「確かに、協力するって言ったけどさぁー」
346プロ本社ビル9階のカフェ。
武内Pの向かいに座って苦笑してるのは――
カリスマJKモデル城ヶ崎美嘉。
「そういうのって、なんつーか、言葉で伝えられるもんじゃないっつーか」
ピンク色の髪をいじる美嘉に、武内Pはテーブルに頭を打つ勢いで頭を下げて――
「お願いします! 自分に〝恋愛〟を教えてください!」
そもそも、経験が無いのだ。本やネットの知識しかないのだ。そんな信憑性の低い俗説で佐久間まゆに挑もうなんて、無茶を通りこして無謀である。
その道の師匠から正しいやり方を教わって初めて武術が機能するように、恋愛もまた実力をもった人間に教えを請うのが成功に繋がる最短ルートだと思った。
そして〝恋愛の師匠〟というキーワードから城ヶ崎美嘉を連想するまでさして時間はかからなかった。
なにせ〝女子高生〟で〝カリスマ〟で〝モデル〟なのだ。
これほど恋愛に精通している人間はいないだろう。
「城ヶ崎さんは、豊かな経験から、恋愛のなんたるかを知っているのではないかと思いまして……」
「えっ、いやっ、そ、そうだね……。あたしは、まあ、経験豊富だから、色々知って――」
「ぜひっ、お願いしますっ!」
武内Pが、立ち上がった。他の客が視線を向けるのにも構わずに、腰を折って綺麗なお辞儀を――
「わかった! わかったから頭あげてよ。みんな見てるから!」
武内Pは、真面目である。自分の決めたことをどこまでも真面目に遂行する。それは時として人の心を動かすほどの情熱を伴うのだと、武内Pの提案を受けた美嘉を見て思った。こうと決めた時にみせる武内Pの押しの強さに、伊華雌は感心していた。
「まあ、まゆちゃんのためだしね。
美嘉が立ち上がり、学校のカバンについているキーホルダーが音を立てた。カバンはもちろん、制服にも装飾品がちりばめてあってオシャレに隙がない。
「さっきも言ったけど、恋愛って、口で説明できるようなもんじゃないんだよね。だから――」
美嘉は、従順な弟子のように真剣な表情の武内Pに、しかし気さくな笑みを向けて――
「買い物、付き合って♪」
* * *
原宿。
そこは伊華雌にとって未開の地である。
存在は知っているし、電車で駅を通過したことはあるが、足を踏み入れたことはなかった。
だって、ファッションの街なのだ。
オシャレに命をかける若者が
そんな場所だと意識すると、ぴにゃこら太フェイスの伊華雌はどうしても二の足を踏んでしまう。お前は原宿より巣鴨系だよな、とかクラスの陽キャにバカされたし……。
ムカついたから巣鴨に突撃してみたら、何故かジジババに囲まれて、拝まれて、お
いや、お地蔵さんじゃねえから!
――と叫んで逃げて少し泣いた。
何が悔しいって、本当に巣鴨に歓迎されたのが悔しかった。やはり自分は〝ジジババの原宿〟こと巣鴨の住人なのだと落ち込んだ。
だからこそ――
原宿に憧れがあった。一度、行ってみたいと思っていた。
だって伊華雌も〝若者〟だから。
致命的に不細工なだけで、中身は若者だったから。
「原宿に来たことは?」
美嘉は
「自分は、その、こういう場所は、あまり経験がありません……」
武内Pは、原宿の街から浮いていた。
この街を行き交う若者は、ほぼ例外なく〝勝負服〟で武装している。落ち着いた服装の中にさりげなく自分のオシャレを光らせる者もいれば、お笑い芸人の仮装になってしまいそうな色使いの服を絶妙なコーディネートでオシャレに着こなす者もいる。ファッション誌から抜け出してきたような人の他には、制服姿の女子高生しか目につかない。
つまり何が言いたいかというと――
黒いスーツとか、全然いない。
ゼロではないが、ほとんどいない。数が少ないぶん目立ってしまう。
「じゃあ、あたしのお気に入りのお店、教えてあげるから」
目立たないように口元だけで笑う美嘉に、武内Pは真剣な表情で――
「あの、これが恋愛についての授業、なんでしょうか?」
すると美嘉は、帽子のつばを軽く持ち上げて、上目遣いに――
「デートの練習、って言えば納得できるよね?」
デイト……だとぉッ!
伊華雌は、武内Pを見上げる美嘉から目が離せない。
いや、ガチなやつじゃない。ガチなデートじゃないと分かっているものの、カリスマJKモデル城ヶ崎美嘉とデートとか、何ですかその極上のイベント! その〝お散歩JK〟は豪華すぎるッ!
