○西本幸子(隊長)
千葉県習志野市出身 28歳(1917年生) 独身
習志野女子中学に在学中は戦車道のエースだった
1941年に千葉県開拓団の一員として満州に入る
○玉岡晴美(ハル)
千葉県習志野市出身 28歳(1917年生) 夫と8歳の子供有り
西本とは習志野女子中学の同級生で、一緒に戦車道を履修していた
西本と同時に千葉県開拓団の一員として満州に入る
○細山田恵美(メグ)
福島県郡山市出身 36歳(1909年生) 夫有り
二本松女子中学に在学中に戦車度を履修
1939年に福島県開拓団の一員として満州に入るが、動員等により同開拓団が
立ち行かなくなったため、単身千葉県開拓団の一員に加わる
過去に2度、西本率いる関東選抜と戦ったことがあり、2人とは旧知であった
1945年8月15日正午。
西本、玉岡、細山田は開拓団宿舎前の広場で玉音放送を聞いていた。
~~~~~~~~
「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」
「朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」
「抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス」
「然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル」
「而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ・・・」
~~~~~~~~
やがて放送は終わる。
涙を流す者、状況が理解出来ない者、途方に暮れている者など様々であったが、
”天皇陛下万歳!” を皆で唱え、集まりは解散となった。
玉岡「敗けちゃった・・・ってこと?」
西本「そのようだな・・・」
細山田「どうなるんだろ・・・私達」
西本「満州国自体がどうなるか分からん・・・というか、ソ連や国民党軍、共産党が三者入り乱れている状況だ。我々を庇護する者は消えたと考えた方がいい」
実際に玉音放送の2日後の8月17日に重臣会議は満洲国の廃止を決定、翌18日未明には溥儀が大栗子の地で退位の詔勅を読み上げ、満洲国は誕生から僅か13年で滅亡している。
そして溥儀は奉天から四式重爆撃機に乗り換え日本への亡命を図っていたのだが、奉天に到着するわずか前に、既に飛行場はソ連軍の手に落ちていた。捕えられた溥儀はその後東京裁判のおりに再び日本人の前に姿を現すことになる。
玉岡「じゃあ早く逃げないとどうしようもないじゃない!」
西本「しかし鉄道が動いているのかすら分からん」
玉岡「そんなこと言っているうちにソ連が来たら、この子はどうなるのよ!?」
8歳の男の子を持つ母としてはとても安穏とはしていられない。
細山田「私もハルも夫を動員に取られています。動こうと思えばすぐに動けます」
細山田は2人よりも年齢は上で満州に入ったのも先なのだが、後で開拓団に加わったこともあり、2人に対しては基本敬語を使っている。もっともそのまま話してしまうと福島の言葉が出てしまうというのもあるのだが。
西本「とりあえず団長に状況を聞いてくる。2人は先に準備をしておいてくれ」
玉岡「逃げる時は一緒だからね!」
西本「ああ」
~~~~~~~~
西本が開拓団の団長に聞いてきた内容では・・・
・国境付近の関東軍はほぼ壊滅、もしくは既に国境付近から撤退しているらしい
・満州国は体制として既に崩壊、満州国軍は霧散したばかりか侵入者の手助けをしている
・ソ連軍の侵攻が進んでいるため、一先ずの退避先としてハルビンまで行くようにとのこと
・兵器廠に武器・弾薬を渡すよう迫っているが、ポツダム宣言受諾・武装解除を盾に拒まれている
というものであった。
玉岡「ふざけてんじゃないわよ! 勝手に軍が逃げて、武器も渡してくれないなんて。じゃあ私達はどうすればいいのよ!」
