DoubleSteps   作:小竜

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#3 挑戦者たち

 

 

 江川逞。 STCの中でもトップクラスの選手で、間違いなく全国でも通用する身体機能とボールセンスを持っている。特に武器としているのはサーブ。中学時代は時速約150kmの高速サーブを打っていた。化物みたいな中学生だった。それがもっと成長してると想定するなら、生半可なことではリターンが難しい。

 そんなサーブをほぼ素人同然の丸尾栄一郎が返す。1球でいいとはいえ、普通なら勝ち目のない勝負である。

 

 ばむっ、といい音がした。

 

 春人のフラットサーブから放たれた球に、栄一郎がかろうじて反応する。

 グッと構えて、サッと引いて、スカッと空振り。ボールがフェンスに当たってから、寂しそうにコートへと転がった。栄一郎がすかさず頭を下げてくる。

 

「ご、ごめんっ!」

「おーけー、おーけー。何発でも打つから、気にすんな。でもとりあえず、1回ボールを回収すっか」

「あ、うん。そうしよっか」

 

 タクマに喧嘩を売られた翌週の土曜日。春人は栄一郎と共に、本沢テニスコートでサーブをリターンする練習をしていた。

 

 トサカ男は名前を丸尾栄一郎といった。またの呼び名をエーちゃん。大杉高校の1年生である。つまりは春人と同級生ということ。同じ学校なら放課後に練習する機会も作れるな。そう思ったのだが……。どうやら栄一郎は週3日の塾があるらしく、テニスは運動不足解消のために始めたとのこと。中年オヤジみたいな理由である。まあともかく、毎日の放課後、一緒に練習というのは難しそうだった。

 そんなに忙しいのなら、タクマの喧嘩を勝手に買ったのはまずかった。そう思って、勝手に栄一郎を勝負のダシに使ったことを「すまんっ」と謝った時に彼は言っていた。

 

 

「 STCでテニスを堂々と続けたいし、タクマ先輩に認めてもらいたいから、頑張るよ」

 

 

 はっきりとそう言ったのである。タクマにあれこれ言われて悔しかったのかもしれない。

 春人の内側にくすぶっているものがあって、テニスに対する答えはまだ出ない。

 だが、勢いで勝負する羽目になったとはいえ、栄一郎を巻き込んだ責任がある。

 タクマとの決戦は待ってくれない。勝つために全力を尽くす。今はともかく栄一郎のリターン練習をすることが優先だった。

 

 20球のボールをカゴへ集めて、そのうちの1つを大空へと放る。

 

「いくぞっ!」

 

 力強くラケットを叩きつけ、ボールが相手のライトサービスコートへと飛んでいく。栄一郎が駆けて間合いの範囲にボールを収め、大きくテイクバックして――。

 バコンっ!

 遅れたスイングに、ボールがあさっての方向へ飛んでいった。

 

「エーちゃん、ちょっとテイクバックが大きいな。その振り方じゃあ、速いサーブだとかすりもしないぞ。もっと最小限(コンパクト)にだ」

「でも、それだと速いサーブは返せなくない? 力負けしちゃうような」

「いや、相手のボールの勢いがあるほど最小限(コンパクト)なスイングで返っていくんだ。ただし体重移動は大事だな。こうやって――」

 

 春人はスイングのときに、前足へと体重を乗せてみせる。

 

「前への重心移動が必要なんだ」

「わかった。重心移動をしながら、もっと最小限(コンパクト)

にだね」

 

 栄一郎がリターンの練習を続ける。こちらのコートへ返ってくる球は、指で数えられるほど。他のはネットをゆらゆら揺らしたり、フェンスを超えて飛んでいったり。

 ボールがなくなれば集めて、またサーブを打ち続ける。

 

 時々、栄一郎はベンチまで行ってノートに何かを記載して、また戻ってくる。

 同じことをひたすら繰り返す。

 しかし、随分とサーブが鈍ったものだ。筋肉がおちると速度は露骨に変わる。やはり1年のブランクというのは大きい。前は最速で時速140kmぐらいは出せたのに、今となっては体感的に時速110kmぐらいだろうか? タクマの最低のサーブと比べると、うさぎとカメみたいである。

 

 それでも生きた球を打つのは、不可欠な練習だった。壁打ちだけでは得られない、意志がこもったボールに慣れてもらう必要がある。

 

