ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.24「災いの根」

***

 

 

 

 夕暮れの海辺に来ていた。空はまだ明るい青さを保っていたが、先は長くないことは明白だった。濃紺の夜がやってくる。忍び足で、そろそろとやってくる。落陽の時。

 

 わたしは何か落とし物でもしてしまった気がして、今も留まっているのだった。探し物だ。だが、何を落としたのか、よく分からないのだった。制服のポケットに手を入れて、奥までまさぐってみた。空っぽだった。そもそも、わたしはひょっとして、はじめから何も持っていなかったのかも知れない。だとすれば、今こうして探し物のために海辺を離れずにいるのは愚にも付かないことだ。無益だ。無明だ。

 

 だが、わたしの感覚、勘が、わたしに不足を知らせていた。わたしには何かが欠けていた。足りなかった。そしてその何かは、前にはわたしにあって、またわたしに大切に守られていたものだった。わたしはその何かを愛好し、常用し、管理し、保護していた。要は、わたしにとって必須の、欠けるべきではないものだったのだ。

 

 乗り捨てたゴンドラがそばに浮かんで、漂っていた。ザブザブと押し寄せる波の動きに合わせて上下していた。

 

 わたしの目はゴンドラは見ていなかった。海を見ていたのだ。海の中。その深い淵にあるかも知れない、わたしにとってかけがいのない、わたしの忘却し、遺失された或るものを透視しようとしていた。

 

 立っていたわたしは波打ち際の間近まで進むと、しゃがんで、水面に目を注いだ。じゅわっと白く泡立って波が絶えずやってくる。あるいは、この波がわたしの失ったものを運んできてくれるかも知れない。とそんな風に、わたしは楽観的に考えた。だが、待ってなどいられなかった。何となれば、日が暮れ切る寸前なのだ。この明るさを失えば、わたしは断念し、また失望し、途方に暮れ、意気阻喪して、しょう然と立ち尽くすことになるだろう。

 

 古都の喧噪は遥か遠く。わたしは一体ここで、何をやっているのだろう。わたしはここで、何をしなければいけないのだろう。

 

 どうすればいいのだろう?

 

 街路灯の明かりがジリジリという音の後にぱっと付く。夜を知らせる明かり。わたしの名前は水無――

 

 実感がなかった。落とし物、探し物以前に、わたしがここに来た理由。わたしはARIAカンパニーのギャレットで寝泊まりしている。きっと今日も、いつものように、部屋で起きて、先輩のアリシアさんにあいさつして、制服に着替え、細々したことを済ませ、カンパニーを出てきたのだと思う。

 

 そして、そして……?

 

 以後の記憶は途絶していた。わたしが歩んでいた道、わたしがその空気の温かさを感じ、湿り気を感じ、ブーツが石造りの道路を踏む感触を感じたその道のある場所は、あるところでその広がりを遮られ、その外の領域は、最早未だ開拓の手の入っていない宇宙の領域同然の暗がりだった。星茫さえなく、太陽は彼方に小さく浮かんでいるばかりだった。

 

 無重力と無音と低温の茫漠たる空間の中、前後不覚で、いわば自身を失くしてしまったわたしは、怪力乱神に操られた足で、馴染みの道を逸れ、獣道じみたところを進み、そうしてやってきたのだ。この場所へとやってきたのだ。

 

 震える瞳は、波のさざめく水面とよく似ていた。動揺し、ひるみ、悲嘆し、同情と救いを乞うた。

 

 失われたものを求めて知り、理解しなければ、わたしは帰ることが出来なかった。

 

 全ては、偶然か必然か、いずれにせよ、わたしに仕掛けられた罠であり、また犯行であった。あるいは通俗的に言えば、運命の悪戯だったのかも知れない。

 

 わたしにあったもの、わたしに必要だったもの、記憶にせよ、四肢にせよ、わたしの正気、健康、幸運にせよ、何者かは、わたしのそういったものをすっかり奪ってしまったのだ。そしてこつ然と消えた。その痕跡を残さずに。

 

 漂っていたゴンドラは流れ、沖の方へと向かっていた。だがわたしには関心がなかった…… しょせん、外側の事柄に過ぎなかった。

 

 仮にこの今の状況、わたしが遭遇した不知の出来事、わたしがうっかり進入してしまった迷路が、偶然だとすれば、わたしは、失笑せざるを得なかった。

 

 偶然だとすれば、わたしの遺失したものは、結局のところ、不意の突風に吹き飛ばされた一片の羽同然だった。

 

 誰の悪意もなく、企図もなく、わたしはわたしにとって必須のものを奪われてしまったのだ。断じておのれの過失でなくしたのではなく、自然の現象、不測の暴威、いわば、神の気まぐれ、

神の躓きが、たまたま災いしただけのことだったのだ。

 

 そういう風に考えがまとまった途端、わたしは苦笑が漏れ、同時に力が抜けた。肘が地面に付き、両手を浅瀬に突っ込んだ。はねた水が、顔にかかった。

 

 わたしを陥れた犯行の主はいなかった。探求したところで発見するものなどなく、また究明したとことで得られる手掛かりは一つとしてなかった。

 

 わたしの不幸は、そうだったのだ。

 

 わたしは自身の不幸を憂い、嘆き、呪い、その不幸という自生の醜い花を力いっぱい引っこ抜いた。

 

 だが結局、その根はなく、わたしはやはり、失望し、落胆するばかりなのだった。

 

 

 

(終)


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