「おい...バケモン...こっち見ろよ!!」
周りの断末魔を書き消すように気づくと叫んでいた。目の前の恐怖より想い人を殺された悲しみが勝っていたのだ。
「こっち見ろって言ってんだよ!!」
いつでも飛びかかれる姿勢を作りながら有馬は唸った。視線の先のドラゴンはようやくこちらと視線を合わす。
常軌を逸した威圧感、圧倒的戦力。普段では怯え、声すら出ない状況だが有馬の内側で煮えたぎるどす黒い感情はそれさえも凌駕してみせた。震えを殺し、恐怖を塗り潰し、憤怒の獣が雄叫びを上げる。
一歩踏み出してしまえばもう迷いはなかった。階段を下り終え、距離を詰めていく有馬に、ドラゴンは不敵な笑みを浮かべたまま佇んでいた。
「...殺す、絶対殺す...!」
応対するように
「ぐあ――っ!」
と叫んだドラゴン。そのまま獲物を目掛け、猛スピードで突進を仕掛ける。埃が舞い、空を切る音が微かに聞こえた。そしてそのまま拳を思いっきり握りしめた有馬と衝突―
一瞬であった。
殴りかかろうとした有馬の体は、そのあまりにも大きな衝撃に吹き飛ばされる。
背中から壁に叩きつけられ、体の自由が効かなくなった。
全身に力が入らず、手先の感覚はすでにない。
喉からは血がごぼごぼと溢れだし、そのまま倒れ込んでしまった。
「―――ッ!」
両手、両足を踏まれ、有馬は完全に行動の自由を奪われてしまう。目に映るのは獲物を仕留める寸前の勝ち誇ったドラゴンの顔のみ。有馬は悟る、自分は負けたのだと。そしてこのまま喰われるのだと。空気は冷たく、そのせいで両腕には鳥肌がたっていた。
そしてドラゴンはその勝ち誇った顔のまま有馬の腹部へ顔を寄せ――鋭い牙で一口。
「ぐぅあぁぁぁぁ!!!」
――予想はしていた、だがこれほどとは...
腹部から出てきた大量の血と臓物。有馬に与えられたのは「痛み」ではなく「熱」であった。今までに感じたことの無いほどの熱。何故か涙は出てこなかった。視界が徐々にぼやけていき、ついには見えなくなった。目が見えなくなると、今まで見えていなかった多くの物が見えてくるものだ。
自分勝手な幼少期、いたずらばかりな少年時代。
ごく最近に見える昔の出来事、そのすべてに親しみを覚える。だが、脳が行き着く先はやはり
「あ、彩乃さん...ゴメン。仇...討てなかった...」
『走馬灯』とでもいうのだろうか。痛みや熱を忘れ、この後悔だけが脳裏を埋め尽くしていた。だが、今の彼に「戦意」は存在しなかった。彼女を失ってから約3分が過ぎ、死ぬまでの時間をただ刻々と待っていた。
『―そこまでだ』
その声は突然に、静まり返っていたこの空間に響き渡る。声質的に若い男性のような声。だが、そんなことはお構いなく、ドラゴンは有馬を捕食したままであった。
『勝手なことしてくれるよな...お前らドラゴンは。何人の人を殺したと思ってんだ...?』
だがドラゴンが人間の問いかけに答えるはずもなかった。有馬の意識は急速に遠のいていく。
『無視...か。まぁ俺の言ってること、解るわけもないか』
呆れと悲しみの感情が入り交じった声だった。初めてだというのに何度か聞いたことのあるような、そんな声。薄れていく記憶の中、何度もその声主を探すが見当たらない。
『ならいつも通り仕事といきますか...。おい少年、喋れるか?』
「...ぅっ...あっ...」
恐らく自分に向けられた問い。だが応えることは出来ない。肺の大半が喰われ、呼吸さえ苦しくなっていたのだ。
『――お前は俺にどうしてほしい?意見の出せない弱者は死んでいくのみだぞ?』
必死に声を出そうとする。だが、それを食い止めるかのように喉が、身体全体が悲鳴をあげる。アドレナリンは無意味になり、痛みと熱が直に襲ってくる。
だが、それを耐えてでも出さねばならないと思った。出せば何かが変わる気がした。姿の見えない、信じても良いのか分からない男に自分の生きた証を知らせたかった。
アドレナリンとは別の何かが痛みを書き消し、有馬は血と共に思いの丈を、己のすべてを吐き出した。
「た、助けて...!!」
静まり返っていた空間に再度音が響いた。そのせいか床の血は波打ち、無音の音波を発する。
『ふっ...了解した』
落ち着いた男の声に妙な安心感が湧いた。既に有馬に痛みなどは無かった。足音が近づき、その安堵でゆっくりと有馬の脳が動きを停止する。
『――さぁ、悔い改めよ!!』
男が言ったその直後、有馬は意識を失った。