午後、桜井は仕事をこなしながら考えた。
T.Kの話に疑問は残ったが、ダイヤの復活になんらかの影響があるのは間違いなかった。気持ちはT.Kに会うことに傾いていった。
桜井は時間をみはからって中島のところへ行く。ちょうどよく席にいたので話があるといってオフィスの外に誘った。
「なんだ、話って?」
フロアの自販機の前のちょっとしたスペースで、コーヒーの缶を片手に中島が聞いた。
「いや、キャラクタント関係の話なんだけど」
「昨日の新機能か? わりといい感じじゃないか」
「うん、それは俺もよかったと思うんだけど、それとは直接関係なくて……。T.Kって人、知ってる?」
「ああ、もちろん知ってるぜ。コミュの
それがどうした、という感じで中島はうなずいた。
桜井は自分の缶コーヒーを開けてひとくち飲む。今日は桜井がおごった。
「えーと、どんな人かな?」
自分でもとらえどころのない質問だと思いながら桜井はそう口にした。
「どんな人、ね」中島は首をかしげる。「まあ普通に有能、って感じだな。いまキャラクタントの売りになってる機能もいくつか……たとえばカメラからのユーザー感情認識とか、あの人が作ったんじゃないか」
「へえ、すごいんだ」
「ずっと開発の中心メンバーのひとりだからな、チャットでも何度か話したことあるぜ」
「それは、声でも?」
「ああ。……そういえばお前が言ってたデータの件、この前T.Kに話したな。データがあれば復元できるか、ってやつ。一応確認するつもりで」
「それで、なんだって」
「俺と同じだよ。もちろん復元できる、だと。プログラムがなくてデータだけでも、それなりにヒントになるってさ」
やはり、と思う。中島は続けた。
「でも、どうしたんだ、急に?」
「T.Kからのチャットで、直接会いたい、って言われたんだよ」
「直接って、オフか。そりゃまた珍しいな」眉を上げてから付け加える。「あ、そういえばお前の名前も出したかもしれないな、まずかったか?」
中島はひょいっと頭を下げた。
「いや、それは関係ないと思う」桜井は首を振る。「感情について詳しい話を聞きたいっていうんだ。感情が
「それはお前が『感情がある』派だからだな」
「まあね。そうなった理由を一応説明したら、会いたいってさ」
「へえ、そういえば具体的には聞いてなかったな、理由。なにかあったのか?」
面白そうなようすの中島に桜井は黙り込む。
見ず知らずの人に話す――正確には書く、だが――よりも目の前の友人に話すのが恥ずかしいのはなぜだろう。とはいえ次の依頼のためには避けられそうになかった。
ため息をひとつついてから、細かいことはなるべく省略して同じことを話す。
途中から微妙な顔をしていた中島は聞き終わったとたん吹き出した。
「だから今まで話してなかったんだけど」
「いや、すまん。しかしそんなことがな。ぷっ」もう一度笑う。「ま、この時代ネットでもよさそうだけどな。それで、会うつもりなのか?」
「うん、へんな人じゃなさそうだしね。それでさ」
桜井は一呼吸置いてから続ける。
「よかったら一緒に会ってもらえないかな。ほら、技術的な話になると中島がいてくれると助かるし」
「ああ、かまわないぜ」
中島は即答した。きっとそう言ってくれると思ってはいたがほっとする。
「ありがとう、助かるよ」
「直接会える機会なんて、そうそうないだろうしな」
「じゃ、その線でT.Kに連絡してみる。詳細はまた知らせるよ」
「おう、こっちも楽しみにしてるぜ」
中島はコーヒーを飲み干して缶をゴミ箱に捨てた。
「それじゃ、戻るか。また栗原主任になにか言われないうちにな」
中島はにやっと笑った。
その日の夜、桜井は中島と一緒なら会うとT.Kにメッセージを送った。彼からはすぐに返事があり、そこにはいくつかの候補の日時、それに場所が書かれていた。桜井は中島と調整して日時を決めた。
・
数日後の夕方、会社を定時で出たふたりは指定された場所へ向かった。そこは秋葉原駅から徒歩数分、地下鉄の
昭和通りから
すこし懐かしい感じの、高さの低いコーヒーブランドのロゴ入り看板が路上に出ていた。店は半地下になっているようだった。ふたりは階段を下りて店へ入った。
店内は奥行きがあり、入り口から奥に向けてテーブルが一列に五つほど並んでいた。テーブルの右手にはカウンターがある。すこし暗めの照明に落ち着いた内装は、看板と同じく昔ながらの喫茶店という雰囲気だった。ジャズのBGMが控えめに流れている。
「
コートを脱ぎながら中島がつぶやいた。桜井も同様にしながら店内を見渡す。
手前のテーブルに初老の男性がひとりいて新聞を開いている。そして一番奥のテーブルではひとりの男がこちらを見つめていた。
「はじめまして、でいいのかな。黒曜石さん、なななさん。T.Kです」
向かいの席にふたりが座ると男は頭を下げた。年は自分たちよりもすこし上、だろうか。思ったよりも若いと桜井は感じた。仕事帰りのふたりと同じくスーツ姿。どちらかというとやせ型で鋭い目が印象的だった。
「黒曜石です」
「なななです、直接は、はじめまして」と中島。
注文を取りにきた店員に適当にコーヒーを頼む。店員が去ってT.Kは微笑みながら続けた。
「おふたりが関わったこの前の新機能、なかなか評判がいいようですね」
「ありがとうございます」
中島が代表するような形でこたえた。
「T.Kさんにはいろいろお世話になってます。開発者としても、ユーザーとしても」
「いや、できることをしてるだけだよ」
中島の言葉をT.Kは首を振って打ち消し、続けた。
「ところで、本題に入る前に……ここは携帯の電波が入らないけれど、大丈夫ですか?」
