それでもよろしければ、どうぞ。
そう、貴方は誰よりも弱い。
いいえ、それでは貴方は不服かもしれないから言葉を変えましょう。
――貴方は
何があったかはわからないけど、ほんの少しの間貴方と話してわかったわ。
でも、心だけが成熟しても、肝心の身体と技量が追いついて来なければ、いずれ破綻する。
もし、貴方がそれをよしとしないなら――
「――おい、織斑」
その呼びかけとともに肩を軽く揺さぶられて、ようやく一夏は思考の海から抜け出すことができた。
そんな彼が顔を上げてみれば、仏頂面の照彦と、心配そうな表情の副担任――
さらに周りを少し見てみると、専用機持ちをはじめとしたクラスメイトの女子たちが彼の方をじっと見ていた。どうやら、予想以上に惚けていたようだ。
「お、織斑君」
あまり状況が掴めていない一夏に、真耶が声を掛ける。
「病み上がりだから無理をしなくてもいいですよ? 今日はクラスの出し物を決めるだけだから」
そう言われて、ようやく一夏はこれまで何をしていたかを思い出した。
文化祭での、クラスの出し物を決めていたのだ。一夏が覚えている限りでは、クラスメイトにどのような出し物がいいかという質問を振り、しばらく進行を照彦に任せたのだった。
「いえ、ちょっと考え事をしていただけなので大丈夫です」
とりあえず真耶に返事を返した一夏は、照彦に顔を向けた。
「テルも、進行任せちゃって悪かったな」
「別にいい」
一夏の謝罪に、照彦は表情を少し和らげて答え、それよりも、と前置いた上で一夏に向けて口を開く。
「今までに出た案については黒板に書いておいたから目を通してくれ」
その言葉に、一夏は了解、と答え黒板に目を向ける。
二人の男性操縦者とポッキーゲーム。
二人の男性操縦者とツイスターゲーム。
二人の男性操縦者と……
そこまで見て、一夏は黒板から目を離し、クラスメイトたちの方を見る。
クラスメイトたちは、何かを期待するような目で、一夏を見つめ返していた。
次に一夏は、もう一度照彦の方へと目を向ける。照彦は一夏と視線を交差させるやいなや、どこか疲れたような表情で首を横に振った。
その仕草につられるようにため息をついた一夏は、再度クラスメイトたちの方を向き、口を開いた。
「全部却下だ」
◇◇◇◇
「それで、最終的にラウラが出した喫茶店ということにしたわけか」
「はい」
放課後、一夏は職員室で
一夏が出ていた案を全て却下した後、クラスの一般生徒からブーイングを受ける中で、おずおずと挙手した専用機持ちの一人であるラウラ・ボーデヴィッヒの案が、メイド喫茶というものだった。しかし、男性操縦者がいるのにメイドのみとは如何なものか、とクラスメイトの一部から声が上がったが、話し合った末、男性操縦者の二人は基本裏方で、女子とは別にシフトを作り、ホールに出る場合は執事服を着て接客する。という形になった。
当然、メイドだけではなくなったので、メイド喫茶ではなく喫茶店として職員室に提出することになった。
ちなみに提案者のラウラも、その変更に異存はなかった。むしろ、自身の提案が通ったことに少しだけ嬉しそうな表情を浮かべていた。
そんな裏事情を知らない千冬は、どこか感慨深そうに言葉を紡ぐ。
「しかし、ラウラがこうした提案を挙げるとは……」
そう言った千冬の口元には、小さな笑みが浮かんでいた。そのことにすぐ気がついた一夏であったが、いちいち指摘するほど野暮な人間ではない。
「まあ、必要予算等に関してはもう少し詰めてから報告するので待っていてください」
「ん、わかった。だがなるべく早くな」
「了解」
そこまで話し、書類を提出したので帰ろうと思ったが――
もし、貴方がそれをよしとしないなら、生徒会室の扉を叩きなさい。
更識楯無に言われた言葉を、一夏は思い出した。
「――どうした、織斑」
歩き出そうとして、突然止まった一夏に対して、千冬が声を掛ける。
千冬の声を聞いた一夏が、そちらの方を向く。
その顔には、真剣な表情が浮かんでいた。
「織斑先生」
意を決したような声色で、一夏は千冬にあることを聞いた。
――生徒会室は、どこにありますか。
職員室を出て数分後、一夏は生徒会室の扉の前に立っていた。
突拍子もなく生徒会室の場所を聞いた一夏に、千冬は少しだけ眉をひそめたものの、すぐに何かを察したのか呆れたような表情になり、小さくため息をついた後、すんなりと場所を一夏に教え、送り出してくれた。
