叫べなかった四文字を   作:やぜろしか

1 / 4
プロローグ
一話 『天敵』


第三都市ナチユスに「ドラゴン」が現れたらしい。

 

 平日の朝、再放送のバラエティー番組をボーっと見ていたら『臨時ニュースです』という音声と共に画面が切り替わった。

 

「ナチユスにトカゲに似た凶暴な生物が複数現れ、けが人も出ているとのことです。

 危険ですので、見かけたら速やかに警察に通報を――』

 

 それだけで臨時ニュース?

 

 画面には白黒で端的な動きの“何か”の写真があった。

 周囲の風景と比較するに、体長は数メートルほどか。

 ウロコはあるが翼はなかった。胴体は黒くかつ細く引き締まっていた。

 

 『ドラゴン』

 本でしか見た事のない『ドラゴン』としか言いようのない巨大爬虫類がそこに写し出されていた。

 

 呆気にとられたままリモコンのボタンを押したが、どこのチャンネルもドラゴンの臨時ニュースだった。

 

『対策本部が設置されたらしいって言ってるんだが。あれって突然変異のペットが逃げたんだろ?』

 

 

『臨時ニュースがされるほど重要な事態なのに、被害も怪我人の数も不明。何かおかしい...』

 

 

『本当に被害が出てるのに対抗処置が報道されてない!酷くないか?』

 

 

『皆が“ドラゴン!”って呑気に騒いでる間に、家族を避難させたほうがいいんだろうか……』

 

 あるテレビ局は即、街頭インタビューを実施。その結果に視聴者や多くの人々が言葉を失った。昼にあった報道では玩具剣の爆売れや避難グッズの売り切れ続出等の情報が多く発信されていた。

 

 警察が『ドラゴン』をどう対処したのか気になった僕は、一日中テレビの前に座り続けていた。

 

 深夜に放送された番組に『ドラゴン』を捉えた映像が含まれていた。

 時間は昼間だろうか。遠くのビルを映したものだった。ビルの窓からは人が見えるが、遠くて表情は見えない。

 その女性は外に手を振り、助けを求めていた。そして後ろを振り向き、逃げようとした。いったい何がそうさせたのか、大の大人が高層ビルの、どう考えても助からない階から飛び降りようとしたのだ。

 

 

 一だが次の瞬間、その人が硬直する。

 

 女性はぐったりと窓枠に倒れ、そのまま千切れた上半身だけが窓から落ちていった。紐状の何かが身体から出ている。テレビのスピーカーから撮影者と思われる人の悲鳴が五月蝿いほど聞こえた。

 そしてカメラが窓に戻る。そこにいたのは窓から少し身を乗り出し、口惜しそうに下を見る..ぼやけた『ドラゴン』だった。

 

●●●

 

 翌朝、スーパーマーケットに行くと、交通規制のため、週刊誌の到着が遅れていると張り紙があった。それどころか、店の中のほとんどの商品が無くなっていた。

 

 だが、そんなことはどうでも良かった。駅に行き颯爽と電車に乗る。乗客はほとんどおらず、休日出勤のサラリーマンが座席で苛ついた表情を見せていた。

 

「銃弾も火炎放射も最新の武器も、とにかく何も効かねえって話だ」

「それだけじゃなく明らかに数が増えてるって聞いたぞ」

 

 ...車内がさらに静かになった気がしたのは気のせいか。

 目的地『ジュク』まではあと三駅。僕はゆっくりと目を閉じた。

 

●●●

 

 アナウンスで目が覚め、電車を降りる。駅を出ると多くの人々で混雑していた。「ジュク」は此処『第一都市ミルクス』の中心街だ。ランドマークは無いが、多くの人が買い物や娯楽を求め、さ迷う街である。

 

 そんな街で今日、憧れの女性とデートをすることになったというのだから、浮かれていても誰も文句は言わないだろう。きっかけは先月、新しく出来たパンケーキ専門店『吉田屋』について友達と話していたところを偶然彼女、『石田彩乃(いしだあやの)』に聞かれたのだ。憧れの女性と言いながら、幼き頃はよく鬼ごっこ等で遊んだ仲。気づけば彼女とデートの約束を取り付けていた、という感じである。

 

 ーにしても彩乃さんが来ない。僕が此処に来てから約5分は経っている。僕の神経質な部分が胸騒ぎを起こしている。改札に向かい歩き始めた。その時。

 

「ゴメン、習君!待った!?」

 

 

 唐突な声に振り向くと、並木道から短い黒髪を揺らしながら彼女が、あわてた顔で駆けてきていた。

 

 「ぜ、全然だよ!今僕も来たところ!!」

 

 「そう?なら良かった~!  にしてもジュクってスゴいよね!」

 合流するなり、突然彼女は大きく両手を広げた。それはジュクの凄さを物語っているのか、彼女の可愛さを引き立てているのか...

