なぜ、アイドルになろうと思ったのか?
その質問に対して明白な回答を持っているアイドルは意外にも少ない。そもそも〝アイドルになる〟という行為自体が理由を必要としない強い魅力を持っているので、特別な理由など無かったりするのだが――
市原仁奈は、アイドル活動に対して明確な理由をもっていた。
――仁奈、ママを笑顔にしてーんです!
仁奈はずっと気になっていたのだと言う。いつも忙しそうな母親が、笑顔を忘れていることを。
そして、悩んでいた。
笑顔になってもらうには、どうすればいいか?
そんな時、出会った。
学校から帰宅して一人で食べる夕御飯。寂しい食卓の話し相手であるTV画面の中に346プロのアイドルがいた。彼女は他の人を笑顔にして、自分も笑顔になって、いつの間にか仁奈も笑顔になっていた。
これだ、と思った。
一人で夕御飯を食べる自分を笑顔にしてしまうのだ。
いつも忙しそうな母親だって、きっと――
そして仁奈はアイドルになった。
全ては、母親を笑顔にするために。
その話を聞いた時、
アイドルをやめることになっても、せめてその願いを叶えてあげたいと。小さな女の子の健気な願いを成就させて、笑顔で346プロを去ってほしいと思った。
この企画はつまり、市原仁奈が笑顔でアイドルを辞められるように支援する企画であって、建設的で無いと言われれば反論の余地は無いのだが、第三芸能課の
同じ〝辞める〟にしても最後に笑顔なのかどうかで他の子に対する影響も変わるし、それよりなにより――
俺も市原さんに笑顔になって欲しい!
そして、仁奈の願いは叶えられた。
パレードを見た仁奈の母親は、最高の笑顔になってくれた。
そして――
* * *
「今、市原さんのお母様が来てるって。ロビーの応接スペースで待ってもらってるって」
パレードの翌日、内線電話をうけたちひろに言われて武内Pは顔を強張らせた。伊華雌も顔を強張らせる感覚を思い出した。
そのまま、うやむやにならないかなと期待していた。なし崩し的にアイドル活動を継続できないかと期待したのだが、どうやら現実も仁奈の母親も甘くはないらしい。
「待って」
沈痛な面持ちでドアに手をかける武内Pに、ちひろが近付いて――
「怖い顔してるよ武内君。きっと大丈夫だから、ね?」
武内Pを心配したちひろの笑みはまるでエナジードリンクで、武内Pの表情が少しだけ穏やかになった。それは伊華雌も同様で、ネトゲのヒーラーよろしく気力を回復してくれたちひろに感謝した。
そして、向かう。
地下室の階段を上がり、エレベーターでロビーへ向かい、受付嬢に案内されて応接スペースへ。
時間はまだ夕方だが、ガラス張りのロビーから見える外の景色はすっかり暗くなっている。道行く人はコートやダウンを羽織っており、仁奈の母親もコート姿で武内Pを待っていた。
「先日は、お世話になりました」
仁奈の母親に頭を下げられ、武内Pも直立不動の姿勢を作って頭を下げた。応接スペースの椅子をすすめて、テーブルを挟み向かい合うように座った。
「仁奈の、アイドル活動についてなのですが……」
いきなり、切り込まれた。本日はお日柄もよく、みたいな社交辞令を抜きにして本題が始まった。
「パレードの件、仁奈はとても喜んでくれました。仁奈を見た私が笑顔になって、それが嬉しいって……」
仁奈の母親は、過去を振り返り反省するかのように、苦笑しながら吐息をついて――
「アイドルとして舞台に立つ姿を見て欲しいというのは、てっきり、子供のワガママだと思っていました。だから、そんなワガママを言うならアイドルを辞めさせようと思いました。けど――」
子供なのは、私のほうでした。
仁奈の母親は、
「仁奈は、私の気持ちになってくれていました。私が、笑顔じゃないから、だから、アイドルをやって、私を笑顔にしようと……。私は、自分のことしか考えていませんでした。だから、仕事や家事の
仁奈の母親は、白くなるほど握りしめた手に決意を見せて――
「仁奈の気持ちになって、考えました。あの子にとって、何が必要なのか……」
そして向けられた笑顔を、伊華雌はきっと忘れない。
最初に会った時は
「あの子に必要なのは、あの子の気持ちになってくれる大人です」
仁奈の母親は、立ち上がり、頭を下げて――
「これからも、仁奈のことをよろしくお願いします」
それがどういうことなのか、すぐに理解できなかった。つまり、アイドル市原仁奈は、これからもアイドル市原仁奈のままで――
〝うぉぉおおっ、まじかぁぁああああ――ッ!〟
ほとんど諦めていただけに、その喜びは噴火する火山の爆発力を持って伊華雌の中を駆け回った。
「あの、よろしいの、ですか……?」
今にも首の後ろを触りそうな武内Pに、仁奈の母親が近づいた。その大きな瞳に、戸惑う武内Pの顔を映して――
「仁奈の気持ちになって考えた結論です。もちろん、346プロダクションさんに受け入れてもらえればの話ですが……」
仁奈の母親はやはり優秀な人で、だから覚えているのだろう。
――そもそも、仁奈はアイドルを続けられる状態になかったことを。
ライブで笑顔になれない彼女は、アイドル活動の継続が困難であると判断されてシンデレラプロジェクトの所属となった。母親がアイドル活動を許したところで、そのままの状態であればプロダクションに受け入れてもらえないのである。
「提案が、あります……」
――もしも、仁奈の母親がアイドル活動を許可してくれたら?
