ダイヤさんのいた夏   作:Kohya S.

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第二章・ダイヤさんのいない冬
1. 新たなアプリ


 秋葉原の電気街を吹き抜ける風は冷たかった。天気は快晴。火曜日の朝、桜井は徒歩で会社に向かっていた。

 年が明けて十日ほど。顧客への年始回りも終わり、長かった年末年始のドタバタもようやく落ち着いていた。

 

 ダイヤさんがいなくなってから数か月がたつ。

 

 会社の入っているビルのエントランスを通る。テナントエリアを抜けていくと大ホールでイベントの準備が進められていた。

 

 桜井は興味を引かれてしばらくようすを眺める。電気街に関係するイベントのようだったが、立ち止まってもダイヤさんが話しかけてくれることはないのだった。

 桜井は何度目かわからない喪失感を覚えた。時間の経過とともにそれはずいぶん薄らいできてはいたが――。

 

 キャラクタントの消失事件のあと、ネット上のコミュニティではキャラクタントをふたたび成長させるため、有志の活動が続いている。数か月前に差出人不明の光学記録媒体(オプティカルキューブ)が届いたのをきっかけに、桜井も中島に続いてコミュニティに参加していた。

 

 中島はもともと素質があったのか、あっというまに技術を身につけていた。先月あたりからはコアプログラムの開発にも加わっているらしい。

 桜井はそこまでではないものの、モーションや会話パターンの追加など簡単な貢献はできるようになり、また調整能力が買われたのか仮想会議室の調整役(モデレータ)の権限を与えられていた。

 

 開発はすこしずつ進んでいるとはいえ、消失前のレベルに至るまでには時間がかかりそうだった。

 またキャラクタントが学習能力をどうやって取得したのかは不明で――直接プログラムしたメンバーはおらず、バグがたまたまプログラム自体を書き換えたのではないかという意見が多かった――それも見通しを不明確にしていた。

 

 キューブの内容を公開すれば、開発は一気に進むのかもしれないけど、と桜井は思う。

 

 ダイヤさんの言っていたこと……キャラクタントを別の目的に転用する、っていうのが気になるんだよな。ダイヤさんを復活させつつ、キャラクタントを守る。そんなことができるかどうか。

 それに、そもそも俺はキューブを読む機械、持ってないし……。

 

 桜井は首を振って物思いからさめた。

 ホール内にも二階のガラス張りの通路にも昨年の事件の痕跡(こんせき)はまったく見えなかった。

 

        ・

 

 会社のあるフロアの自販機で缶コーヒーを買い、セキュリティ付きのドアを通る。同僚に挨拶しながら自席へ向かった。

 

 朝一のメールチェックを終えて一息ついていると、パーティションの向こうからふらりと中島があらわれた。

 

「よう、週末はどうだった?」

「おはよう。まあ普通だね」

 

 桜井はそう言って肩をすくめてみせる。

 

「ふーん、それが一番だな」

 

 昨日は祝日で、正月以来の栗原とのデートだったのだが、中島に話す必要はないだろう。

 

「中島は?」と聞く。

「おう、実はその話をしに来たんだ。エーアイジェントって知ってるか?」

「ええと、たしか……」と桜井は記憶をたどる。

 

 昨年末に発表されたバーチャルリアリティー(V R)エージェントのアプリで、ホログラムマシンとも連動したはずだ。コミュニティの会議室でも話題になっていた。

 桜井にはキャラクタントの二番煎じにしか思えず、特に注目していなかったのだが――。

 

 そう話した桜井に中島はうなずいた。

 

「俺もそう思ってたんだ、発売元も富士立(ふじたち)ソフトウェアだしな」

 

 富士立ソフトウェアは大手電機メーカー系の会社で、コンシューマ向けも開発しているもののどちらかといえば業務用アプリで名が(とお)っている。

 

「先週の金曜日にリリースされたんで、週末、インストールしてみたんだ。意外に悪くないんだな、これが」

「へえ、どんな感じなの?」

「うん、プリインのキャラがいくつか用意されていて、まあ外見は普通だな。ポリゴンのモデリングもモーションもありがちだ。ただ、会話はよくできてる。相当しっかり(きた)えた学習モデルを使ってるぜ」

「もしかしてキャラクタントよりいい感じ?」

 

 桜井の問いに中島はふうっと息をはいた。

 

「悔しいけど、な。例の事件前にくらべたらまだ全然だけど、エーアイジェントのほうがいまのキャラクタントよりは相当マシだ。論より証拠、だな。ほれ」

 