 

 「広いし、お洒落だし...とにかく最高だよね!」

 

 「確かにな!!」

 

 思わず言っていた。観光的な要素は無いと言え、そのすべてが今輝いて見えるのだ。

 

 「習君も同じ気持ち?」

 

 「全く同じだよ!何と言うか...輝いてる!」

 

 確かに輝いていた。眩しく今にも消えてしまいそうなほどに。彼女が笑った。手を口に当て、照れたように笑った。つぶやく笑顔が光っていて、その後ろには-

 その景色に目が歪んだ。ついさっきまで満ちていた幸福感が消し飛び、身体中が何かに蝕まれていく。凸凹になった戦車と発砲音が歯を剥き出す獣のような笑顔を作った。

 

 「パンケーキ専門店とか、行ったことある?」

 彼女の質問に、ふと我に返る。

 

 「えっ?一度もないかなぁ...」

 

 「ホントに?」

 

 「疑うとこじゃないでしょ?パンケーキなんて最近出来た料理なんだからさ」

 

 彩乃さんはじっと僕の目を見つめ、そして首をかしげた。

 

 「...うん!そうだね!」

 

 少し間があったのは気のせいか、胸の中の何かが重くなった気がした。

 

 「では参りますか!!」

 彼女はそう言うと店に向かい歩き出した。にこりと笑った彼女がやけに眩しかった。

 

●●●

 そのビルは、有名店がいくつも入っているという触れ込みだったが、今日は閑散としている。

 中程の階にあるその有名店も、予約したに関わらずガラガラだった。

 おかげですぐに料理は運ばれてきたが、僕は何故か厨房の方が気になって仕方なかった。妙に店員が暗かった。

 

『アルバイトの子が出勤してこないんです...』

 

『まさか本当にドラゴンが...!』

 

『あれって映画会社の宣伝だって……』

 

 空をヘリが飛び、下を戦車が走っている。窓から見える駅に急ぐ人の数は増え続けていた。

 

 ...何か嫌な予感がした。

 

 「ぶっ」

 不意に彼女が笑った。

 「えっ?」

 

 「習君、外のこと気にしすぎだよぉ!」

 

 「そ、そうかなぁ...」

 

 必死で何もない顔を作った。首筋に汗が滴っていた。不安そうに僕を見つめる彼女はふいに表情を引き締め、窓の外を一瞬眺めてからこう言った。

 「私を見て。困ったり不安になったりしたときは私を見て」

 

 急に近付けられた顔に戸惑いながら、僕は彼女から目を離せなかった。離してはいけないと思った。

 返答の言葉が見つからない、どう答えて良いのか分からない。時間だけがただ刻々と過ぎていく。

 

 「なんてねっ!冗談だよ!!」

 

 「な、なんだ!冗談かぁ!!」

 

 ...彼女が何を思い、そう発したのかさえその時の僕にはわからなかった。

 

●●●

 

「じゃあ、帰ろうか」

 

 その後たっぷり30分ほど話して彼女が立ち上がった。

 もう店には僕たちしかいなかった。

 

 会計を終えて店を出る。エレベーターの下降用のボタンをゆっくりと押した。

 エレベーターを待っている間、ふと窓の外を見る。

 

 『...えっ?』

 駅近くの真っ赤な地面に倒れている何人もの人と、それらに食いつくたくさんの――。

 頭の中が真っ白になる。

 

 

「エレベーター、遅いね...?」

 

「えっ? う、うん」

 

 1階から昇ってくる薄暗いオレンジ色の光。ポケットに入れた手が擦れて違和感を覚えた。その違和感は次第に胸の中で大きな異物へと変わった。

 そのとき。

  

「店長、さっきから電話がつながりません!!」

「私も子供と連絡が……!!」

「店長!!外見てくださいよ!!店長!!」

 

 耐えきれなかった。気づくと逃げ出していた。

「えっ? 習君どこへ...?」

「彩乃さん!!良いからそこから離れて!!」

 喉が痛い。彼女に視線が移せせない。

 

 そのときエレベーターが到着する音がした。

「ねぇ習君? エレベーター来たよ?」

「待って!」

 急いで戻った。階段一段一段が大きく感じ、うまく動けない。そして非常にもゆっくりとエレベーターの扉が開いた。

 

「……え?」

 

 彼女は笑いかけの顔のまま止まった。

 

 見るとエレベーターの壁が紅に染まっていた。床には全身を食い尽くされた死体。血にまみれ、肉を少しひっかけた肋骨がさらされている。

 

 嫌な予感がした。駆けつけたい気持ちが胸の中の何かに邪魔されそのままひしゃげた。

 この人は、ここまで食われた状態でなぜ乗れたのだろう...

