ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.50「片隅から」

***

 

 

 

 オレンジ・ぷらねっとの一隅に階段がある。一階と最上階までの間を昇降する螺旋階段だ。ところがエレベーターがあるので、オレンジ・ぷらねっとの人たちのほとんどは、わざわざ階段を使おうとせず、エレベーターを使う。

 

 エレベーターがエントランスより入ってすぐ向こうに堂々とあるのに対して、その螺旋階段はホールの一隅にひっそりとある。エレベーターの定期点検の時には仕方なく使われるが、その他ではまるで所在なく、不気味にさえ見えるほどだ。

 

 オレンジ・ぷらねっとのルーキーの水先案内人、アリスは、一風変わった人柄で知られていた。口数が少なく、また表情のバリエーションが乏しく人付き合いに積極的でないので、彼女とは反対におしゃべりで穿鑿好きな連中から、あらぬ噂を立てられて当惑したりした。

 

 そういう風にして同僚や先輩と互いに分かり合うどころかすれ違うことの多かったアリスは、オレンジ・ぷらねっとに入って程ない頃は、すっかり孤立して、ふさぎ込んで、公衆より抜けてしまうことがしばしばだった。

 

 それは彼女にとって一種の隠遁であり、そうすることでしか心の安寧を保てなかった。食事は一人で済ませ、相部屋で起臥を共にする先輩であるアテナとも、特にコミュニケーションは取らなかった。

 

 ふたつ並んだベッドの片方で、そっぽを向いて寝息を立てている後輩の後ろ姿を見て、アテナはため息をよく吐いたものだ。どうすればアリスが心を開いてくれるだろう、プライベートの話を口にしてくれるだろう、笑顔を見せてくれるだろう――などと思い悩んだ。――ぜんぶ過去の話だ。

 

 そういう、『はぐれ者』として陰々滅々たる日々を過ごしていた、まだオレンジ・ぷらねっとに入社して間もない時期、アリスは階段を好んで使用した。文明の利器におくれを取り、無用の長物となっている例の螺旋階段である。

 

 この螺旋階段は、確かに、長い、狭いなどの点でのぼりおりするのが面倒であったが、実は展望塔に通じており、この展望室は、エレベーターを用いては行けないようになっていた。展望塔へのアクセスは、アリスを含むごく少数の階段の使用者だけが知り、そして享受出来る特権だった。

 

 海に面してあるオレンジ・ぷらねっとの高みより見晴らされる景色はすぐれてよく、晴天には陽光を浴びて煌めく水面が、荒天には厚い雨雲の下の海で砕け散る白波が拝めた。

 

 

 

 ――その日は幸い、晴天だった。アリス――すでに厭人癖を克服し、仲間と打ち解けたアリスは、階段を使って展望室へと向かった。一人だった。

 

 手摺を持ってのぼりながら、残りちょっとというところで、アリスは上を見上げた。薄暗い階段からは、展望室に差す陽光がはっきりと見えた。心なしかわくわくしてくるようだった。

 

 展望室には非常口がある。他に人がいなかったので、アリスはこっそり、その非常口より外に出、展望室に沿ってある小さい階段をのぼった。

 

 高所に吹く風はきつかった。秋の風。陽光は暖かかったが、未だに夏服のアリスは、微かに身震いした。

 

 昼下がりの明るい空には細かく千切ったような片雲がところせましと並んでいた。海の波は穏やかで彼方にかかる秋陽は柔和に笑っていた。

 

 その空を、ひとつの機影が飛行していく。アクアとマン・ホームを行き来する宇宙船だ。まだ明るい時分だったがアンチ・コリジョン・ライトが明滅している。その航跡の飛行機雲の筋が、片雲の群がりに上書きされる。

 

 アリスはじっとその跡を目で追った。遠くを飛んでいた宇宙船が、やがて近くに迫り、ゴーッというエンジン音を響かせて、やがて静まる――と思えば、今度は宇宙船が飛んでいく方角から、ウミドリの編隊が飛来して視界を横切っていったりする。

 

 そういった色々なものに目を奪われることに、アリスは時の経過を忘れて興じた。誰かと一緒では出来ない遊びだった。自身の目が捉えたものに、集中し、観察し、考究したり、あるいは想像したりする。

 

 ――再び秋風の冷たさに身震いすると、アリスは下に戻ろうと思った。秋の日の暮れるのは早い。

 

 

 

 ――夜。食事を追え、入浴し、寝支度を済ませて床に入ろうという頃。

 

「何か見えたと思ったら、アリスちゃんだったのね」

 

 アテナが、鏡台に向かってブラシでショートヘアを()きながら言う。

 

「でっかい視力いいんですね、アテナ先輩」

 

 綺麗な髪だなぁ、と感心して、アリスが返す。彼女はベッドに座っていた。二人とも、パジャマ姿だった。

 

「言われなきゃ、分からなかったわ。あんなところに、人がいるとは考えないもの」

 

 アリスは微笑む。

 

「だけど、ダメよ、アリスちゃん。あそこは非常時に使うところなんだからね」

 

「マン・ホームは――」と、アリスはアテナの注意を聞き流して言う。「アクアと比べてどうでした? 古いお客さんのところへ出かけてたんですよね」

 

 アテナはブラシを下ろし、ううん、と考え込むように唸ると、苦笑し、「やっぱり」と言う。「わたしには、アクアがいいかなぁ。マン・ホーム(むこう)は、色々と発展してて、すごいなぁとは思うんだけどね……」

 

 よもやま話はやがて終わった。

 

 

 

 深更。

 

 時差ボケで中々寝付けず、ナイトテーブルの弱いライトで読書するアテナは、ふと、本より目を上げ、自分の方を向いて眠るアリスを見た。ライトグリーンのロングヘアが美しい彼女は、安らかに寝息を立てている。

 

 思い出と照らし合わせて、かつては必ず向こうを向いて、何者をも寄せ付けないオーラをまとっていた少女が、よくも変わるものだなぁ、と感激する一方で、その変化を可能にする若さを、羨ましいと思ったりもした。

 

 

 

(終)


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