マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

17 / 86
 第2章 ― 市原仁奈を再プロデュース ―
 第1話


 

 

 

 市原仁奈は9歳のキッズアイドルである。〝子供〟といって差し支えのない彼女を迎えるにあたり武内Pは渋い顔をした。

 

 ――子供は、自分が苦手なんです。

 

 わかりづらい言い回しだが、つまり武内Pは〝市原仁奈に怖がられてしまうこと〟を恐れていた。

 たしかに、強面(こわもて)である。

 外見だけで〝恐い人〟と判断されてしまうかもしれない。

 

「自分は子供が好きなのに、手を振ると逃げていくんです。笑いかけると、泣き出してしまうんです……」

〝武ちゃん、涙ふけよ……〝

 

 伊華雌(いけめん)は、もちろん武内Pの気持ちに共感を覚えた。伊華雌も人間だった頃は、自分と子供の間に巨大な溝を感じて途方にくれたものである。

 

 女子の場合、伊華雌が笑いかけると喉の奥から悲鳴をもらし、防犯ブザーに手をかけた。

 

 ――そして迷わず起動した。

 

 おかげで伊華雌は防犯ブザーの種類に詳しくなってしまった。上位機種は警備会社と連動しており、ブザー発動と同時に警備会社の人間がスクーターでやってくる。ゴリラの擬人化に挑戦しました――みたいな感じのガチムチ警備員が鬼の形相(ぎょうそう)でやってくる。鳴り響く防犯ブザーの音をBGMに必死の逃走劇を繰り広げたあの日のことは今も忘れない。

 

 そして男子は、さらに厄介な相手だった。

 

 強面な武内Pと違い伊華雌はただ不細工なだけである。そこに〝恐怖〟という抑止力は存在せず、だから男子は面白がって襲ってきた。勝手に討伐クエストの対象にされて、モンスターハンターを気取るクソガキに追い回された。ガンランス使いを気取るクソガキの放った竜撃砲(りゅうげきほう)(右手に装備した三角コーンによる打突(だとつ))によってア○ル拡張された痛みは今も忘れない。

 

〝武ちゃん、全力を尽くそう。俺達の最高のおもてなしで仁奈ちゃんを笑顔にしてやろう!〝

「そうですね、最善を尽くしましょう!」

 

 かくして伊華雌と武内Pによる〝市原仁奈おもてなし大作戦〟が発動する。地下室特有の不気味な雰囲気を軽減すべくカラフルな壁紙を貼り付けた。保育園の部屋をめざし、動物の絵を随所にちりばめ、可愛らしいヌイグルミを設置した。

 

 そして当日――

 

 武内Pはネクタイの代わりに蝶ネクタイをしめて、最後の仕上げとばかりに佐久間まゆを配置した。武内Pの強面をまゆの可愛さで相殺(そうさい)する狙いである。

 

〝……完璧だぜ、武ちゃん。これならどんな子供だって一発で笑顔になるぜ!〝

「ええ。自分も、いけると思います!」

 

「プロデューサーさん、誰と話してるんですか……?」

 

 迂闊(うかつ)な会話を後悔するも、もう遅い。女の子らしく膝をそろえてソファに座った佐久間まゆが、上目遣いに武内Pを見つめている。かしげた首に、本気の不信感があらわれている。

 

「えっ……と、その……」

〝自分はいけてますか? って言ってごまかせ!〝

 

 武内Pは伊華雌のいう通りにした。

 するとまゆは、立ち上がって――

 

「蝶ネクタイ姿も、素敵ですよ。仁奈ちゃんのために頑張ってる姿も、素敵です。ただ――」

 

 こつ、こつ、こつ。

 

 地下室に乾いた足音が響いた。まゆの細い指が、武内Pの蝶ネクタイをつかんだ。

 

「ちょっとだけ、仁奈ちゃんがうらやましいなって……」

 

 優しく、蝶ネクタイを撫でる。その形を整えると、まゆは武内Pから一瞬も目を離すことなく〝じっ……〟と見つめて、微かな吐息に合わせ口だけで笑みをつくった。

 

 武内Pは呆然と立ち尽くしている。

 伊華雌も何を言っていいのか分からない。

 

「ふふっ、まゆは悪い子ですね。プロデューサーさんが困っているのに、まゆは……」

 

 階段をおりる足音が、まゆの作り出した空気を吹き飛ばした。

 何色? と訊かれたら迷わず〝ピンク!〟と叫びたくなる甘い空気は換気扇に吸い込まれて、一緒に〝()み〟も吸い込まれて、良い子な佐久間まゆが残った。彼女はソファに戻ると、模範的な笑みを浮かべて来客に備えた。