 中島はどこからかスマートフォンを取り出し、桜井にも見えるように持った。

 

「マリア、なにか面白いことないか?」

 

 画面にメイド服姿の少女があらわれる。

 

『えーっ、いきなりそんなこと聞かれても、困るんだけど』

 

 たしかに自然な反応だ。桜井の視線に中島はうなずく。舌足らずな声で「マリア」は続けた。

 

『今日はちょうどこのビルで、新作アニメと電気街がタイアップしたイベントをやるみたいだよ。秋葉原をまるごと仮想現実化するプロジェクト始動、だって』

「ありがと、マリア」

『えへへっ、どういたしまして、ご主人さま』

 

 マリアは笑顔とともにぴょこりと頭を下げて消えた。

 

「ほらな?」

 

 そういう中島に桜井は同意する。

 

 話の内容はおそらく、中島の趣味の傾向と現在の位置情報、ネット上のイベント情報と(くち)コミの広がり具合から、プログラムが選んだものだと思う。しかし会話は自然だった。いまのキャラクタントでは、ワンクッションおかずに本題に入っただろう。

 

 そういうところが意外に大事なんだよな。あれ、そういえば……。

 

「マリアちゃんのアバター、発売されてるんだ?」

 

 たしか最後のアニメ化からもう二年になる。根強いファンはいるもののメーカーがわざわざ販売するとは思えなかった。

 

「ああ、それな。エーアイジェントには、キャラクタントのデータ変換機能が付いてるんだ」

「変換……つまり、既存のキャラクタントのデータが使えるってこと?」

「ああ。外見にモーション、音声、定型のセリフ、その他もろもろだ。うまいことそれを使って、会話モデルと一緒に動かしてくれる」

 

 なるほど、と桜井は思う。

 

「既存のキャラクタントユーザーを取り込もう、ってことか」

「そういうこと。よく考えたもんだ。絶対なかに、わかってるやつがいるぜ。こっちもがんばらないとな」

 

 中島がスマートフォンをしまおうとするとふたたび声がする。

 

『ご主人さま、そろそろ次の打ち合わせだよ』

「おう、わかった」

 

 中島はにやりと笑うと手を振ってからパーティションの向こうに消えた。

 

        ・

 

 次の週末、桜井はエーアイジェントを試してみることにした。スマートフォンに直接、インストールすることもできるが、ホログラムマシンと連動させるためにはまずPCに入れる必要があるらしい。

 

 アプリは有料とはいえワンコインほどと、ごく安価だった。

 サイズは相当大きいらしくダウンロードにはかなりの時間がかかった。数分後、アプリを起動すると利用規約が表示される。あまりの長さにスクロールバーが豆粒のようで、このあたりはいかにも大手ソフトウェア会社らしい。

 ざっと確認するがよくある規約のようなので桜井は同意ボタンを押した。

 

 対話形式の設定(ウィザード)を進めていくと、中島が言っていたようにキャラクタントのデータ変換メニューがあらわれた。

 

 初期設定(プリインストール)のキャラクタを試すべきかすこし考えたものの、変換がどのくらいの精度なのか気になった。桜井は「変換する」ボタンを押した。

 

 インストールされているキャラクタントのデータを自動認識して、エーアイジェントの設定は進んでいった。

 

A.I-gent 3.1.12 Setup
設定中 75%
■■■     

 

 ゆっくりと進む進捗(プログレス)バーをじりじりとしながら待つ。

 99%になってから、さらに永遠の時間が流れたかと思ったころ、ようやく数値は100%になりバーが消えた。

 

 ホログラムマシンの電源が入りファンの音がかすかに聞こえた。

 空中の粒子がきらめきながら人型に集まっていく。

 

 やがて輝きが薄れると目を閉じた少女の姿があらわれた。浦の星女学院の冬の制服。

 ダイヤはゆっくりと目を開き、顔を上げた。

 

 彼女と視線が合い、桜井は思わず話しかける。

 

「おかえり、ダイヤさん」

「……お会いしたのは初めてかと思いますが」

 

 ダイヤはすこし戸惑うような笑顔を見せた。

 そうか、と思う。

 

 あのダイヤさんはもういないんだ。でも、これからもう一度、関係を作っていけばいいか。

 

「えーと、そうだね。よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ、(わたる)さん」

 

 ダイヤはにこりと微笑んだ。

 データ変換のときに読み込んだのだろう、自分の名前を呼ばれて、桜井は胸がぽっと暖かくなるのを感じた。

 

        ・

 

