DoubleSteps   作:小竜

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#7 丸尾栄一郎

 

 

 

 神奈川ジュニアテニスサーキット1日目。

 18歳以下男子の部では、128人のテニス選手がしのぎを削る。初日は2回戦まで行うことになり、勝てば明日も試合ができる。

 春人と紅葉が会場入りしたのは10時30分を回った頃だった。

 

「ボス~、紅葉コーチ~、おはようございますっ!」

 

 声のした方を見れば、 STCの面々が集まっていた。手を大きく上げた諭吉が特に目立つ。

 

「あいつ、ボスって呼ばれてるぞ」「なぜ、ボス……」「ボスって、なんだかちょっと笑える響きだね」「っていうか、あれって金山春人じゃないの?」

 

 周囲の見知らぬ人たちがざわめきに揺れる。春人は諭吉に詰め寄って、小声で威嚇した。

 

「その呼び方は辞めろっての」

「えー、いいじゃないですか。それとも王子のほうがいいですか?」

「そっちで呼んだらテニスボールを口に突っ込むからなっ」

「じゃあ、やっぱりボスってことでっ」

「もう、それでいいわ」

 

 悪気のない笑顔を振りまく諭吉を前に、春人は肩を落とすしかなかった。

 王子なんて呼ばれた日には、寒気がしてインフルエンザにでもかかりそうだ。その呼び名は、ナツを抱えて救護室に運んだ後に諭吉が考えたものである。王子とボスなら、どっちがマシかは明らかだ。

 

 STCの集団には、もちろんタクマや栄一郎もいた。タクマは隅でバックを枕がわりに寝ている。栄一郎は STCの面々と試合前の過ごし方について話していた。みんながあれこれ言うものだから、栄一郎が逆にわたわたしている。

 

「ハルちゃん!」

 

 肩をぽんっと叩かれて、春人は振り返る。

 

「ん? ああ、ナツか。おはよーさん」

「おはようっ」

 

 澄んだ瞳で見上げてくるナツがいて、少しだけ戸惑ってしまう。

 

「な、なんだよ。俺の顔になんかついてるのか?」

「いい顔をしてるなあって思ってねっ」ナツの声が陽気に弾む。「試合、楽しめるといいねっ」

「そうだな。とりあえず相手が誰だろうと、勝てるように全力を尽くしてくるわ」

 

 もちろんタクマや荒谷などの強豪がいる大会で、容易に優勝できないことはわかっている。だけれど、自分は爽児に少しでも早く追いつかなきゃいけない。

 負けて当然と思っている奴が、勝てるわけがないのだ。

 そうなれば気持ち的には、全員倒して優勝をかっさらうぐらいじゃなきゃダメだろう。

 

「ん~? でも、ちょっと硬いかな? リラックス、リラックスっ!」

「なひふふんだほっ」 

 

 ナツに両頬を軽くつまれる。何するんだよという文句が上手く言葉にならない。

 

「勝っても負けても死ぬわけじゃないんだから、だいじょーぶだよっ」

「つーか、俺のことよりも、ナツは大丈夫なのか? お前、昔から1回戦が苦手だろ」

 

 ナツは県大会レベルでは第1シードを余裕でとれるほど強い。それでも不安になることがあると春人はわかっていた。一見、お気楽で無敵っぽいナツだが、1回戦の前だけはプレッシャーがかかるのだ。

 中学の試合ではどんな大会でも「1回戦だけは見に来てっ。お願いっ!」とよく頼まれたものだ。だから今日も応援に行くつもりだったのだが……。

 春人はナツを観察して、おかしいなと首を捻った。目の前にいるナツは緊張の欠片もなくて、はつらつとしている。

 

「今日はとっても気持ちが落ち着いてるんだっ」

「じゃあ、1回戦の応援はなくてもいいってことだな。どっかで昼寝でもしてるか~」

「それとこれとは話が別だよっ! ちゃんと応援に来てよっ?」

「気が向いたら行ってやろう」

 

 少し慌てるナツがいて、もっとからかいたくなる。だが、やりすぎると後がこわいのでやめておこう。

 