 

「みなさーん、お待たせしましたー! シンデレラプロジェクトの、新しいお友達ですよー」

 

 まるで保母さんのように振舞うちひろが連れてきた。

 袖を引く手に不安をみせて。

 涙ぐむ目に幼さを残し。

 

「よっ、よろしくおねげーするですよ……」

 

 市原仁奈が、ぺこりと頭をさげてウサギパーカーの耳を垂らした。

 

「上手に挨拶できましたね。ぱちぱちぱちー」

 

 保母さんモードのちひろが大袈裟に手を叩き、お前らも拍手しろと言わんばかりの目配せを武内Pとまゆに送る。仁奈のために必死になっているお姉さんなちひろを見て、伊華雌は反射的に思ってしまう。

 

 ――俺も甘やかしてもらいてぇぇええ――ッ!

 

 そして、今にも泣き出しそうな市原仁奈の純粋な瞳に貫かれ、己の薄汚い欲望を反省する。

 

 ――ってか、何で仁奈ちゃん泣きそうなんだ? 保育園のようにファンシーな部屋で、ちひろお姉さんが手を繋いでくれて、ソファーには愛くるしいまゆお姉さんがいて、正面には――

 

 殺し屋みたいな武内P。

 

 彼も、緊張していたのだろう。

 怖がられないだろうか? 泣かれないだろうか?

 そんな不安が緊張になって、ただでさえ恐い顔面が強張って、その結果(すご)みが増して――

 

 殺し屋が誕生した。

 

〝たっ、武ちゃん! すっげえ怖い顔してるよ! もっと笑って!〝 

 

 武内Pは、笑った。

 その笑顔は、ある意味では最高の笑顔だった。

 もし自分が仁侠(にんきょう)映画の監督であれば絶賛していた。

 それはまさに、獲物を見つけた殺し屋の冷笑(れいしょう)だったから……。

 

「ふぇっ……」

 

 涙の軍隊を出動させた仁奈がちひろのお尻に隠れた。ぺったりとちひろのお尻に張りついて泣きはじめた。タイトスカートをむっちりと圧迫する魅力的なお尻に!

 

 ――仁奈ちゃん、ちょっと俺と代わろうか?

 

 一瞬でもそんなことを考えてしまった伊華雌は己の欲望に嫌気がさして一緒に泣きたくなった。

 

「えっと、その、どうしたら……」

 

 首の後ろを触る武内Pも泣きそうだった。

 必死になだめるちひろの声は、しかし仁奈に届かなくて、まゆは困った顔で首をかしげている。

 

 シンデレラプロジェクトは全滅だった。

 誰も仁奈の涙をとめることが出来なかった。

 

 それを成し遂げたのは――

 

「仁奈ちゃん!」

 

 か細く、しかし強い意思を秘めた声。その声色(こわいろ)は仁奈の泣き顔を笑顔にする。

 

 ――佐々木千枝。

 

 リトルマーチングバンドガールズのリーダーが、黒い瞳を光らせて――

 

「仁奈ちゃんに何をしたんですか!」

 

 怒っている。か細い声が怒りに震えている。記憶の中ではいつも優しげな笑みを浮かべているはずの千枝が、震える怒りに唇を引き結んで武内Pを睨んでいる。

 

「そこのロリコンに何かされたに決まってるわ。だって見るからにロリコンだもん!」

 

 後方から強烈な援護射撃をぶちこんできたのは――

 

 ――的場梨沙。

 

 その横には結城晴がいて、龍崎薫がいて、赤城みりあが、古賀小春が――

 

 統率(とうそつ)のとれた軍隊のように隊列を組んだリトルマーチングバンドガールズが、一斉に武内Pを攻撃する。

 

「仁奈ちゃんをいじめるなー!」

「そうだそうだーっ!」

「ロリコンもいい加減にしないと小春のトカゲをけしかけるわよ!」

「ヒョウくんはトカゲじゃなくてイグアナですぅ~」

「どっちも似たようなもんでしょ! ほら、けしかけて!」

 

 小春が、肩に乗せていたイグアナを両手で持って、武内Pのほうへ向けた。

 

 ――効果は絶大だった。

 

 どうやら武内Pは幽霊と同じく爬虫類も苦手なようで、イグアナのヒョウくんに睨まれるなり顔を青くして後ずさった。

 

「いいわよ小春、その調子よ!」

「いけいけーっ!」

「やっつけちゃえーっ!」

 

 LMBGの歓声を背に受けて小春が前進する。両手にヒョウくんを抱き抱えて、眉を強めて武内Pを追い詰める。

 

 武内Pのライフは完全にゼロだった。

 

 仁奈に泣かれて、千枝に睨まれて、梨沙にロリコン扱いされて。その時点でオーバーキルされているのに、死体蹴りとばかりにヒョウくんをけしかけられた。

 

 ――お前ら、やりすぎだから! いい加減にしないと武ちゃん泣いちゃうからッ!

