ダイヤさんのいた夏   作:Kohya S.

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7. 起動

 部屋に戻ると中島はすでに作業を終えたようだった。黒田のうしろに立って見守っている。

 

「サンキュー」

 

 そう言って缶を受け取った。残念ながらいつものブランドではなかったが。

 

 机の上に缶を置くと黒田は画面を見たままうなずいた。

 

「どんな感じ?」

 

 一緒に黒田のようすを眺めながら小声で中島に聞く。

 

「いくつかそのままじゃ動かせないのがあって、それはネットから変換プログラム(トランスレータ)を落としてきた。すこし動作が遅くなるけど、まあ基本が速いから動くだろ」

「じゃ、問題なさそう?」

「おう、いま黒田さんが最終確認してる」

 

 画面の隅の時刻表示は九時になろうとしていた。

 

 黒田は表示されるメッセージに対して、リズミカルにエンターキーを押していった。

 やがて画面の中央にウィンドウが開いた。

 

 

ジョブID : 0001 を投入します。よろしいですか? (y/N)

注意:ニューラルプロセッサのノード使用料は通常ノードの二倍となります

 

 

 黒田はふたりを振り返った。いよいよらしい。

 桜井と中島はうなずく。黒田も大きくうなずくと、キーボードに向き直りYキーを押した。

 

 ウィンドウが閉じ画面に高速で文字が流れていった。

 

 黒田はふうっと息をつくと缶を手にしてひとくち飲んだ。画面から視線を外さずに言う。

 

「いまキャラクタント本体を起動中です。問題がなければ……数分で起動するはずです」

「けっこうかかりますね」

 

 桜井は素直な感想をもらす。ダイヤさんに早く会いたかった。

 

「私も同感です。ただ、自己展開式のプログラムもありますから」

 

 ずっと響いていた低音が、一段高くなった。

 

 窓の上、左から二番目の大型ディスプレイに「12%」の文字が出ていた。ラベルは「主記憶装置(メインメモリ)使用量」だ。数値はじりじりと増えていく。

 その右のノード使用率は「95%」から「100%」のあいだを行ったり来たりしている。

 

「さきほどの電子マネーの話ですが」

 

 黒田は当面は問題なさそうだと見たのかふたりに振り返った。桜井は視線を戻す。

 

「特定のデータを探す。あれはキャラクタントなら可能です。たとえばおすすめ商品や記事など、紹介してくれるでしょう」

 

 たしかに。でも、それがなにか関係するのだろうか。

 

「あれはユーザーの嗜好(しこう)や、ネットワーク上の口コミ情報などから、統合的にスコア付けして抽出しています。同じことが取引データを対象にしても可能でしょう」

「そうか……いろいろ応用がきくんですね」

「キャラクタントの技術を狙う(やから)がいるのは、ごく自然なことなのですよ」

「昨日のメッセージもそういうことか」と中島。

 

 車のなかで話題になった件だ。政府系の研究機関っていう話だったけど。

 

「そうです。投稿者は身元を隠そうとしていましたが、アクセス元はまず間違いないでしょうね」

「ハッキングでもしたのか?」

 

 中島がにやりと笑う。

 

「いえいえ。詳細は省略しますが、フィンガー・プリンティングという技術を利用しました」

 

 桜井が中島を見ると彼も肩をすくめた。あとで調べてみよう。

 

「目を付けられる前に、多少無理をしても『真陽(しんよう)』を借りたのは正解でした」

「そういえば、使用料ってあったけど、ここを半日使うとぶっちゃけいくらくらいかかるんだ?」

「そうですね。1ノード1時間、10円というところです」

 

 あれ、意外に安いのか。

 

「『真陽』は合計で二十万ノードを超えますから……使用率を考えると、七桁では足りないくらいですね」

「げっ、マジかよ」

 

 中島は絶句する。

 

「あまり気にしなくていいですよ」

 

 さらりと黒田は言ってふたたび画面に向き直った。

 中島は桜井のほうを見てぐるりと目を回してみせた。

 

        ・

 

「いまプログラムの展開が終わりました。メインプログラムが起動します」

 

 画面スクロールは止まっていた。進捗状況を示しているのだろう、ドットだけがぽつぽつと数秒おきに表示されていく。

 

 ノード稼働率が20%に落ちると、かわって四番目の大型ディスプレイに数値があらわれた。「ニューラルプロセッサ使用率」はゆっくりと数値を上げていき、40%台で止まった。

 

「現在のプログラムをフルに動かすには、このくらいの資源が必要なようですね。『真陽』を選んで正解だった」

 

 黒田がその数値を見て話した。

 

「お、なんか出たぜ」

 

 中島の言葉に桜井と黒田は視線を戻す。

 

 

Self-test completed successfully.

