ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

83 / 107
Page.83「はじめてのセーラー服の日」

***

 

 

 

「灯里ちゃん」

 

 屋根裏部屋で額に汗を浮かべ、せっせと荷ほどきをしている、Tシャツと短パンという軽装の灯里のもとに、アリシアは顔を出した。――彼女はパリッとしたセーラー服姿のようだった。

 

「はひ」

 

 返事をし、アリシアの方を首だけで振り返る灯里。部屋のあちこちには、夥しい段ボール箱があり、開いているものがあれば、閉じているものがあり、とどのつまり、灯里がこの水先案内のお店であるARIAカンパニーを訪れ、間借りすることになってから、まだ程ない頃のことだった。

 

 ベッドやシェルフなど、大きい家具はすでに、業者の手を借りて、設置が完了しているが、全体として見れば、まだ半分も、引っ越しの作業は進んでいないのだった。

 

 灯里にしてみれば、生まれて初めてのことなので、要領が悪く、あっちに手を付けたと思えば、気が変わってこっちに手を付けるなどして、部屋には物が散乱して、足の踏み場がないという感じだった。

 

「あらあら」

 

 と、部屋の様相を目にして、アリシアは呆然とした風に言う。

 

「何と言うか、すごく……カオスね」

 

「ハハ、ずばりそうですね」

 

 二人は苦笑し合う。

 

「今、お邪魔かしら?」

 

「いえ、大丈夫ですよ」

 

「そう。これ、灯里ちゃんに渡して置こうと思ってね」

 

 アリシアはそう言って、すっかり部屋に入ってくると、ある物を灯里に見せた。

 

「わぁ」

 

 それは、きちんと折りたたまれていた。衣服のようだった。白い、アリシアが着用しているのと同じ色。

 

「セーラー服ですか?」

 

 アリシアはにこっと笑い、首肯する。

 

「夏用と冬用の両方ね」

 

 駆けよってきた灯里に、アリシアは手渡す。

 

「綺麗だし、かわいい……」

 

 清浄さを思わせる青いラインが入ったARIAカンパニーの制服は気に入り、彼女は陶然と魅入った。

 

 万感の思いが込み上げてくるようだった。はるばるマン・ホームからやって来、あこがれの職業である水先案内人の仕事に携われる――そういう回想と未来への展望が、健気に夢見る一人の少女に、じんと胸温まるものを感じさせるのだった。

 

「上にあるのは、グローブね」

 

 灯里は、示されたものを見た。グローブはハーフフィンガーだった。

 

「いちばん最初は、両方付けるの。水先案内人には階級があって……」

 

 ペア、シングル、プリマ、と、灯里は平易にグローブによる階級識別の説明を受け、理解した。

 

「ごめんね」、とアリシアが謝る。「本当は、手伝ってあげたいんだけど」

 

「いえ、いいんです。アリシアさん、お忙しいですから」

 

「帰ってきたら、手伝うわね。さすがにこう散らかってちゃ、過ごしにくいでしょう」

 

「ハハ。そうですね。過ごしにくさは、否めないですね」

 

 やがて、話が終わり、アリシアは仕事があると、部屋を出ていった。

 

 灯里は、小さくため息を吐くと、受け取った制服を、クローゼットにハンガーでかけた。心なしか制服は、いい香りがした。また、ハンガーにかけることで、元々は折り畳まれていたその全容が見え、姿見の鏡で自分の体に重ねて眺めて、ニヤニヤしたりした。

 

 クローゼットに制服を仕舞い、閉じると、彼女は窓の外を眺めた。

 

 午前だった。汗ばむほどの陽気の、春のある日。

 

 海は青く、空は澄んでいた。

 

 ――マン・ホームの皆は、どうしているだろうか。

 

 灯里は思いを馳せた。家族、友達、よく通っていたお店の店員や、公園で見かけた人々。

 

 すると、胸がキリキリと縮むように痛んだ。

 

「ダメだ」、と彼女は呟く。「大事なのは、未来。今までじゃなくて、これから」

 

 ホームシックになりそうだった自分を励ますと、また荷ほどきと整理整頓の続きを始めた。

 

 

 

 

 

 

 たそがれ時。空がだんだんと暗くなって、春の陽気が失せ、朝にあった、ひんやりした空気が戻ってくる時間。

 

 屋根裏部屋の扉をノックする、コンコンという音。

 

 灯里ちゃん、と呼びかけがあるが、返事がない。

 

 やってきたのはアリシアだった。ちょうど仕事を終えて帰ってきたところだった。

 

 ひょっとしていないのだろうか、と怪訝に思ったアリシアは、「入るわね」、と言って扉を開けた。

 

 薄暗い部屋は、まだ雑然としているように見えたが、午前に見た時と比べれば、ずっとよくて、インテリアが充実度が増し、まだどこに置くか迷うなどして梱包を解いていない段ボール箱は、隅のスペースにまとめてあった。

 

 レースのカーテンが、風に煽られて、広がったり、落ち着いたりしている。

 

 おおむねひっそりしているが、耳を澄ますと、聞こえる音があった。しかし、その音は微かだった。

 

 ベッドの上に、横たわる人影があった。

 

 アリシアは照明のスイッチを付けた。薄暗い部屋はパッと明るくなった。

 

 ベッドにいるのは、灯里だった。掛け布団をかけず、寂しいのか、ぬいぐるみをひしと胸に抱いて、安眠していた。

 

 荷ほどきを頑張って、よっぽど疲れたのだろう。そうアリシアは思い、灯里の胸にあるぬいぐるみを眺め、ほっこりした気持ちになって微笑んだ。

 

 開いている窓とカーテンを閉め、アリシアは、灯里にそっと掛け布団をかけてやった。昼日中は暑いにしろ、夜はまだ寒いのだ。油断すると、体を壊してしまう。

 

 照明が消され、部屋が真っ暗になる。

 

 屋根裏部屋から階段を下りていく間、アリシアは、自宅に帰る前に、ARIAカンパニーで休憩がてら、何か灯里と分けて食べて行こうと考えた。

 

 何がいいかしら――。

 

 灯里はスヤスヤ寝ていた。

 

 考える時間は、たっぷりありそうだった。

 

 

 

(終)


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。