『63番丸尾くん、64番大林くん。6番コートに入ってください』

「うひゃああああああっ!」

 

 長く尾を引く悲鳴が上がった。ふと見れば栄一郎が、両手で頭を抱えて右往左往している。

 

「どどどどど、どうしようっ!」

「アニキっ、とりあえずもうコートに行くしかありませんよ」

「じゃあ、行ってくるっ!」

「あ、ちょっと! カバンを忘れてますよっ」

 

 階段を駆け下りようとする栄一郎がUターンして、諭吉からテニスバックを受け取る。

 やれやれ、こりゃ少し声でもかけた方がいいな。そう思っていたら、春人よりも先に近づくタクマがいた。ポケットに手を突っ込んで、気だるそうに歩いている。

 何を思ったか足を大きく振り上げて、栄一郎の脳天に踵を落とした。

 

「んぎっ!?」

 

 痛そうな音と共に、栄一郎が崩れ落ちる。倒れてぴくぴくと痙攣しているが、生きてるよな? 

 

「なにするんですかっ!」

 

 飛び起きた栄一郎が振り返って抗議する。そこで始めてタクマに蹴られたとわかったらしい。驚いた表情で動きを止めた。

 

「慌てなきゃなんねえほど、できることなんてねえだろうが。さっさと行けよ」

「は、はいっ。行ってきますっ!」

 

 冷静さを取り戻した栄一郎が、表情に決意を宿した。

 タクマって意外と後輩思いなんだなあと思い、ニマニマしてしまう春人であった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 栄一郎の相手は大林良という金髪の男だ。第5シードでサーブ&ボレーを得意とする選手のようである。

 

「1セットマッチ。大林サービス。プレイっ!」

 

 フェンス越しでかなり離れているが、栄一郎の心臓の音がここまで聞こえてきそうだと春人は思った。

 

「エーちゃん、勝てるかな?」

「可能性は低いだろ。相手は第5シードだしなあ」

 

 我が子の発表会を見守る母親みたいなナツが、心配そうに尋ねてくる。

 

「ハッ!」

 

 大林が気合を乗せて思い切りラケットを振り抜いた。サーブ&ボレーヤーらしい、強烈なフラットサーブ。栄一郎の足が、ふっと動く。

 

「でも、勝負に絶対はないから……、可能性はゼロじゃない」

 

 栄一郎の流れるようなスイングで返った打球が、大林の左を抜けて相手コートに突き刺さる。

 

「0-15」

 

 審判のコールに、観客の動揺が広がっていく。

 

「リターンエースだぞ」「うそだろ?」「サーブもすげえのに」「いや、リターンが上回ってんだよ」「マグレじゃねえの」「ラッキーだけで返せる球じゃないよね……」

 

 ざわついてる人達の中でも、一番に不可解な顔をしてるのは栄一郎なのだから面白い。

 大林の鋭い打球を、栄一郎はバックハンドで迎え撃つ。クロス方向へ弾き返し、逆をつかれた大林が無理に手を伸ばすが、ボールは無常にもラケットの横をすり抜けていく。

 またもやリターンエースである。

 

「0-30」

 

 この連続ポイントは、決してマグレなんかじゃない。

 タクマとのサーブ勝負以降も、リターンの反復練習を欠かさずに栄一郎は続けていた。もはや意識せずとも反応するレベルで、理想のリターンをエーちゃんの身体が覚えているのだろう。

 しかも、フラットサーブに関しては高校屈指のタクマの打球が基準となっている。大林の球も速いが、タクマと比べれば確実に劣る。

 では、フラットサーブ以外ではどうか?

