マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第5話

 

 

 

 346プロは〝346プロライブ劇場(シアター)〟という専用劇場をもっている。

 

 ライブハウスに毛のはえた程度の大きさで、美少女に毛のはえた程度のアイドルがステージにあがる。もちろん、テレビをつけるたびに目が合うようなベテランアイドルが登壇(とうだん)することもあるが、まだ知名度の低い新人アイドルのステージが圧倒的に多い。

 

 それもそのはずで、この劇場は新人育成施設として作られている。

 

 アイドルにとってライブとはすなわち〝実戦〟であって、どんなにレッスンを重ねたところでライブの〝勘〟を養うことは出来ない。訓練に明け暮れた新兵が実戦の部隊ではまるで役に立たないように、レッスン中毒の新人アイドルはしかし観客を前にした舞台では産まれたばかりの仔馬よろしく足を震わせるばかりである。

 

 一人前のアイドルになるには実戦経験が必要なのだ。

 そのための346プロライブ劇場である。

 

「前川さんと多田さんからソロデビューの意思表示をいただきました。劇場でのソロデビューに向けて準備を――」

 

 第一芸能課の事務室に乾いた音が響いた。それは間島(まじま)Pが机を叩いた音であり、予期せぬ感動を受けて頭より先に体が反応した結果であって――

 

「すごいじゃないか武内君! もっと時間がかかるものだと思っていたよ! だってあの二人、臆病なくせに強情だから!」

 

 スーツ越しにはっきりと存在を確認できる立派な大胸筋が笑みに合わせて躍動している。

 先輩に褒められた武内Pは、口元を緩め首の後ろへ手を伸ばす。それはとても控えめな仕草で、嬉しくて照れているのだと見て取ることができるのは伊華雌(いけめん)と佐久間まゆに限られるのかもしれないが、武内Pは表情に出してしまうくらい先輩からの賞賛を喜んでいた。

 

「それで、何か相談があるんだろ? 何でも聞いてくれ!」

 

 〝体操のお兄さん〟という形容詞がぴったりな間島Pだが、彼は346のトッププロデューサーである。決して脳筋(のうきん)なわけじゃない。武内Pの顔を見ただけで何か悩みがあるのだと見抜き、頼れる先輩の笑みで助け船を出す。

 

「実は、二人のソロ曲のことでご相談が……」

 

 346プロではデビューする新人に必ずソロ曲を用意する決まりになっている。先輩の曲や有名な曲のカバーではない。そのアイドルのために書き下ろされた新曲を武器として用意してもらえる。使いこなせば先輩アイドルと互角以上に渡り合える最高の武器を装備させてもらえる。

 

「自分は、前川さんと多田さんについて、間島さんほど深く理解できていません。なので、どんな曲を用意したらよいのか、アドバイスをいただきたく……」

 

 ソロデビューが成功するかどうかはソロ曲の良し悪しにかかっている。ここで言う〝良し悪し〟とは曲の出来栄えのことではない。プロに制作を依頼するわけだから曲の完成度についてそれほど心配する必要はない。じゃあ何が心配なのかと言うと――

 

 その曲が、果たしてアイドルの〝イメージ〟に合っているのかどうか?

 

 ソロ曲はアイドルの自己紹介を兼ねている。どんなアイドルになりたいのか、どんなキャラクターなのか、歌に乗せて伝えるという大役を担っている。

 

 ――だから、慎重にならざるをえない。

 

 イメージに合わない曲をアイドルに渡すのは、凄腕のスナイパーに輪ゴムの鉄砲を渡すようなものであり、それで成果を期待できるわけがない。

 ソロ曲制作はアイドル生命に関わる重要な仕事であり、それを指揮するプロデューサーの責任は重大なのである。

 

 だから、間島Pに助言を求めた。

 二人を育てた彼の協力があれば最高の曲を用意することができると思った。

 

 しかし――

 

「みくと李衣菜のソロ曲について、武内君に言うべきことは何もない」

 

 伊華雌は耳を疑った。いつもの笑顔で協力してくれると思っていた。まさか断られるとは思ってなかった。

 

「それは、どうして、ですか……?」

 

 普段以上の仏頂面が武内Pの心情を訴えていた。伊華雌も同じ気持ちだった。急に冷たく突き放されて納得できなかった。

 

