ARIA The Extension 作:Yuki_Mar12
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ピタッと肌に張り付いてくる感触がする冷気――冬の冷気。
今日の湿度は高いようだ。乾いていればさらりとしている空気が今日は何とはなしにねばっこい。
年の暮れが迫る時期。
冷たく湿った空気の中で、夕日が淡く明るい。
ハァ、と息を吐けば、たちまち白く立ち昇って、空気中に透明になって消える。
夕日のオレンジ色と押し寄せる夜の暗い灰色と、晴れた空の青がそれぞれに滲んで深い情緒を醸し出している。
ネオ・ヴェネツィアは惑星の赤道より上にある。北半球の都市なのだ。したがって冬の寒さは南と比べてひとしおである。太陽がよそよそしく、まるでネオ・ヴェネツィアを避けようとしているかのようだ。
「今日は冷える」
と、わたしは言うともなしに呟いた。そして、長い髪に指で触れ、くるくると指に絡ませるようにすると、続けた。
「それに、じめじめしてる」
「降るかも知れないわね、雪」
――かたわらにいる女の答。ブロンドのロングヘア。幼馴染の女だ。
「あぁ」
わたしは簡易に返す。
「晃ちゃん、嬉しくないの?」
「あのなぁ」わたしは呆れて言う。「子供じゃないんだから、今さら雪くらいで嬉しがるかよ」
――わたしと
気の利いた展望台で、石造りの建物の最上部に設けられたそこは、屋根のない吹き曝しで、寒風に吹かれ放題ではあったが、鉄パイプの手摺の上端に小鉢が飾られていて、その中にはシクラメンの花がこぢんまりと可愛らしく笑っていた。手摺より振り返れば、展望台の中央に向かってそこかしこに、枯れ枝が寒そうに見える喬木が植わっている。
「雪に嬉しがるどころか、鬱陶しいと思うようになったよ。毎年どっかり降って、いっぱい積もりやがる。昔は年長者にやって貰ってた雪掻きの仕事が、今じゃわたしたちのものになってしまった」
「そうねぇ」、とアリシアはしんみりした調子で言う。「雪で遊ぶことはめっきりしなくなったわね。まぁ、たまに灯里ちゃんと、ARIAカンパニーの前に雪だるまを作ったりはするんだけど……あっ」
アリシアが何かに気付き、指さす。
「ん?」
アリシアが指さしているのは極小の白い物体だ。宙を浮遊している。
わたしは何とはなしに受け取ろうと思い、掌を仰向けに、目の前へと差し出す。
すると、その白い物体は、わたしの動きに応じるように、掌に下りてきた。
半透明の薄い
「まぁ、雪虫ね」
「あぁ。だが、たった一匹だけだ」
「この子、仲間たちとはぐれちゃったのかしら」
アリシアが心配するように言う。
わたしは眉をひそめ、雪虫の後先のことを考える。
――が、考えるや否や、雪虫はその翅を震わせ、瞬く間に飛び上がり、彼方へと
「心配は無用だってよ」
「あらあら」
わたしは開いた掌を握り、下ろした――心なしか暗い。日が沈むと同時に、雲が密度を増したようだ。
――やがて夜になる。明かりが失せ、闇がしみ渡る。
アリシアと別れて姫屋に帰り、一通りの用事を済ませ、後は寝るだけという段になった。
照明の明るい暖房の付いた暖かい部屋で、わたしは机に向かっていた。読み物をしていたのだ。最近推理小説に入れ込んでいて、読み出すと中々栞を挟んで閉じることが出来なかった。最初は眠り薬にと始めたことが、かえって逆効果になってしまった。
雪が降るかも知れないというわたしの予測は、外れたようだ。
湿った空気は雪ではなく雨を呼び寄せた。雨音がシトシトと鳴り、わたしの部屋の鎧戸を付けた窓には、雨粒が流れている。
あの一匹だけはぐれた雪虫は、果たして仲間たちのもとにちゃんと辿り着けただろうか、などと読書中、考えた。
頬杖を突いていよいよ舟を漕ぎ出した頃、わたしはガクンと勢いよく崩れそうになって、その勢いに驚いて我に返った。
辺りが静かになっていることに気付く。シトシトという雨音は鳴りやんだ。
不思議に思ったわたしは、小説に栞を挟んで閉じると、窓辺に向かった。
――窓に残る雨の流れた跡が、消え消えになっている。
窓から見える、姫屋の前のストリート。街路灯が照っている。
雨は確かにやんでいる。――が、その代わりに、ぼんやりとした白い粒子が、夜の闇にチラチラしている。初雪だ。
眠気がコンコンと背中を叩く。わたしはあくびをし、目に涙を溜める。
明日は雪は、積もっているだろうか。
アリシアへの発言とは裏腹に、わたしは内心嬉しがっていた。
ベッドに横になり、冷たい布団の中でうずくまるようにして体を温め、わたしは記憶を探り、昨冬雪掻きで使ったスコップの場所を回顧した。なくしてはいないはずだ。姫屋の倉庫に保管してあると思う。明日探そう……。
雨が雪に変わった夜は静かで、また、どこかおごそかだった。
(終)