昏迷を呼ぶ者 作:飯妃旅立
「さて……改めて、話を聞かせてくれるかな。夏江アオバ君?」
普段の胡散臭い笑みをさらに深め、有無を言わさぬという声色で俺に問いかけるペイラー・サカキ。シオと雨宮リンドウはラボラトリの奥の部屋――隔離部屋にいて、今このラボラトリにいるのは俺とペイラー・サカキ、そしてソーマ・シックザールの3人のみだ。
ソーマ・シックザールはもしものために備えているのか、隔離部屋の扉に背を預け、腕を組んで俯いている。
「別に、話す事なんかなんもないっすよ」
「そんなことはないだろう? アラガミの少女……シオ君と言ったか。彼女は明確にリンドウ君と君の事を『家族』として認識している。……これは凄い事なんだよ、アオバ君。なんせ、『考えて、喰らう細胞』の塊でしかなかったアラガミが、『家族』という”絆”を認識している、という事なのだから。”絆”を認識できる彼女と他のアラガミとの違いを明確なものにすれば……あるいは、アラガミという種との共存も夢ではないのだからね」
残念ながらそれは叶わぬ夢だろう。
何故なら他のアラガミとシオは元を同じくするオラクル細胞であり、他のアラガミは「そういったことを認識する機能」を必要ないと考えた結果、より捕食に特化した姿へと変化していったのだから。
もしその「絆」とやらが捕食にとって最善手であるとオラクル細胞が断じていたのであれば、この世界はシオの近似種だらけになっていたことだろうがな。
「……くだらねぇ。奴らは化け物だ……共存なんか、出来るはずがねえ」
「ソーマ。そうは言うけれど、君も言葉を交わしただろう? アラガミでありながらヒトの形をしたシオ君と、ヒトからアラガミへと転じてしまったリンドウ君と」
「……ふん」
そしてそもそも、この
共存など、させるわけもない。むしろハイブリット生物に成功した実績がある分、月はアラガミ、ひいてはオラクル細胞自体は残す所存だ。
ただ、現在この世界に遍くヒト種族だけを滅ぼす為に俺を遣わしたのだから。
「アラガミとの共存――それは私の命題と言っても良い話でね。そしてソレを確実視させてくれる何よりの証拠。それが、君だよ――夏江アオバ君」
「……俺?」
「そう――もしコレがリンドウ君とシオ君だけの発見であれば、シオ君がリンドウ君だけを家族と認識していたのであれば、”そういう習性”もしくは”そういう偏食傾向”であると切って捨てていたかもしれない。彼らは考えて喰らう細胞だからね、アラガミ化した神機使いと共に生きる事で効率の良い変化を見出す――そんな偏食傾向があっても、おかしくはないんだ」
「……」
「けど、君は違う。アオバ君。君は、人間だ。確かにオラクル細胞を取り込んだ神機使いという存在ではあるかもしれないけれど――君は歴とした人間で、アラガミを屠る
もう一度言うけど、これはすごい事なんだ。単なる神機使いが、アラガミと家族になれる。君達という前例があるんだ、ここからソレが全世界に広がって、いずれは全ての人間とアラガミが共存する道も見えてくる――私はそう考えているよ」
ああ――と独り言ちる。
アリサ・イリーニチナ・アミエーラやヨハネス・フォン・シックザールが記憶を引き継いでいたから勘違いしていたけれど……目の前の胡散臭いメガネは、本当にただの人間で。
ペイラー・サカキには、俺がアラガミであった事など欠片たりとも記憶がないのだ。
「……残念ですけど、そう上手くは行かないと思いますよ」
「……どうしてだい?」
「例えば、そこの。ソーマ・シックザール」
不躾に指を指す。
すみませんね、躾なんかされちゃいないもので。
「……なんだ」
「ソーマ・シックザールは人間とアラガミのハーフっすけど、明確にシオや雨宮リンドウへ敵意を抱いている。本来人間とアラガミのハーフなんて存在は、アラガミと人間、両者の架け橋にでもなるべき存在でしょう? けれど、ソーマ・シックザールはアラガミというだけで2人に殺意すら覚えている。ハーフでこうなんすから、純人間がアラガミに対して親愛を抱くとは思えないっすね」
「……ふむ」
