一話なのですが、プロローグからの続編ですので、プロローグから読むことをおすすめします
一話『救世主』
『あのさ...好きな人とか...いるの?』
「なんで?」
『なんでって言われてもなぁ』
くすりと笑った。それに続けて僕も笑う。
「女の子にそんなこと聞く? ないしょだよ!」
『えぇ~!酷いよぉ』
些細な時間の流れの中で幸せを実感していた。それはまるで緑の葉の隙間から漏れ出てくる光のようで、胸の中は希望でいっぱいだった。
そして――
彼女が、死んだ。
「うわぁぁぁあぁぁあぁ!!!」
目覚めると同時に泣き叫んでいた。自分の中の透明な何かがいつの間にか割れ、そして一気に溢れだしたのだ。
「良かった、どうやら意識が戻ったみたいだね?」
突然の声にハッとし、その音の方へ目を向けた。クリーム色の髪を後ろで一つにくくった女性。年齢は20代前半といったところだろうか。『可愛い』というより『美しい』女性がそこにいた。
「―あ、あなたは誰ですか?」
「私?私の名前は櫻井桃(さくらいもも)!皆からはモモって言われてるよ!」
僕は繰り返すように言った。
「...モモ...さん」
どこかで聞いたことのあるような名前。懐かしみを感じるが、それが何故かはわからない。ただひたすらにその名を繰り返し呟く。
「モモさん...」
「さんはつけなくて良いよ~」
「―も、モモ!」
「うん!それで良し!!」
どこか勝ち誇った顔をしている彼女。頬が赤くなり、子供のような表情をしている。
「―ところで、君の名前は?」
「えっ?」
「名前!君の名前は?」
わずかな沈黙。不意の質問に口ごもってしまった。
何故だろう...名前を聞かれただけ。
名前を聞かれただけ...
心配そうに僕を見つめる彼女。彼女が何かを言おうと口を開いた直後遮るように言葉が出る。
「な、名前が...思い出せません」
沈黙が訪れた。彼女は困ったように言う。
「――名前が...?」
「はい、全然...」
困った顔のまま、彼女は質問を捻り出す。
「ん~そうだなぁ...君は、君が眠りにつくまでの間に起きた出来事を覚えているかい?」
「出来事...?」
「うん、君が見た物の話」
「あの気持ちの悪い...ドラゴンのことですか」
「そう!その話! 君はそいつに何か...『大切なもの』を奪われた?」
「大切なもの...」
記憶の片鱗を探る。ダメだ、何も思い出せない。
「そう、大切なもの。例えばお母さんや、お父さんみたいな...」
「家族...ですか。」
ため息をつくように口を開いた。これだけは頭の中に消えずに残っていた記憶。
「家族はいないんです。病弱な母親は僕を産んでから死んだし、父親は僕が生まれる前に行方を眩ましています。」
「そう...か。ゴメン、悪いことをした」
モモさんは申し訳なさそうに僕に謝った。
「いえ、全然!記憶がない僕のせいでもありますし」
「ということは君は孤児院か何かで生活を送ってきたの?」
「あ、はい!その通りです!」
記憶の片隅に残っている情報を便りに言葉を作る。僅かなホコリでさえ逃さないほど丁寧に情報を拾う。
「辛い孤児院生活も...あの子と一緒だったから」
「えっ?あの子?」
「いや、わからないんですけど...そんな人が僕には一人いた気がするんです」
「そっか...その子の名前、思い出せる?」
その質問に涙が溢れた。理由はわからない、ただ涙が止まらなかった。
「思い...出せません。」
●●●
「ちょっと、外に出よっか」
長い沈黙、彼女がやっと口を開いた。目の辺りがピリピリする。モモさんはゆっくりと立ち上がると、そこからこの部屋の扉に向かった。見慣れない風景、迷わないよう彼女に続いて歩く。
どれほど歩いたか、外に出た。もう辺りはすっかり夜で、町の点々とした灯り、夜景が一望できる。
ん?一望...?
