室で、ちひろの小さな喉が動いた。息を呑んで何かを決意して――

 

 スタミナドリンクを、開けた!

 

 大きな星のついた蓋を床に捨て、武内Pを起こさないように最小の動作でドリンクを飲み干した。

 

 ……一体、何が始まるというんだッ!

 

 伊華雌の中でR18な妄想が暴風雨の剣幕をもって吹き荒れる。スタミナを補給して一段と顔を赤くしたちひろが何をするのか? 卑猥(ひわい)な妄想がとまらない! ちひろには声が届かないのも忘れて伊華雌は息を潜める。定点カメラの気持ちになって無言で観測する。

 

 ちひろが、動いた。

 

 武内Pを起こさないように、首だけを動かして武内Pの顔を見て、狙いを定めて、速水奏のように大胆に――

 

 それは少女漫画の〝定番〟だった。眠りに落ちた気になる男子のほっぺにチューして〝やだ私ったら大胆☆〟とか言いながら自分の頭をコツンと叩く。

 

 そんな少女漫画的光景が、現実のものになるまで――

 

 5センチ――

 

 3センチ――

 

 1センチ――

 

 震えるちっひの唇が、武内Pの頬にドッキングしてしま――

 

 カン。

 

 金属を叩くような音がした。それは、シンデレラプロジェクトの地下室に続く階段の音だった。非常階段を思わせる金属性の無骨な階段は、誰かに踏まれると耳やかましい喜びの声を上げるのだ。

 

 この足音、まゆちゃんか……ッ!

 

 飼い猫が足音だけで主人の帰宅を聞き分けるように、伊華雌も足音だけで誰が降りてくるのか分かるようになっていた。この階段を撫でるような足音の調(しら)べは佐久間まゆの革靴によって奏でられているのだと、仮にこれが1000万円をかけたクイズ番組だとしてもファイナルアンサーする自信があった。

 

 ちひろの耳がそれを〝まゆの足音〟であると聞き分けたのかどうかは分からない。単に足音にびびっただけなのかもしれない。

 足音が大きくなるにつれてちひろは武内Pから顔を離して、何事もなかったかのように武内Pの肩を揺らした。

 

「武内君、起きて。仕事中だよ」

 

 武内Pは、電車で居眠りをしてしまった人が飛び起きて窓の外に流れる駅名を確認しようとするかのように首を振って、状況を把握するなりちひろに詫びた。それをちひろは笑顔で受け取り、ソファーから立ち上がるとスタミナドリンクの空き瓶を捨てた。

 

 ちひろのターンは終了した。

 そしてドアが開き――

 

「お疲れさまです……」

 

 まゆのターンが始まった!

 

 まゆは武内Pとちひろに挨拶をして、指定席である武内Pの隣に座って、じっと武内Pを見つめて――

 

「プロデューサーさん、寝不足ですか? 目にくまが……」

 

 まゆはソファに深く座りなおして、制服のスカートを伸ばしてしわを無くして――

 

「プロデューサーさん、どうぞ……」

 

 何が〝どうぞ〟なのか煩悩の数だけ妄想がとまらない。恐らくは〝膝枕どうぞ〟ということなのだろうが、膝枕以外の何かも〝どうぞ〟してくれそうなまゆの微笑みに伊華雌の妄想は天元突破(てんげんとっぱ)! ちひろは呆然と半口を開ける。

 紳士な伊華雌と淑女なちひろが混乱する中で、しかし武内Pはさすがと言うべきか――

 

「気持ちだけ頂いておきます。ありがとうございます」

 

 辞退とか! アイドル佐久間まゆの膝枕(オプション付き)を辞退とか! 立ったフラグを破壊することに容赦がねえ! フラグに親でも殺されたのかこの人はッ!

 

 武内Pがいかにフラグクラッシャーとして優秀であるか、あらためて思い知った。武内Pならどんなハーレムラブコメラノベの世界へ転生しても見事に主人公をやってのけると確信した。

 

「遠慮しなくてもいいのに……」

 

 不満げに頬を膨らませるまゆは楽しそうで、本当に不機嫌なわけではなさそうだった。その大きな瞳はらんらんと輝いている。

 

「そういえば、昨日みくちゃんが喜んでましたよ。曲をもらえて、ゲストとして劇場で歌えるって」

 

 その言葉に、みくもまゆも女子寮に住んでいるのだと思い出した。アイドルの女子寮とか、言葉の響きだけで伊華雌は幸せな気持ちになってしまう。

 