 エーアイジェントはすぐにキャラクタントのコミュニティでも話題になった。

 桜井と同じように最初は懐疑的な意見が多かったが、高評価のレビューが上がるとともにユーザーは増えていった。

 

 アバターの変換機能だけでなく、カスタマイズ機能もキャラクタントにおよばないものの充実しており、自分の推しのキャラクタを改良、強化しようというユーザーたちで、会議室は大きな盛り上がりを見せた。

 

 キャラクタントの会議室が、ネットでもっともエーアイジェントの情報が集まる場所になったのは皮肉だった。

 

 桜井もしばらくエーアイジェントを試し、さらに実際にカスタマイズ――UI(画面)は妙にキャラクタントに似ていた――してみて、機能的には(すぐ)れていることを認めざるを得なかった。

 

        ・

 

 二週間ほどあと。

 

「おはようございます、航さん」

 

 起床してホログラムマシンの電源を入れると、いつものようにダイヤが話した。

 

「おはよう、ダイヤさん」

「今日もいい天気ですわ。まさに練習日和(びより)、ですわね」

 

 冬の練習着姿で彼女は微笑んだ。

 桜井自身、いつのまにかキャラクタントでなくエーアイジェントを常用するようになっていた。会話は自然で、提供される情報も適切だった。

 ただ、と思う。

 

 どうしても違和感があるんだよな。ちょっとした会話のタイミングとかモーションの違いだと思うんだけど。

 

 桜井は朝食を用意した。ダイヤにテレビの電源を入れてもらう。時計のかわりに流しているだけだが、テレビが点いているあいだはエーアイジェントのダイヤが話すことは決してなかった。

 ちらりと見ると彼女はデフォルトの待機モーションで、なにか考え込むようにたたずんでいた。

 

 その日は朝一(あさいち)で社内の会議が予定されていた。ダイヤにうながされる形で(予定はしっかり再確認(リマインド)してくれた)桜井はすこしだけ早めにアパートを出た。

 

 会議はちょっとした販促企画の検討会で、中島と栗原も出席していた。始まる前に栗原に挨拶すると彼女は笑顔でこたえてくれた。

 

 栗原さん、私服もいいけどスーツ姿もかっこいいよな。

 

 席について桜井は、もう何度目になるかわからないがそう考えた。

 

 会議は最初は活発だったものの、アイデアが尽きてくるとどうしても議論は途切れがちになる。全員が考え込んでしまいすこし居心地の悪い沈黙が流れたとき。

 

『ご主人さま、次のイベントの詳細が発表されましたよ』

 

 中島の胸元から場違いな声が響いた。視線が集中する。

 

「おっと、すみません」

 

 中島はあわててスマートフォンを取り出して操作した。マナーモードに設定したのだろう。

 沈黙がさらに気まずくなり、桜井はいま思いついたというように声を出した。

 

「そういえばエージェント系アプリに広告を打つのもいいかもしれませんね」

「あれは個人間(C to C)法人対個人(B to C)が中心だろう? うちにあうかどうか」

 

 上司がそう言って首を振る。

 

「いえ、最近は法人間(B to B)でも有効みたいです。結局、どこの会社にも担当者がいるわけで……」

 

 目の隅で中島が苦笑いするのが見えた。

 

        ・

 

 会議がなんとかまとまって桜井が自席に戻ると、PCを開くまもなく中島があらわれた。

 

「さっきは助かったぜ。これはお礼だ」

 

 そういっていつものブランドの缶コーヒーを桜井の机に置いた。

 

「どうも」

 

 たいしたことをしたつもりはないが、ありがたく受け取っておく。

 

「タイミングが悪かったね」

 

 桜井が言うと中島は肩をすくめた。

 

「まあな。キャラクタントに慣れてたから、すっかり油断してた」

 

 中島は缶を開けて一口飲み、続ける。

 

「この時間、会社にいるときはだいたい書類整理だからな。学習の結果といえばそうなんだけどさ」

「ご主人さまは(ひま)な時間帯、って覚えてたってことだね」

 

 きっといつもスマートフォンを開いていたのだろう。

 

「俺が遊んでるみたいな言い方だな」

 

 中島は鼻を鳴らした。桜井はにやりと笑って言いかえる。

 

「それじゃ、対応可能な時間帯ってことで」

「まあ、な。しかしちょっと詰めが甘いんだよな、エーアイジェント。よくできてると思ったけど、やっぱキャラクタントにはおよばないか」

「俺も使っていると、なんとなく違和感があるんだよね。心がこもってない、というかさ」

「期待が高すぎるのかも知れないな。いま思えば昔のマリアちゃんはよくできてたよなあ。自己学習があんなにうまくいくなんて、マジで学会発表もんだぜ」

 