「……アオバの言う通りだ、おっさん。アラガミは化け物だ……俺が言うんだ、間違いはねぇ。共存? ……そんなもの、夢物語だ」
「他にも例を挙げると……そうっすね、アリサ・イリーニチナ・アミエーラ。アリサ・イリーニチナ・アミエーラはアラガミに対してトラウマがある……ま、トラウマの内容はあなたなら既に掴んでいる事だと思うっすけど、そんなアリサ・イリーニチナ・アミエーラにアラガミは”絆”が理解できるから、そんなに恨まないでくれ、なんて言えるッスか?」
ソーマ・シックザールがアリサ・イリーニチナ・アミエーラのトラウマを現時点で知っているかはわからないが、まぁいいだろう。
隠してやる義理も無い。
「既に全世界の人間はアラガミによって少なくない傷を受けているっすから……共存、なんて道を用意されたところで、好き好んで歩く奴はいないでしょ」
「……けれど、君は」
「キィ……俺は例外なんだよ。俺は、アンタラの事を仲間だなんて思っちゃいない。あいつらだけが俺の家族で、俺の仲間だ。俺を人類の代表のように扱うのはやめてくれ。虫唾が走る」
エセ敬語をやめて、本気で嫌悪を現す。
そのポジションは神薙ユウのもので、俺は人類種の敵だ。たとえこの場で計画や思想がバレたとしても、そこだけは絶対に曲げたくない。
俺はあの原始生活やハイブリット生物たちをそれなりに気に入っていたんだ。
アラガミになってから、植え付けられた終末捕食への執着以外にコレといった執着を見せなかった俺が、あの日々だけはかけがえのないものだと認識していたんだ。
直接的ではないのはわかっている。
けれど、それを潰して世界に蔓延する害獣――人間として扱われるのは、心底嫌だ。
「……君は、」
ペイラー・サカキが何かを言いかけたその時だった。
コンコンコン。ノック。
「サカキ博士、少しお話よろしいでしょうか?」
神薙ユウだ。
名乗りもせずに要件を伝えるのは一部隊の隊長としてどうなのか、などと思わないでもない。とはいえ癪ではあるものの面倒な空気が一瞬で弾けた事だけは感謝してやるよ。
……やっぱナシで。神薙ユウに感謝とかそういう感情一切湧いてこないわ。
ペイラー・サカキが俺に伺う様に視線を向ける。
頷く。
「はいりたまえ」
「失礼します……あれ、アオバ? もしかして取り込み中だった?」
「初恋ジュースの追加発注をしてただけだ。気にすんな」
「……君の嗜好だけは理解できないなぁ」
「他も理解されたいとは思っちゃいねぇよ」
憎まれ口を叩きながら振り返り、ペイラー・サカキへと後ろ手を振る。
かなりの素材を与えておいたから、とりあえず2人の食欲が暴走するということはないだろう。
神薙ユウの横を通り過ぎて扉をくぐりぬける――直前。
「アオバ君! 君は――アレを、初恋ジュースを……美味しいと思うのかい?」
そんな言葉が、製作者から飛んできた。
そんなに急いで問いかける事か? 立ち上がってまで。
「キ――ああ、あれだけは美味いよ。この支部の食事の中で、唯一美味い」
そんじゃ。
そう言って手を振って、ラボラトリを出たのだった。
「……」
サカキ博士が、腰を抜かしたように自身の椅子へと座りこんだ。
今の問いかけにどんな意味があったのかと考えてみる。
アオバの好物――初恋ジュース。
僕も飲んでみたけれど、苦いような甘いような、渋いような酸っぱいような、辛いような塩辛いような、そんな味覚の原点を凝縮したような味だった。
ありていに言えば、非常に不味かった。食べ物の好き嫌いは一切無い僕だけれど、アレだけは本当に不味い。アリサのボルシチでもなんとか食べられたけど、アレは不味い。
明確に自分だと言ったわけではないけれど、その初恋ジュースの製作者は現在僕の目の前で項垂れているサカキ博士、らしい。
「サカキ博士?」
「あ……あぁ、すまない。それで、要件はなんだったかな?」
珍しい。
常に胡散臭いサカキ博士だけれど、この目と声色は余裕の無い時のソレだ。
……僕がサカキ博士を胡散臭いと言うと、みんなから「お前が言うな」って目で見られるのはどうしてなんだろうね?