 

 かばいたくてもマイクの伊華雌は何もできない。ヒョウくんの眼圧(がんあつ)に怯む武内Pを見守り励ますことしかできない。

 イグアナの迫力に気圧(けお)されて顔面蒼白(がんめんそうはく)な武内Pを救ったのは――

 

「皆さん、ちょっと待ってください!」

 

 階段からおりてきた声は、知性とあどけなさを含んでいる。

 

「その人は、悪い人じゃありませんの」

 

 続く声は、気品とあどけなさを含んでいる。

 

 ――橘ありすと櫻井桃華。

 

 その後ろにいる人物をみるなり、第三芸能課のキッズアイドル達は口をそろえて――

 

「プロデューサー!」

 

 そのプロデューサーは、まるでスーツが似合っていない。その原因は――

 

 身長。

 

 子供達とあまり目線の変わらないプロデューサ――米内(よない)Pは、キッズアイドルを見回して、勢いよく手のひらを合わせてパチンと音を出した。

 

「ごめんっ! ちょっとごたごたしてて伝達がおくれた! 市原さんは、シンデレラプロジェクトに異動になったんだ!」

 

 つまり、子供達の早とちりだった。

 ちひろに連れ去られる仁奈を目撃した千枝が、他のメンバーに相談した。他の部署に聞き込みをかけてきたみりあが、ちひろはシンデレラプロジェクトの事務員であると報告する。

 

 シンデレラプロジェクトの悪評は、子供達の間にも定着していた。

 それこそ、昔話に出てくる地獄のような恐ろしい場所だと噂されていた。

 

 ――助けに、いきましょう。

 

 震える足を前に出したのは千枝だった。リーダーの勇気がLMBGのメンバーを奮い立たせた。

 

 ちょっと待ってください。まずはプロデューサーに事情を確認して――

 

 ありすの制止は無意味だった。ライブ直前を思わせる緊張と興奮に支配された子供達が、地獄へ向かって行進を始めてしまった。恐怖の地下室へ続く階段を降りていくと、恐ろしい地下室から仁奈の泣き声が聞こえてきた。鬼みたいに巨大な男性が首の後ろを触っていた。

 考えるより先に、声が出た――

 

 ――仁奈ちゃんに何をしたんですか!

 

 つまり、子供達の早とちりだった。

 仁奈が悪者に(さら)われたのだと心配した子供達が、なけなしの勇気を振り絞って武内Pをフルボッコにしたのだった。

 

「……あの、誤解して、ごめんなさい」

 

 千枝が、深く頭をさげた。他のメンバーも、頭を下げた。

 

「あの、お詫びにペロペロしましょうか?」

 

 古賀小春の発言に伊華雌は耳を疑った。

 

 お詫びにペロペロって、いや、だめでしょ! そんな成人向け漫画的発言をロリなあなたがしちゃうとか、ありがとうござ――じゃなくてダメでしょッ!

 イエス、ロリータ! ノー、ペロペロッ!

 

 伊華雌の卑猥な想像を、しかし小春は覆す。

 彼女はイグアナの頭を武内Pの方へ向けて――

 

「ヒョウくんぺろぺろ~」

 

 先の割れた爬虫類の舌が出入りした。

 武内Pは失神寸前の乙女みたいにふらついた。

 じっと見上げてくるヒョウくんの視線を遮ったのは的場梨沙だった。

 

「あんたそれご褒美でも何でもないわよ。いいからそのトカゲひっこめて」

「トカゲじゃなくてイグアナなのに~」

 

 小春が後ろにさがった。ヒョウくんの鋭い視線から解放された武内Pは、乱れていた呼吸を整え、乱れていたスーツも整え、改めて第三芸能課のキッズアイドル達を見据えて――

 

「シンデレラプロジェクトの武内です。市原さんは、自分が責任をもって担当しますので、ご安心くださ――」

 

「えー、なんでーっ!」

 

 龍崎薫が手をあげて主張する――

 