桜井はかるい驚きに打たれた。
いまどき都内では珍しいな。でも、特に予定もないし、金曜日だからお客さんからの連絡もないか。そのときには電源が切れていたことにすればいいし。
「ええ、しばらくなら」
桜井がいうと隣で中島もうなずいた。
でも、どうしてわざわざそんなところを選んだのだろう? それに、秋葉原を指定されたのも疑問だ。
「あの、話の前に私からもひとつ聞いていいですか?」
桜井は最初に解決したほうがいいだろうと思う。
「もちろん」
「どうして場所に秋葉原を選んだんですか。たしかに近くて助かりましたが」
「それは……キャラクタントが関係しているんです」
T.Kは面白そうに微笑んだ。
「位置情報が収集されていた、とか?」
「いえ、位置情報は暗号化されていて開発者でも見られませんよ。……黒曜石さんは感情があったと主張していた。なななさんも同じ意見ですね?」
「ええ、俺もどちらかといえば」
店員がふたりのコーヒーを持ってきて、そのあいだ会話は中断した。店員が伝票を置いていくとT.Kは再開する。
「コミュニティでも以前のキャラクタントの機能については意見がわかれている。まるで人間のようだった、というユーザーがいれば、エージェントの範囲は出ていなかった、と否定するユーザーもいる。面白いくらいに平行線だ」
桜井もそれは感じていた。
「どうも本当に、機能に差があったとしか思えない。そこでコミュニティのユーザーの投稿内容をもとに、機械学習で
「どんな結果が出たんですか?」と中島。
「関連しているのは、まずホログラムマシンの有無。ホログラムを使っているユーザーは評価が高かった。これはわかります。おそらく3Dモデルのモーションとユーザーの挙動のフィードバックがうまく働いたのでしょう」
桜井と中島はうなずいた。
「そしてもうひとつはユーザーのプロフィールの場所情報です」
桜井自身は空欄にしていたが、たしかにプロフィールに「東京」や「秋葉原」といった大まかな住所を公開しているユーザーは多い。
「日本国内、都内のユーザーの評価が高かった。特に評価が高いユーザー数名は山手線内の東部、正確には秋葉原の付近に集中していた」
「それは……どういう理由でしょうか」
桜井も興味をひかれる。
「さあ、そこまではわかりません。ただ物理的な位置が影響しているらしい。黒曜石さんもなななさんもプロフィールは公開していませんが、そういう理由からこの近くに住んでいるだろう、と推測したわけです」
筋は通っている気がした。それならT.Kが秋葉原を面会場所として指定したこと、そして以前のダイヤが「人間くさかったこと」も説明できる。
「ふーん、このネットワーク時代にね」と中島。
「各クライアント間の
「なるほどな」
中島もまずは納得したようだった。
「わかりました。……それで、お話というのは?」桜井は水を向ける。
「ええ。大きくはふたつあります。いや、三つかな」
T.Kはコーヒーをひとくち飲んで続けた。
「私が感情の創発に興味がある、というお話はしましたね。まずひとつ目は、どうすればふたたびそれを起こせるか。以前のキャラクタントはおそらくそこまで至っていた。原因を調べて再現すれば、可能かもしれないと考えています」
T.Kは微笑む。
「これはさきほどのお話で、私の推測がずいぶん裏付けられた。仮想環境などでレイテンシーを最小にしてシミュレートすれば再現できるかもしれない。偶然に頼る形になりますが」
どういうことだ? 桜井は中島の視線をとらえる。
「うーん、超高速なコンピュータでいくつもキャラクタントを動作させて進化させる、って感じだな。そうだな、『精神と時の部屋』、あれだ」
「ああ、そのたとえは適切ですね」T.Kはうなずいた。
ふむ、ドラゴンボールか。すぐに通じたところをみるとこの人もいわゆるオタクらしい。
「ただ、仮想環境ではホログラムマシンが再現できませんから、それが必須だとしたら難しいでしょうね」
肩をすくめて桜井に視線を移す。
「ふたつ目です。黒曜石さんが感情を持つと確信した理由。チャットでもうかがいましたが、それだとすこし弱い気がします」
「……そうでしょうか?」
デートの相談をしたときの嫉妬しているとしか思えないダイヤ。裸を見たときの怒りよう。実に真に迫っていたけれど。
「できのいいプログラムなら十分に記述可能でしょう。……もしかしたら、ほかにもなにかあるのではないですか?」
T.Kの目が細められた。中島も興味深そうに桜井の顔をうかがっている。
もうすこし詳しく、例の事件について話したほうがいいのかな……。
桜井は
T.Kはなにかあると察したのだろう、自分から口を開いた。
「私は以前からAI、特に会話型には興味がありました。だからキャラクタントの開発に関わったのですがね。開発を進めるうちにさらに興味は増しました。大量のデータ、先進的で協力的なユーザー。またとない環境です」
桜井と中島はうなずく。
「そして最終的には、ネットワーク上にある無数のデータから自動的に学習するところまで到達した。人間がそうさせた事例、つまり『学習するようにプログラムした』事例はほかにもありますが、ボトムアップ型では聞いたことがない。おそらく地球上でもっとも進化したAIだったでしょう」
ダイヤさんが言っていたことと同じだ。自分から学ぶようになったAI。
「キャラクタントには未来を感じていました。それが失われたのは実に惜しい。……黒曜石さんのお話が、なにかヒントになりそうなのですが」
まっすぐな視線。桜井はそれを正面から受け止めた。