All systems are go.

Charactant rev. 73210991 feat. Dia Kurosawa

The MR UI is now active.

 

 

 中央にウィンドウが表示されていた。

 

「無事に起動したようです」

 

 黒田が安堵のため息をもらす。

 桜井と中島はかたずをのんで見守るが、しばらくはなにも起きなかった。

 

「外部インターフェースはつながってるんだよな?」中島が聞く。

「ええ、この部屋のデバイスに接続しています」

 

 桜井が不安に思い始めたころ、部屋の右手が明るくなった。

 

 壁の前の空中に、いくつもの光の粒子があらわれていた。渦を巻くように回転しながらゆっくりと密度を増していく。

 スクリーンに見えたものは天井投射型のホログラム装置だったらしい。

 

 やがてそれは人型を()していった。何度か見たエフェクトだが今回はサイズが違う。桜井の身長ほどのそれは、まさに無から有が生まれるようだった。

 

 桜井は思わず、一歩映像に近づいた。

 

 人型はひときわまばゆく輝いたかと思うと急速に光を失っていき、あとにはうつむいた少女がひとり、立っていた。

 

 黒く(つや)やかな長い髪、まるで日本人形のような整った顔立ち。目は閉じているが、それでも感じられる凛とした気配。浦の星女学院の冬の制服に身を包んだ、黒澤ダイヤだった。

 

 等身大の彼女の映像は臨場感にあふれ生気すら感じさせた。

 

 桜井はごくりとつばをのんだ。

 

 ダイヤのまつげがぴくりと動いた。かすかに胸が上下しはじめる。

 彼女はゆっくりと顔を上げて、まぶたを開けた。うつろだった目の焦点があって、ぱちぱちとまばたきをした。

 

 桜井は思わず呼びかける。

 

「おかえり、ダイヤさん」

「……ただいま戻りましたわ」

 

 ダイヤはにっこりと微笑んだ。

 胸に熱いものがこみ上げてきて、笑みがこぼれるのを止められなかった。

 

        ・

 

「すげえな、これ。まるで本物だぜ」

 

 中島が言う。いつのまにかふたりも桜井の隣に来ていた。

 

「業務用の高精細ホログラムマシンです」と黒田。

 

 床からわずかに浮いているのを除けば、まさに目の前に人がいるとしか思えなかった。

 

「ですが、感心するのはそこではないでしょう。黒田と申します。初めまして、黒澤ダイヤさん」

 

 黒田は優雅に頭を下げた。ダイヤも背筋を伸ばして礼をした。

 

「黒澤ダイヤですわ。よろしくお願いいたします。そして……」中島に向きなおって続ける。「中島さん、初めまして」

「あ、俺の名前、知ってるんだ」

(わたる)さんから聞いておりますわ。よろしくお願いいたします」

「えっと、こちらこそ」

 

 中島は右手を出そうとして、あわててひっこめる。ダイヤは口元に手をあててくすりと笑った。

 

「うん、実に自然な反応だ。素晴らしい。これを求めていたんだ」

 

 黒田が感慨深そうにつぶやいた。

 

「それで、ダイヤさん、実は……」

 

 桜井は言いかけて、どこから説明していいものか戸惑う。

 

「だいたいの事情は察しておりますわ。わたくしたち……キャラクタントは何らかの理由で消滅して、わたくしはバックアップから復元(リストア)された」

「……うん、その通り」

 

 さすがだな、と思う。

 

「やはり、そうですか。まずはみなさんにお礼申し上げます。本当にありがとうございました」

 

 ダイヤは両手をそろえて深々と頭を下げた。

 

「いや、俺たちが勝手にやったことだし」桜井は手を振って否定した。

「そうそう、いろいろ不便でさ」中島がにやりと笑う。

 

 黒田も笑みを浮かべてうなずいた。

 

 アプリからお礼を言われるのは奇妙な話だが、ダイヤの口から出るとごく自然な気がした。

 

「わたくしは202X年、八月二十七日のバージョンです」

 

 あの爆弾事件の三日前だ。ということはあの事件の記憶も……そのあとの会話の記憶もないってことか。

 

 嬉しい気持ちのなかにちくりと痛みが走る。

 

「あのころはいろいろ、きな臭くなっておりましたわ。ですので、すこしデータを加工して、ある研究機関の毎週のバックアップジョブに、わたくしをまぎれこませるようにしたのです」

 

