ファンレターがアイドルに届くまでには、長い試練の道のりがある。
まず、メールルームにて危険物の有無を確認する。エックス線検査機で異物の混入に睨みを効かせ、次に手作業で中身を調べる。エックス線探知を突破した刃物や爆弾があったとしても、この段階で処理される。
もっとも、そんな過激な荷物は滅多に無い、――というかほとんど皆無であるが、検査を
世界は広く、どんな人間がいても不思議ではないのだ。
だから、検査は続く。
危険物の検査を突破したファンレターは、最後の関門に挑戦する。
プロデューサーによる検閲。
ここでは、手紙の内容について吟味される。
言葉とは、使い方によってはナイフより鋭い凶器になる。アイドルの心を傷付けるような手紙を捕らえてシュレッダーの餌にするのがプロデューサーの仕事である。
ファンレターをアイドルに渡すまでの労力はそれなりに大きく、多忙を極めるプロデューサーであれば検閲の労力を惜しみファンレターをそのまま資料室へ送ってしまうことも珍しくはない。
そして、赤羽根Pは多忙を極めるプロデューサーである。
〝きっとまゆちゃんは、ファンレターを受け取ってないんだよ。だから俺たちで検閲して渡してやれば、またアイドルやりたくなるよ!〟
346プロ本社ビルの地下二階が全て資料室だった。ファンレターはもちろん、アイドルのプロフィールやアイドルに関する雑誌やアイドルに関して書かれた新聞記事に至るまで、ありとあらゆるアイドルに関する資料が保管されていた。
〝なんだよここは……。宝の山じゃないか……ッ!〟
一般人の目から見れば、それはただの薄汚い資料だが、ドルオタのフィルターを通してみれば、札束に匹敵するお宝だった。
〝あの雑誌、もう廃刊のやつじゃん……。あっ、あれは抽選で当たるカレンダー。ほあーッ! あれはまさか、島村卯月等身大スクール水着ポスターじゃないかぁぁああ――――ッ!〟
「マイクさん、落ち着いてください。目的を見失わないでください」
〝お、おう、すまん……。ついドルオタ
ファンレターを保管してある場所へ行き、佐久間まゆの名前を探す。ほどなくして〝佐久間まゆ〟と書かれた段ボール箱を発見した。
〝箱、大きいね……〟
「ハッピープリンセスは、346プロの看板ユニットでしたから。そのメンバーである佐久間さんの人気を考えれば当然の結果です」
〝箱の中身、全部ファンレター、なのかな……?〟
「この重さからして、恐らく……」
果たして段ボールの中にはぎっしりファンレターが詰まっていた。軽い気持ちで検閲しようと言った自分を殴りたくなる量だった。
そして――
次の瞬間、伊華雌は目を疑った。マイクだから目なんてないけど、つまり相方の行動が予想の
――武内Pは、段ボールの中身をすべて机の上にぶちまけていた。
〝ちょっ、武ちゃん、何を……〟
武内Pは、むしろ伊華雌の反応に首をかしげて――
「検閲をします。全てのファンレターを選別します」
〝いやでも、最近のファンレターだけでよくね? 箱の上のほうにあるやつだけで……〟
伊華雌はそのつもりだった。箱の上のほうの、最近のファンレターだけを選別するつもりだった。それでもうんざりしていたのに、この箱全部とか、本気で――
「自分は、佐久間さんのファンの気持ちを、一つ残らず
武内Pは、本気だった。
この人はどこまでも不器用で、要領が悪いのだと思った。赤羽根Pなら、もっと効率のいいやり方をするだろうなと思った。
それでも――
〝……分かったよ。付き合うぜ、相棒〟
気が付くと、同じ気持ちになっていた。武内Pの真剣な横顔は、協力したいと思ってしまう不思議な魅力をもっていた。
「それでは、始めましょう」
武内Pが最初のファンレターを手に取るのと、資料室の扉が開くのは同時だった。
廊下の明るい蛍光灯を背負ってポニーテイルを揺らすのは――
千川ちひろ。
「武内君! ファンレターの仕分けだったら私も手伝うのに……。遠慮しないで声をかけてよ!」
ちひろは怒っていることを強調したいのかぷくっと頬を膨らませる。しかしそれが
……まずい。このままでは〝ファンレターの仕分けを口実にイチャコラするでござるの巻〟に巻き込まれてしまう!
