ARIA The Extension 作:Yuki_Mar12
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音がする――カサカサ、という乾いた音。
振り返ると、落ち葉がこちら側にヒラヒラと翻って舞い、そして落ちるのを見下ろした。
まるで落ち葉に追いかけられているかのように錯覚させる音だった。
追い風が落ち葉を舞い上げてわたしの背に向かって飛ばしたのだ。
弱弱しい追い風だが、落ち葉は軽い――ずいぶん軽い。
その軽さ、軽やかさに、わたしは憧れじみた思いを抱いた。
前に向き直り、俯き気味になって、物思いに浸る。
ああいう風になれたら――風に流されて飛び、その力でどこまでも行けたら、どれだけ気楽だろう。
わたしはだが人間だった。飛ぶことは出来なかった。突風に煽られても飛翔することは不可能だ。二本足で直立し、そして歩みを運んでいかねばならない。
「寒いね」
かたわらで誰かが言う。
その言葉に対し、わたしは上の空で反応しなかった。
「……。」
なしの礫で黙然とするわたしは、自身をじっと射貫くように見つめる目線に、やがて我に返り、ハッとする。
「あっ、ごめん。ボーッとしてた」
苦笑いして簡単に詫びる。
「考え事?」
「ううん」わたしは首を左右に振る。「本当に、ボーッとしてただけ。スイッチが切れちゃったみたいに」
ハァ、と彼女は、呆れたようにため息する。
その様に、わたしはちょっぴり申し訳ないシュンとした心持ちになる。
「寒いね」
わたしがそう言うと、彼女は睨むようにわたしを見返した。
「
彼女がすでに言った言葉をまたそっくり同じものを言ったのだと気付かないわたしは、間違いなくその時の彼女には、見下げ果てた愚か者に思われたことだろう。
「まぁ、いいや」
だが、彼女はあまりこだわらないようだった。
わたしはいくぶんホッとした。
――わたしたちは並木道を並んで歩いていた。隣に随伴してくれているのは藍華ちゃんだ。わたしの水先案内人仲間の一人。ネイビーの髪とゴールドの瞳が麗しい女の子だ。
『ネオ・ローマ』――わたしたちが旅に訪れた街の名前だ。ネオ・ヴェネツィアより船便を利用してやってきた。マン・ホームにかつてあった帝国の首都を模して造成されたところで、コロセウムという闘技場や大聖堂などの主要観光地所があちらこちらにある。
わたしたちがいるのは、その大きい街の一隅の、アーチが空いた石橋を彼方に臨む川辺の小道だった。
空は晴れていたが、初冬にしては低い気温と、気圧の高低間を渡る空っ風に、震えるほどの寒さを感じていた。空に浮かぶ雲の陰影が濃く、黒々としていて、その黒さが冴えたセレスト・ブルーとくっきりとした
冬用の装いで厚着してきたが、寒さを完全に防ぎ切ることは出来なかった。
「かわいいマフラーだね」
――と、わたしは藍華ちゃんのマフラーを眺め、褒賞する。紅い――真紅のマフラーだった。大人っぽい色だった。
すると藍華ちゃんは、ふふんと得意げに笑みを浮かべてふんぞりかえるように背筋をピンと反り返るくらい伸ばし、「わたしが自分で編んだのよ」、と自賛した。
わたしが首に巻いているのはありふれたカシミヤの、陰気臭い色のマフラーだったから、バラのように艶っぽい彼女のその色合いが羨ましかった。
「藍華ちゃんって、編み物がじょうずなんだね」
「どんどん褒めてくれていいのよ。じゃないと苦労したかいがないからね」
「編むの、大変だったの?」
「まぁね、編むこと自体はそれほどでもなかったけど、時間かかったし、それに……こだわって作ろうと思ったから」
ふうん、とわたしは相槌を打つ。羨ましいなぁ、わたしも欲しいなぁ、と思ったのが最後の感情の波だった。
以後わたしの心中に漲る水面は凪いで静かになった。言葉が発信されるとか、呼びかけられるとかして、わたしの心中に誰かの思いや働きかけが投ぜられても、わたしの中を満たす水はそれ等を呑み込んで、あっという間に波紋をしずめてしまうのだった。
やがて大きい石橋のアーチをくぐる。暗い陰。やや湿り気を帯びた空気。積み重なる落ち葉から立ち上る甘い臭気。
かたわらを穏やかに流れる川面は澄明で、空模様をくっきりと映していた。
ゴー、という重低音が頭上に聞こえたので、見上げてみると、飛行船が目に入った。
陰影の濃い雲より遥か上をゆく空の船。
ネオ・ヴェネツィアへ帰ったら、わたしも道具と材料を用意して編み物にチャレンジしてみようか、などとぼんやり考えた。
とても寒い日だった。日照はあるにはあったが、明るさだけで、温もりは乏しかった。
追い風が吹く。カサカサと背後の下方で音がする。聞き耳を立てる。本当に微かで小さい音だ。
わたしは今度は振り返らない。落ち葉が翻り、舞っているのだ。
――こういう風に他者の存在をなおざりにして、心を空っぽにしても、わたしの体は動じず、二本の足は地の上にあり、歩みを運んでいる。
強めの風が立つ――旋風だった。
落ち葉が高々と吹き飛ばされ、背後よりわたしを越え、正面に舞い上がる。ヒラヒラと翻り、吹雪のように宙を踊る。
紅色だった――わたしがたまたま見入ったひとひらの落ち葉の色だ。真紅の、藍華ちゃんのマフラーと同じ色。
『寒いね』、と再び口にしたら、藍華ちゃんは今度は怒るだろうか、あるいは、また呆れるだろうか。
晴れた寒い日和だった。そしてネオ・ローマの街は、気が遠くなるほど広大で果てしなかった。
(終)