 大林がトスを今までよりも少し後ろ目にあげた。おそらく狙いはスピンサーブ。

 外野にいる春人でもパッと見でわかる違和感を、目が良い栄一郎が逃すはずもない。

 スピンサーブ。地面に当たってから、高く跳ねる軌道を描くサーブだ。普段通りのスイングでは打ち損じることもある。

 栄一郎のテイクバックは高めだ。スピン回転のボールがセンターライン近くを弾む。そのタイミングで栄一郎は冷静に叩き返す。

 

「0-40」

 

 よっしゃと春人は拳を握り締める。

 フラットサーブ以外のリターンも、栄一郎は十分なほどに訓練してきている。お互いの休みがあえば、春人が打つサーブを栄一郎が返す練習をしていたのだ。休憩もそこそこに、何時間もぶっ続けで。

 

「ゲーム丸尾 1-0」

 

 栄一郎の目の良さと実戦経験をつんだリターンは、もはや武器となりつつある。

 

「すげえっ、あいつ大林を相手にブレイクしやがったっ!」

「あいつは誰だよ!」

「STCの丸尾栄一郎だってよ」

 

 周囲の驚愕など聞こえないほどに、栄一郎はそわそわと落ち着きがない。

 

「すごいねっ! 私が思ってたより、全然成長が早いよっ。これならやっぱりシード選手敗れるかも。そしたら一気に有名人だねっ」

「取らぬ狸のなんとやら。そりゃ気が早すぎるぞ」

 

 はしゃぐナツの隣で、春人はどこまでも冷静に分析する。

 

「このサーブゲーム次第ではありえるでしょ?」

「あー、むりむり。このゲームは十中八九ブレイクされるな。だって、ほら――」

 

 ぽむん、っと随分可愛らしい音がした。栄一郎の元を離れていくボールは、ひょろひょろと緩く飛んでいき、準備万端な大林に迎えられる。

 今までの鬱憤を解き放ったような、豪快なスイング。ベースライン上を必死に駆ける栄一郎だが、まったくボールに手が届かない。

 信じられないものを見たと言わんばかりに、ナツは口をぽかんと開けていた。

 

「リターンは相手の球威を利用できるけど、サーブはそうもいかないんだよなあ。しかも相手は第5シードだぞ。これじゃあサーブゲームはとれないだろ」

 

 面白いように大林にポイントが入っていき、

 

「ゲーム大林 1-1」

 

 ここからはまた栄一郎のリターンである。問題はここから、大林がどういう戦略をとってくるか。速い球ならリターンゲームはどうにかなるだろう。だが、球の勢いを殺してくるならば――。

 大林はサーブで半円を描く緩い球を打ってきた。

 

「よしっ、チャンスだよっ! いけえっ!」

 

 ナツの声援を受けながら、栄一郎が遅い球を全力で打ち返す。会心の当たりのように見えて、しかし返球は相変わらず遅かった。チャンスボールを逃すわけもなく、大林にまたポイントが入る。

 大林は栄一郎の弱点をしっかり見抜いたようだった。

 つまりは栄一郎はまだ自分の力をスイングで、効率的にボールへ伝えられないことがバレたのだろう。

 

「ゲーム大林リード 2-1。チェンジコートっ」

「ちょっとハルちゃんっ、どうしようっ」

「急に打ち方が上手くなるわけでもないし、技術で挑むのは分が悪いよなあ。つーか、ナツさん酔うからやめてもらっていいですか」

 

 ナツが春人の襟首を掴んで前後に揺らしてくる。

 技術じゃ大林に勝ち目はない。だけど、それ以外で栄一郎が優っているものがある。それに気づければ、もう少し戦える可能性が生まれる。

 3ゲーム目終了時のチェンジコートは90秒の休憩がある。栄一郎はベンチに腰を掛けて、ノートと睨めっこしていた。ゲーム中の展開をまとめたり、過去に学んだ基礎の復習をしているところか。

 だが、おそらく大林と戦えるヒントは、まだノートの中に集まっていないだろう。

 栄一郎がノートから目を離した。その時に、たまたまか春人と視線が交錯する。春人は口を大きく開いて、口パクでエールを送った。

 

 

 あ・い・て・を・よ・く・み・ろ。

 

 