伊華雌の懸念は、しかし
「それでは、千川さんはこちらの手紙をお願いします」
武内Pはちひろに
ちひろの頬が、しぼんでいく。
そして、本当に不愉快な時はどんな顔をするのか、頼んでないのに教えてくれた。武内Pの背中を
こほん……。
ちひろは空咳と共に感情を吐き出した、――ように見えた。
「こうしてファンレターの仕分けをしていると、入社したばかりのことを思い出すね。よく一緒にやったよね」
ポニーテイルを揺らして武内Pを見上げるちひろ。計算づくなのか、それとも偶然なのか。ポニーテイルを揺らしながら上目遣いへ移行するモーションが神がかっていた。
こんなの、ポニテ属性がなくても惚れてまうやろ!
伊華雌には効果抜群だったが、武内Pは――
そもそもちひろを見ていない。
彼はただ黙々とファンレターを仕分けしていた。
もしかしたら、とっておきの決めポーズだったのかもしれない。赤いりぼんでコーディネートされたポニテをふりふり、――からの上目遣い!
必殺技とばかりに繰り出したそれを完璧にスルーされて、ちひろのライフはゼロかもしれない。
はあ……。
ちひろは露骨なためいきを落とし、しおれた
そして、一連のやり取りを傍観していた伊華雌は確信した。
千川ちひろは武内Pを好きである。
ほこりっぽい資料室へポニテを弾ませて入ってきて、
どう見ても恋する乙女だよ! 恋愛フラグがビンビンだよ!
恋に
ひょっとして、武ちゃんって――
フラグクラッシャー?
ハーレム系ラブコメの主人公に実装されてる属性である。簡単にヒロインとくっつかないよう恋愛感情に強い麻酔をかけられている。主人公によっては〝難聴〟のスキルも有しており、
恐らくこの強面のプロデューサーは、気付かないだけなのだと思った。
だって伊華雌と違って、武内Pは決して不細工ではないのだ。真剣にファンレターに向き合っている横顔なんて、渋い魅力をもったイケメンにすら分類できてしまうのだ。
きっと、無自覚に好意をよせられて、無意識のうちにフラグをへし折ってきたのだろう。
もったいないな、と思うものの、しかし他人が指摘するようなことではないと思う。恋愛体質かどうかなんて、言ってしまえば本人の勝手であって、好きにすればいいのである。
それに、武内Pが恋に鈍感であったところで、プロデューサーの仕事に支障は無いのだから、ハーレムラノベの主人公かよアンタはッ! ―― みたいに
その時点では、問題ないと思っていた。
武内Pが恋に鈍感でもプロデューサー業に支障はないと思っていた。
事実、ほとんどの場合において、恋愛スキルの有無は問題にならない。むしろ、アイドルに過度な好意をもたない人間のほうがプロデューサーとして成果をだしやすいかもしれない。
――ただし、佐久間まゆを担当する場合を除いて。
まゆをプロデュースしたいのであれば、相応の恋愛スキルをもって彼女の気持ちを動かさなくてはならない。
伊華雌と武内Pがそれに気付いたのは、仕分けしたファンレターをまゆに見せた時だった。
* * *
「たくさんのファンが、佐久間さんのことを応援しています」
まゆは、形だけの笑みを武内Pへ向けて、どこか遠くを見るように――
「まゆは、たくさんの人に見てもらいたいわけじゃないんです。まゆはただ、あの人に……」
まゆの〝あの人〟が赤羽根Pであることは明らかだった。
そして、赤羽根Pがまゆを〝見る〟ことが無いことも……。
そうなると、残された選択肢は一つしかない。
ファンレターを残して立ち去るまゆの背中を呆然と見送る武内Pに、言ってやる――
〝武ちゃん。まゆちゃんを復活させる方法は、一つしかない〟
「……何か、考えがあるのですか?」
〝あぁ。まゆちゃんを復活させるには――〟
伊華雌は、成功率の低い手術を提案する医者のような口調で――
〝武ちゃんがまゆちゃんを惚れさせて、赤羽根のことを忘れさせるしかない……ッ!〟