「ふい~、ボール回収したらちょっと休憩すっか」

「そ、そうだね」

 息が切れて、足腰もふらふらな栄一郎がいる。

「おいおい、大丈夫か? 生まれたての小鹿ちゃんみたいにプルプルしてるじゃん。ボールは俺が集めるから先に休んでていーぞ」

「うん、ありがとう」

 

 栄一郎がコート備え付けのベンチへたどり着くと、崩れるように座り込んだ。この前までテニスどころか、運動もしなかっただろうし、ちょっと無理をさせ過ぎたかもしれない。

 あんまり時間がないけど……、テニスを嫌いになられても困る。もう少し、ペースを落としていくか。そんな風に考えて、ボールを集めてベンチに戻ると、

 

「エーちゃ――」

 

 春人は思わず言葉を飲み込んでしまった。

 栄一郎が流れる汗にも構わず、ノートにペンを走らせ、そして呪文みたく1人で呟いていた。ノートをのぞき見れば、コートの絵にボールの軌道が描かれている。それは春人の打ったサーブの全軌道だ。落下した地点と打点が全て書いてある。

 

 これは、どこまで正確に見えているのだろう。

 

「よしっ」栄一郎が立ち上がって、ふらふらな足取りでコートへ向かう。「続きをやろうよ」

「いや、もうちょっと休憩しなくていいのか?」

「疲れてるんだけど、それ以上に楽しいんだよね」

 疲労の色は浮かべながらも、打ちたいという気迫がにじみ出ていた。

 

 そんな栄一郎を目の当たりにして、思わず笑みがこぼれてしまった。テニスが楽しい。しごかれているのに。その気持ちがある限り、か細い勝機の光は潰えない。

 

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 春人はバテた栄一郎を送り届けるため、とあるマンションまで歩いてきた。

 たどり着いたマンションは、線路沿いにあったので道に迷うことはなかった。外から見ると、もう薄暗いのに窓に明かりは灯っていない。話によると、父親は仕事で、母親は何かの食べ放題に行っているらしい。

 

「ほら、到着したぞー」

「助かったあ。本当にありがとう。あ、いま、お茶入れるからね」

「俺には構わないで大丈夫だぞ。すぐに帰るから――」

 

 部屋にたどり着くとテニスバッグをおいて、栄一郎はダイニングへと姿を消した。仕方ない、せっかくだから1杯ぐらい頂いていこう。

 春人は部屋の中を見回す。棚には本が左から右へ、背の順で綺麗に並べられていた。壁にはアイドルの写真……ではなくて。地図記号と元素記号という、色気も男気もないものが貼ってある。春人が部屋に来ることは予定になかったのに、ホコリ一つない部屋は、なんとなく栄一郎っぽさがあった。

 

「おまたせー」

「さんきゅーな。てか、ほんと無理すんなよ」

 

 戻ってきた栄一郎が身体を壁にあずけた。お盆の上に乗った氷入りの麦茶を、ひっくり返しそうで怖かった。春人はお盆ごと受け取って床に置かせてもらった。

 

「さすがに疲れたよ」栄一郎がベッドへとダイブする。「でも、色々と勉強になったなあ」

「勉強て……、二宮金次郎も真っ青なほど真面目だな」

 

 お茶をいただきながら一息を入れていると、線路を通り抜けていくものがあった。

 ガタンゴトン――ガタンゴトン――。窓越しに見える電車。乗っている人が見えるぐらいに近い。もっとも速すぎて、顔までは認識しずらいが。

 

「あ、父さん……」

 

 電車を眺めていた栄一郎が言う。

 

「は……? え、嘘だろ? 今ので見えたっていうのか?」

「見間違いじゃなきゃ、もうちょっとで帰ってくるかな」

 

 栄一郎をまじまじと眺めてから、春人は外へ視線を向ける。すでに電車は通り過ぎた後だった。

 

 こいつ、どんな眼をしてるっていうんだ?

