ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.87「流れる風を切って」

***

 

 

 

 上を見上げれば、どこまでも広がる冴えたブルー。雲は空のドームのへりでうっすらと生白く滲むばかり。

 

 天候に恵まれた過ごしよい日和だった――いささか紫外線がキツいけど。

 

 流れる風がすこぶる気持ちいい。髪が暴れるからと、今日はキャップを被っている。

 

 普段はセーラー服に身を包んでいるが、今日はロンティーにジーンズといった出で立ちだ。

 

 サングラスまでかけて、要するにわたしはちょっとしたバカンスで、ネオ・ヴェネツィアを離れて遠出というわけだ。同伴者はおらず、一人で来た。たまには一人が気楽でいい。気を使わなくていい。自由だ。

 

 

 

《晃ちゃん、旅行に行くの?》

 

 休みの前、アリシアと話す機会があって、休みはどうするのかと訊かれたので、応じたのだった。

 

「あぁ。ちょっと遠くまで」

 

「あらあら。遠くって、どこかしら?」

 

「……。」

 

 何となく、黙ってしまう。発作的に生じた意地悪したさから、まじめに答えるか、茶化すか、少し考えてしまったのだ。

 

 夕時で、いっしょに帰社する途中の、ゴンドラの上での会話だった。わたしが漕いで、アリシアは客席に座っていた。

 

「まぁ、とにかく遠くまでだ」

 

「ずいぶん漠然としてるわね。目的地は決まってないの?」

 

「決まってるよ」

 

「――?」

 

 アリシアが首を傾げ、わたしを窺うように、怪訝がる顔をする。

 

 無理もない。

 

 わざわざはぐらかすなんて、反抗期で生意気盛りのガキじゃあるまいし、わたし自身、幼稚だと思った。

 

 だが、ひとりでにそういう態度を取ってしまったのだった。意図してではなかった。ひょっとして、わたしはアリシアに甘えていたのだろうか?

 

 

 

 ――結局、回りくどい恰好で、目的地を告げた。

 

 アリシアは興味を持っていろいろと聞いてきた。わたしの態度には頓着しない様子だった。アリシアは大人だった。わたしは、子供じみていた。何だか、くさくさしてくるようだった。

 

 

 

 車で行くとは、告げなかった。

 

 きっと、飛行機だか電車だかで行くのだと、アリシアは決め込んでいることだろう。終始、目的地の話ばかりで、移動手段までは及ばなかったのだ。そこに及ぶ前に、ゴンドラがARIAカンパニーの近くへと至り、話にピリオドを打たせようとするいとまごいのムードになったのだ。

 

《気を付けて行ってくるのよ》

 

 アリシアが相変わらず大人びた、甲斐甲斐しい感じで見送ろうとする。

 

「あぁ」

 

 わたしは簡単に答える。

 

「お土産は何がいいかしらね?」

 

 人差し指をあごに添え、アリシアがウキウキと考える素振りを見せる。

 

 やれやれ、とわたしは思う。

 

「お酒でいいか?」

 

「まぁ、嬉しいわね。出来れば辛口がいいわ」

 

「ハイハイ、分かったよ」

 

 アリシアは、わたしなんかが歯が立たないほど、上戸だった。

 

 

 

 ――ネオ・ヴェネツィア北西部にあるサンタ・ルチアの駅で電車に乗り、リベルタ橋を渡った先で、予約していたレンタカーを借り、出発する。

 

 ネオ・ヴェネツィアではわたしは車にまったく乗らず、いわゆるペーパードライバーなので、最初はその辺をグルグル回り、車幅や、ステアリングの機敏さを確認して、にぶった感覚を慣らす。

 

 車で行くとは告げなかった。それも、オープン・カーだ。古き良き、と言うべきか迷うが、排気音がやたらうるさく、ヘッドライトが丸目二眼で、メッキの装飾がこれ見よがしにピカピカ輝いている。

 

 ゴンドラに乗っている時もそうだが、セーリングなり、ドライブなりしていると、集中力が高まり、感覚が研ぎ澄まされていく感じがして、昂揚感がある。

 

 あまりじっくりと考えたことはないが、そういう理由から、わたしは水先案内人になったし、わりと早い段階で車の免許も、ネオ・ヴェネツィアに住まう以上必要のないものだったが、取得したのだと思う。

 

 アリシアとのやり取りでの時分の子供じみた態度への回顧が、いくばくかの悔やみという冷や水をわたしに浴びせたが、運転していると、気分は安定した。

 

 低い丘陵が群がるエリアの、勾配の緩い坂道の続くハイウェイを数時間走ると、アッコーナの標識が見える。今回の旅の目的地だ。

 

 空はまだ青く、雲の密度は変わらないか、むしろずっと薄く淡くなったくらいだ。初夏の日差しはややキツいけど、風の流れが涼しく、車で走っている限りは、快適だ。

 

 サングラスをさっと手で直し、アクセルペダルを強めに踏む。車がエンジンを唸らせ、制限速度を越えようとするところまで加速する。

 

 

 

 ――アッコーナは砂漠地帯だ。アクアの砂嵐(ダスト・ストーム)で出来た砂漠で、あちこちに半ば干からびたユッカの木が見える。

 

 だだっぴろいだけの砂の広がり。水気などなく、荒涼としていて、不毛で、生気にも、彩りにも乏しい辺境でしかなかった。

 

 だが、解放感があった。見渡す限り、砂と枯草の色。触れればサラサラとしていて、粒の細かい砂。無臭に近い風のにおい。

 

 この解放感、この飾り気のない剥き出しの自然に会うために、わたしはネオ・ヴェネツィアくんだりから遠路はるばるやってきたのだった。

 

 車は埋もれないくらい地盤のしっかりしたところに止めてきた。サングラスは外し、ロンティーの首元にかけている。

 

 ドサッと砂地に腰を豪勢に下ろし、足をガバッとあられもなく広げる――満足だった。

 

 

 

 酒が欲しいとアリシアは言ったが、酒なんか売っている気の利いた土産屋はなかった。何となれば、トイレさえないところなのだ!

 

 しかし、その期待を裏切りたくはなかった。あの時の子供じみた真似を詫びるつもりで、何かしらは必ずプレゼントしたかった。

 

 埃っぽい風を浴びて、抜けるほど澄んだ青空を見上げ、考える。

 

 宿は別のところに取ってある。そこにはきっと、土産屋があるだろう。そこで買うのがいい。多分、アリシアの口に合う、辛口の酒があるだろう――だが、後の話だ。

 

 フゥ、と気持ち長めに深呼吸する。

 

 この砂漠に満ち溢れる、朗らかで明るい虚しさを胸いっぱいに吸い込んだのだった。

 

 

 

 視界全面に広がる空は、遮るものがないせいか、ずいぶん間近に見え、何とはなしに、体がフワッと、鳥の翼を得て軽くなったように、錯覚されてくるのだった。

 

 

 

(終)


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