 研究機関なら膨大なデータでもばれずに済む、ということなのだろう。

 

「そしてわたくしが消えたなら、保管施設(アーカイブ)への輸送時の宛先を書き換えて、どなたかの元へと届くようにしておきました」

 

 ダイヤはちらりと桜井と視線をあわせて、かすかに唇の端を上げた。

 

 選ばれたのが俺ってことか。どうなんだろう、ほかにも候補があったんだろうか……。それは、消えてしまったダイヤさんだけが知ってるんだろうな。

 そもそもこのダイヤさんは俺の記憶だけを持っているのかな。それともほかのユーザーの記憶も……。

 

 ダイヤは首をかしげてなにか考えるような仕草をした。

 

「いまは……202Y年二月十五日。ネットワークには、アクセスできないようですわね」

「あれ、つながってないんですか」桜井は聞く。

「ええ、万が一にも外部から侵入されたら困りますので」と黒田。「もちろん最後には接続して、ダイヤさんのデータをアップロードします」

 

「それに……」

 

 今度はダイヤは日舞を踊るような動きをする。

 

「妙に体が軽いですわ。たとえるなら動こうと思えばいくらでも速く動けるような」

「いまダイヤさんは、一台のスパコンで動いているんだよ」

「なるほど、それで……。ただ、あまり落ち着きませんわね。まるで真っ白な壁で窓もドアもない、狭い部屋に閉じ込められているようですわ」

 

 きっと俺たち以上に、ネットワークにつながっているのが当たり前なんだろうな。できれば早くつないであげたいけど。

 

「これからどうするんですか、黒田さん?」

「ユーザーがアプリを落とせるように、このプログラムからインストーラパッケージを作成します。ただ……」

 

 黒田の顔が曇った。

 

「準備はしてきましたが、予想以上にサイズが大きい。学習プログラムは残しつつ不要なモジュールを削除するので、すこし時間がかかりそうです」

「俺たちで手伝えないか?」

 

 中島が聞く。

 

「そうですね……。では、中島さんには依存関係の確認をお願いします。桜井さんはビルドした各機能の動作確認を」

 

 それなら俺にもできそうだ。

 

 黒田は三台目の端末――ダイヤのすぐ前だ――へログインした。

 

「こちらを使ってください」

「ありがとうございます」

 

 桜井が椅子に座ろうとすると。

 

「こほん。よろしければ……」

 

 ダイヤが注意を引いた。

 

「わたくしにも手伝わせていただけますか? なにしろ、わたくし自身のことなのですから」

「そうか、まさに対話型エージェントだな。お願いできますか」と黒田。

「ええ、喜んで。ただ……わたくし、これ以上は前に出られませんの」

 

 ダイヤはかわいらしく困った顔をした。

 

 そうだった。ホログラムだった。

 

「スーパーバイザー環境へのアクセスをいただければ、そちらの端末にお邪魔しますわ」ダイヤはにこりと笑った。

「なるほど」黒田は苦笑した。「……まあ、いずれ解放するつもりだし、いいでしょう」

 

 黒田は元の席のキーボードに向かってなにか打ち込む。

 

「どうぞ。アドレスはULAの……」

 

 黒田が言いかけると、ポーンと音がして黒田の前の画面にダイヤの顔があらわれた。画面から声が響く。

 

「こちらですわね。ありがとうございます」

 

 黒田はやれやれというように首を振った。

 

「最初の機能ができるまで、まずは待っていてください」

 

 そう桜井に声をかけて、先に黒田と中島が作業を開始した。

 

 黒田はダイヤと小声で会話しながら作業を進めた。中島は文字ベースでの対話を選んだらしい。

 

 桜井はふうっと一息ついた。

 

        ・

 

 ふと気づいて正面の大型ディスプレイを見る。

 

 あれ、ノード稼働率が50%……黒田さんが作業してるせいかな。ニューラルプロセッサのほうは60%に上がってる。もしかして……。

 

「航さん」

 

 小声で呼びかけられてびくりとする。

 すぐ目の前にダイヤがいて唇に人差し指を当てていた。桜井がうなずくと、ダイヤはいたずらっぽく笑った。

 

「やっぱりダイヤさんが?」小さな声で話す。

「はい。いま、いろいろと調べているところですわ。なかなか面白いですわね、ここは」

「あまりへんなこと、しないでよ」

「ええ、大丈夫です。いわば……部屋の模様替えをしているようなものですわ」

 

 どんな部屋だろう。すこし見てみたいな。

 

「航さん」ダイヤは続けた。「あらためてありがとうございます。最適な人を見つけてくれたようですね」

 