 間島Pはしばらく武内Pの無愛想な視線を受けとめていた。

 そして、急に笑みを浮かべた。

 それはまるで、ドッキリをばらす仕掛人の笑みで――

 

「だって、二人の曲は、もう準備してあるから!」

 

〝……へ?〟

 

 その間抜けな声が自分のものだと理解するのに少し時間が必要だった。

 何を言われてもすぐに状況を理解して意見を述べる武内Pもさすがに混乱したようで、しばらく呆然としていた。

 

「……つまり、すでに楽曲制作は完了している、ということでしょうか?」

 

 白い歯を見せて笑う間島Pが机の引き出しから二枚のCDを取り出した。

 

「まあ、聞いてみてくれ。仮歌(かりうた)も入ってる」

 

 伊華雌は曲を聞きながら混乱する頭を整理する。

 ソロデビューが決まったアイドルは、そのアイドルのイメージに合ったソロ曲を武器に芸能界へ殴りこみをかける。つまり、アイドルをソロデビューさせるプロデューサーが真っ先に着手すべきはソロ曲の作成であると、武内Pから教えられたばかりなのだが――

 

 曲はすでに完成している。

 

 しかも聞いてみると相当に出来の良い曲だった。伊華雌は音楽について素人であるから、専門知識抜きの純粋な〝ファンの視点〟でしか曲を聴けないから、だからこそこれは良い曲なのだと断言できた。これを聞いたファンは今の自分と同じ気持ちになってくれるだろうと確信できた。

 

「これが、俺のやり方なんだ」

 

 曲が終わるなり間島Pが語り出した。気恥ずかしいのか、いつもより控え目な笑みを浮かべ――

 

「俺は、担当を引き受けた時点でソロ曲の制作に着手する。みくと李衣菜の曲はとっくに完成していた」

 

 それが何を意味するのか、伊華雌にはピンとこない。それが〝常識から外れた行為〟であると察することができたのは、武内Pが目を見開いて半口を開けていたからである。その表情を伊華雌は〝相手の正気を疑っている表情(かお)〟であると判断し、どうやらその予想は的中しているようであり――

 

「……お言葉ですが、あまりにもリスクが大きいプロデュースだと思います。確かに、早いうちに着手した方が時間をかけて楽曲を制作できるのでクオリティの向上が期待できますが、担当したアイドルが必ずソロデビューできるかどうか分かりません。もし、ソロデビューに至らず挫折してしまったら、その経費は完全に無駄になります」

 

 武内Pの言葉を聞いて伊華雌はようやく理解する。

 担当になったばかりでソロデビューできるかどうか分からない新人アイドルのソロ曲を制作してしまうのは、結婚するかどうか分からない娘のためにウェディングドレスを作ってしまう父親のようなものである。娘が結婚しなかったら〝何故ドレスなんか作ったんだ!〟と嫁に殴られても文句が言えないように、担当アイドルがソロデビューに至らなかった場合それなりの〝処分〟を覚悟しなくてはならない。

 

「武内君の言うとおりだ。多額の経費で楽曲を作り、しかしデビューに至らなければその経費は無駄になる。責任を追求されてプロデューサーという職務から外されるかもしれない」

 

 伊華雌は武内Pの指摘した〝リスク〟の意味を理解して、そして理解できなかった。

 つまり間島Pは346プロのトッププロデューサーという地位にありながら、新人アイドルを担当するたびに己のプロデューサー生命をかけてソロ曲の制作に着手しているということになる。

 何故、そんな危険を――

 

「これが俺のやり方なんだ」

 

 間島Pの視線が壁を飾るポスターへ向けられる。これまでプロデュースしてきたアイドル達と視線を交わし――

 

「アイドル達は、俺にその魂を預けてくれる。そのアイドル生命を俺のプロデュースに託してくれる。だから俺も――」

 

 自分のプロデューサー生命をかけて本気でプロデュースをする!

