DoubleSteps   作:小竜

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#8 勝利を求めて

 

 ネットの向こう側にいる相手は、子安博文という選手である。サイドをしっかりと刈り上げて、トップの部分は少し長めというヘアースタイルだ。

「ヒロくん頑張ってー」という黄色い声援に、子安は手を振って答えていた。

 

 公式試合は1年と3ヶ月振りか。

 春人は1度深呼吸をしてから、コートを見渡した。

 周りに観客はいるが、いつだってコート上にいるのは自分と相手のみ。助けてくれる人なんて、どこにもいない。

 

 試合前の肌がピリッとする感覚は嫌いじゃない。ついに戻ってきたなという感慨がある。

 春人は靴ヒモを結び直して、自陣のコートへと入った。

 

『1セットマッチ。金山サービスプレイ』

 

 ボールを宙へと放り、高い打点から強打する。そこそこの速度だが、いやらしいコースをついていく。サービスコートの角へと突き刺さり、相手のラケットに触れさせることなく通り抜けていった。

 

 いきなりのサービスエースに、面食らった子安が立ち尽くしていた。

 

 テニスの試合は基本的にサーブ側が有利である。好きなタイミングで好きなコースに打てるのだから、当然だろう。

 今度は強烈なトップスピンを掛けたサーブを放つ。子安のスイングは決して悪くない。しかし、生き物みたいに元気よく跳ねるボールに、打点がずれていた。ボールはコートの外へと流れていった。

 落ち着きなくガットを整える子安を、春人はじっくりと眺めた。

 

 子安の動きはどことなく重さを感じさせる。初戦ということで少し固くなっているのかもしれない。

 今は攻めどきなのは間違いない。

 相手が落ち着くのを待つほどお人好しじゃない。ここぞとばかりにテンポよくサーブを打ち込み、危なげなく1ゲームを先取する。

 

 次は子安のサービスである。

 

 諭吉からの情報によると、子安はベースラインからガンガンと積極的に打ち込んでくるタイプとのこと。

 実際、目の当たりにしてみるとコントロールは甘いことが多い。だが、気合を乗せた彼の球は、リターン時にズシリと重かった。

 球威に押されて微妙なコントロールが狂う感覚。ライン近くを狙った春人の返球が、連続でアウトになった。

 

 スコアは30-0。

 

「さてと、どーするかね……」

 

 フォアハンドで力強く打つのが、子安にとって自信のある球なのだろう。特にフォアのストレートが1番強い球だ。得意な球で気持ちよく返している内に、動き全体から硬さが取れてきている。

 

 だが、気になるのはバックハンドのストレートが一度もないということ。春人は何回かアドサイドからクロスへ打ったが、返ってくるのは両手バックでのクロスか、あえて回り込んで放たれるフォアのストレートだった。

 

 意図的なのか、偶然なのか。

 見極める必要があると感じる。

 バックのストレートを避けているのが事実であるならば?

 

 子安のサーブから始まり、しばらくラリーが続く。やがて春人はアドサイドへ来た球を、クロスへ打ち込む。相手のバックサイドに深く届くコースだ。子安はどうにか追い付いて、両手バックハンドで構えた。

 春人はあえてアドサイドで待ち受ける。それは子安に対して、空いているデュースサイドへストレートを打ってみろという挑発に他ならない。

 

 子安がラケットを振るう。

 両手バックハンドのストレート。春人は動かない。見極めるためなら、このポイントは失っても惜しくない。

 子安が苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

「アウトっ! 30-15」

 

 彼のボールは荒々しさこそあるものの、ベースラインを完全に割っていた。なるほど。おそらくはフォアのストレートへの自信がゆえに、バックのストレートを打つ機会は少なかったとみえる。そこへ春人の挑発的な待ちが加わり、子安の力みが増してしまったというところか。

 

 よし、これは相手のペースを乱す武器として使える。

 

 今度はあえて得意なフォアで打たせるように返球する。1度……2度……3度……。気を良くした子安がリズムに乗ってくるが、そこで春人は急に相手のバックサイドへリターンした。

 フォア寄りの意識を持たされた子安は、反応が半瞬遅れる。打球へ追い付くも、回り込む余裕はない。選択肢はバックハンドしかない。

 春人は前へと出る。子安が返してくるだろう球を予測。先ほどしくじったバックハンドのストレートは、選択しにくいだろう。

 返球に対する意識はクロス7割、ストレート3割だ。

 

 子安が打つ。春人の反応は速い。やはりクロスかっ!

