ARIA The Extension 作:Yuki_Mar12
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「灯里ちゃん」
屋根裏部屋で額に汗を浮かべ、せっせと荷ほどきをしている、Tシャツと短パンという軽装の灯里のもとに、アリシアは顔を出した。――彼女はパリッとしたセーラー服姿のようだった。
「はひ」
返事をし、アリシアの方を首だけで振り返る灯里。部屋のあちこちには、夥しい段ボール箱があり、開いているものがあれば、閉じているものがあり、とどのつまり、灯里がこの水先案内のお店であるARIAカンパニーを訪れ、間借りすることになってから、まだ程ない頃のことだった。
ベッドやシェルフなど、大きい家具はすでに、業者の手を借りて、設置が完了しているが、全体として見れば、まだ半分も、引っ越しの作業は進んでいないのだった。
灯里にしてみれば、生まれて初めてのことなので、要領が悪く、あっちに手を付けたと思えば、気が変わってこっちに手を付けるなどして、部屋には物が散乱して、足の踏み場がないという感じだった。
「あらあら」
と、部屋の様相を目にして、アリシアは呆然とした風に言う。
「何と言うか、すごく……カオスね」
「ハハ、ずばりそうですね」
二人は苦笑し合う。
「今、お邪魔かしら?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「そう。これ、灯里ちゃんに渡して置こうと思ってね」
アリシアはそう言って、すっかり部屋に入ってくると、ある物を灯里に見せた。
「わぁ」
それは、きちんと折りたたまれていた。衣服のようだった。白い、アリシアが着用しているのと同じ色。
「セーラー服ですか?」
アリシアはにこっと笑い、首肯する。
「夏用と冬用の両方ね」
駆けよってきた灯里に、アリシアは手渡す。
「綺麗だし、かわいい……」
清浄さを思わせる青いラインが入ったARIAカンパニーの制服は気に入り、彼女は陶然と魅入った。
万感の思いが込み上げてくるようだった。はるばるマン・ホームからやって来、あこがれの職業である水先案内人の仕事に携われる――そういう回想と未来への展望が、健気に夢見る一人の少女に、じんと胸温まるものを感じさせるのだった。
「上にあるのは、グローブね」
灯里は、示されたものを見た。グローブはハーフフィンガーだった。
「いちばん最初は、両方付けるの。水先案内人には階級があって……」
ペア、シングル、プリマ、と、灯里は平易にグローブによる階級識別の説明を受け、理解した。
「ごめんね」、とアリシアが謝る。「本当は、手伝ってあげたいんだけど」
「いえ、いいんです。アリシアさん、お忙しいですから」
「帰ってきたら、手伝うわね。さすがにこう散らかってちゃ、過ごしにくいでしょう」
「ハハ。そうですね。過ごしにくさは、否めないですね」
やがて、話が終わり、アリシアは仕事があると、部屋を出ていった。
灯里は、小さくため息を吐くと、受け取った制服を、クローゼットにハンガーでかけた。心なしか制服は、いい香りがした。また、ハンガーにかけることで、元々は折り畳まれていたその全容が見え、姿見の鏡で自分の体に重ねて眺めて、ニヤニヤしたりした。
クローゼットに制服を仕舞い、閉じると、彼女は窓の外を眺めた。
午前だった。汗ばむほどの陽気の、春のある日。
海は青く、空は澄んでいた。
――マン・ホームの皆は、どうしているだろうか。
灯里は思いを馳せた。家族、友達、よく通っていたお店の店員や、公園で見かけた人々。
すると、胸がキリキリと縮むように痛んだ。
「ダメだ」、と彼女は呟く。「大事なのは、未来。今までじゃなくて、これから」
ホームシックになりそうだった自分を励ますと、また荷ほどきと整理整頓の続きを始めた。
◇
たそがれ時。空がだんだんと暗くなって、春の陽気が失せ、朝にあった、ひんやりした空気が戻ってくる時間。
屋根裏部屋の扉をノックする、コンコンという音。
灯里ちゃん、と呼びかけがあるが、返事がない。
やってきたのはアリシアだった。ちょうど仕事を終えて帰ってきたところだった。
ひょっとしていないのだろうか、と怪訝に思ったアリシアは、「入るわね」、と言って扉を開けた。
薄暗い部屋は、まだ雑然としているように見えたが、午前に見た時と比べれば、ずっとよくて、インテリアが充実度が増し、まだどこに置くか迷うなどして梱包を解いていない段ボール箱は、隅のスペースにまとめてあった。
レースのカーテンが、風に煽られて、広がったり、落ち着いたりしている。
おおむねひっそりしているが、耳を澄ますと、聞こえる音があった。しかし、その音は微かだった。
ベッドの上に、横たわる人影があった。
アリシアは照明のスイッチを付けた。薄暗い部屋はパッと明るくなった。
ベッドにいるのは、灯里だった。掛け布団をかけず、寂しいのか、ぬいぐるみをひしと胸に抱いて、安眠していた。
荷ほどきを頑張って、よっぽど疲れたのだろう。そうアリシアは思い、灯里の胸にあるぬいぐるみを眺め、ほっこりした気持ちになって微笑んだ。
開いている窓とカーテンを閉め、アリシアは、灯里にそっと掛け布団をかけてやった。昼日中は暑いにしろ、夜はまだ寒いのだ。油断すると、体を壊してしまう。
照明が消され、部屋が真っ暗になる。
屋根裏部屋から階段を下りていく間、アリシアは、自宅に帰る前に、ARIAカンパニーで休憩がてら、何か灯里と分けて食べて行こうと考えた。
何がいいかしら――。
灯里はスヤスヤ寝ていた。
考える時間は、たっぷりありそうだった。
(終)