「仁奈ちゃん、かおる達と一緒じゃだめなの? 何で、シンデレラプロジェクトのせんせーのところへいっちゃうの!」

 

 不満顔の薫は、どうやら他のメンバーの気持ちを代弁したようで、武内Pを見上げるキッズアイドル達はみんな同じような顔をしていた。

 

 ただ一人、仁奈だけは力なくうつむいて――

 

「きっと、仁奈のせいでごぜーます。仁奈がライブで、笑顔になれねーから……」

 

「そんなことっ」

 

 千枝がかぶりを振りながら近づく。仁奈の小さな肩を掴んで、ちょっと調子が悪かっただけ、次はきっとうまくいくからと、励ましの言葉で仁奈の笑顔を取り戻そうとする。他のメンバーも仁奈を囲んで励ますが――

 

 実際、仁奈の言葉が正解だった。

 彼女は、LMBGのライブで失敗を繰り返し、美城常務から戦力外通告を突きつけられていた。

 

「あー、みんな、ちょっと聞いてくれ!」

 

 米内Pが咳払いをした。集めた視線を、和らげようとするかのようにわざとらしく笑って――

 

「実のところ、市原さんの言う通りなんだ。ほら、市原さん、最近のライブで調子悪いだろ? だから――」

 

「じゃあ!」

 

 千枝の声は、複雑な感情をはらんでいる。その細い声に、焦燥(しょうそう)と苛立ちと、そして何よりもリーダーとしての責任感を含ませて――

 

「千枝が、もっと頑張りますから! 次のライブでは上手くできるように、千枝が……」

 

 生の感情をぶつけられて、しかし米内Pは表情を変えない。子供の扱いに()けた保父(ほふ)さんのように優しげな笑みを崩さずに――

 

「まあ、最後まで話を聞いてくれ。別に、佐々木さんがどうこうってわけじゃないから」

「でも、千枝は、リーダーだから……」

「それを言うなら俺は担当プロデューサーだぞ? 誰かに責任があるってんなら、俺の責任になるだろ?」

 

「そうですね、その通りです」

 

 研ぎ澄まされたナイフのような言葉が米内Pを貫いた。千枝の後ろから現れたのは、タブレット端末を片手に持った――

 

 橘ありす。

 

「どうして仁奈さんが悪名高いシンデレラプロジェクトにいかなくてはならないのか、納得のいく説明をお願いします」

 

 言葉遣いは丁寧だが、その内容は辛辣だった。シンデレラプロジェクトを当たり前のようにこきおろされて、伊華雌は涙目になる感覚を思い出した。

 見ると、武内Pも悲しそうに目を細めている。

 

 しかし米内Pは笑みを崩さない。橘ありすの無遠慮(ぶえんりょ)な言葉に屈するどころか、好戦的に眉を強めて――

 

「橘さんはシンデレラプロジェクトについて誤解してるな。得意のネットで間違った情報を仕入れちゃったんじゃないかな?」

 

「なっ!」

 

 ありすの無表情が崩れた。彼女は右手に抱えたタブレット端末を握りしめて――

 

「間違ってません! シンデレラプロジェクトは、二度と戻ってこれないアイドルの墓場だって、みんな言ってます!」

「みんなって?」

「み、みんなはみんなです! あの、赤城さんとか……」

 

 ありすが援護射撃を求めた。

 みりあは熱心に頷いて――

 

「あのねー、みんな言ってたんだよ。みくちゃんとか、李衣菜ちゃんとか、杏ちゃんとか。杏ちゃんは、むしろ行きたいっていってたよ。引退に一番近い部署だって」

 

 ありすの口が、双葉杏を彷彿(ほうふつ)とさせるドヤ顔をつくる。裁判で有利な証言を足がかりにまくしたてる弁護士のように――

 

「ほら! 根拠のある情報なんです。シンデレラプロジェクトに対する悪評は!」

 

 フンスと鼻息を荒げるありすに、米内Pが説明する。シンデレラプロジェクトは、調子の悪いアイドルを復活させる病院のような部署であると。

 

「……じゃあ、仁奈ちゃんは、戻ってくるんですよね?」

 

 千枝の視線を受け取った米内Pは、それを武内Pへ渡すように――

 

「――と、聞かれているけど、どうかな?」

 

 子供達の視線が武内Pへ集中する。不審者扱いされた時のそれとは違う、子供特有の〝純粋な期待を込めた視線〟を受け取って、武内Pは決意表明とばかりに――

 

「市原さんは、必ずリトルマーチングバンドガールズに復帰させてみせます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。