ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.62「クリスマスの星は笑む」

***

 

 

 

 ガヤガヤと話し声が絶えない昇降口。わたしが通う学校の昇降口。

 

 

 自分のシューズボックスからローファを取り出して、上履きのシューズを中に収める。

 

 

 ローファを地べたに置き、しゃがんで、指をかかとの後ろに入れて履く。

 

 

 放課後の掃除を終えて空調の効いた教室を出たら、あっという間に体が冷えてしまうようだった。

 

 

 授業中、頬杖を突いて、見るともなしに窓に見ていた雪――。じっと見ていると、空調の快さと相まってほとんど眠ってしまいそうだった。

 

 

 昇降口を出ると、雪は小止みなく降っていた。しんしんと、静かに。そして気付かない内に、その嵩を増していく。

 

 

 マフラーと同じタータンチェックの傘を差し、騒がしい昇降口を後にする。

 

 

 ――わたしは一人で帰るのが好きだ。友達はいるにはいるが、みんなわたしの意を察して下校時はあまり構わないでくれる。

 

 

 ヘンに思われてたりしないだろうか、などと心配になることは、時たまある。

 

 

 ――アリスちゃんは、冬休み、どこかに行ったりするの?

 

 

「えっ、冬休み?」

 

 

 教室での、友達からの問いかけ。不意打ちだったのでわたしは聞き返す。

 

 

 わたし達は今日、終業式で、普段より多い連絡事項の刷られたプリントを配られ、また、手ごわい割と量のある宿題を与えられた。

 

 

「だいたい、二週間くらいあるよね」

 

 

「予定は……クリスマスの他には、特に」

 

 

 わたしは書類をしまい込んだバッグの口を閉じる。周りでは、同級生たちがそれぞれ思い思いに親しい者と談笑している。

 

 

 話している内容はわたし達とさほど変わらない。他愛のないものだ。互いに永別するわけではないが、しばらく毎日のように顔を突き合わさなくなるので、取りあえず友諠を惜しんで普段より気持ち長めに話すのだ。そうして半ば満足し、半ば惜別するように、それぞれの家に帰っていく。

 

 

「ケーキは頼んだ」と、友達が訊く。

 

 

「うん。お母さんが」と、わたしは返す。

 

 

「そう。わたしの家はね、ママが手作りしてくれるんだよ」

 

 

「そうなんだ。でっかいパティシエさんだね」

 

 

「ぜんぜん大したことないんだよ。去年は砂糖の量が多すぎて、まともに食べられなかったの」

 

 

 フフッ、とわたしは微笑して返す。洋菓子が作れる自慢の母親のようだ。嬉しげに友達は話した。去年彼女の母はケーキ作りに失敗したようだが、今年はどうだろうか? 休みが明けたら、結果を聞かせてくれるだろうか。あるいは、その頃には年が明けて、クリスマスがすっかり過去になっているので、忘却して、ぜんぜん関係のない話をしているだろうか。

 

 

 雪は泡雪だった。勢いこそあったが、傘に残ることはなく、シャーベットになって、露先より水滴となって滴り落ちた。

 

 

 辺りにはうっすらと積もっているが、しっかりした結晶ではなく、粒が粗いので、雪の堆積が堆くなる前にとけて、道路を濡らすばかりだ。

 

 

 帰路、わたしはネオ・ヴェネツィアの水路に沿った住宅の並びが面する細い通りを歩いていた。

 

 

 道にはうっすらと積もった雪に、無数の足跡。踏み固められて氷同然になっている箇所があり、その上はひどく滑る。

 

 

 通りの少し向こうには、アーチ型の小橋が、水路を挟んである住宅の出入口と、通路の間に架かっている。住宅の壁に付いた湾曲したアームと、その先の街路灯のランプの上にも、雪。

 

 

 見上げられる空は、全面真っ白で、絶えず雪を降らせてわたしの顔にひんやりとした感触を与え、また濡らす。

 

 

 クリスマス――偉大なる聖人の誕生日である祝祭日は近々である。そのため街の各所は装飾され、普段とは異なる華やかで荘厳なる趣きを帯びている。サン・マルコ広場には大きい樅の木が飾られ、その頂点ではベツレヘムの星が青白い光輝を放ち、水路の上には住宅と住宅の間に渡されたワイヤーに電飾が吊り下がっている。ケーキ屋さんがお菓子作りに大忙しで、花屋の軒先には真紅の〝stella di natale(ポインセチア)〟が豊満に笑っている。

 

 

 お母さんがやはり買ってきて、ポインセチアは、家に飾ってある――わたしは花屋の前に差し掛かって、立ち止まってじっと店頭に並ぶ花々を見下ろしていた。ポインセチアがあり、ケイトウがあり、シクラメンがあった。

 

 

 ――みんなが予期し、待ち侘び、入念に準備して迎える祝祭日の前の日々は、全てが調和的で、平和で、充実感に満ち溢れていて、学期末を終えて学業よりひとまず解放されたその解放感とあいまって、わたしにとっては、魔法にかけられたように、うっとりとさせてくれるものだった。おいしいお菓子があり、靴下の中のプレゼントがあり、厳しい寒さに凍える体を温めてくれる暖炉の炎があり、荒涼とした冬にあって青々とみずみずしい常緑樹がある。満ち足りて、不足などまるでなかった。

 

 

 その時の幸福を目いっぱい享受するために、わたし達は、彼方に輝く八角形(オクタグラム)の星に向かって邁進するのだ。

 

 

 わたしは花屋を後にする。

 

 

 

 ――ガヤガヤと騒々しい昇降口。次に登校する時は、今度は、冬休みの思い出話に盛り上がっていることだろう。

 

 

 その時に気後れして口を塞いだりしないように、何か、楽しい予定でも組むのがいい気がする。

 

 

 寒さにふるえる喉で息を吐く。かじかんだ手に吹きかける。

 

 

 無数の雪の粒越しに見上げる空は、どこまでも白かった。

 

 

 

(終)


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