ARIA The Extension 作:Yuki_Mar12
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目が覚めた時、辺りは真っ暗だった。
わたしは部屋に――わたし専用の居住スペースとなっているARIAカンパニーの屋根裏部屋にいて、うたた寝していたのだった。
お昼ご飯を少し食べ過ぎたことで苦しくなり、ちょっとの間だけ横たわろうとしたら、すっかり寝入ってしまった。
涼しい風が開け放した部屋の円窓より流れ込んでくる。夜気だ。その涼感はとても爽やかだ。
季節は初夏。日中はすでに汗ばむ陽気で、日差しが強烈だ。
横になった状態で、うたた寝にだらしなくたるんだ体をうんと伸ばすと、軽くため息した。
本当にやわらかい、やさしい感触のする風だった。涼しく、乾いて、程よい流速。
ベッドに上がり、円窓より首を外へ出してみると、思った通り、夜空は晴れていて、星影が冴えていた。淡すぎて半分透明になっている雲の白っぽいもやもやに、光の粒子が点々と瞬いている。
窓枠に肘を突き、手で頬を持ってしばらくその美景に耽る。
「贅沢だなぁ……」
思わず口を突いて出た言葉だった。これほど快い環境で星空を眺められることに感嘆したのだった。
ふと、コンコンという音がした。ドアの方だ。誰かがノックしているのだ。
「灯里ちゃん?」
アリシアさんの声だ!
「はひ」
わたしは頬の手を窓枠に下ろして、気持ち大きめに返事する。
すると、古びた木のドアがギィ、という軋みと共に開かれて、長いブロンドヘアーの人影が見える。その人影は小さいランプを携えていて、そのランプの周りは明々としている。
「あらあら、真っ暗ね。電気も付けないでどうしたの、灯里ちゃん?」
「星空を眺めてるんです。電気を付けると、よく見えなくなっちゃうから。アリシアさんも見てみてください。きれいですよ」
「まぁ、本当? ずっと帳面に向かってたから、気付かなかったわ」
アリシアさんは、ドアをパタンと上品に閉めると、持っているランプをテーブルの上に置いて、「失礼するわね」、と一言添えてベッドに上がって来た。
「はひ」、と返して程なく「わっ」と驚いたが、アリシアさんがわたしの肩に手を乗せて、半ばわたしの上に乗る格好になったのだ。
肩にかんじるやわらかい指先、ほんのりした温もり。
「アリシアさん?」
「こうしないとよく見えないのよ、ごめんね」
別に気にしなかった。わたしは気を揉んで少し窓の際の方まで体を寄せ、先輩ウンディーネのために隙間をあけて上げた。
暗く、また近すぎてよく見えないけど、アリシアさんは美人だった。ブロンドがゴージャスだとか、長い髪がサラサラして風になびいた時に光っているとか、そういう細々とした根拠からではない、漠然とした、それでいて強い確信を伴った印象だった。
眼鏡をかけているアリシアさんは、割に貴重だ。その姿を目にすることが出来る時は、限られている。プライベートでは眼鏡で、そうでない時はコンタクトにしているのではないかという噂があるが、わたしにはよく分からない。
「何だか楽しそうね、灯里ちゃん」
「――寝覚めがよかったんです」
「まぁまぁ、やけに静かと思ったら、そうだったのね」
「はひ。お昼ご飯の食べ過ぎで、お腹が苦しくなっちゃって。ハハ、太っちゃうかなぁ」
わたしは苦笑いと共に、お腹をさする。
するとアリシアさんも、よく見えないが、同じように、苦笑してくれているようだった。
「ねぇ、贅沢だと思いませんか?」
「……。」
アリシアさんは答えなかった。風声に被って聞こえなかったのだろうか。だが、その様子はわたしには、無言ではあったものの、肯定してくれているように思えた。場の空気のせいだろうか。
「マン・ホームにいた時は見なかったんですよ」
「星空?」
「はひ。正確には見たことがあるんですけど、ニセモノでした」
「?」
アリシアさんの釈然としない様を何となく感じ取って、少し訂正する。
「ニセモノという言い方はよくないかも知れませんね。正確に言えば……ビジョン、ですかね」
フフ、とアリシアさんがいたずらっぽく笑う。
「ビジョンは、まぼろしって意味よ」
「エェー……じゃあ、ニセモノと変わりませんね」
わたし達は和やかに笑い合う。そして満足し、お互いに振り返って星空に背を向け、円窓の下の壁に並んで座る。
二人で見るともなしに、テーブルの上に照るランプの灯影を見つめる。オイルが浸み込んだ綿芯の先端に火が小躍りするように燃えている。
「電気、付けましょうか?」
「ううん」
わたしの提案に、アリシアさんは首を左右に振る。
「わたしはいいわ。たまにはこうしてランプの火をじっくり見つめるのも、悪くないわね」
「はひ」
わたしは短く返す。
――風が部屋に流れてくる。涼しい夜気。初夏のやや汗ばむくらいの気温にあって、快い清涼感を恵んでくれる。
「プラネタリウムに似た感じかしら?」
「え?」
唐突の話しかけに、わたしは戸惑う。
「灯里ちゃんがさっき話してくれた、マン・ホームの……」
「あぁ」わたしは合点が行く。「そうですね。プラネタリウムの、おっきいバージョンですね。七夕には、アルタイルとベガが見えるんです。デネブと合わせて、三角形なんですよね」
円窓から流れ込んでくる風が、わたし達の髪を煽る。それぞれロングヘアーだ。風に弄ばれてなびく髪の肌ざわりを、首や頬に感じる。
「味わい尽くしてしまえばいいのよ」
「味わい尽くす……?」
わたしは聞き返す。風に乱れた髪を手直ししようと、耳元の髪を後ろへとやる仕草が、灯影に照らされた落ち着きのある顔と相まって、妙に大人っぽかった。
「えぇ、星空はあなたに見返りを要求しなんかしないわ。だから、贅沢だなんて思わないで、その風情、その雰囲気を、思う様、ね?」
アリシアさんは、小首を傾げ、ウインクを交えてにっこりして見せる。
その表情が可愛くて、わたしは釣られて微笑んでしまう。
フッと、ランプの火が消える。オイルが切れたようだ。
「あらあら、本当に真っ暗ね」
暗中、アリシアさんが泰然として動じずにいるのに対して、わたしは見えない目であっちこっちに体をぶつけて、電気のスイッチを探す。
――何だか照れくさかった。すぐそばにいるアリシアさんが、愛おしかったのだ。
わたしは、今夜寝る時、その時まだ空が晴れているようであれば、また星空の感慨に浸ろうと考え、予期した。
(終)