 

 だけど、今のが本当であるならば、こいつはすごい才能を持っていることになる。

 春人はごくりと唾を飲み込んだ。

 

「よっしっ、とりあえずお茶、ごちそうさまっ! ちょっと用事があるから帰るわ」

「明日は何時から練習する?」

 

 栄一郎が身体をむくりと起こして、尋ねてくる。

「いや、明日は2人での練習は休みにしよう。あんまり詰め込みすぎて、怪我しても大変だし」

 

「そんな悠長にしてて大丈夫? 今日だって、全然サーブを上手く返せなかったし……。土日しかやれないと、練習も進まないよね」

「まだ3週間ある。それに平日だって学校でやれることはある。サーブに対しての最小限なスイングの確認とかな。昼休みとか時間が合えばやろう。あとはタクマのフラットサーブのリズムを、身体に覚えさせる必要がある。それを夜、時間があるときに家でやって欲しいんだ」

 

 色々な見解があるが、春人はテニスにおいて相手へ球を返すには、リズムこそ重要だと考える。ストロークはもちろんのこと、サーブも例外ではない。

 相手がサーブを打つ瞬間に「1」、ボールの方向へと軸足を入れるので「2」、打ち返すときにもう一方の足を踏み込むので「3」といった具合だ。

 

 もちろんサーブの回転や速度、飛んでくる球の方向にあわせてリズムは変わる。逐一の調整は必要となる。だが、リズムがあえば格段に打ち返しやすくなるのだ。

 タクマのフラットサーブ。高い身長から天性のバネを活かして打ってくる、回転が少ない強力なショットだ。タクマはフラットサーブに絶対の自信を持っている。もちろん、あいつは他のサーブも武器になるくらい打てる。正直なところフラットサーブを活かすために他のサーブを混ぜられると、リターンの経験がほとんどない栄一郎では手が出ないだろう。

 

 だが、こちらを完膚なきまでに叩きのめすためなら、タクマの性格上、必ずフラットサーブで攻めてくる。ゆえにこちらは、そのサーブへの対策をたてて迎え撃つ。

 

「タクマ先輩が打つフラットサーブのリズム? そんなのどうやって慣れるの?」

「そのために必要なものを、これから貰ってくるのさ」

 

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 駅前のナクドナルドでオレンジジュースを注文して、2階へとあがる。時刻は20時を回ったところ。だが、相手はまだ来てないようだった。窓際の席を陣取って待つ事にする。

 

「遅くなってごめんねっ」

 

 15分後。トレイにハンバーガーセットをのせたナツが、ようやく姿をみせた。

 五分丈のボーダーカットソーにネイビーのフレアスカートをあわせていた。勉強していた学生がペンの動きを止めて、カップルの片割れらしき男が振り返って、側にいる女子に睨まれている。

 

「ハルちゃん、待ったでしょ?」

「うんにゃ、いま来たところだよ。こっちこそ悪かったな。練習後で疲れてんのに呼び出してよ」

「ううん、まだまだ元気だから大丈夫だよっ」

 

 ナツがほんわかとした笑顔を咲かせて言った。

 ナツはトレイをテーブルに置いて、向かいの席に座った。フライドポテトの美味しそうな香りが、鼻をくすぐってくる。そういえば栄一郎との特訓後、なんも腹に入れてなかった。だが、家に帰れば雪乃の作ったご飯が待っている。ここは耐え忍ぶしかない。

 

「お願いされてたものを持ってきたよ」

 

 ナツからDVDロムを受け取る。

「おお、さんきゅーな。俺じゃ借りられないからさ」

「そうかな? ハルちゃんなら三浦コーチに言えば、見せてくれそうな気がするけど」

 

 柔らかそうな唇を控えめに開いて、ナツはフライドポテトを食べる。練習でお腹がすいていたのか、幸せだと顔にかいてあった。

 このDVDには練習生が参加した一番最近の試合を、STCのコーチが撮影したものが入っている。タクマのサーブも、繰り返しみれるということだ。

 ナツに全ての成り行きを話して、借りてきてもらったのだ。ちなみにエーちゃんのことも話すと、ナツが前に言っていた「きっと強くなる人」がそうだったという。

 もぐもぐもぐっ。フライドポテトを美味しそうに頬張るナツ。春人のお腹がきゅ~っと鳴った。

 

「はい、ハルちゃん」

 

 頬杖をついたナツが、つまんだフライドポテトを差し出してくる。

「ちょ、お前、それはっ……」

 ああもう、こいつは相変わらず無頓着だな。

「ん、どしたの? お腹減ってるんでしょ?」

「お、おう。まあまあ腹が減ってるけど……」

「うんうん、わかってるよ。ユキちゃんがご飯作ってくれてるから、ここでは頼まなかったんでしょ? でも、家までもつように、少しだけ食べときなよ」

「ま、まあこれぐらいなら、お腹は膨れないだろうな?」

 

