恋する乙女は美しい、という言葉がある。
詩人の
――そう、佐久間まゆのように。
佐久間まゆの魅力は、恋する乙女の美しさである。彼女は誰かを愛することで、ただの美少女から〝数万のファンを魅了するアイドル〟へ変貌する。
彼女がアイドルでいるためには、誰かを愛する必要がある。
誰かを愛せなくなってしまうと、魔法を失い灰かぶりに戻ってしまう。
――赤羽根Pの時が、そうだった。
最初こそ自分を見てくれていた赤羽根Pが、だんだんと離れていく。彼の視線は他のアイドルへ向けられて、まゆの恋心は冷めてしまう。レッスンに熱が入らなくなり、ステージで失敗してしまう。ハッピープリンセスのメンバーがフォローしてくれたが、彼女達ではまゆを励ますことは出来ても、再び魔法をかけることは出来ない。
まゆに魔法をかけることができるのは――
赤羽根P。
唯一まゆをスカウトしたプロデューサーだけが、彼女を復活させる魔法を持っていた。しかし赤羽根Pはそれに気付かない。佐久間まゆにアイドルの資質は無かったのだと、優しい笑みで切り捨てた。
「みなさん。今日は、まゆのために、ありがとうございます」
ステージの上でまゆが手を振った。引退が
「まゆは、元気ですっ!」
わあっと、歓声が弾ける。それを笑顔で受けとって、手を振りながらステージを降りる。そして、舞台裏でまゆを見守っていた武内Pの元へ――
「まゆ、調子を取り戻したみたいだな」
声をかけたのは、武内Pではなかった。
赤羽根Pが、優しげな笑みを向けていた。
「これなら、ハッピープリンセスに戻ってもらいたいくらいだ」
その笑顔が、誘っていた。うちに戻ってこないかと。シンデレラプロジェクトよりも将来有望なプロジェクトクローネへ。
〝武ちゃん、いいのかよ! あいつ、まゆちゃんを横取りするつもりだぞッ!〟
騒ぎ立てる
「……ごめんなさい」
まゆが、綺麗なお辞儀をした。どこか見覚えのある仕草だった。
「まゆ、今は、武内プロデューサーさんのアイドルですから……」
その微笑みに、思い出す。
初めてまゆと対面したとき。346プロ本社ビルのカフェで、まゆは同じ仕草を武内Pへ向けていた。よそよそしい笑顔と、綺麗なお辞儀。
「あぁ、うん、そうだな……」
赤羽根Pは、深追いをしない。まゆの仕草から心変わりをさとったのか、イケメンの見本みたいな笑顔でまゆを見送った。
しかしまゆは、赤羽根Pを見ていない。
まゆはひたすらに、武内Pを見つめて――
「まゆのステージ、どうでしたか? ちゃんと、見てくれましたよね……」
武内Pは、真剣な顔で――
「とても、良かったです。最高のライブでした」
するとまゆは、見つめる視線にこれでもかと露骨な愛情を詰め込んで――
「うれしいっ! まゆ、プロデューサーさんのために頑張ったんです……」
二人のやりとりは甘かった。甘々だった。過大なまゆの愛情に、しかし武内Pは気付いていないというすれ違いなイチャコラであるが、それでも充分甘かった。
そんな甘いやりとりを、許せぬ女がここに一人。
――千川ちひろ。
まゆが来てから彼女は機嫌が悪かった。堂々と武内Pに甘えるまゆを目撃しては、ヤフオクで競り負けて悶絶する人のような顔をしていた。自分のやり方がいかに生ぬるかったか反省して後悔している、ように見えた。千川ちひろの中で何かの封印が解かれつつある、ような気がした。
――それはしかし、伊華雌の気のせいではなかった。
彼女を自制していた封印は、間もなく崩壊することになる……。
* * *
それは、ライブ翌日のことだった。
「まゆ、ご褒美がほしいです……」
シンデレラプロジェクトの地下室。武内Pと二人っきりの密室でまゆが切り出した。
「ご褒美、ですか……?」
「はい」
首の後ろをさわる武内Pへ、まゆは自分の頭を差し出した。
何をすればいいのか、さすがに分かるだろうと思って何も言わなかったが、武内Pは困った顔で伊華雌を見て助けを求めた。
〝