「あっ、そのまえに……」
美嘉がスマホを耳に当てた。電話の向こうにいる誰かに自分の場所を教えて――
「見つけたっ、お姉ちゃん!」
元気に駆けてきた少女が美嘉の腕に抱きついた。帽子とメガネで変装してるが、その程度でごまかされるほど伊華雌のドルオタ偏差値は低くない。
城ヶ崎莉嘉。
無邪気に跳ねてメガネを揺らす姿がもはや犯罪的に可愛かった。ほら、お巡りさんも見てるし。いや、お巡りさんが見てるのは武内Pか。
「実は今日、莉嘉と買い物の予定だったんだよね」
その会話で、莉嘉は初めて武内Pを見た。お姉ちゃんお姉ちゃんと言って嬉しそうに跳ねていた彼女は、武内Pを見るなり笑顔を硬直させて――
美嘉の後ろに隠れた。
その気持ちは分かる。現に伊華雌も初対面の時はびびって悲鳴をあげた。さっきから様子を見ているお巡りさんも、いつのまにか仲間を呼んで二人になっている。
でも――
悪い人じゃないんだよ。ピュアで傷つきやすいガラスハートの持ち主なんだよ。だからみんな、怖がらないで! 武内Pを、怖がらないで!
伊華雌がどんなに祈ったところで、武内Pは不審者として警戒される。莉嘉は姉の後ろに隠れ、お巡りさんは増殖する。
「大丈夫だよ、この人は――」
姉の言葉は劇的な効果をもたらした。いつでも逃げ出せるように腰を引いていた莉嘉が、相づちを打つたびに表情を緩め、最後にはカブトムシを見つけた子供みたいに目を輝かせて――
「P君、恋愛について知りたいんだ! だったら、あたしに任せてよ! 恋愛の極意、教えてあげちゃうんだから!」
「偉そうに言って、何にもしらないくせに」
笑顔の姉に、妹が噛みつく――
「お姉ちゃんこそ、経験
妹の失言を握りつぶすのは、いつの時代も姉のアイアンクローである。
美嘉は笑顔のまま、ギリギリと莉嘉の頬を締め上げて――
「余計なこと、言わなくていいからね……ッ!」
ごめんなひゃい、ゆるひてほねえひゃん! 頬を掴まれた莉嘉が悲鳴をあげる。その悲鳴を彼等は聞き逃さない。日本の警察をなめてはいけない。
「あの、ちょっといいですか?」
声をかけてきた警官は、笑顔。アイドルに負けないくらいの笑顔で、しかし武内Pから目を離さない。いつの間にか警官の数は5人に増えており、路上にはパトカーが待機している。
「いやっ、あのっ、自分は、何もっ……」
トラウマスイッチが入ったのだと、見て取れるほどの動揺だった。そういえば、街頭スカウトをした時にお巡りさんの世話になったと言っていた。その時の古傷が炸裂してしまったのだろうか……。
「こちらの女性とは、どういったご関係で」
警官は容赦なく職務質問を続ける。武内Pは挙動不審を加速させて、逮捕待ったなしの状況に伊華雌は焦る。
お巡りさんが笑顔を捨てて、強制連行――
「この人、パパなんですっ」
美嘉が、武内Pの腕を取った。
「今日は、いっぱい欲しいもの買ってもらうんだーっ♪」
姉妹の連携は見事だった。まるであらかじめ打ち合わせていたかのように話を合わせ、お巡りさんの顔に笑顔を取り戻した。
「そうですか、失礼しました。では、原宿を楽しんでくださいね」
簡潔な敬礼を残し、お巡りさんは人混みの中に姿を消した。
「大成功だね、お姉ちゃんっ!」
莉嘉が跳ねて、美嘉はやれやれと肩をすくめる。
九死に一生を得た武内Pは――
ゾンビみたいに
白坂小梅がよろこびそうな、死者のそれとしか思えないかすれ声で――
「自分は、パパに、見えてしまいますか……」
伊華雌には、武内Pの気持ちがすごく理解できた。
コンプレックスってやつは実に厄介なもので、自覚して開き直っていても、それを突きつけられる
「あの、ごめんね。気にしてる、よね……」
伊達メガネの奥にある美嘉の瞳が、武内Pのしょげた顔をうつしている。申し訳なさそうに眉をハの字にしてる表情に、嘘があるとは思えなかった。
「P君、スーツだからだよ。もっとオシャレな格好すれば、パパじゃなくてお兄ちゃんになれるよっ」
無邪気な笑みを浮かべる莉嘉も、本気で武内Pをはげまそうとしているようにしか見えない。
……え、何この
武内Pに感情移入していた伊華雌は、城ヶ崎姉妹の優しさを疑似体験して
疑似体験でも泣きそうになる優しさである。
実際に体験した武内Pは――
笑顔を取り戻していた。
「気を遣わせてしまい申し訳ありません。自分は、大丈夫です」
美嘉と莉嘉が視線を交わして、笑みを浮かべた。
「じゃっ、行こっか!」
美嘉が帽子をかぶりなおし、莉嘉が武内Pの手を引いた。
――そして、現役アイドルによる史上最強のお散歩JKが、始まった……ッ!