 最後に大林を指でビシッと示すと、栄一郎の視線も釣られてそちらへ向いた。しばらく動かないところをみると、伝えた意味を考えているようだった。

 栄一郎にサーブ権がある4ゲーム目が始まった。

 サーブゲームでは相変わらず分が悪い。だが、徐々に栄一郎の動きに変化が見られてくる。

 さっきまでの栄一郎は、「グッと構えて、サッと引いて、スパーンで打つ」とか考えていそうな、自分の内にあるものと向き合うテニスをしている雰囲気があった。だが、この状況で1つ1つの動作を考えながら動くようでは、相手の真剣な打球に振り回されるばかりだ。

 こうなったら視点を変えるしかない。すなわち大林良と向き合うということ。フォーム、グリップの握り、スイング。情報を1つでも多く集める。

 大林の動きを予測できるように。

 栄一郎の眼の力なら、それが可能なはず。

 もちろん容易ではないが、その眼の使い方はタクマとのサーブ対決をした時、すでにやっていたこと。

 最初こそ大林の動きに反応できなくても、塵も積もれば山となる。敗北までの4ゲーム内に栄一郎の予測という武器が間に合うだろうか。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 夏の日差しが、肌をじりじりと焦がしていく。

 大林リード4-1で迎えた6ゲーム目。栄一郎のサービスだ。緩いサーブがセンターライン寄りにボールを運ぶ。

 対して大林のリターンは回転をかけて打ち返してきた。コートを跳ねて、ボールが外へと逃げていく。多くの人間が取れないと思っただろう球に、栄一郎が下唇を噛み締めながら追いつく。

 体勢を崩しながらも栄一郎はラケットを振るう。ぽむっ、と拍子抜けの音がした。

 それでも相手のコートへ、ふらふらとたどり着こうとするボール。栄一郎は体勢を立て直す。

 大林が駆け込んで、ラケットをテイクバックした。

 瞬間、大林のスイングが終わる前に栄一郎は地面を蹴って左へと動いた。

 ボールは磁力で引き寄せられるように栄一郎の元へ。

 栄一郎はその球を返した。叩くというよりも、ラケットの面に当たっただけの弱々しい打球が、大林の右側へと逃げていく。

 

「15-0」

 

 それは栄一郎のサービスで、始めてとったポイントだった。

 ギャラリーは沸き立ち、興奮したナツもフェンスを強く握り締めていた。

 

「い、いま、ボールが返ってくるよりも早くエーちゃんが動いてなかった?」

「俺にもそう見えたよ」

 

 ナツの驚きの声に、うなずいて春人は同意する。

 栄一郎のサービスは続く。15-15、15-30、30-30とポイントが動いていき、

 

「40-30」

「これは偶然じゃないな……」

 

 大林を見続けることで予測が可能となりつつある栄一郎は、その反応の良さを頼り動き出しを早くして、どうにか相手の球を拾い続けているのだ。身体に乳酸が溜まって、息も絶え絶えだというのに、大林の3倍は走り回っている。

 栄一郎が決めなくても、大林が根負けしてボールがラインを割る場面も増えてきた。

 

「ゲーム大林リード4-2」

 

 その時、ゲームの流れは大きく変わろうとしていた。

 

『49番子安くん、50番金山くん。1番コートに入ってください』

 

 スピーカーから流れてくる音声に、春人はため息をついた。

 残念なことに呼び出されてしまった。栄一郎の試合を見届けられないのが心残りだった。

 

 

「ハルちゃんの出番だね。さあ、行こうよ」

「なんだよ? エーちゃんのこと最後までみてやらなくていいのか?」

「うん。エーちゃんも気になるけど……。ハルちゃんの大切な日を見逃すわけにはいかないもん」

「……さんきゅーな」 

 

 春人は栄一郎を一瞥してから、内心で頑張れよとエールを送った。

 

 

 

 




 読んでくれた皆様、今日もありがとうございます。

 ついにちゃんとした試合らしい内容になってきました。
 テニス用語を調べながら書いてるので、変なところがあったら申し訳ないです。
 何か気づいたことがあればなおさせていただきますので、教えていただければと思います。
 
 エーちゃんの勝敗と共に、次回は春人の試合風景の予定です。
 
 そんなわけで今日はこのあたりで失礼します。
 またお会いできると嬉しいです!
 ではではー(^^)/

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