「シンデレラプロジェクト担当プロデューサーの武内です」
武内Pが名刺をテーブルの上に置く。対面に座るみくと李衣菜の前に一枚づつ。
「……みくは、納得してないから」
制服姿でメガネをかけているみくが、大嫌いな教師を睨む女子高生のように武内Pを睨む。長い八重歯が下唇を噛んでおり、その唇をわなわなと震わせて――
「なんで、第一芸能課からシンデレラプロジェクトへいかなきゃなんないの? 菜々ちゃんとのユニット、調子いいのに、何で!」
尻尾を踏まれた猫の剣幕で声を荒げるみくに李衣菜も同調して――
「わたしも、なつきちとのユニット、最高にロックで絶好調なのに、よりによってシンデレラプロジェクトへ異動なんて、わけわかんないっ!」
李衣菜は意思表示とばかりにそっぽを向いてセーラー服のスカーフを揺らす。
みくもそっぽを向いて李衣菜と武内Pにピンと張った背中を見せる。
――これが、シンデレラプロジェクトの現状だった。
状況はまるで改善していない。はびこる悪評によってプロデュース対象のアイドルから仲良くそっぽを向かれる状態からのプロデュースを要求される。
またこの展開か……。
いや、何で泣きそうなんだよ! そろそろ慣れようぜこの展開!
武内Pは、伊華雌しか分からないぐらいの表情の変化で、……いや、伊華雌と佐久間まゆにしか分からないぐらいの表情の変化で最大限の哀しさを表現していた。
つまり一般人からすれば普段と変わらぬ仏頂面であり、だからみくと李衣菜は容赦しない――
「みく、第一芸能課に戻してほしい。これからもみく&ナナで活動したい!」
「なつきちとロック・ザ・ビートで最高にロックなアイドルしてるのに、何で……」
どうやら、間島Pは話をしていないようだった。そのユニット活動は二人の未来を保証してくれないのだと、説明するタイミングも含めて武内Pに任されているようだった。
きちんと説明をするべきかどうか、その判断は難しいと伊華雌は思う。
それはまるで〝
「みくちゃん、プロデューサーさんを困らせちゃダメですよっ」
ずっと下唇を噛んでいたみくの八重歯が、すっと抜けて笑顔を彩るチャームポイントになって光る。テーブルに立ち込めていた不穏な空気を吹き晴らしたのは、ウサミミをつけた小さなメイドで――
「メイドアイドル安部菜々、怪人プンスカーデスの気配を感じて参上しましたっ!」
馴れた仕草で〝キャハ☆〟を決めたウサミンは、聞き分けのない子供を叱る母親の顔で――
「みくちゃん、そのことは話し合ったじゃないですか。プロデューサーさんの話を聞いて、それでも納得できなかったら菜々に相談してくださいって」
みくは耳をたたむ猫のように弱気な顔で菜々から視線をそらして――
「……そうだけど、いざとなったらやっぱり納得できないっていうか。だって、やっぱり――ッ!」
勢いをつけて菜々の方を向いたみくの頭に――
猫耳。
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。間島プロデューサーも武内プロデューサーも、ちゃんとみくちゃんと李衣菜ちゃんのことを考えているんですから、ね?」
みくは菜々につけられた猫耳をさわり、猫口に笑みを浮かべて――
「……分かったにゃ。菜々ちゃんの言うとおりにするにゃ。……にゃっ! くすぐったいにゃ!」
ウサミンからよしよしいい子だねと頭を撫でられるみくにゃんを見て尊いとか思う俺はもうダメかもしれない。
突如ラノベの長文タイトルみたいな思考が頭をよぎってしまうほどに微笑ましい光景だった。伊華雌はたまらず尊みを感じていた。みく&ナナの展開する二人だけの世界に李衣菜がじと目をつくっていた。
おーい、誰かなつきちを呼んできてくれーい。そしたらだりーも尊くなって世界に平和がおとずれるぞーい。
伊華雌がみく&ナナの尊さにあてられてIQを低下させている間にみくは吹っ切れた。魚を見つけた猫のように、ハンバーグを見つけたみくにゃんのように、目を光らせて――
「とりあえず、詳しい話を聞かせてもらうにゃ。話はそれからにゃ」
武内Pはみくに頷き、李衣菜の方へ向き直って――
「多田さんも、話を聞いてもらえますか?」
李衣菜はミュージシャンめいた仕草で肩をすくませて――
「別にわたしは最初から話を聞くつもりでしたよ。みくちゃんみたいに駄々をこねるつもりはありませんから」
「だーれーがー駄々をこねてたにゃ!」
みくが立ち上がり机を叩いた。
李衣菜は明後日の方向を向いて――
「第一芸能課に戻してほしいーって騒いでたじゃん」