「前川さんはゲスト参加するユニットについて何か言ってませんでしたか? ピンクチェックスクールがいいにゃあ、とか言いそうな気がするのですが」

 

〝あっ、武ちゃん汚えぞっ!〟

 

 みくと李衣菜のゲスト参加ユニットについては本人達に決めてもらうことで話が落ち着いている。一夜を費やしてそれでもケリがつかなかったアイドル戦争の結末に関して伊華雌は一歩たりとも引く気は無い。

 

〝武ちゃん、フェアにいこうぜ。まゆちゃんを味方につけてみくにゃんの意見を誘導するのはフェアじゃない!〟

 

 武内Pは伊華雌の唯一の友達だが、だからこそ遠慮するつもりはなかった。仲良く手を取り合うばかりが友人ではない。必要とあらば一歩も引かずに矛を交えるべきなのだ。

 っていうか――

 

 譲れない。

 

 いくら武内Pが相手でも、アイドルに関する議論で妥協するつもりはない。これはドルオタの誇りとプライドをかけた聖戦なのだ。

 

「「おつかれさまです」」

 

 ドアが開き、二人分の挨拶が見事なハーモニーを奏でた。

 

「みくちゃんと李衣菜ちゃん、一緒に来たんですか……?」

 

 仲良しですね、と言わんばかりの微笑みを浮かべるまゆに対し、みくと李衣菜は同時に口を開いて――

 

「たまたま入口で会っただけにゃ!」

「ロビーで会っただけだから!」

 

 みくと李衣菜は視線をバチリと戦わせ、フンという決別の鼻息を残しそっぽを向いた。

 

「二人とも、素直じゃないですね……」

 

 まゆが何を言っているのか伊華雌には分からない。二人とも素直に喧嘩をしているようにしかみえない。まゆには違うものが見えているのだろうか?

 

「それより武内さん! みくがゲスト参加するユニット、決まった?」

「そうそうっ! わたしがゲスト参加するロックなユニットを――」

「ちょっと! みくが先にゃ!」

「わたしが!」

 

 バーゲンセールで目当ての商品を奪い合う主婦の剣幕だった。武内Pは二人をなだめ、説明した。候補を二つに絞ったので、最終的な結論は二人に出して欲しい。

 

 伊華雌は、息を飲む感覚でみくと李衣菜の審判を待った。女の子に告白して結果を待つのはこんな気分だろうかと思った。人間だった頃は告白以前の問題だったので伊華雌に告白の経験は無い。

 

「その二つなら、トライアドかな? 正当派クールユニットって感じで、ロックなわたしと相性よさそうだしね」

 

〝よぉぉぁぁーっ、しゃぁぁああ――ッ!〟

 

 伊華雌は勝利の雄叫びをあげた。しかし武内Pは表情を崩さない。9回裏の最後のバッターによる逆転劇を本気で信じている監督の眼差しをみくへ向ける。

 

「みくはピンクチェックスクールがいいかな。メローイエローは、ちょっと個性が強すぎるっていうか……」

 

〝どの猫口がそれを言うんじゃぁぁああ――ッ!〟

 

 伊華雌はデブにデブって言われた人の憤りを胸に抗議するが、学校の制服姿で猫キャラを封印しているみくはツンとすましてメローイエローを遠慮する。

 

「前川さんの、言う通りだと思います」

 

 それは、みくに向けた言葉ではなかった。ポケットにささる伊華雌へ、さっきのお返しとばかりに勝利宣言が押し付けられたのだ。

 

 くっそ、いい笑顔しやがって……ッ!

 

 武内Pもまた伊華雌に遠慮をしない。毎日を一緒に過ごす二人の仲は友人のそれを越えて兄弟の域に突入しようとしていた。

 

「それでは、担当プロデューサーに話を通してきます」

 

 シンデレラプロジェクトの地下室を出て、そして――

 

 武内Pは足をとめた。

 

 さっきまで勝利の喜びを浮かべていた口元が引き締まる。その心情を、伊華雌はこの場所であった出来事と共に理解する。甘い誘惑を断って決別の言葉を投げてからちゃんと会っていない。ろくに言葉を交わしていない。その気まずさは、経験がなくとも容易に想像出来る。

 

〝トライアドとPCSの担当って……〟

 

 武内Pは、あの日の口論を思い出そうとするかのように目を閉じて――

 

「赤羽根さんです……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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