 違う。エレベーターまで逃げたが、追いつかれたのだ。

 血が、ぽたぽたとエレベーターの天井からこぼれ落ちていた。

 

 そして天井に張り付いていた何かがゆっくりと、かつしなやかに床に降り立った。

 眼球の垂れ下がった『頭の上半分』をくわえた『何か』が。

 

 ...「何か」の正体はすぐにわかった。

鉄のような頑丈そうなウロコ、血にまみれた長い爪、細長い青の瞳、鋭い牙...見るからに『ドラゴン』だった。

 

 

 にやりと笑った。表情は無いが僕を見て、にやりと笑ったのだ。

 

 新しい新鮮な獲物を認め、頭蓋骨を落とす。

そして呆然としていた彼女にまっすぐ襲い掛か――。

 

 ガンッ

 

 エレベーターの扉がドラゴンを挟んだ。

 自然に扉が閉まったようだった。

ドラゴンが吠えた。呻くような怒るような、その黒く甲高い不快な音がビル中に響き渡っていた。

 

 「彩乃さん!良いからこっちへ!!早く!!」

 

 「う、うん!!」

 

 涙の止まらぬ彼女の手を握り、非常階段を下り始めた直後、後方で無慈悲な音がした。『こじ開ける』ではなく、『破壊』の音であった。

「お客様、今の音は一体...?」

 

 店から出てきた彼は状況が理解できないといった顔で、エレベータの方を見てしまった。己を目掛けて走り込むドラゴンの姿を。

 

 一瞬であった。 殺戮が始まった。

軽い何かが折れるような音。

 

ポキッ…

 

 悲鳴。店の入り口から、そして彼女から。驚きの叫びではない。

 店員さんは運が悪かった。店から出てきてしまったせいで、僕たちを追いかけるべきドラゴンが、店の中へ標的を変えたのだ。

 後ろを向くと、暴れる彼にまたがるドラゴン。

 胴体から外れてしまった首、顔の皮膚が肉ごとはがれ、まぶたのなくなった眼球がドラゴンを凝視していた。

 多くの野生の捕食者と同じに、生きているうちから食い始めている。彼は見る間に血に染まっていく。

 僕たちはそのまま非常階段を下りた。耳を塞ぎたくなる悲鳴はまだ続いていた。

●●●

「ねえ早くして」

「もう少し急いでくれませんか?」

 人気のビルと言うこともあり非常階段は下りられなかった。すぐに、押し合いへし合いする人でいっぱいになり、やがて一歩も進めなくなる。

 

「うわあああああっ!!」

「どけっ!! いいからどけよっ!!」

「どいて、どいてよぉ!!」

 

 ついに暴動が起こった。パニック状態になった一人が渋滞中の人々を掻き分けていった。それを筆頭に収まっていた人々は一気に爆発。窓から転落する者、階段で踏みつけられる者。多くの人々がパニックに陥る中、絶叫が上がった。パニックの悲鳴ではない。下の階の非常階段入口にドラゴンが現れたのだ。勿論その悲鳴を挙げたのは最初の暴動者であった。

 下に行こうとしていた人々は、今度は争うように上の階に、いや逃げてきたはずのフロア側に散り散りになる。

「いや! やめて! ...習君!!」

 繋がっていた右手もその波に逆らえず離され、とうとう姿が見えなくなってしまった。

「待って!!」

 叫ぶが届かず。僕はとにかく走るしか残されていなかった。

 

 走っていてもまた悲鳴が上がる。すぐ後ろを走っていた人が部屋から飛び出したドラゴンに襲い掛かられ、『ぐげえええ』と変な声をあげて転がっていった。

 絨毯はべったりと血を吸っていて、走ると血が飛び散る。壁も天井も血まみれで、食い散らかされた人たちの死体がそこここにある。

 また何匹かのドラゴンが曲がり角から飛び出し、一緒に逃げて いる人たちを襲う。

 もうこの階で走っているのは僕一人だ。

 後、何秒生きられるんだろう。

 

 

「やめてください! やめてやめてやめて……痛いっ!! いた、いたぃ……ぎゃあああっ!! いぃたああああああああああ!!」

  

 聞き慣れてしまった悲鳴に耳を塞ぎひたすら走った。

 ぶちまけられた臓物、大量の血。気づくと元の非常階段へ戻っていた。

●●●

 ゆっくりと階段を下る。物音を発てずひっそりと。階段には臓物はなく、ただ血だけが染み付いていた。 

 踊り場に出ると黒色の何かが人を捕食しているのが見えた。黒色の何かは言うまでもなくドラゴンだった。

 

 『あ、ありま...君?』

 

 どこからか声が聞こえた。自分を呼ぶ声が確かに聞こえたのだ。

 

 『良かった...生きて..たんだね...』

 

 えっ?

 それは確かに彼女の。「石田彩乃」の声であった。

 

「ど、どこに居るんだよ!!彩乃さん!!」

 

 辺りを見渡した。薄暗いフロアに血濡れた階段。そして声のする方に目を向けて気づく。このドラゴンの下にいるのが彼女なのだと。一足遅かったのだと。

 

 声がでなかった、喉が詰まって胸が苦しくなった。恐怖と悲しみが胸の奥を蝕んでいく。腰が抜け、その場に座り込んでしまった。

 

 「あ、彩乃さん...なんだよな?」

 やっと出た頼りない声に彼女が頷いた気がした。冷えきった空気がやけに静かだった。

 

 「僕はまだ...まだ何も伝えてないじゃないか!!」

 

 空気を読まず捕食を続けるドラゴンをただ見ることしか出来なかった。止めることも代わりに食われることもなく、ただひたすら見ているだけであった。喉がひしゃげ洩れたのは獣のような声だけ。その不甲斐なさに涙が止まらなかった。

 

 『好きです』の四文字を伝えられぬまま彼女はそのまま消えてしまった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。