外に出て数分は経つというのに全く気がついていなかった。夜景が一望できるということはかなりの標高、相当な高さの山の上にいるということ。
「あ、あの...」
「ん?どうしたの?」
「ここってどこですか?」
「あれ?言ってなかったっけ? ここはアーセナルだよ」
言われた言葉を例もなく繰り返す。
「...アーセナル」
記憶の中にあるアーセナルは1つしかなかった。それは、我が国最高峰「主峰アーセナル」だ。第三都市ナチユスに聳え立つ成層火山、その標高2150メートル。麓から頂まで、山の大半を落葉広葉樹林が覆う珍しい植生。
「今、そのアーセナルの中腹に私たちは居る」
「ちょ、ちょっと待ってください! アーセナルって本当にあの主峰アーセナルなんですか!?」
「そうだよ?アーセナルって丸日の中央にある山でしょ?結構便利なんだよぉ」
「べ、便利...?」
冷たい空気のせいか、口元からは白い息が漏れていた。まるで頭を冷やせと言われるかのような寒さ。
「ここはソサエティ。まぁ秘密基地といった方がカッコいいんだけどね」
「さ、さっきから何言ってるんですか――」
「私たちは、君が見た『ドラゴン』と戦っている」
遮るように言われた一言。返す言葉が見つからず、戸惑っていると突かさず彼女は言葉を続ける。
「私たちは民間特殊装備連隊、通称ケインズ。『ドラゴン』を倒すための組織」
「ちょっと何言って――」
「我が国「丸日」は知っての通り12の主要都市で出来た小さな島国。そのほぼ中央に位置する主峰アーセナルは、活動拠点としては他になく良い場所なの!」
モモさんの嬉しそうな顔を見て、腹の奥が鳴った。手先がかじかんでいる。ぎゅっと手を握りしめて言う。
「よ、よくわかりました。ケインズ(?)にはアーセナルが必要だってこと。けど...だからって何ですか? アーセナルに拠点を置いて、それなりの人員を集めたとして...それでも...それでも奴らに勝てるわけがない!!」
「勝てるわけがない?どうして?」
「どうしてって...奴らは...ドラゴンは僕の大切な人を...奪った」
「奪った?」
「そう...奪った。奪ったんだ!!」
誰を奪われたのかはわからない。けど、それが大切な人だったことはわかった。そして気づくと泣きながら叫んでいた。
「どれだけ僕が怒って、叫んで...それでも刃が立たなかった...。
それほど奴らは強い...強いんだよ!モモさんたちがどれほど考えても...それは机上の空論に過ぎないんだよ!!!本当にドラゴンを見てる人にしかあいつらの恐怖はわからないんだ!!」
「なら!」
彼女は僕の肩に手を置き、僕を止めた。彼女は泣いていた。その表情に僕は怒りを忘れる。何故怒っていたのかさえわからないほどに。ただ目を見つめる僕を見て、彼女はそっと問いかける。
「なら...何で君は生きてるの?」
その質問の真意はすぐに見抜けた。記憶に残っている自分の最後。腹を抉られ、視覚を失い、ただ死ぬのを待つだけ。そんな僕を誰かが救おうとした。実際、僕は今生きている。まるで何もなかったかのように...
ふと自分の腹部に手を伸ばす。
――傷跡すらない。何の違和感もない腹部。むしろ筋肉質に成長している。
「な、何で...」
泣き崩れる僕を見て、彼女は微笑み、そして言う。
「ドラゴンは...倒せる。倒せるんだよ」
さらに涙が溢れ、とうとう止まらなくなった。そんな僕に彼女は続ける。
「君を助けたのはケインズのエース。石井希里(いしいきり)って言う男。名前を覚えておいて損はないよ」
「い、いひい...きり?」
涙で舌が上手く回らない。そんな僕を見て彼女は笑う。
「な、何でそんなに泣いてるのww」
「だ、だって...ドラゴンは倒せるって」
「倒せるよ!倒せるに決まってんじゃん! だって私たちは『人間』なんだからさ!」
直後、気づくと口が動いていた。考えるわけでなく、本能で口が動いていた。
「ぼ、僕...ケインズに入れますか?」
「勿論だよ!!」
静まりかえっていた空間に再び音が響いた。心に響き渡るその音波。
「夜空、綺麗だね」
「えっ?」
「星も綺麗!半分に欠けてる月も、とても綺麗」
「そうですね、すごく綺麗だ」
「そうだ!!」
モモさんは僕の手を取り、持っていたペンで文字を書く。そこに書かれていた文字は
『夜空』
照れた顔で彼女は言う。
「単純だけどさ、夜空ってすごく綺麗だから」
「えっ、これって――」
「君の二つ目の、いや君の新しい名前だよ!」
「新しい...名前」
改めて手の文字を見る。走り書きで書かれた汚い文字。手に書いた故に線がぐねぐね曲がっている。
「これ、何て読むんですか?」
「夜空と書いて『ソラ』と呼ぶ!どう?洒落てるでしょ?」
自慢気に話す彼女を見て微笑ましい気分になった。
これから僕は夜空(ソラ)だ。星や雲とは違い、いつでもどこからでも。助けを求める人々が見上げたときに、助けに行ける。
そんな『救世主(ヒーロー)』だ。
これからは夜空(ソラ)だ。そうしよう。