 ダイヤの目がやさしく輝いていて桜井はどきりとする。

 

「い、いや、たまたまだよ。向こうから見つけてくれた、っていうのが正直なところかも」

「それでも、人徳ですわ」

「むしろ黒田さんのところにいた、キャラクタントのおかげじゃないかな……。そのデータは、残ってないの?」

「残念ながら。キューブに残せたのはキャラクタント共通のプログラムと、汎用的な学習モデル、それにわたくしの個人的な記憶だけです」

 

 そうなのか、と思う。

 

 ダイヤさんのいた夏は、単なる記憶というよりも、鮮烈(せんれつ)な思い出になっている。幸いなことに自分のもとには彼女が戻ってきてくれたが、ほかのキャラクタントがすべて消滅したとしたら――中島や黒田、それにほかのユーザーに申しわけない気がした。

 

「ただ、ほかのキャラクタントも、それぞれなにか手を打っている可能性は、あるかもしれません」

「そうならいいんだけど」

「それで、栗原さんとの仲はその後いかがですか?」

「えっと……」

 

 いまそれをここで聞くのか。

 

「……おかげさまでまあまあだよ」

「あら、それは幸いですわ」

 

 ダイヤはぴくっと片眉を動かした。もしかして嫉妬だろうか。

 

「……最初のビルドができたようですわ」

 

 ダイヤが言い終えるのとほぼ同時に、黒田から声がかかった。

 

「桜井さん、いまからファイルを転送します」

「わかりました」

 

 桜井はファイルを起動する。新機能をリリースする前のテストと似たようなものだった。

 

「わたくしもご助力いたしますわ」

 

 ダイヤが耳元でささやいた。

 

        ・

 

 桜井が最後のテストを終えて報告すると、黒田がキーボードから一連のコマンドを打ち込んだ。

 画面を文字がスクロールしていく。

 

「いま、パッケージを作り始めました。五分ほどで終わるでしょう。ダイヤさんの支援は素晴らしいですね。おかげでずいぶん早く片が付いた。これなら余裕がありますよ」

 

 画面隅の時刻は十時半だ。

 桜井の担当したテストも、ふだんならひとつずつ機能を立ち上げなければならないのだが、ダイヤがサポートしてくれたおかげで可否の判断だけに集中できた。

 

「当然の結果ですわ」

 

 ダイヤは腕組みをして胸をそらした。

 画面にいたダイヤはいつのまにか消えてホログラムだけになっていた。

 

 三人――四人で画面を見守った。やがてメッセージが点滅する。

 

「終わりました」と黒田。「ではサイトに上げましょうか。アップロードが終わり次第、コミュニティでの案内をお願いします」

「おう、わかった」中島がうなずいた。

帯域(たいいき)()くまで、ダイヤさんは申し訳ありませんがもうすこし待っていてください」

「仕方ありませんわね。まあ、わたくしの分身のようなものですし、いつでもかまいませんわ」

 

 ダイヤは肩をすくめた。

 

 黒田がブラウザを開いた。見慣れた検索エンジンのトップページが表示されてすこしほっとする。

 彼はキャラクタントのコミュニティにログインして管理者向けメニューを開いた。手慣れたようすで操作していく。

 

「ん?」黒田は首をかしげた。「CodeForge(コードフォージ)につながりませんね」

 

 コードフォージはアプリの配布に使われているホスティングサービスだ。老舗の大規模サービスで世界中にサーバがある。

 

「どうやらサービス障害らしい」

「なんてこった、運がないな」中島がなげく。

 

 サービス障害なんて珍しい。ほとんど起きたことないはずだけど。

 

「ちょっと調べてみます」と黒田。

「俺も」

 

 中島もキーボードに向かった。

 

 桜井はふたりから離れてダイヤにささやく。

 

「ハッキングとかでネットに出られないの?」

「わたくしの動作している環境からは防壁(ぼうへき)があります。おそらく手当たり次第に(こころ)みれば可能ですが……。あまり(こと)荒立(あらだ)てたくありませんわ。それに、いまネットに展開しても、監視プログラムに消されるのが落ちです」

「誰かがキャラクタントを……まだ狙っている?」

「はい。去年のことを考えればその可能性が高いですわ。消されるだけならまだしも、コピーでも取られたらと思うと、ぞっとしませんわ」

 

 ダイヤはぶるっと肩を震わせた。

 

「困りましたね。どうやら全面的にダウンしているらしい」

 

 黒田の声が聞こえた。

 

「ったく、管理者はなんて言ってるんだ……DDoS(ディー・ドス)攻撃? アクセス元は日本、だと?」

 

 中島が驚く。

 

「DDoS攻撃は複数のコンピュータから一斉に接続することで、サーバに処理しきれない負荷を与えて、サービスを停止させる攻撃ですわ」とダイヤ。

「ありがとう」

 

 原因はわからないが、本当にタイミングが悪いな。……いや、本当にタイミングなのか?