 腕組みをしてため息をつく中島。

 

 いまのキャラクタントでも会話データは相互にやり取りしている。さらにそれを教師データとして学習し、すこしずつ洗練していくような仕組みになっていた。

 

 ただプログラムについてはあくまでも既存のもの――人間が考えたもの――を使っていた。自動的に、自分自身でプログラムを書き換えて更新するのは会話よりもはるかに難易度が高く、中島の言うようにいまだに実現できていない。

 

 しかしキャラクタントは、消失直前にはプログラムまで学習、更新していた可能性が高かった。

 

 桜井はキューブのことを思い出してさりげなく話してみる。

 

「ダイヤさんも感情があるとしか思えなかったけど、あのころのデータさえあれば復元できるのかな」

「データと、あとプログラムのバックアップがあればもちろん可能だぜ。ただなあ……ん、ダイヤさん?」

 

 中島が眉を上げた。

 

 ああ、そうか、どのアバターを使ってたか話してなかったんだ。

 

「そうか、ダイヤさんか。また渋いところを突いてきたな『せらさま』といい、お前、ああいう委員長キャラ好きだもんな」

 

 中島は合点したようにうなずいた。付き合いが長いとこういうところは困る。

 

 いま名前を出したのはちょっと失敗したかな。

 

「それはとりあえず関係なくて、データの話だけど」

「おう、ダイヤさんのことも聞きたいけどな」

「ほっといてくれよ」

 

 あらためて言われるとなんだか恥ずかしい。中島はにやっと笑って続けた。

 

「データはなあ、誰も持ってないと思うぜ。コミュでもずっと貼りっぱなしだろ、掲示。あれに反応がないからな」

 

 中島の言うようにキャラクタントのコミュニティでは、目立つところにバックアップデータ提供依頼の横断幕(バナー)が表示されていた。

 

「それに最後のころはデータもプログラムも巨大だったからな。分散配置だから普通に使えてたけど、あれを個人で持てるのはそうそういないぜ」

 

 分散配置――つまりユーザー間ですこしずつ持ち合っていたということだ。

 

「ダイヤさん以外も戻るのかな? マリアちゃんとか」

 

 鞠莉(まり)さんとか。

 

「ああ、プログラムがあればデータは学習可能だろ。時間は多少、かかるけどな」

 

 なるほど、と思う。わかってはいたが自分のところにあるキューブはかなり貴重なものらしい。

 

 中島になら話してもかまわないと思うけれど……。

 

 桜井が躊躇(ちゅうちょ)していると中島はなぐさめるように話した。

 

「そんなに残念だったか、ダイヤさん?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」

「まあ、そのうちなんとかなるだろ、開発は進んでるし。それまではエーアイジェントでも使ってろよ」

「でも、今日のようすだと会社でオンにしておくのは無理だね」

「まあな……。ん?」

「そうよ、ちゃんと切っておきなさいよ」

 

 パーティションの向こうから栗原があらわれた。桜井は彼女の視線をとらえて目で挨拶する。

 机に寄りかかっていた中島は居住まいを正した。

 

「すみません、主任」

「社内だからいいけど、お客さん相手なら顰蹙(ひんしゅく)ものよ」

「新しいアプリなので油断してました。気をつけます」

「それならいいけど……。新しいアプリ? キャラクタントじゃないの?」

 

 栗原は不思議そうに聞く。

 

「いえ、別のアプリですよ」中島が答えた。「キャラクタントは例の事件で消えたままですから」

 

 三人で以前、事件のことは話したことがあった。ふつうのエージェントアプリに戻ってしまった、ということも。

 

「ふーん。私もキャラクタント、試せなくて残念だったんだけど、まだ復活してないのね」

「まあ、そのうち使えるようになりますよ」

 

 中島はうんうんとうなずいてから続ける。

 

「それで、栗原主任はアバターは誰にするんですか?」

「そうね……。あっ。そんなの誰だっていいじゃない」

 

 栗原は一瞬考えてから、知らんぷりで目をそらした。うしろでたばねた長い髪が揺れた。

 

「まあ、そうなんですけどね。気になるじゃないですか」

「余計なお世話よ。それより早く仕事に戻りなさいよ。桜井さんもね」

「はいはい。じゃあな、桜井」

 