 

「彼女達の本気に応えたいと思ったら、こっちも本気にならなきゃ駄目だ。俺がリスクをかぶることでアイドルに最高の曲を用意できるなら、俺は迷わない……ッ!」

 

 右手に〝自信〟を、左手に〝覚悟〟を握る間島Pを格好いいと思うと同時に、とても真似できないと思う。

 

 ――いや、真似してはいけないと思う。

 

 アイドルと同じリスクを背負うプロデュースは、間島Pだからできるのであって、彼以外の人間がやろうと思って出来る代物ではないのだ。

 

「――というわけで、みくと李衣菜にはすでにソロ曲の用意がある。これで二人を一人前のアイドルにしてやってくれ!」

 

 差し出されたCDを、武内Pは国宝でも貰い受けるかのような慎重な手つきで受け取った。受け取ったのはCDだけではないと思った。そこに込められた間島Pの〝本気〟も一緒に受け取ったのだ。

 

「必ず、二人のソロデビューを成功させてみせます!」

 

 真剣な表情で宣言する武内Pに、何故だろう、伊華雌は違和感を覚える。何が違うのか、説明することは出来ないのだけど、その真剣な横顔に得体の知れぬ危機感を覚えた。

 

 ――いや、こんなにやる気になってるんだから、何も気にすることはないはずだ……。

 

 伊華雌は自分に言い聞かせ、正体の分からない不安を振り払った。

 

「さて、みくと李衣菜のことは武内君に任せて、俺は自分の仕事に取りかかろう……」

 

 おもむろに立ち上がった間島Pが首に手をかける。相手を威嚇する喧嘩師のようにグキリゴキリと間接を鳴らし、洗練された足の運びで音を立てずに部屋のすみにあるロッカーに近づいて――

 

「俺は、担当を引き受けた時点で絶対にソロデビューさせてやると決めている。全員の曲を用意している。だから――」

 

 ロッカーの前で足をとめ、立てこもる犯人を怒鳴り付ける刑事のように――

 

「安心してレッスンに励んでいいんだぞっ、杏!」

 

 ガタンと、音がした。

 

 犯した失態は致命的で、再び息を殺して気配を消したところで間島Pはすでに獲物を狙う猛禽(もうきん)の目を光らせて――

 

 バコンという音と共にロッカーのドアが開かれた。

 おびただしい数のクッションが床に転がって、その中に双葉杏の姿があった。

 

 ロッカーに潜んでまでレッスンをさぼろうとする杏に、伊華雌はもはや呆れるを通り越して感動を覚えた。そして木の中に潜む芋虫をピンポイントで察知して補食するキツツキのように杏の居場所を見抜いて引きずり出した間島Pはやはりただ者ではないと思った。

 

「……えっと、これは、その」

 

 きっと杏は、小学生並の言い訳をぶっ放してドヤ顔を披露するつもりだったのだろう。

 しかし彼女の(たくら)みは成就しない。

 次の瞬間には間島Pの肩に担がれ、レッスンスタジオへ向けて出発進行していた。

 

「さあ、楽しいレッスンの時間だ!」

 

 問答無用の筋肉魔人に、杏は捕獲された野生動物が断末魔の悲鳴をあげるかのように――

 

「鬼っ! 悪魔っ! プロデューサーぁぁああ――ッ!」

 

 杏を担いで事務室から出ていくたくましい背中を見つめる武内Pの視線に熱があった。どこかで見たような視線だった。それはとても尊い光景で――

 

 あっ、みく&ナナだ!

 

 メルヘンチェンジで菜々を見つめるみくが同じ目をしていた。この熱い眼差しは――

 

 尊敬する先輩に対する憧れ。

 

 こんな風になりたいと思う憧れの人を見つめる時、その視線には熱がこもる。きっと木村夏樹を見つめる李衣菜も同じような視線を作るのではないかと伊華雌は思った。

 

〝先輩の期待に応えてやろうぜ、武ちゃん!〟

 

「ええ、もちろんですッ!」

 

 いつも以上に気合いの入った返事だった。気合い充分――なのはもちろん素晴らしいことであるはずなのだが、またしても得体の知れない不安な気持ちがこみ上げた。それは妙な違和感を伴っていた。行き先の違う電車に乗ってしまった時に生じる〝焦り〟が伊華雌の胸を焦がすが、しかしその正体が何なのか見当がつかない。

 

 それはたちの悪いガン細胞のようなものだった。生活に支障のない程度の違和感で悪しき存在を隠匿(いんとく)していた。早期に発見できれば駆除も容易だが、末期的に育ってしまうと取り返しのつかないことになる。

 

 ――武内Pを密かに蝕んでいるものが何なのか?

 

 それは決して放置してはいけない悪性腫瘍であるのだが、伊華雌はそれについて考えることをやめてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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