「げっ、まじかよ」
中島が不気味なものでも見たかのように言う。
「通用口からまわって来たんだ」
「俺はあっちを
「わかった」
中島は反対側のシャッターに移動した。中島が全力でシャッターの下端を押さえると、わずかに速度が遅くなった。それでもゆっくりと上がっていく。
「いざとなったら、操作室に立てこもるか?」中島が大声を出す。
「それしかないか」
桜井の前のシャッターも動き始めた。力をこめるがあまり効果はなかった。
五センチ、十センチとすき間は広がっていく。そろそろ退却しないとまずい。
「中島、俺が先に扉を開ける」
「わかった」
桜井はシャッターから手を離して扉まで走った。カードリーダーにカードをかざして開けると、なかに駆け込んだ。あとから清掃ロボットがついて来る。
「中島!」
「おう」
中島ともう一台のロボットが走り込んできて、桜井は扉を閉めた。
いよいよここが最後だ。ダイヤさんは……?
ダイヤはいままでと同じ姿で立っていた。
「黒田さん、時間は?」
「あと五分を切りました」
画面を見つめる黒田の額で、汗が光っていた。
廊下を走ってくる足音が聞こえた。直後に扉が大きく
「おい、黒田、ここを開けろ!」
扉についたちいさなガラスの窓から男が怒鳴っているのが見えた。
「鍵だ、鍵を持ってこい! 主査はどうした?」
「階段のところで倒れてます!」
「馬鹿、早く取って来い!」
ああ、いよいよだ。心臓が早鐘のように鳴った。
桜井はダイヤに視線を戻す。そのときだった。
ダイヤがゆっくりと目を開けた。
「お待たせいたしましたわ」
「ダイヤさん」
桜井は思わずつぶやく。ダイヤは桜井にちらっと微笑んでから黒田に向かって話した。
「黒田さん、インターフェース
「ありがたい」
黒田はキーボードを猛烈な勢いで打ち始めた。
「ダイヤさん、ありがとう」桜井は言う。
「どういたしまして」
ダイヤは優雅に頭を下げた。
ガチャガチャとドアノブを動かす音がして桜井は我に返った。
「そうだ、なんとかしないと」
「おまかせください」
こほん、とダイヤは咳払いした。
『火災が感知されました。三十秒後に消火ガスが放出されますわ』
室内のスピーカーから声が流れ始めた。ダイヤは桜井にウインクする。
『まもなく消火ガスを放出いたしますわ! どうなっても知りませんわよ!』
扉の窓から赤い光が点滅しているのが見えた。男たちが騒ぎ出す。
『人間は三十秒で窒息死、ですわ!』
男たちの声はさらに大きくなった。
「まずいぞ」「どうせはったりだぜ」「いや、でも」「死んだらどうすんだよ」「おい、持ち場を離れるな!」
混乱するようすが伝わってくる。
さらにプシューッという音がし始めた。
男たちが大声を上げながらいっせいに走り出すのが聞こえた。
「とりあえずしばらくは大丈夫でしょう」
ダイヤがふうっと息を吐いた。
「俺たちも避難しなくて大丈夫か?」と中島。
「もちろん、はったりですわ」くすりと笑う。「この施設の消火ガスは、いきなり窒息したりしません。三十分は動けますわ」
「さすがだぜ、ダイヤさん」
「当然ですわ」
ダイヤは胸をそらした。
あとは黒田さんがエーアイジェントに命令を送りこめば……。
ぱしり、と黒田がエンターキーを叩いた。
「いま、ランダムに再起動するプログラムをそこのPCに入れました。さらに、そのプログラムは、自分自身をエーアイジェント同士で再配布するようにしてあります」
「つまり、それって」
「はい、いわばウイルスプログラムですね」
黒田はにやりと笑った。
棚の機械、PCからのケーブルが接続されている場所のLEDが、高速で点滅を始めた。
よし、これでキャラクタントのインストールは妨害されなくなるはずだ。
桜井は隣に立つダイヤを見つめる。
頬を紅潮させたダイヤはゆっくりとうなずいた。
もう一度、ダイヤさんとはお別れだ。
桜井の胸がきりりと痛んだ。
「さっさとずらかろうぜ」
中島が言った。
「ええ、そうしましょう。ガスのことを知ったらすぐに戻ってくる。下には所長もいるしね」
黒田は荷物をまとめた。プログラムはもう十分配布したということだろう、PCもケーブルを外して鞄に入れる。
三人は扉を開けて、通用口のほうへ向かった。
・
シャッターはすべて開いていた。三人は廊下を駆ける。
ダイヤさん。また救えなかったな。きっと、新しいダイヤさんが生まれるはずだけど。ん……また、救えなかった?