武内Pは、恐るおそるといった手つきでまゆの頭に手をのせた。
「あっ……」
武内Pのごつい指が、まゆの髪をかきわける。柔らかくさらさらと逃げる髪の毛を優しく撫でられて、まゆはうっとりと――
「プロデューサーさんの……、とても太くて……、硬くて……、男らしくて……」
伊華雌だけが、気付いていた。うわー、まゆちゃんの台詞なんかエロいなー。R18に脳内変換余裕だなー。あの人に聞かれたら誤解をとくのが大変だなー。
――そして、あの人に聞かれていた。
気配を察してドアの前で踏みとどまり、聞き耳を立てていたのだろう。
事件現場に踏み込む機動隊の剣幕で、バコンとドアを開け放って――
「ちょっと! 何をやっやっやッ!」
バサバサと足元に書類を撒き散らしながら踏みこんできた千川ちひろは、〝プロデューサーがアイドルの頭を撫でている〟という健全な光景に絶句した。
「えっと、その……」
ちひろの中にどんな想定があったのか、正確なところは分からないが、爆発しそうなくらい頬を赤くして書類を拾うその姿に伊華雌は同情した。
勘違いするのも仕方ないと思った。
伊華雌も、まゆの台詞に興奮したから。体の一部が熱くなる感覚を思い出してしまったから!
「じゃあ、まゆはグラビアのお仕事に行ってきます」
まゆは何事も無かったかのように戸口へ向かい、プロデューサーを振り返り、頭をさわって――
「プロデューサーさんのおかげで、まゆ、もっと頑張れそうですっ」
武内Pは、口元に笑みを作ってまゆを見送る。
それを控え目な笑顔と見る人もいる。
シャイな笑顔と見る人もいる。
そして――
鼻の下をのばしていると判断して断罪するちひろも――
「……武内君。さっき、まゆちゃんと何をしてたの?」
拾い集めた書類を机の上でトントンしながら、しかしちひろは笑顔だった。
その笑顔は、しかし引きつっていた……。
「えっと、その……、ライブで頑張ったご褒美が欲しい、と言われたので」
「うんうん」
「頭を、撫でました」
「そっかー。ライブで頑張ると、武内君に頭を撫でてもらえるんだ」
「いえ、そういうわけでは……」
ばさっ。
書類が、机の上に舞った。
ポニーテイルが躍動して、その頭が武内Pの前に差し出された。
「……私もっ、ライブの手伝い、頑張ったんだけどッ!」
武内Pは、目を見開いて、動かない。
後にひけない千川ちひろも、頭をさげたまま動かない。
時計の針が淡々と時間の流れを告げる地下室で、一秒を永遠に感じる気まずい沈黙が流れる。その重苦しい空気に耐えられない伊華雌は――
〝武ちゃん、撫でておやりなさい……〟
武内Pは、恐るおそる手を伸ばし、ちひろの頭を――
「ひゃっ……」
ポニーテイルに結ばれたリボンが跳ねた。荒い呼吸に上下していた緑色の制服が、やがて落ち着きを取り戻し――
「武内君の指って、結構ごつごつしてるんだねっ」
顔をあげたちひろは満開スマイルだった。すっかり上機嫌だった。撫でるだけで女の子を笑顔にしてしまうとか、武内Pの右手はどうなっているのか。とりあえず〝ゴッドハンド〟と呼んでおこうと伊華雌は思った。
その時、電話が鳴った。
「はぁーい」
ゴッドハンドの効力でご機嫌なちひろが電話をとった。その笑顔は、しかし徐々に曇っていく。
「……分かりました。シンデレラプロジェクトでお預かりいたします」
新しい担当が決まったのだと思った。言い換えれば脱落者が出てしまったわけであり、その名前を聞かされることに伊華雌はやはり抵抗を覚える。
「第三芸能課の
ちひろは、衝撃を最小限に抑えようとするかのように、たっぷりと間をあけてから――
「市原仁奈さんがシンデレラプロジェクトの所属になります」
〝佐久間まゆ編〟終了になります。お付き合いいただき、まことにありがとうございますっ!
次回から〝市原仁奈編〟に突入します。市原家の
なお、U149のプロデューサー(チビP)ですが、米内佑希様が担当声優として配役されましたので、アイマスの伝統に従いまして〝