「ただいま」
深夜の誰もいないアパートの一室に小さな男の声が響く。部屋の明かりをつけた男は玄関で靴を脱いで中へと入り、上着を壁にかける。
「……残業きっついなあ、給料もたいして出ないし」
疲れた様子がありありと浮かんだ顔で男はそうボヤく。それでも給料は欲しいから働く。別に何かに使いたいという目的が特にあるわけでもないが、あって損はないだろうと思いコツコツと貯めているだけだ。
(寝る前に少しだけ……)
部屋の片隅にあるノートパソコンの電源を入れてしばらく待つ。パソコンが起動するとさっそく操作し日課のゲームを始めた。
『航空母艦、蒼龍です。空母機動部隊を編成するなら私もぜひ入れてね!』
パソコンから流れてきた少女の声に男の頬が少しだけ緩む。画面に映るのは弓を構えた青髪の少女。
「はあ……癒やしだよホント」
ブラウザゲーム「艦隊これくしょん」。
昔の軍艦を擬人化した艦娘と呼ばれるキャラクターを建造、収集、育成したりして敵に支配された海域を攻略していくゲームだ。知っている人は多いはず。現在ではサーバーが満員で新規プレイヤーが着任出来ないといった問題が起こったりするほど人気が高まっている。
敵は深海棲艦と呼ばれるキャラクターで化け物っぽい見た目から人間に近い者まで色々。艦娘にそっくりな存在もあり、詳しい事は配信が始まって数年経った今も公式で発表されておらずその正体は謎に包まれている。
男はこのゲームにハマり毎日せっせと少しずつプレイしていた。嫁艦の一人は空母蒼龍であった。
「ただいまっと、さて任務をこなして寝るか」
デイリー任務を順に消化してノルマを達成した男は入浴を済ませベッドへと入る。
「明日は午前勤務……午後から艦これがたっぷり出来るな」
そして男は眠りに落ちる。
───この日がこの男の最後の艦これログイン日となり、翌朝の通勤途中で男がトラックにはねられ即死する事を俺は知っている。
何故そんな事を知っているか?
これは俺の
……じゃあ今は二度目なのかって?残念だが違う。ついさっきまで二度目の人生を楽しんでいたんだが……まあ自分で選んだ死だ、一度目よりは個人的に満足のいく死に方だったよ。
さて、簡単に二度目の人生について語ろうか───
「おめでとうございます!元気な男の子ですよ!」
「……」
(……え?)
気がつくと知らない女性と看護士のような人に顔を覗き込まれていた。トラックにはねられて激痛が走ったと思ったらいきなりこの場面が目の前に展開されていたんだ、その時の俺はもう大パニックだった。
(ど、どうなって……)
先ほどから聞こえているやかましい赤ん坊の泣き声はまさかの自分の口から発せられている事に気付き、さらに驚く。
(……)
頭に浮かんだのは“転生”の二文字。そんな馬鹿なと思いつつもそうでなければこの現象を説明出来なかった。起こってしまったものは仕方ないと時間をかけて心を落ち着かせ、目だけで周囲を確認した俺はさっそく違和感を感じた。
(全体的に建物が古いような……どこかの田舎?それとも……まさか現代じゃない?)
正解は後者……なんと俺は戦争時代の日本に転生していたのだ。成長するにつれてそれを理解した。
最初は嘆いた……何故こんな時代に転生してしまったのだろうと。
神様に会ってもないし、よくあるテンプレ的な能力を与えられていたり……なんて事もなかった。ただの一般人。赤紙が来たら即出兵で戦死する。こんな時代を平和な日本しか知らない俺が生き残れるわけがない。
だが一度目の人生で艦これを始めてから、同時に昔の軍艦そのものにも興味を持ち始めていた俺はある時ふとこう思った。
(どうせ死ぬならこの時代の軍艦に一度は乗ってみたいな)
そこからは毎日勉強と運動に本気で取り組み始めた。少しでも優秀な成績で海軍に入るためだ。この時代の軍艦に乗る───それが二度目の俺の人生における夢となっていた。
ーーーーーー
1942年6月5日
艦に火の手が上がり、あちこちで誘爆の音が聞こえる。炎に焼かれる者、爆発で吹き飛ぶ者……総員退去が下令され逃げ惑う乗組員たち。そんな彼らを俺は静かに見ていた。
「おい!何してる急げ!」
「分かってます。ほら、後が詰まってるから急いだ方がいいですよ」
「○○!お前もだぞ!……ぐっ!?」
俺に声をかけた男はすぐに必死で脱出口へと向かう乗組員たちの人波に飲まれる。
(とうとうこの日が来たか……)
先ほどの男はこちらにも逃げるように言ったが、俺にその気はない。
「……戦争ってのは本当に酷いものだな、実際に体験してみてよく分かったよ」
揺れる船体の一部を優しく手でなでながら呟く。
「お疲れ様……今日までよく頑張ったな」
やがて俺の周囲は炎に囲まれ逃げ場がなくなる。
「たしか柳本艦長も残るんだったか……。俺もお前と沈めるなら本望だよ……離れたくないしな」
炎の勢いが増してゆく。すでに視界は歪み、意識も朦朧としてきている。
「一緒だから…寂しくないだろ、なあ蒼龍?」
その言葉を言い終えるのと同時に、俺の体は完全に炎に飲み込まれたのだった。
───これが二度目の人生の記憶。俺にとって幸運な事に空母蒼龍と共に最期を迎える事が出来たのだ。少なくとも俺はこの結果に満足している。
今度こそ安らかに眠れると思っていたのだが神様は何を考えているのかよく分からない。
どういうわけか三度目の人生が与えられたのだ。と言っても今回の自分は男じゃないし人間でもないけれど。
それは気がつくと海の上に立っていた。
それは名前を持っておらず……
そして誰もその正体を知らなかった。
これはとある世界に生まれた一人のお姫様の物語。
せっかく作ったけれど今まで放置していたプロローグと作品設定集がもったいなくて投稿してみる事にしました。