ダイヤさんのいた夏   作:Kohya S.

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4. 提案

 ここで話さなきゃ、二度と機会はないかもしれないよな。でも……。

 

 彼のことを信頼できるだろうか。もしかしたらテロ組織や政府の関係者かもしれない。それをたしかめる方法があれば、と思う。

 

 そのときT.Kはふっと微笑み、桜井は意表を突かれた。

 

「そのくらい慎重なほうがいいでしょうね」

 

 T.Kはかたわらに置いてあった鞄からなにかを取り出してテーブルに置いた。ダークグレー、A4サイズくらいの布製の袋で、封筒のような形状をしている。

 

「申し訳ないのですが、お持ちのそれをこのなかに入れていただけますかね」

 

 T.Kは自分のスマートフォンを入れてから、袋をこちらに向けた。

 

 どういうことだ?

 

 桜井と中島は顔を見あわせた。中島も理由はわからないようだったが、肩をすくめると手元のスマートフォンを無造作(むぞうさ)に突っ込んだ。ここまで来たら、という感じだった。桜井もそれにならう。

 

「ありがとうございます」

 

 T.Kは会釈して丁寧に袋の口を折り返した。

 

「この袋は電磁波を遮断して、かつ音声もさえぎってくれるものです。これで完全にオフレコになる。念のため、ですがね」

「スマホが情報収集する可能性があるってことか。画面をオフってあってもか?」と中島。

「スリープ状態なら情報はいくらでも取れますよ。たとえば、呼びかければ反応するでしょう」

 

 たしかにキャラクタントも……エーアイジェントもそうだ。

 

「それじゃ、電源を切るんじゃだめなのか?」

「OSレベルなら電源が入っていなくても音声やセンサーデータを取得できます」

「だけど普通は無理だろ。それこそプライバシーにうるさい世の中だし」

 

 中島があきれたように言う。桜井も同感だ。T.Kは続けた。

 

「普通のアプリならそうです。せいぜいスリープ状態での取得くらいだ。ですが……きっとおふたりともエーアイジェントを使っているでしょう?」

「まあな。……エーアイジェントがそんなことしてる、っていうのか?」

「あくまで可能性です」首を振って続ける。「突然登場したAI搭載エージェント。発売元はいままで似たようなアプリを出したことがない。それなのに高機能と謎が多いアプリだ。不思議に思いませんか」

 

 たしかに発売元が富士立(ふじたち)というところは違和感があった。

 

「……そこで私たちはエーアイジェントを解析したのです」

「それってあまりよくないよな」

 

 中島がにやりと笑う。

 

「まあ、大目に見てください」T.Kも唇の端をゆがめた。「結果は興味深いものでした。まず、プログラム本体はキャラクタントのものを大幅に流用していた」

「そんなこと、ありなんですか」桜井は思わず聞いた。

「キャラクタントはオープンソースですから、基本的には問題ありません。きっとアプリのどこかに、キャラクタントのコードを使っている、と書いてあるでしょう」

 

 そういって桜井に微笑む。

 

「次にデータ、会話の学習モデルです。プログラムは我々、つまりキャラクタント開発チームのものと同じバージョンでしたが、データは我々のものより古かった。いや、新しかったと言ったほうがいいのかな」

 

 古いけれど新しい。

 

「もしかして消失事件より前の?」

「はい。誰かがデータを持っていたということです。そしてその誰かはデータを公開していない」

「うーん、姑息(こそく)な奴だな」と中島。

 

 たしかにユーザーの協力で集まったデータを、(いち)企業のアプリに使用するのはあまりほめられたものではないだろう。

 

「権利関係に問題ないとはいえ、そうですね。ただ、最大の問題はそこではありません」

「まだあるのか?」

「はい。プログラムの改造部分です。キャラクタントが相互に計算資源を融通しあう仕組みになっているのはご存知ですね」

 

 中島から、それにダイヤさんからも聞いたことがある。複雑な会話は連携して処理していると。

 

「どうもエーアイジェントもその機能を利用しているらしい。ただし、実行中ではなくて待機中に。エージェントという関係上、バックグラウンドでも処理をおこなうのはありえますが、それでは説明できない通信量だ」

「で、その理由は?」

 

 中島が眉を上げた。

 

「すみません、話が長くて」苦笑するT.K。「さすがに詳細はわかりませんでしたが、パケット解析したところ、どうもサーバから送られてくるジョブを実行しているらしい。ユーザーのPCやスマートフォンで」