細山田「ハルビンまで何キロあると思ってるだ?」
西本「とにかく・・・事は一刻を争う。今日中に我々だけでも発とう」
玉岡、細山田「分かった」
~~~~~~~~
玉音放送から3時間後。
もともと単身、もしくは子1人の暮らしのため身支度は早い。この頃にはおおよその準備は出来上がっていた。
西本「私の方は出発準備は出来ている」
細山田「こっちもあらかた大丈夫」
玉岡「うちも大丈夫だよ」
「「「・・・」」」
玉岡「これで・・・終わりなんだね・・・」
「「「・・・」」」
細山田「あの・・・急がないといけないんだけど・・・戦車見に行きませんか?」
西本「そうだな・・・チハともちゃんとお別れしとかないとな」
千葉県開拓団のチハ。どこでどう入手したのかは今以て不明なのだが、とにかく満州に入って早々開拓団のシンボルとなった。そしてただのシンボルだけでなく、ドーザーブレードを付けての整地作業、鍬を付けての開墾作業、重量荷物を引っ張る牽引作業と開拓団にとっては何役も果たす貴重な戦力であった。元々戦車乗りであった西本や玉岡にとっては農作業の後にチハを乗り回すのが最高のストレス発散方法でもあった。もっとも最近は軽油の節約も有りその乗車回数は少なくなっていたのだが、45年7月の根こそぎ動員後に開拓団に加わった細山田も、無理を言って一度だけ乗り回したことがある。
武装解除というからには当然チハに乗って逃げるわけにはいかず、ここに置いていかざるを得ない。そもそも乗って逃げようにも燃料はそんなにないだろうし、他の団員の手前自分達だけが戦車を使うのも難しい。敵の目にもつきやすいし、かえって逃避行の邪魔になるだろう。
そして3人は宿舎から歩いて3分ほどの格納庫にあるチハの前に集まった。
西本「チハ・・・」
玉岡「今まで・・・有難う・・・」
細山田「もっと一緒にいたかった・・・」
「・・・」
「・・・」
3人が戦車に乗っていた1930年代の後半、チハは当時の最新鋭戦車だった。
1937年に完成したチハはなかなか戦車道に使用される戦車として回ってくることはなかったのだが、3人とも当時の名戦車乗りであったこともあり、それぞれ数回使用する機会に恵まれた。
もっとも1938年4月には国家総動員法が施行、当時細山田は東北選抜チームの一員であったが、その頃の東北地方は昭和初期の大不況、大飢饉の影響が色濃く残っており、選抜チームは直後に解散、所有していた戦車・砲弾とも供出されることになった。
そしてその波は西本と玉岡が所属していた関東選抜チームにも及び、1940年には同じくチーム解散、並びに戦車・砲弾等の供出の憂き目に見舞われた。
西本は母を病気で早くに亡くしており、父は既に軍人として戦線に出ている。残された親戚は早くに婿さんをもらってお家の存続というのを当然願ったのだが、戦車を取り上げられた西本には喪失感しかなく、たまたま募集があった満州開拓団に応募。女性単身で開拓団の一員に選ばれることは本来ないのだが、そうした身寄りのない事情、そして戦車道で名を売った西本が団員に加わるとなれば明るい材料にも、そしていざという時の戦力にもなるだろうとのことでその一員に加えられたのであった。
細山田「・・・1度ならず2度までも・・・」
細山田「・・・守ってあげられなくて・・・本当にごめんなさい・・・」
「「・・・」」
場面は違えど3人にとってはチーム解散の時と今回と2度、自らの手からチハがもぎ取られたことになる。
それを思うと、細山田と玉田は思わずその場で泣き崩れた。西本も涙を隠すことが出来ない。それでも西本はそんな2人をなんとか抱え上げ、そして3人はチハの中に入った。
玉岡「最後に乗ったのはいつだったかな・・・」
西本「メグが7月に来て、それから道路整備で1回使ったのが最後かな・・・」
その時は作業が終わった後も2人が止めるのも構わず、細山田はチハを乗り回していたのだが。
それを思い出したのか、細山田は一旦は収まったものの再びその場にへたり込んで泣き始めた。
