ARIA The Extension 作:Yuki_Mar12
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快晴のある日。空に雨を思わせる雲は一つとしてなかった。ぽかぽかと暖かい、とても過ごしやすい日柄であった。
世界一美しい広場と称されるサン・マルコ広場は、物見遊山に来た人々でたいへん混雑していた。大聖堂は大勢の人々を飲み込み、そして排出している。
広場には人々だけではない。鳩もたくさんいる。そう、人々が餌をやるためだ。白色の広場に灰色の円を成して、鳩達は地面の餌を貪欲についばんでいる。
そういうわけで、広場は何とも騒々しい。
「一羽、二羽、三羽……」
広場の一隅にあるベンチ。そのベンチには、三人が座っている。白いセーラー服を着る、ウンディーネ達だ。
「数え切れるのか? あんなたくさんいるというのに」
「四羽、五羽、六羽……あぁ……」
鳩を勘定する指が止まる。バサバサと翼を振る音。鳩が飛び去る。飛んで来る。更には、通行人が視界を遮る。
――という風に、もはや収拾が付かない感じだ。
「あらあら、たいへんね」
「バカバカしい」
おっとりとした微笑のそばでは、呆れを滲ませた険のある目付き。
「アテナちゃんの素敵なところじゃない」
「素敵? どういうところが?」
「えぇ?」
アリシアは誤魔化すように笑む。晃は特別追求はしない。
ハァ、とアテナは疲れたようにため息。
「鳩、何羽いるんだろうね」
「知るか」
晃はそっけない。
「みんな、家族なのかなぁ」
「かも知れないわね」
アリシアは、結構付き合いがいいようだ。
「とっても、大家族ねぇ」
「うん」
三人はベンチに仲良さげに座っている。アテナとアリシアは、べつだん注意に値する生き物でもないのに、鳩の動向に好奇の目を注いでおり、他方、晃は、黙然と目を瞑り、腕組みし、何とも気難しい雰囲気だ。
青空を見ると、まるで不動のように見える。しかし、実際は動いているのだ。太陽は目には見えないルートを進んでいる。
「あっ」
アテナは何か発見したように、空に指差す。他の二人はその先を見ようとする。
そうして三人は、白いヴェールの奥に、小さな物影を見つける。
宇宙船が飛んでいるのだった。
***
ランタンを載せたような形状の街路灯のある、石造りのシーサイド・ストリート。
まっすぐ伸びるそのちょうど中央のスペースには、等間隔を置いて木が植えてある。とても小さく細い木だった。
鳩はもういない。いるのはウミネコだ。さっきとは違う鳴き声が響いている。
人通りは決して少なくなかったが、喧騒はもう遠いものであった。
三人は、建物が並ぶ反対側の、海のそばを歩いている。
水際のため風がしたたか吹いており、三人はそれぞれ制帽を脱いで、手に持っていた。
アテナがささやくような声で舟歌を歌っている脇で、アリシアと晃はおしゃべりに興じていた。
話題は各々の後輩のことであった。アリシアの口振りでは、灯里は優秀なように聞こえる。アリシアが優しいためだ。ところが晃の口振りでは、藍華はずいぶん不良に聞こえる。
実際は灯里も藍華も、年数に大差がなく備える実力は五分五分なのだが、結局のところ、論う者が違えば、その評も違ってくるというわけだ。
舟歌は二人の話をよそに、しずしずと続いている。
一見関心がないようだが、アテナも実は、後輩に、アリスに思いを馳せていた。そして、自分であればどういう風に評価するか、密かに考えているのだった。
風がブワッと吹く。アテナは顔を俯けてやり過ごし、風がやむと、手でその薄紫のショートヘアをサッと直す。ロングヘアの二人に比べると、手直しは簡単なようだった。
三人はやがて、あるこぢんまりとした教会のそばにやってくる。
足を止めたのは、その中よりある音色が聞こえてくるためだった。ピアノの音色だ。
アテナの舟歌も中途で終わった。
教会では、よく知っている音楽家の曲が弾かれているようだ。今はもう亡くなった音楽家だ。
三人は海辺を離れ、教会のそばまで寄り、アリシアは、その壁に耳を付けてよく聴こうとする。
厳かで、それでいてほのかに安心を感じるピアノの音色が、壁伝いに、伝わってくる。
満足して、壁より耳を離すと、アリシアは問いかける。
「アテナちゃん、入ってみる?」
その顔のそばで指差して見せて、何とも可憐な仕草だ。
「……」
アテナはこくりと頷いた。興味しんしんの様子である。
アリシアは「フフン」と目を瞑ってにっこりすると、指を下ろす。
そして目を開くと、残りの一人に投げかける。
「晃ちゃんも、いいわよね?」
「あぁ」
気難しいウンディーネはあっさりと答えた。
合意が済んで、三人は、アリシアを先頭に扉を開き、中へと入っていった。
ギシギシと、扉はずいぶん古くなっているのか、重々しい軋みと共に開いた。
***
夕暮れのサン・マルコ広場。
人々の喧騒はもうなかった。鳩も、今では指折り勘定出来るくらいしかいない。
日はほとんど落ちて、空は夕焼けに染まっている。
三人は広場の真ん中に並んで、大聖堂の巨影を見上げている。
それぞれにこやかで、すっかり満足したようだ。
「アリスちゃんは、どう?」、とアリシア。
「え」、とアテナは驚いたように目を見開いたが、程なく落ち着くと、少し考え込んで、夢見るように答えた。
「いい子よ。とても、うん、いい子」
「そう」
アリシアは、喜ばしげに、にっこりして返す。
しかし、晃は険相を変えず、腕組みして言う。
「おのれの才能に溺れないよう、注意しておけよ」
「才能?」
「アリスは天才肌で、あんまり努力しなくても、何事もじょうずに出来る、出来てしまう」
アテナは俯いて、聞き入る様子だ。
「だが、その点が――才能があるということが、かえってデメリットになるということもある」
「そうね。そうかも知れない」
神妙に、アテナは頷く。
「もう、晃ちゃん、アリスちゃんのことは、アテナちゃんに任せればいいのよ。他社のわたし達が余計なアドバイスするのは」
「あぁ、分かってるよ」
と晃は、低く挙げた手を倒すようにして、アリシアの批判をはねのける。
「別に、お前のやり方が気に食わないとか、そういうんじゃないんだ。ただ、アリスのような奴を見ると、どうしても」
晃が話す途中、アリシアはこっそりアテナに耳打ちする。アテナは首を傾げるようにして、耳を貸す。
(晃ちゃん、ちょっとアリスちゃんに、嫉妬してるのよ)
(あぁ)
アテナは、合点が行って笑む。
目を瞑って講釈を垂れ続ける晃は、きょとんとして、クエスチョンマークを頭上に浮かべる。
アリシアは空に指差す。
晃は仰向いて、星を見出す。そして夜の訪れを知る。
また、下りようとする夜の帳に、信号灯の点滅する宇宙船も見る。昼の宇宙船が、帰還してきたのだろうか。
アテナの見上げる視界に、小さな物影が通る。微かに、翼の音がした。
遅れた鳩が、ようやく巣への帰途に付いたのかも知れない。
――と、そんな風に、アテナは考えた。
(終)