その想定に対する結論を、伊華雌と武内Pは用意していた。美城常務から仁奈のプロデュースを終了するように言われたあの日に、考えた。
仁奈の母親の気持ちになって――
「次回より、市原さんの出演するライブの映像を送付させていただきます。ライブ会場へ足を運んでいただかなくとも、市原さんのアイドル活動を見ていただけるようにします」
そして、仁奈の気持ちになって――
「その映像を見ていただき、笑顔になっていただければ、市原さんはアイドルとして問題なく活動できると思います」
だって仁奈は、母親の笑顔のためにアイドルをやっているのだから。
その目的が果たせなくて、笑顔を失っていたのだから。
「……どうして、そこまで」
多すぎる報酬に戸惑う貧民のような視線に、武内Pは一瞬のためらいもなく――
「笑顔です」
「……笑顔?」
武内Pは、その発明で世界を変えられると信じている発明家のように誇らしく――
「自分の、プロデュース方針なんです。アイドルの笑顔を一番に考えるプロデュースをしたいと自分は考えています」
「笑顔を……、一番に……」
仁奈の母親は、受け止めた言葉をゆっくりと飲み込んで、素直な気持ちを
「貴方になら、安心して仁奈を預けることが出来ます。仁奈のこと、よろしくお願いします……」
仁奈の母親は、小さく頭を下げて、武内Pをじっと見上げた。あまりにもたくさんの操作をされてフリーズしてしまったパソコンのようにぼーっとしながら、小さな声で――
「貴方みたいな人が、パパだったらよかったのに……」
それはもしかしたら、伊華雌にしか聞こえていなかったのかもしれない。ロビーを行き交う人々の話し声と足音にかき消されてしまうくらいの小さな声で、だから武内Pは無遠慮に――
「何か、言いましたか?」
仁奈の母親は急に顔を赤くして、最高速度で動く車のワイパーみたいに手を振って――
「あっ、いやっ、何でもないです! 何でもないからっ、そのっ、忘れてくださいっ!」
彼女は露骨にうろたえて、仕事があるからと言って逃げるようにロビーを駆け抜けた。出入り口に到着するまで人にぶつかりそうになっては頭を下げていた。その
〝ママぁぁああああ――ッ!〟
伊華雌は叫んだ。それは伊華雌の中に誕生した新しい性癖の産声であって、また一つ彼は〝紳士〟として成長したのだった。
「……自分は、また怒らせてしまったのでしょうか?」
仁奈の母親が立ち去ったロビーを呆然と眺め首の後ろを触っている相棒に、伊華雌はもはや感動すら覚えてしまう。
このままでいてほしい……。
都会の毒に染まっていない純真無垢な田舎娘を大事に思う父の心境で伊華雌は真実を語らない。仁奈ちゃんママからの好感度がMAXでワンチャン狙える状態であると、言っても信じないだろうし下手に教えてリア充になられても困るし……。
「あっ、いやがりました!」
仁奈の母親の好感度について考えていた伊華雌は、仁奈の声を聞くなり罪悪感で死にそうになった。
お母さんの好感度とか、どうしようもないこと考えてごめんよ仁奈ちゃん!