 

 打球の勢いを綺麗に反射させるように、春人はボレーで叩き込む。

 

「30-30」

 

「うおお、すっげえ鮮やかっ」「あの人、球の扱いが上手くない?」「お前、金山春人を知らねえのかよ」「コートの奇術師は健在か……」

 

 今度はコートの外に逃げるスライスを打ち込み、子安のリターンが浮いたところを逃さない。

 

「30-40」

 

 最後は、子安のフォアのストレートをクロスへ強打してポイントをもらう。

 

「ゲーム金山 2ー0」

 

 得意ではないバックハンドを狙われたり、自信のあるフォアのストレートを狙い打ちされ、子安の心は揺らいでいるようだった。

 春人のサーブに触れるが、子安はうまく返せない。あっという間に3ー0となり、審判がチェンジコートを告げる。

 

 90秒の休憩。春人はベンチに腰を掛けて、右膝へと触れた。

 

 中学時代にみられた膝の違和感もない。このままなら勝てるだろう。

 ……いや、勝たなきゃいけない。

 遥か先を突っ走っている爽児に追い付くためには、こんなところで転けていちゃダメなのだ。1年のブランクを埋めるために、寄り道をしている暇はない。

 身体の調子は好調で、相手の動きがよく見えている。集中できている証拠だ。

 だから、大丈夫……、絶対に大丈夫だ。

 直後、大気を震わせる歓声が響き渡った。6番コートの方から聞こえてくる。おそらくは栄一郎と大林の戦いに、決着がついたのだろう。

 

「タイム」

 

 審判の声が聞こえる。栄一郎の結果を気にしている時間はない。

 スポーツドリンクで口を潤し、春人はコートへと出ていく。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 異変が起きたのは6ゲームに入ってからだった。サービスは子安にあり、状況は0-30になっていた。

 あと2ポイント取れば勝てる。

 

 その瞬間、フラッシュバックしたのは中学2年の再起した大会のことだ。本当に怪我はなおったのかと疑念があった。また怪我を繰り返したりしないかと不安があった。考えるほどに右膝の違和感は膨れていく気がした。

 俺は勝ち続けなきゃいけないんだ。

 呪文のように心の中で繰り返したことを覚えている。

 だが、その結果は半ば自滅で荒谷に負けるという、最悪のものだった。

 当時のマイク曰く、「春人は勝つことだけにとらわれすぎている」とのこと。

 だけど、わからなかった。

 

 勝負の世界で勝つこと以上に大切なことはないはず。勝たねばプロを目指せない。爽児に追い付けない。

 勝ちにこだわるのは、当然のことだろう。

 その考えは今だって変わってない。

 春人の脳裏にふと過るものがある。

 今度こそ、本当に自分は勝てるのか?

 春人の胸の中で、心臓の鼓動が大きくなっていく。血潮が体内を駆け巡る音がうるさい気がした。

 

 違う。そんな弱気でどうする。

 ここでまた足踏みをする時間はない。

 

 怪我は治っているし、怪我を怖れていたら何にも出来ないだろう。精神的な障害がなんだ。そんなもの怖くはない。あの時、うまくテニスがコントロールできなかったのは、心が弱かったせいだ。

 

 今度こそ、心を強くして弱音を吹き飛ばせ。

 遥か先を走る爽児に追い付くのが目標ならば。

 なにがなんでも、勝つことにこだわらなきゃいけない。

 

 ぱあん、という音に春人はハッとした。それは子安のラケットがボールを叩いた証。反応が遅れた春人は、打球を追い求めて走る。かろうじてボールに食らいつく。

 だが、その球種がスライスサーブだったと、スイングしてから気づいた。外へ逃げていく球に対応できない。スコアは15-30となる。

 

 明らかな凡ミスに春人は頭を横に振る。試合中に何を考えている。集中しろ。

 

 スピンサーブがワイド寄りに飛んでくる。落ち着いてボールを返せと言い聞かせ、軌道を見極め、丁寧にスイングする。リターンした球はネットを超えるが――。

 ベースラインからの一撃を得意とする子安が、この土壇場でどうにか抵抗しようとサーブと共にダッシュをしていた。パシッと頼りない音がして、すぐさまボールがコートへ戻ってくる。

 

 子安のボレーはコントロールもスピードもない、平凡以下のものだった。しかし、虚を突かれたゆえに、間に合わない。

 

「30-30」

 

 今のが集中しているといえるか? 手元ばかりに気が向いて、全体のことが見えていない。少なくとも子安の動きを確認していれば、相手の動き出しに対応が出来ていただろう。

 

 その考えは正しかった。

 どうにか一矢報いようとうする子安が、次も無茶なボレーをしてくる。だが、同じ手は食わないと春人は相手のボレーを返す。これで30-40。

 

 最後は打つ手のなくなった子安のダブルフォルトで、この試合は幕を閉じたのだった。

 

 

 




 読んでくれた皆様、今日もありがとうございます。

 春人の試合終了までが区切り良いかなということで、いつもと比べると短めの内容になりました。
 少しでも楽しんでいただければ幸いです。
 
 今日はこのあたりで失礼します。
 またお会いできると嬉しいです!
 ではではー(^^)/

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