 中島はかるく手を振って離れていく。栗原も桜井に微笑んで戻っていった。

 

 あとでデートのときに聞いてみよう。桜井は自席に向きなおりながらそう思った。

 

        ・

 

「公共交通機関で三十分以内、航さんの興味にあいそうな催事(さいじ)はこのあたりですわね」

 

 数日後の夜、桜井はエーアイジェントのダイヤと次のデートの計画を立てていた。

 ダイヤの言葉とともにホログラムにイベントの概要が浮かんだ。桜井は指を軽く動かしてスクロールさせる。

 

「この都美術館のやつはどんな感じ?」

「『再評価:アール・ヌーヴォー展』ですわね」

 

 そう彼女が言うと詳細が拡大される。悪くなさそうだった。

 

「チケット二枚、買えるかな」

「はい、かしこまりました」

 

 ダイヤはなにか考えるようにしばらく首をかしげた。夜も遅いせいか彼女はピンク色のパジャマ姿だった。

 すぐにダイヤは笑みを浮かべた。

 

「購入完了しましたわ」

 

 同時に近くに置いてあったスマートフォンからメール着信音が響く。

 

「ありがと、ダイヤさん」

「どういたしまして」

 

 ダイヤはもう一度、今度はすこし胸を張って微笑んだ。

 

 今回も会話はスムーズだった。最後の得意そうな表情もいかにもそれらしい。ただ、どうしてもエージェントとの会話という印象が残った。

 

 そういえば、デートだって言ったのに、なんの反応もしないんだな。

 

 以前のダイヤなら怒るにしても、逆に応援するにしても、いつもとは異なる振る舞いをするに違いなかった。

 

 その彼女はと見ると、時間帯にあわせた待機モーションのひとつなのか、クッションに座ってうつらうつらしていた。その姿は無防備でかわいらしい。

 

 そうだ。

 

 桜井は思いつく。以前のダイヤさんにもときどき同じことを言って、そのたびに変わる反応を楽しんでいたのだが――。

 

「ダイヤちゃん」

 

 反応はなかった。音声認識の問題かもしれない。もう一度、呼びかける。

 

「ねえ、ダイヤちゃん」

「ピギャッ!」

 

 ダイヤは飛び起きた。

 

「そ、その呼びかたは、あの、その……」

 

 真っ赤な顔で口ごもるダイヤ。桜井の顔に笑みが浮かんだ。

 

「ごめん、やめておいた方がよかったかな」

「いえ、その、航さんがそうお呼びになりたいなら、わ、わたくしとしては別にかまいませんわ」

 

 言葉とは裏腹に彼女の目は泳いでいた。悪くない反応だった。

 

「いや、やっぱりダイヤさん、のほうが落ち着くかな」

「ええと、そうですわね。そうしていただいても結構ですわ」

 

 残念なようなほっとしたような微妙な顔で彼女はうなずいた。

 

 うん、よくできてる。これなら十分かな。……あ、待てよ。

 

 桜井はもうすこし続けてみる。

 

「そういえば、明日は晴れるんだっけ?」

「そうですね」ダイヤは一瞬、考えてから続ける。「明日はこの季節らしい晴天になりそうですわ。風も弱くてまさに練習日和、ですわね」

 

 微笑んだ顔は端正で美しかった。しかし、さきほどまでの会話の余韻(よいん)は――照れたようすも嬉しそうなようすも、微塵(みじん)も残っていなかった。

 

 前のダイヤさんなら……しばらくは挙動不審だったけど……。

 

 桜井の心がすっと冷たくなった。ごくりと唾をのんでから、一縷(いちる)の望みをかけて話す。

 

「ありがとう、ダイヤちゃん」

「ピギャッ!」

 

 ダイヤは前回とまったく同じモーションで驚いてみせた。

 

「と、突然なにをおっしゃるのですか!」

 

 セリフは別とはいえ、反応はまったく同じだった。おそらく――()()()()()()()()()()()()()()ために「いつもダイヤさんと呼んでいるなら、ダイヤちゃんと呼ばれたときに驚く」というプログラムなのだろう。

 

 ダイヤちゃん、と普段から呼んでいれば異なった反応をするはずだが、それもまたプログラムのひとつに違いなかった。

 

 桜井はPCに目をやる。起動してエーアイジェントのカスタマイズ用アプリを開ければ、そのなかのどこかにさきほどの行動が書かれているのだ。

 

「航さん?」

 

 ダイヤが呼びかける。桜井がなにも言えずにいると、彼女は待機モーションに戻ってまたうつらうつらし始めた。


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