「ユーザーに関係ない処理ってことか。はあ、あきれたもんだな」と中島。

 

 そういえば呼びかけへの反応が遅いことがあったかもしれない。あれは処理を動かしていたせいか。

 

「それって窃盗(せっとう)にならないんでしょうか?」桜井は聞く。

「無許可なら、そうです。利用規約にあいまいに書いてありましたよ。使用されていない時間帯にプログラムを動作させる場合がある、ってね」

「……でも、ほとんどのユーザーは利用規約なんて読まないし、待機中にPCが動いていても気づかない」

「ええ、会社側はユーザーの資源を好きなように利用できる。よくできています。そんなアプリがいま、シェアをどんどん伸ばしている」

 

 T.Kはあとはわかるだろう、というように口を閉じた。

 

「まあ、かまわないんじゃないか」中島は肩をすくめる。「違法じゃないしユーザーは満足してるわけだろ。俺たちが口を出すところじゃない」

 

 たしかにそうかもしれないけど……そんな割り切りをしていいんだろうか。

 

 桜井は中島からT.Kに視線を戻した。T.Kは同意するように頭を下げた。

 

「それはそうです。しかし、ユーザー側での学習機能は注意深く削除されていた。つまり開発元が提供したモデルのまま、ということです。たとえば感情を手に入れるようなことは偶然にもありえないでしょう。つまり……エーアイジェントには『未来』はない」

 

 未来はない。その言葉は桜井の胸をついた。

 

 そうか、エーアイジェントから、あのダイヤさんがよみがえることはないんだ。

 

 T.Kと目があう。

 

「それで、さきほどの話に戻るわけです。キャラクタントの復活のために、話してくれませんか?」

 

        ・

 

 彼はわざわざこの場所を選び、さらにスマートフォンを例の袋に入れさせた。それがすべて桜井から話を聞くための芝居だとしたら実に手が込んでいる。

 

 T.Kはじっと答えを待っていた。

 

 信じるしか、ないか。

 

「わかりました。話します」

 

 隣で中島が無言で笑うのがわかった。

 いつのまにか乾いていた口を、コーヒーをひとくち飲んでしめらせる。

 

「消失事件の日、秋葉原で爆発事件があったのは知っていますか?」

「ええ。たしかビルで警備ロボットが暴走。直後に駅の上空で爆発。謎の事件ですね。しかし、それがなにか……?」

 

 さすがに関連はわからないのだろう、T.Kは怪訝(けげん)な顔で見返した。

 

「あれは、ダイヤさん……キャラクタントのせいなんです」

「はあ、なんだそりゃ?」

 

 中島もあっけにとられたように聞き返す。桜井は椅子に座りなおした。

 

「詳しく話します。きっかけは突然の電話でした。……」

 

 会議中にダイヤから電話がかかってきたこと、ビルに仕掛けられた爆弾、ダイヤの指示で回収してそれをドローンで飛ばしたこと。時系列を追って話す。

 

「彼女は最後に、すべてのバックアップを消す、そう言っていました」

 

 桜井が話し終えてもしばらくふたりは無言だった。

 

「……俺がいないときに、そんなことがあったのか」先に口を開いたのは中島だった。「会社に戻ったらお前がいなくて……突然飛び出していった、って話だったな。まあ、たしかに辻褄(つじつま)は合うな」

「……すぐには信じがたい話ですね」T.Kはゆっくりと首を振った。「感情を持つだけでなく、まさかハッキングまでおこなうようになっていたとは……」

 

 おそらく自分が聞いてもそう思うだろう。

 

「もし真実だとしたら、『強いAI』が誕生していたのかもしれない。おそろしいブレイクスルーです」

 

 桜井は栗原と行った博物館の展示を思い出す。特定の領域だけで人間を超えるもの――囲碁AIのような――を弱いAIと呼ぶのに対して、自意識を持った汎用人工知能、つまり創作のなかに出てくるような万能のAIを、強いAIと呼ぶらしい。

 

 まあ、そうじゃなくても、ダイヤさんはすごく強かったけど。

 

 桜井は場違いな微笑みをもらした。

 

「ひとつ、可能性があります。たいへん残念な可能性ですが」

 

 その微笑みは気づかれなかったようで、T.Kはそのまま続けた。桜井は笑みを消してうなずく。

 