細山田「・・・もういい!・・・私、チハと一緒にここで死ぬ!」
「「・・・」」
玉岡「何言ってるのよ。まだ旦那さんもどうなっているか分からないでしょ。それに、チハもあなたみたいなおばさんと一緒に死にたいとは思ってないわよ・・・」
細山田「だって・・・だって・・・」
細山田「ウワワーン!!」
とうとう声をあげて泣き出した。
戦争は細山田からいろんなものを奪い取っていった。戦車道も、夢も、希望も。病気がちだった夫も先の7月の根こそぎ動員でもっていかれ、一緒に満州に渡った開拓団の面々も散り散りになった。そして今、やっとの思いで辿り着き、そこにたまたま居合わせたかつて戦車道で戦った仲間と過ごした千葉県開拓団での暮らしも消滅しようとしている。それよりなにより数時間前の玉音放送は、国民としての誇りも意地も含め、積み上げてきたもの、支えになっていたものを根こそぎ倒すようなものであった。
西本「とにかく・・・今はなんとか日本に帰ろう。このまま露助や支那に蹂躙されるのだけは御免だ」
玉岡「ほら、メグ。行くよ」
細山田「・・・ここに何か残したい・・・このままじゃ、私が私でなくなっちゃう・・・」
玉岡「うーん・・・何か書いていく?」
西本「そうだ!」
西本はチハから飛び出し、荷物をまとめているところに駆け出していった。玉岡と細山田もそれを追いかける。
やがて西本は荷物の中から絹の着物を取り出し、その端を破ろうとしていた。
細山田「金目になるものは後々のために置いておいた方がいいんじゃ・・・」
先ほど ”チハと一緒に死ぬ” と言っていた細山田もなんとか落ち着いたようである。
西本「いや、どうせ今のハルビンに日本の着物なんて買ってくれる人はいない。というより、女性の格好をしている方が危ない。ばあちゃんの形見だけど置いていく」
西本「でも・・・私が生きた証を紐にして・・・チハに残していく」
玉岡「分かった。私もそうする!」
3人はそれぞれ絹の着物の端を千切り、撚って紐にし、さらに3本を逆回りに撚って1本の紐にした。そしてチハに戻り、その紐を普通では目に届かないようなところにある部品に括り付ける。
細山田「このチハはどうなるんだろうね・・・」
玉岡「今のソ連がこれを必要とするはずもないし・・・演習の標的になるだけかもしれないね」
西本「でも・・・消え去る瞬間まで、私らがここに居た証は残ることになる。満州では苦しいことの方が多かったし、いつ死ぬかもしれないと思うことも多かったけど・・・でもみんなと一緒に頑張った。収穫が上がれば嬉しかったし、楽しいこともゼロじゃなかった。私もここに来たことをゼロにはしたくない」
3人は話ながら元の場所に戻り、端を切り取った着物は穴を掘って地中に埋めた。
~~~~~~~~
8月15日16時。3人は「皆と一緒の方が食料もあるし安全じゃないのか?」という団長の引き留めを振り切り、開拓団をあとにした。ハルビンまでは150kmほどの道のりになる。
陽が沈むまでに少しでも距離を稼いでおきたかった。
細山田「日本に戻っても、多分戦車に乗ることはないよね・・・」
玉岡「戦車道、もう復活しないかな?」
西本「日本も他の国も・・・この戦争で多くの人が死に過ぎた。戦車道は平和の象徴でもあると思うけど、戦車でなぎ倒された、殺された人の事を思うと・・・感情としてそれが許されることはないかもしれないな」
玉岡「もし戦車道が復活するようなことがあったら、それは私達の想像もつかないような、平和で楽しい世界かもしれないね」
西本「そんな世界・・・いつか来たらいいな」
細山田「まずは元気に日本に帰りましょう!」
3人の表情はもちろん明るくもないが、かといって沈んでもいない。ハルビンに行けば日本に戻れる希望も出てくるだろう。
「(・・・もし何かあっても・・・最後の時が来てもこの3人(子も入れると4人)なら・・・)」
誰も口にはしなかったが、3人はそう思いつつ、夕暮れの中1台の荷車を引っ張っていた。
<後編に続く>