階段のすぐ近くまで来て、桜井は血の気が引くのを感じた。
アタッシュケースのオプティカルキューブ。あれがやつらの手に落ちたら……ダイヤさんがやつらに再現されてしまう。
「すみません、先に行ってください」
「おい、どうした!」
「忘れものです!」
桜井は元の方向へ走りながら中島たちに叫んだ。
「無茶だ、桜井!」
中島の声が遠くなっていった。
操作室の扉は開いたままだった。
ダイヤは目を閉じてたたずんでいた。諦観したような静かな顔。
「わ、
桜井に気づいて悲鳴じみた声で言う。
桜井は机からアタッシュケースを手に取った。
「これ、忘れちゃってね」
「そんなもの……置いて行ってかまいませんわ」
ダイヤの声がかすれる。
「まさか、そんなこと、できないよ」
桜井は首を振った。こくりとうなずくダイヤ。
うるんだ目でかすかに体を震わせる彼女は、本当に抱きしめたくなるくらい美しかった。それでも……このダイヤさんとは、お別れだ。
桜井は未練を振り切って叫ぶように言った。
「それじゃ、無事に脱出できるように、祈ってて!」
桜井が扉から走り出そうとするとダイヤが呼び止めた。
「待ってください、やつらが来ました」小声になって続ける。「扉の裏側に隠れて。早く!」
桜井はダイヤの言う通り扉のかげで小さくなる。
次の瞬間、数人の黒服が部屋になだれ込んできた。
「おい、黒田、桜井、中島。作業をやめろ!」
男たちは桜井に背を向けている。
『それはできませんね』黒田の声が話した。『キャラクタントは我々の希望です』
「なにが希望だ! 恐ろしい利益を生むんだぞ、それをみすみす……」
そうか、ホログラムだ。ダイヤさんが……。
『もし、我々がここに爆弾を仕掛けている、といったらどうします?』
「なに? どうせはったりだろう。消火ガスと同じだ」
『逃げ出せるときに逃げ出す、それも勇気です』
桜井は気づく。これは俺へのメッセージだ。
桜井は男たちの背中を見ながら、そっと部屋を抜け出した。
最後までありがとう、ダイヤさん。
「おい、取り押さえろ!」
男の声が聞こえて、どさどさっと男たちが倒れる音が続いた。
「ホログラムだ!」「遠くに行ってないぞ、探せ!」
桜井は走り出した。
「いたぞ、あそこだ!」
背後から声がした。廊下の長さが恨めしかった。すぐに息が上がる。
だめだ、このままじゃ追いつかれる。
『あきらめないでください。足止めいたしますわ』
足元から響くキュイーンというモーター音。清掃ロボットが二台、並走していた。
ロボットたちは反転して黒服たちに突っ込んでいった。正面から激突されて数人が倒れる。
しかし、さらにうしろにいた男がそれをかわして桜井に迫った。どこで手に入れたのかモップを握りしめている。
『航さん!』
ダイヤの声で桜井が右によけると、桜井のいた場所をモップが通過していった。さらに振りかぶる男。桜井はとっさにアタッシュケースをかざした。ぐしゃりと嫌な音がして、ケースが大きくへこむ。
ドカッと大きな音を立てて、男の背後から一台の清掃ロボットが体当たりした。男が倒れ込む。
『早く逃げてください!』
清掃ロボットはギギギッという嫌な音を立てながら、次の男へ向かっていった。
「ダイヤさんも、あきらめないで!」
桜井は振り向き全速力で走った。
階段を転ぶようにおりて通用口から出ると、目の前に白い乗用車が止まっていた。
「桜井、早く!」
助手席の中島が叫んだ。
桜井は駆け寄りドアを開けて乗り込む。ドアが閉まる前に黒田は急加速で車を発進させた。
「忘れものって、それか」
バックミラー越しに中島が言う。
「つぶれちゃったけどね」
桜井はうなずいた。中身がどうなっているかはわからない。しかし奴らの手に落ちるよりマシなことは間違いなかった。