「誰かが遠隔(リモート)で話していた、という可能性です。背後にテロ情報を手に入れた善意の(ホワイト)ハッカーがいて、黒曜石さんにそれを伝えた。それならなにもおかしくありません」

「うん、そのほうがありそうだな」

 

 中島も腕組みをする。ふたりの視線を受けて桜井はごくりと唾をのんだ。ここまで来たら話すしかないだろう。

 

「実は、証拠……と言えるかわからないけど、理由があります」

「理由?」T.Kが聞き返す。

「はい。去年の秋、荷物が届いたんです。差出人は、おそらくキャラクタント自身」

「……もしかして、中身は?」

「大量のオプティカルキューブでした」

 

 T.Kはふうっとため息をついた。

 

「やはり、そうですか」

「ん、どういうことだ?」と中島。

「キューブは読めないからたぶんだけど、中身はダイヤさんのプログラムなんだと思う。どういう方法かはわからない。でも……自分のバックアップを取って、送ってきたんじゃないかな」

「まじかよ……」

 

 中島は絶句した。

 

 桜井がコーヒーが飲むと、それはすっかり冷めていた。

 しばらくしてT.Kは口を開いた。

 

「私は黒曜石さんがデータを持っているのではないか、と考えていました。それがここにお呼びした一番の理由で、三番目に聞きたかったことです。しかし、まさかプログラムまで」

「それがあればキャラクタントは復活するんでしょうか」

「そのキューブが私の想像通りなら……はい、まず間違いなく。ダイヤさんだけでなくほかのキャラクタも」

 

 桜井の胸に希望が宿(やど)った。とうとうダイヤさんを呼び戻せる。

 

「T.Kさんのこれが役に立ったな」中島がやれやれというように袋を指差す。「もしこんなこと聞かれてたら、どうなってたかわからないぜ。政府機関にテロリストだろ」

 

 T.Kはうなずいた。

 

「私も途中まで半信半疑でしたが……仮に『強いAI』が生まれていたなら、たとえその可能性だけでも血眼(ちまなこ)になる組織はいくらでもあります」

「そこまでですか? エージェントアプリなのに?」と桜井。

 

 強いAIが画期的なことはなんとなくわかるが、実感はわかなかった。

 

「はい。もし本当なら、冗談でなんでもなく……世界を変える」

 

 T.Kの目には力がこもっていた。

 桜井は思わず振り返る。入り口近くのテーブルの男性は居眠りをしていた。たとえ起きていても声は聞こえないだろう。

 

「私は、こういうものです。……こんなセリフ、いまどき使うとは思わなかったな」

 

 苦笑しながらT.Kはスーツの内ポケットから名刺を取り出して、ふたりの前に置いた。そこには「サリューテック株式会社・技術顧問 黒田(くろだ)隆司(たかし)」とあった。

 

「おっ、サリューテック」

 

 中島が驚く。

 桜井も聞き覚えがあった。たしか数年前に創業したネットサービス専門の企業で、先端技術を武器に急成長していたはずだ。

 

「えーと、待てよ……」そう言って中島はスマートフォンがないことに気づく。「たしか……黒田さん、もしかして?」

「ええ、創業メンバーのひとりです。すこし前に経営からは手を引いて、いまは遊んでますが」

「やっぱりな」

 

 黒田は桜井に視線を移した。

 

 どっちでもいいと思うけど……この先のことを考えると名乗っておくべきかな。なによりハンドルネームは落ち着かないし。

 

「私は桜井です。彼は会社の同僚で……」

 

 隣を見ると中島が引き継いだ。

 

「中島です。よろしく」

「こちらこそ、よろしく。桜井さん、中島さん」

 

 黒田は会釈して続けた。

 

「それで、これからですが……キャラクタントの復活に、協力してもらえますか?」

「もちろんです。私がデータを持っていても、なにもできませんから」

 

 桜井はいくぶんほっとした気持ちになってたずねた。

 

「データは渡したほうがいいですか?」

「そうですね……いえ、そのまま持っていてください。万が一、ということがある。開発者である私は監視されているかもしれません」

 

 そんな馬鹿な、と言おうとして、あながちそうでもないか、と思いなおす。

 

 キャラクタントがそこまで貴重なら、重要人物のひとりである黒田さんの行動がモニターされてても不思議じゃない。

 