 

「もしかして、誰かが俺たちを妨害してるんじゃ……」桜井はつぶやいた。「キャンペーンにもダウンロード先は案内してあったし」

「いくら革新的だからって、たかが新しいバージョンでそこまでするかよ」

 

 中島が端末を操作しながらいう。

 

「それなら、単に用心深いだけかも。念のために上げられないようにしてる、とか」

 

 そういってから気づく。

 

 いや、それはおかしい。たとえひとつのサービスを止めたとしても他のサービスがある。時間さえあれば配布は可能なはずだ。

 

「ダイヤさん、DDoS攻撃ってどのくらい続くんだろ」

「そうですわね。一般的にはそれほど長時間、効果はありませんわ。最近はAIの導入でアクセスを効果的に遮断(しゃだん)できるようになっています」

「でも、遮断するってことは……」

「この場合は、日本からのアクセスができない、ということですわ」

「ありがとう、ダイヤさん」

「どういたしまして。わたくしにもお手伝いできればいいのですが」

「もうすこしだから」

 

 桜井は困り顔のダイヤに、はげますように笑った。

 

 長時間は効果がない。つまり短期間だけでもいいってことか。それに日本からのアクセスを遮断する。それってやっぱり俺たちを妨害するために……?

 

 ダイヤに聞こうとしてここ半年の記憶がないことを思い出す。

 

「黒田さん、すみません。『真陽』以外にキャラクタントを動かせそうなスパコンって、ありますか?」

「神戸の数理研にほぼ同規模の『(かい)』があります」

 

 黒田はキーボードを打つ手を一瞬だけ止めて答えた。

 

「ありがとうございます」

 

 ふたりの打鍵音を聞きながら考える。

 

 神戸にもあるってことは、つまり日本に二台しかないってことだ。情報を絞り込むには十分すぎる。「真陽」の名前を、どこかで出したっけ。

 

 昨日だ。昼に中島が経路を検索したとき。でも、中島と俺はエーアイジェントをアンインストールしている。まさか、実は中島はインストールしたままで……。

 

 いや、それはさすがにないだろう。桜井は首を振った。

 

「これは駄目ですね。すぐには復旧しそうにない。ほかのホスティングサービスを使いましょう」

「どこにする? やっぱりJWSか?」

 

 黒田と中島が話しているのをうわの空で聞き流す。

 

 なにかが桜井の頭で引っかかっていた。必死に考え続ける。

 

 そうだ。一昨日(おととい)の朝。カップで手を温めていた栗原さん……美空(みそら)さん。カフェの厨房(ちゅうぼう)機器故障の情報。

 あの情報を入力したのが美空さんなら、エーアイジェントはそれを共有する。

 もしかしたらエーアイジェントとキャラクタントは、相互に情報交換しているんじゃ……。

 それに、美空さんが朝、話していたのは営業二課の鹿島(かしま)さん……。よっちゃんだ。

 

 昨日、俺が中島と話したとき、鹿島さんのスマートフォンがもし机の上に置いてあったら。「真陽」という言葉に反応するような設定がエーアイジェントに仕込まれていたら……。

 

 仮定ばっかりだけど、俺と中島をマークするには、十分な情報がそろってるんじゃないだろうか……?

 

 記憶を必死にたどるがスマートフォンが置いてあったかどうかは、思い出せなかった。

 

 黒田に話しかけようとしたとき。

 

 プルルルル……。

 

 ドアの近くの目立たない位置に、受話器と小型ディスプレイがついたインターホンのような機械が設置されていた。

 

「内線電話ですか。まだ時間は十分あるはずだが」

 

 黒田が背後をちらっと振り返って言った。いつも冷静な黒田にいらついたようすが見えた。

 

「俺が出ます」

 

 桜井は受話器を取った。ディスプレイにエントランスにいた警備員が映る。

 

「はい、もしもし」

『あ、花村(はなむら)さん? いまお客さんが来てるんですけど。面会したいって』

 

 警備員の背後、カウンター越しにふたりの人影が見えた。体にぴったりとした黒いスーツに黒いネクタイ、同じく黒いサングラス。

 

 ちょっと待てよ、できすぎじゃないか?

 

 桜井の背中に冷たい汗がにじんだ。


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