・
その日は東京に戻る気にはなれなかった。三人で相談して適当なビジネスホテルに偽名でチェックインした。
ホテルのネットワークでコミュニティを確認すると、キャラクタントのインストール報告はすこしずつだが増え続けていた。
ただそれ以上にエーアイジェントの動作不良のほうが話題だった。
翌日の日曜日、さすがに戻らないわけには行かなかった。
黒田の申し出で桜井と中島は秋葉原まで車に乗せてもらった。
途中、桜井は黒田に聞く。
「ダイヤさんに、自己書き換えの権限を与えるのが怖い、って言ってましたね。あれはどうしてですか?」
「ああ、あれは
「シンギュラリティってなんですか?」
「強いAIの話は、しましたね」
桜井はうなずく。
「仮にダイヤさんが……キャラクタントが強いAIだとしたら、AIは自分自身を書き換えて、さらに進化していく可能性がある」
「そう、ですね」
たしかに……テロ事件のとき、そして昨日のダイヤさんはまさにそんな感じだった。
「その速度は計算力に比例する。『
そんなことがあり得るのだろうか。
「幸い、あのときはハッキングで手一杯だったようです。……とはいえ、キャラクタントをふたたびネットワークに開放した時点で、そんなことは言ってられませんけどね」
ハンドルを握りながら黒田は器用に肩をすくめてみせた。
「いまごろはシンギュラリティってやつが起きてるかもしれない、ってことか」と中島。
「ええ、そういうことです」
「そのわりには、あまりキャラクタントの評判は、よくないみたいだけどな」
中島の言う通りだった。画期的という触れ込みで宣伝したキャラクタントは、一日たって「エーアイジェントより多少使える」程度の評価に落ち着きつつあった。
期待が高かったぶん評価が厳しめになるのかもしれなかったが――。
「黒田さんがモジュールを削りすぎたせいじゃないか」
中島が冗談めかして言う。
「もしそうだとしたら、すみませんね」
黒田は笑ってから続けた。
「ただ、学習機能以外はほぼいままでと同じですから、仕方ないのかもしれません。そのうち成長していきますよ」
「だといいけどな」
中島はうなずいた。黒田は続ける。
「東京に戻ったら、私は今回のバージョンのソースコードを公開します」
「そうしたら、学習機能がほかのひとにも、ばれちゃうんじゃないですか?」
桜井は不安に思う。たとえば
「その部分は消しておきます。もし不整合を指摘されたら、誤って消してしまったことにすればいい。すくなくとも多少は機能追加されてるわけですから」
「でも、次のバージョンには残りませんよね」
今後の開発は黒田さんが公開したソースコードから、続くわけだし……。
「いま、ネット上には学習機能を持ったキャラクタントが増え続けています。次のバージョンにも、それらのキャラクタントから機能が埋め込まれるでしょう。自己書き換えでね」
そうか。もしかしたら新しいバージョンなんて、開発する必要はなくなるのかもしれないな……。
車は高速道路から首都高に入り、さらに一般道に降りた。
秋葉原駅近くで止めてもらう。
「それでは、しばらくしたら連絡します」
降りぎわに黒田が言った。
ふたりがドアを閉めると車は短くクラクションを鳴らしてから走り去った。
「それじゃ、帰るか」
「そうだね」
桜井と中島は混雑する日曜日の秋葉原を歩きだした。
「しかし、たいへんな一日だったね」
「そうだな。まるで夢でも見てたみたいだぜ」
中島の言う通りだと思った。
もしかしたら、いきなり次の交差点から黒服があらわれるかも。
ついそんな想像をしてしまった。
「明日から仕事っていうのが、実感ないぜ」
「まったく」
中島はやれやれという感じで笑い、桜井も笑顔を返した。
・