送り出される直前に千冬は一夏に対して、あまり無理をするなよ、と声を掛けてきた。それが何を意味しているのか、一夏自身はよくわからなかったが、こちらのことを心配してくれていることだけはわかった。
――やはり、少々欠点があるものの、彼女は自分にはもったいない程出来た姉だ。
そう考え、一夏は頬を綻ばせながら、生徒会室まで歩いてきた。
しかし、生徒会室の前まで来たものの、未だにその扉を開けられないでいた。
鍵が掛かっているわけではない。ドアノブを捻り、こちらへ引くだけで目の前の扉は簡単に開く。だが、そのドアノブに、一夏は手を掛けられないでいるのだ。
単純に、一夏は緊張していた。ただ、それは普通の緊張と言えるものではなかった。
――それ故に、彼は扉の前に立ってから、動けなくなってしまったのだ。何故そのような状態になってしまったのかはわからない。だが、扉の前に立ってから、彼の脳はずっと警笛を鳴らし続けている。まるで、
手を上げることもできなければ、足を踏み出すこともできない。声を出すこともできない上に目を離すこともできない。彼は、生徒会室の扉に釘付けにされていた。
心臓の鼓動が早くなり、呼吸が荒くなる。背中を冷や汗が伝っていき、喉が渇いてきた。
「――どうしたの?」
そんな彼の背中に、楯無の声がかけられるとともに、柔らかい感触が押し付けられ、いつの間にか腹の辺りに手が回されていた。
早い話が、楯無に後ろから抱きしめられていたのだ。
「楯無、さん」
彼女の名を口に出す。そうしただけで、一夏の心は不思議と落ち着いてきた。
心が落ち着くと同時に、鼓動と呼吸が元の速さに戻り、冷や汗が止まる。喉の渇きは相変わらずであるが、気にならなくなった。
そんなことを考えていると、背中のぬくもりが離れた。
「こんな所でぼうっとしちゃって」
そして楯無は、一夏の前に回り込み、そんなことを言った。
その顔には、会った時と変わらない笑顔を浮かべていた。
「……何でもありません」
「そう、ならいいわ」
それよりも、と楯無は言って、一夏の顔に自身の顔をずいと近づける。
「来てくれたんだ、
いきなり顔を近づけてきてそう言った楯無に少々たじろぎつつも、ええ、まあ、とどこか曖昧な返事を一夏は返す。
「気になることが、ありましたから」
そう言った彼の脳裏にあるのは、彼女が保健室で言った言葉。
――心だけが強い。更識楯無は確かにそういった。
それが彼女にとって何を意味しているのか、そして何故あの時自分にそのことを言ったのか。それが知りたくて、一夏はここまで来たのだ。
一夏の言葉を聞いた楯無は、まあ、そうよね、と言って苦笑を浮かべた。
「いきなりあんなこと言われちゃ、気にならないわけないものね」
どうやら、失礼なことを言ったという自覚はあるらしい。ただ、嫌味で言ったわけではなかったということは、あの時彼女が浮かべた真剣な表情からも伺い知れる。
だから、一夏はここに足を運んだのだ。
「まあ、立って話すのもなんだし、入りなさい」
そう言って生徒会室の扉を開けた後、ああそうそう、と何か思い出したかのように、楯無は改めて一夏の方を向き直った。
その顔には、不敵そうな笑みが浮かんでいた。
「我が生徒会へようこそ、織斑一夏君」
「どうぞ」
楯無とは違う、穏やかそうな女子の声とともに、一夏の前に紅茶の入ったティーカップが出される。淹れたてなのか、湯気とともにいい香りが鼻腔をくすぐる。
少し口に含んでみれば、ほのかな温かみとともに茶葉の美味しさが味わうことができた。
美味しいです、と淹れてくれた女子に言いながら、一夏は改めて生徒会室の内装を見た。役員が普段使用している机や棚があるということを除けば、来賓用のテーブルやソファの配置は、二度ほど見たことがある中学校の応接室に似ているような気がした。
ただ、一夏が抱いたのはそれだけではない。彼はそんなよくあるような内装を見て、何故か無性に懐かしい気分になった。しかも、
何かが思い出せそうで思い出せない、そのようなことを考えながら部屋を見渡している一夏の耳に、パンパンと手を叩く音が聞こえた。
「さて、織斑君、改めて自己紹介をしましょうか」
その楯無の言葉に、一夏は部屋を見渡すことをやめ、彼女の方へと向き直る。紅茶を淹れた女子も、一夏と向かい合って座る楯無の後ろに下がった。そこでようやく、その女子が楯無と同じく先輩であることに気がついた。
「保健室でも言った通り、私の名前は更識楯無」
その言葉とともに、彼女は手に持った扇子を勢いよく開く。
「このIS学園において生徒会長の座についている人間です」