「俺は?」と中島。

「おそらく大丈夫だと思いますが……。ああ、すみません。重要ではない、という意味ではなくて、コミュニティに加わったのが消失後だからです」

「なるほどな」

「ただ、すくなくともエーアイジェントはすぐアンインストールしてください。桜井さんも」

「それは、もちろんです」桜井はうなずく。「メールや電話もやめたほうがいいですか?」

「さすがにそこまではないでしょう。アプリが消えたあとも監視するとなると、OSレベルの干渉が必要だ」

「キャラクタントはどうなんだ?」

 

 今度は中島が聞いた。

 

「キャラクタント同士がデータ……たとえば会話の一部をやり取りすることはありますが、ほかにそれをもらすことはありません。そういう意味では、まずまず安全でしょうね」

「良くも悪くも、想定外のことはしないってことか」

「そうです。あとは、コミュニティのチャットやメッセージは信頼できます。我々が管理していますからね。ただ……やろうと思えばスマートフォンやPCの監視は可能です。特に携帯電話会社(キャリア)を巻き込めばね」

「そこまでかよ」

「できる限りオフで会いましょう。たとえば、こことか」

 

 黒田はそういってあたりを見渡した。いつのまにか男性客はいなくなっていた。

 ふたりはうなずいた。黒田は続ける。

 

「私はなるべく早く……キューブのデータを復元する方法を考えます」

「どのくらいかかりそうですか」と桜井。

「そうですね、ただ読み出すだけならすぐですが、もう一度、キャラクタントを使えるようにするとなると……」

 

 しばらく考えこむ黒田。

 

「計算力が足りなかったとキャラクタントは話していたそうですね。今度は消されないようにする必要がある。しかし無許可で計算資源を利用するのは問題だし、脆弱(ぜいじゃく)だ。一気に多数のユーザーにインストールしてもらうのが、有効かもしれません」

 

 キャラクタントが動作するPCやスマートフォンを数多く用意すれば、それだけダイヤさんたち……というのもおかしいけれど、キャラクタントが自分自身を守れる、ということだろうな。

 

「それを含めて検討します。またコミュニティ経由で連絡します」

 

 黒田は袋の口を開いた。桜井と中島がそれぞれスマートフォンを取り出すと、黒田は袋をしまって席を立つ。

 

「ここは私が払っておきます」そう言って伝票を取った。

 

 三人は狭い階段をのぼり(途中、入り口で中年の男女とすれ違った)地上へ戻った。

 日中の貴重な暖かさは消え去っていて冬の冷気が桜井を包んだ。あわててコートを着る。

 

「今日はとても有意義でした。ありがとうございました」

 

 そう話す黒田の目は輝いていた。ふたりが会釈すると彼は足早に去っていった。

 

 黒田の姿が見えなくなると、中島はふうっと息をもらした。

 

「なんか、すごいことになってきたな」

「まったく」

 

 ふたりはもと来たほう――秋葉原へ向けて歩き出した。

 

「お前もお前だよ。よくもまあ、隠しておいたもんだ」

「それは、ごめん。いつか話そうと思ってたんだけど機会がなくて」

「まあ、ちょうどいいタイミングだったのかもな。T.K……黒田さんと話ができて。俺に話されても正直困るだけだったぜ」

「いや、いろいろ助かったよ。それに黒田さんがそもそも俺と会う気になったのも……たぶん中島のおかげだと思う」

「ん、どういうことだ?」

 

 中島は眉を上げた。

 

「黒田さん、俺がデータを持ってるって推測してた。俺が会議室でデータについて書き込んで……さらに中島が黒田さんに、俺の名前を出したからだと思う」

「なるほどな……」

「今日も助かったし、これからも頼むよ」

 

 それは桜井の本心だった。

 

「おう、任せとけ。なによりマリアちゃんのためだからな」

 

 中島はにやりと笑った。

 

「もうすこし飲んでいくか?」と続ける。

「そうだね。あ、黒田さんにオフレコな店、聞いておけばよかったな」

「それより先に、アンインストールしようぜ、エーアイジェント」

 

 ふたりはスマートフォンを操作しながら秋葉原へ向かって歩いた。




T.Kは拙作別作品の主人公ですが、この作品で登場人物を考えたときに相応しいのは彼しか思いつきませんでした。
当該の作品の読者の方には引っかかる方もいらっしゃるかもしれませんが、どうぞご容赦ください。パラレルワールドまたは同姓同名の別人とお考えいただければ幸いです。

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