「はい、特異点の件なんですけど……その前に、何故そんなに驚いているのか……聴かせてもらっても構わないですか?」
「……」
サカキ博士は思案顔になる。
そういえばさっきから微動だにしないソーマの後ろの扉の床……埃が薄くなっているね。
開ける事があったのかな?
「……君なら、情報の悪用はしないと……信じるよ?」
「え、はい。アオバに関する事、ですよね? 悪用なんかしませんよ」
「……俺は外した方がいいか?」
「……いや、ソーマも聞いてくれたまえ。――実は、あの初恋ジュースは……私が造ったモノなんだ」
「知っているが……」
「知ってますけど」
「……」
え、それが驚いた理由?
まさか、そこまで浅慮じゃないと思うけど。
「初恋ジュースの開発コンセプト……それは、ある味の再現にあるんだ。初恋の再現ではないよ? その味を再現した結果、苦いような甘酸っぱいようなソレが初恋に似ていたから初恋ジュースと名付けただけで……元々は違う味を目指していた。2人とも、あれを飲んだのだろう? 何の味か、考え付くかい?」
「いえ……今まで飲んだことの無い味でした。この上ない程に不味い、正直アオバの味覚が今でも信じられない程に不味い味でしたね。この世のモノとは思えない程です」
「この世の……モノとも思えない……? ――まさか」
ソーマが何かに気づいたように、胸を抑える。
胸……心臓?
思い出されるのはあのディスク。マーガナルム計画と称された実験。
「ソーマも、ユウ君も気付いたみたいだね。……そう、初恋ジュースは……アラガミの味を再現した飲み物さ」
思い出す。
あの、全てが混じったような――全ての元になったような味を。
あれが……アラガミの味?
では、あれを美味しいと言うアオバは。
「アイツは……アラガミと、同じ味覚という事か……!」
「正確に言えばアラガミエキスの味覚成分を再現した飲料、になるね。……正直、人間が飲んで真っ先に『美味しい』という感想は出てこないと思っていたけれど……」
「アオバがあれだけは美味しい、って言ってましたね。博士、一応聞きますけど、アオバのメディカルチェックの結果に、そういうアラガミらしき部分は?」
「いいや……彼女は君達と同じ人間だよ。むしろ身体的特徴から言えば、君とアオバ君はとても良く似ている……性別が違うだけで、データだけ見れば同一人物かと思える程にね」
それは初耳だった。
だからこんなに親近感が湧くのか。
前に殺し合いをした強敵同士みたいだ、なんて思ったけれど……言われてみれば、アオバの存在が自身の存在意義を脅かしかねないドッペルゲンガーのようなものにも思えてくる。
。
「お前は初恋ジュースを不味いと思う……んだったな?」
「うん。とてもじゃないけど飲めたものじゃないよね。補給なしにアラガミ1万匹を狩るのと初恋ジュース1本飲むのだったら、前者を選ぶよ」
「いや、製作者としてそこまで嫌われるのは不本意なんだけどね……?」
いやいや、アラガミの味と聞いて余計に飲みたくなくなりましたよ。
もし仮に、あの味に欠片でも旨味を感じようものなら、アラガミに共感してしまったみたいで嫌じゃないか。
「それより博士。僕の要件……終末捕食のコア、特異点に関する話なのですが、今の話を聞いて確信しましたよ」
「……どういうことかな? 聴かせてくれ」
「はい。――シックザール支部長の求める特異点。それは恐らく……アオバの神機のコア、だと思います」
野望は早めに打ち砕く系男子