扇子には、よろしくね、という文字が書かれていた。扇子について、一夏はもう何か言うつもりはなかった。
「書記をやらせていただいている
そう言いながら、楯無の後ろに下がっていた女子が一歩前に出て、深々と頭を下げる。その一連の所作だけで、彼女の育ちがいいということを一夏は理解した。
「妹ともども、よろしくお願いしますね」
さらにそう言って、下げていた頭を虚が上げる。その顔には声と同じく穏やかそうな笑みが浮かんでいる。しかし、一夏はその笑みをどこかで見たことがあった。というよりも、虚と似ている笑みを毎日見ているような気がした。
そこで、一夏は考え事を打ち切る。彼女達だけに自己紹介させるのは、些か失礼だと考えたからだ。
「恐らく知っていると思いますが、1年1組に在籍している織斑一夏です」
とりあえず、自身の自己紹介は無難な感じのものにしておいた。他にも言えることがあるが、変に飾るよりかはシンプルな方がいいと考えたからだ。
そのような感じで自身の自己紹介を終えた一夏は、虚の方へと顔を向け、質問を投げかける。
「すみません布仏先輩、早速で悪いのですが妹ともどもとは一体……」
「ああ、それは――」
一夏の問いに、虚が何か答えようとしたその時、生徒会室の扉が勢いよく開かれた。そこから入ってきた人物は、一夏には見慣れた人物だった。
「おじょーさま、お姉ちゃん、今来ました~」
「――のほほんさん?」
「あ~ おりむーだ、やっほー」
その人物は、一夏のクラスメイトの少女だった。彼女は生徒会室に一夏がいるとわかるや、制服の長い袖を、手を振る代わりに振った。
「本音、挨拶しなさい」
そんな彼女に、虚は少々咎めるような口調で言う。
その言葉を聞いて彼女は、はーい、とあくまで自分のペースを崩さずに答え、一夏の方へと向き直った。
「
そう言って本音は、一夏に缶に入ったクッキーを差し出してきた。それを一枚受け取りつつ、一夏は虚に、彼女が? と聞いた。
そんな一夏の問いに虚は頷き、妹です、と答えた。
「姉妹で生徒会に?」
その問いにも、虚は頷いた。そうしている間にも、本音は自分のバッグの中からお菓子を取り出していた。
そんな彼女の行動が終わるのを見計らってから、虚はまた口を開く。
「私たち布仏家は代々更識家に仕えているのです」
「お手伝いさんなんだよー」
二人の言葉に、一夏はへえ、と驚きの声を上げ、楯無の方へと顔を向けた。
「楯無さん――いや、更識生徒会長の家って」
「楯無さんでいいわよ、織斑君」
ニコニコと笑いながら、楯無は言う。
「まあお察しの通り、私はいい所のお嬢様というわけよ」
とてもそう見えなかった、という言葉を一夏は飲み込んだ。楯無ならば、気にするようなものではないが、どちらの意味にもとれるその言葉を、彼女と会ってそう経っていない自分が言うことは、流石に失礼だろうと考えたからだ。
「それにしても、仲がいいんですね」
そして代わりに口から出たのは、当たり障りの無い言葉だった。
そんな一夏の言葉に、楯無は嫌な表情ひとつ見せずに、そうでしょう? と言った。
「仲が良いついでに、生徒会の仕事を手伝ってもらってるの」
一夏が虚の方へと目をやれば、彼女は困ったような笑みを浮かべていた。
でもね、と楯無は付け加える。
「やっぱり少人数だと仕事の回転率にも限界があるのよ」
そこまで言われれば、いかに色々な事に疎い一夏でも、楯無が言わんとしていることがある程度わかった。つまり、と前置き、一夏は口を開く。
「――俺に生徒会へ入って欲しいと?」
「単刀直入に言うとそういうこと」
一夏の問いに、楯無はニコニコと笑いながら答えた。そんな彼女の笑顔から目を離さずに、一夏は楯無が言った言葉について自分の考えをまとめることにした。
はっきりと言ってしまえば、別に生徒会に入ることには拒否感はない。むしろ、生徒会長直々に頼まれているということは、自身の能力が彼女に認められていると言い換えることができる。だから、自分から進んで生徒会に入ることもやぶさかではない。
――だが、彼女の本心は別にある。何故だか知らないが、そんな確信を一夏は抱いていた。
「……俺の現在の状態も、生徒会に入れたいという要素の一つなんですか?」
だから、そんな質問を投げ掛けた。
楯無はその問いに、一瞬だけキョトンとした表情を浮かべた。だがすぐに深い笑みを浮かべ、そうね、と呟くように言い、一夏の問い掛けへの答えを口に出した。
「
後編は土曜に投稿予定です。
ここまでの話で感想がございましたら是非お寄せください。