 あれ? なんだか話が別の方に流れていったが……。そう思いながらもナツの善意を無下にできなくて、素直に春人は口を開けた。

 

 あーん、ぱくっ! もぐもぐもぐ……。

 

「ナックのポテトは塩加減がいいよね。美味しいなあ」

 すんません、ナツさん。緊張のせいか味がわかりにくいっす。

「はい、どーぞ」

 もぐもぐっ。

「もう1個あげるっ」

 もぐもぐもぐもぐっ。

「なんだか雛鳥にご飯あげてる親鳥みたいだね」

 

 あははっと笑うナツは楽しそうだったので、とりあえずは何も言うまい。春人は喉を潤すためにジュースを飲んだ。

 

「それで、どうなの? タクマとエーちゃん、どっちが勝てそう?」

 

「そりゃ普通に考えりゃタクマのほうだろうなあ」両手を頭の後ろで組んで、背もたれに体重をあずける。「今のまんまじゃ、負けて俺が殴られそうだ」

 だけど、エーちゃんは根性があるやつだ。一度決めたら貫き通す信念がある。それに自分に足りないものを受け止めて、どうするべきか考えることもできる。

 タクマのフラットサーブのリズムを覚え、リターンの練習を続ければ、あるいは……。

 

「ふふふっ」

「なんだよ、急に笑って……。頭のネジでもぶっ飛んだか?」

「なんだか、ハルちゃんらしいなあって」

「俺らしい?」

 ナツがこくりとうなずく。

 

「テニスでも相手が自分より強いと、どうやって倒すかなーってよく燃えてたでしょ。楽しそうに考えて、あれこれ工夫を凝らして、勝っちゃうこともあったじゃない」

 

「そうだったかもな……」

「私はハルちゃんのそーゆうとこから、いっぱい力をもらってるよ」

「まあ、昔のことだろ? 今はテニスをやめて、ちゃらんぽらんな男になっちまったな」

 進むべき道を失った不甲斐ない男だ。

 

「ううん」ナツは首を振る。「ハルちゃんの根っこは、なーんにも変わってないと思うなあ」

 

「そうなのかねえ」

「テニスをやってても、やってなくても、ハルちゃんはハルちゃんだよ」

 

 ふとテニスを始めたきっかけを考えてみた。

 両親がテニスをやってたから、物心ついた頃には当たり前のようにラケットを振り回してたけど。気づけば呼吸をするように当たり前になっていた。はっきりとしたきっかけは、なかったのかもしれない。そしてナツがテニスを始めて、やがて爽児をテニスの世界へ誘ったのだ。

 池爽児は幼馴染3人の中で一番最後にテニスを始めたのに、一番上手くなって遠くまでいってしまった。思えば最後に会話をかわしたのは、辞めると告げた時だった。

 

 爽児は元気にしてるのだろうか?

 

 心揺らぐ春人をみたら、どう答えるだろうか?

「なあ、ナツ。爽児はさ、俺がテニスやりたいって言ったら、なんて返してくるねえ」

 ぼんやりと考えながら呟いてみた。答えは決まってる。1度辞めるって言って裏切ったのだ。許してはくれないだろう。

「うーん。私も爽ちゃんじゃないから、なんともいえないけど」

 人差し指を頬につけて、ナツは考え込んでくれる。

「そうだよな。すまん、つまらんこと聞いた」

「じゃあ、電話して聞いてみたら?」

「……はい?」

「私、爽ちゃんの連絡先を知ってるし。今すぐかけてみよっか?」

 

 明るい顔をして、しれっと言うナツがいる。

 いや、確かに本人に気持ちを聞いてみるのが1番だけど。なんというか、声を聞くのも緊張するような。

 身体の中で血潮が勢いよく駆け巡っていくのがわかる。

 その日は結局、電話をする踏ん切りがつかずに終えたのだった。

 

 

 




 読んでくれた皆様、今日もありがとうございます。
 感想やご指摘をくださった方々、ありがとうございます。励みになります。

 結局、特訓の回になってしまいました。これはこれで必要な流れなのでご容赦を。ただ、次回は今度こそvsタクマが終わりとなって、ハルが大きな一歩を踏み出します(確定)。
 
 そんなわけで今日はこのあたりで失礼します。
 またお会いできると嬉しいです!
 ではではー(^^)/

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