「それは李衣菜ちゃんも同じだと思うけど!」
「わたしは納得がいかないから理由を知りたいってだけで、戻してくれなんて言ってないし」
「言ってないだけで思ってるにゃ」
「はあ! 何でそんなことみくちゃんに分かるの!」
「顔に書いてあるにゃ」
「書いてないし!」
「書いてあるにゃ!」
「書いて――」
「ふーたーりーとーも!」
睨み合うみくと李衣菜の間に菜々が割って入った。
「もうっ、喧嘩しないでください。ほらっ、武内プロデューサーさん困ってますからっ」
二人に取り残された武内Pはやり場のない右手で首の後ろを触っていた。
「二人はいつもこんな感じなんですよ。仲良く喧嘩してるんです」
菜々の弁解に、しかしみくは納得しない。爪を立てて引き裂くような鋭い語気で――
「菜々ちゃん! みくと李衣菜ちゃんは、仲が悪くて喧嘩してるの! ネコチャンとペットボトルみたいにどうしようもない関係にゃ!」
負けじと李衣菜も過激なヘビィメタルのMCみたいに――
「そうだよ菜々さん! わたしとみくちゃんは激しいロックと退屈なクラシックぐらい相性が悪いんだからっ!」
菜々へ向けられていた二人の視線が、ゆっくりとお互いの方へ向けられて、その交点でバチリと火花を散らしてすぐにそらされた。
みくと李衣菜がお互いに背中を向けて、その中心にいる武内Pが石像のように硬直している。どうしていいのか分からない様子の武内Pに、無理もないと伊華雌は思う。だって伊華雌も、何を言っていいのか分からなかったから。
こんなにあからさまにアイドルが喧嘩をしているのを見るのは初めてだった。
伊華雌が見てきたアイドルは、ステージの上で活躍している姿がほとんどである。仮に仲が悪くとも、ステージでは親しげに振る舞って見せるから喧嘩する姿なんて見られない。仮に喧嘩をしたとしても、それは台本のあるプロレスであってきちんとオチがつく。
マイクになって舞台裏のアイドルを見る機会に恵まれたが、本気で喧嘩してるところなんて見たことがない。シンデレラプロジェクトで担当した佐久間まゆと市原仁奈は、どちらも温厚なタイプで他人と喧嘩するようなタイプではなかった。
みくと李衣菜は、どちらも気が強くて、気性が荒くて、例えるなら扱いの難しい暴れ馬のような印象だった。
――あれ、もしかして今回のプロデュース、今までより難易度高いような……。
それは一つの直感だった。あらゆるゲームをやりこんでいるゲーマーが序盤で最終面の難易度を感じとって姿勢を正すように、シンデレラプロジェクトのベテランマイクである伊華雌は、腕を組んで背を向けるみくと李衣菜から過去最高難易度のプロデュースがスタートしてしまったのではないかという予感に
その感覚が
〝武ちゃん、とりあえず顔合わせはすんだことだし、二人を事務室へ案内しようぜ。今日はまゆちゃんがいると思うから、菜々さんの代わりに二人をなだめてくれるだろうし〟
武内Pは頷いて、二人に声をかけた。菜々に手を振られてメルヘンチェンジを後にした。
――事務所、佐久間まゆ。
伊華雌の中で何かが引っ掛かった。このキーワードを見逃してはいけないと思うのだが、はて、何だろう……?
それは遠くで聞こえるサイレンのような危機感で、その
――すでに手遅れであることが多い。
「ここが、シンデレラプロジェクトの事務室になります」
二人を地下室に案内した武内Pが、ドアノブに手をかける。
「すごい、不気味にゃあ……」
「ある意味、ロックだね……」
シンデレラプロジェクトを信頼してもらうには、武内Pの真面目なところを見てもらわなくてはならない。アイドルのプロデュースに関して誰よりも真面目に取り組んでいる部署であると、担当プロデューサーの真剣な横顔から感じ取ってもらわなければならない。だから最初は、ふざけて遊んでいるところとか絶対に――
――まゆ、仁奈、ままごと、パパ。
伊華雌の中で曖昧なキーワードとして浮遊していた記憶が結合された。パズルのピースが正しい場所に収まって意味のある光景を形成するように、遠くで聞こえていたサイレンが、その音色の正体が――
〝武ちゃん! ドアを開けちゃダメだッ!〟
――気付いた時には、手遅れだった。
事務所のドアを開けた武内Pを、見上げた仁奈が目を輝かせて――
「パパ!」
そしてエプロン姿のまゆが――
「おかえりなさい、あなた」
みくは全身の毛をぶち抜かれた猫の
そして伊華雌は、大切な人の猫とギターを同時に踏んづけて途方に暮れる感覚を発見していた。