号泣する感覚と共に振り返った先には――
リトルマーチングバンドガールズ。
楽器こそ持ってないが、マーチングバンドの制服を着たキッズアイドル達がリーダーの佐々木千枝を先頭に行進する。ロビーを行き交うプロデューサーやアイドル達の足をその場に固定して、全ての視線を張った胸で受け止める。まるで一つの生き物のように息を合わせて行進する子供達はロビーの視線を独占し、行進の終着点へ向けて真っ直ぐ突き進む。
「ぜんたーい、とまれっ!」
ザッザ、という最後の
「まわれー、みぎっ!」
完璧なタイミングで、子供達が転回する。
横一列に並んでいた。
武内Pの前に、子供達が。
「仁奈、武内プロデューサーにお礼が言いてーんです」
仁奈が、一歩前に出る。
他のキッズアイドル達が視線で応援する。
「ママ、笑顔になってくれました。アイドル続けていいって、言ってくれました。全部、武内プロデューサーのおかげでごぜーます! だから――」
千枝が小さな声で「せーのっ」と合図を入れて、第三芸能課のキッズアイドル達が、声をそろえて――
「ありがとうございましたっ!」
子供達の声が、それに含まれた感謝の気持ちが、伊華雌の全身を貫いた。
――これが報酬、だと思った。
感謝の気持ちと共に送られた笑顔こそ、今回のプロデュースに対して支払われた報酬であり、子供達に全力で感謝されてたまらず微笑む武内Pの笑顔こそ、伊華雌にとって最高の報酬だった。
「みんな! 許可とるまで待ってくれって言ったのに!」
エレベーターから転がり落ちるように駆けてきた米内Pに、リトルマーチングバンドガールズが襲いかかる――
「だってせんせぇー、遅いんだもん!」
「そーだよプロデューサー! みりあ達、ずっと待ってたんだよ!」
「会社の中でやるんだから別にいいじゃない。パパだったらすぐにOKしてくれるのに」
「そうそう、ホームグラウンドなんだから別にいいじゃん」
「待ちくたびれてヒョウくん寝ちゃいました~」
「仕事が遅すぎます。子供だからといってバカにしないでください」
「ローズヒップティーもすっかり冷めてしまいましてよ」
「すみません、千枝、これ以上みんなを待たせておけませんでした」
総攻撃の締めくくりとばかりに、仁奈が米内Pを見上げて――
「仁奈、どーしても言いたかったんです。武内プロデューサーに、ありがとーごぜーますって!」
米内Pは、怒った顔を維持できなかった。苦笑して、頭の後ろをガリガリとかきながら――
「……そっか、分かった。分かったから、取りあえずみんな第三の事務室へ戻れ。ほら、人の邪魔になってるから」
キッズアイドル達は口々に文句を言いながらもエレベーターへ向かい歩きだした。
「まったく、あの子達は……」
武内Pの脇に立った米内Pは、嬉しそうに苦笑しながら――
「さっき、市原さんから聞いたよ。アイドル続けられるって」
米内Pの小さな手が、差し出された。
「武内君のおかげだ。俺からも礼を言わせて欲しい。武内君に、そして、シンデレラプロジェクトに!」
二人のプロデューサーが握手を交わした。第三芸能課の代表として、シンデレラプロジェクトの代表として、互いの健闘を讃えあった。
「シンデレラプロジェクト?」
男二人の世界に割って入ってきたのは、しかし男よりも〝男前〟なアイドルだった。
彼女はトレードマークであるリーゼントヘアをかき上げながら、西部劇のガンマンを思わせるワイルドな歩き方で近付いてくる。ホルスターから銃を抜くかわりに指鉄砲を作りその銃口を迷わせる。どっちがシンデレラプロジェクトのプロデューサーなんだい? とでも言いたげに。
「シンデレラプロジェクト担当の、武内です」
「へぇー、あんたが……」
そのアイドルが何者であるか、伊華雌はもちろん知っている。知っているからこそ意味が分からない。だって彼女は、人気絶頂のロックアイドルで、シンデレラプロジェクトには縁のなさそうな存在だから。
「菜々さん! この人、シンデレラプロジェクトのプロデューサーだって!」
ロックなアイドル――木村夏樹が振り返って呼んだのは小柄なアイドルで、伊華雌は不覚ながらすぐに人物特定できなかった。
だって、ウサミミじゃないから。
だって、メイド服じゃないから。
黄色のジャケットを着た小柄な女性とウサミン星からやって来たメイドヒロインが同一人物であると確信を持つのに時間がかかり、確信を持ったら持ったで意味が分からない。
安部菜々だって、電波系アイドルとして確固たる地位を築いている。シンデレラプロジェクトに所属するには人気アイドル過ぎると思う。
「美城常務から話、聞いてるかい?」
木村夏樹が首を傾げてピアスを揺らした。
「いえ、何も……」
首の後ろを触る武内Pを見て、夏樹は菜々へ視線を送る。
「実は、シンデレラプロジェクトさんのお世話になることが決まったんです」
普段の〝キャハ☆〟を封印したウサミンは妙に大人びてみえた。その真剣な横顔にシンデレラプロジェクトへの移籍はどうやら本決まりの案件なのだと思った。
まさかこの二人が……。
思う伊華雌に同調するかのように武内Pも戸惑いを隠さずに――
「木村さんと安部さんがシンデレラプロジェクトの所属になる、ということでしょうか?」
二人同時に首を振った。
そして、二人同時に――
「うちのだりーを、よろしく頼む」
「みくちゃんを、よろしくお願いします」
〝市原仁奈編〟終了になります。お付き合いいただき、まことにありがとうございますっ!
次回から〝前川みく・多田李衣菜編〟に突入します。ニャンとロックなお話になる予定です。猫岩石ッ!
なお、次回より〝ぷちますP〟こと間島Pが登場します。営業用のイケメンフェイスをかぶった状態の間島Pです。Pヘッドではないのでご安心くださいw