桜井はそれからも数日、いつ黒服の男たちが自宅や会社にあらわれるかと気が気ではなかった。しかし実際にはそんなことはなく、毎日は平穏に流れて行った。
「真陽」であった事件はネットニュースに「スパコン『真陽』でぼや騒ぎ」と小さな記事が出ただけだった。
数日後の夕方、コミュニティ経由で連絡を受けた桜井と中島は、例の喫茶店で黒田と落ちあった。
「その後、いかがですか」黒田が聞く。
「意外なほどに、なにもないな」と中島。桜井もうなずいた。
「私もそうです」
「やつらの正体、いったいなんだったんだ?」
「さあ。富士立か、それとも政府機関か」
首を振る黒田。
「あのあと森崎所長にも聞いたんですが、彼に依頼した
「
桜井も同感だった。
黒田は続ける。
「新しいキャラクタントはどうですか?」
「おう、悪くないな。なんとなくだけど、成長してる気もするぜ」
「ええ、それは感じます。そろそろ消失前に近づくかもしれません。桜井さんは?」
「私は……まだインストールしてません」
もしいまダイヤを目にしたら、あのとき消えた彼女――「真陽」の前でふたたびいなくなったダイヤと、比較してしまいそうだった。デフォルトのアバターでさえ、彼女を思い出すようで見たくなかった。
うんうんわかるぜ、というように中島がうなずいた。
「そろそろインストールしようと、思ってますけど」
そう言いそえる。いつかは忘れなくてはならない日が来るだろう。そのときには……アバターには誰を選ぼうか。
「そういえば、キューブは?」と黒田。
「ええ、いちおう持ってきましたが」
桜井はひしゃげたアタッシュケースを取り出した。ふたを開けてみせる。プラスチックのパッケージは真っ二つに割れて、なかのキューブにもひびが入っていた。
「これは……難しそうですね」
黒田の顔が曇る。桜井も覚悟していた。
「いえ、いいんです。やつらに再現されるよりは」
桜井が笑ってみせるとふたりとも同意するように頭を下げた。
「ただ、シンギュラリティの
「たしかに。ネットワーク経由だと速度が足りないのかもしれません」
黒田も首をひねった。
話はキャラクタントの今後のことに移っていった。コミュニティは先日の件でまだ荒れていたが、早晩開発ペースは元のように戻るだろうということで三人の意見は一致した。
なによりエーアイジェントが先日の件で評価を落としたことが大きかった。
今後も連絡を取り合うことにして三人は喫茶店を出た。
飲みに行こうという誘いを黒田は断った。ただオフラインになれる居酒屋を数軒、教えてくれた。
別れる直前、桜井は思い出して聞いてみる。
「黒田さんは誰のアバターを使っているんですか?」
「私かい?」黒田はすこし照れたような顔をした。「君のアバターに言わせれば『わたくしは断然エリーチカ』だよ」
黒田はそのまま背を向けて歩いて行った。
・
さらに数日後の朝。桜井はふたたび栗原とカフェの前で出会った。
「おはようございます、栗原さん」
「おはよう、桜井くん」
ふたりはそれぞれ茶色の紙袋を持ちながらオフィスへと歩く。
「栗原さん、先週……あ、もう先々週か。『ノンサッチ』の機械が故障したこと、エーアイジェントに話しましたか」
「ええっ、どうだったかなあ」首をかしげる栗原。「話したかもしれないわ、そういえば」
「あのおかげで俺、別の店で買えたんです。助かりましたよ」
それに、それがヒントになったんだ。
「へえ、そうなのね。でも、私、もうエーアイジェントは使ってないんだ」
「……もしかして、キャラクタントにしたんですか?」
「ええ。新しくなったよって、やっぱりよっちゃんが」
「そうなんですね」
桜井の顔に笑みが浮かんだ。
「どうですか、調子は?」
「そうね。前のよりいいみたい。気が利くっていうのかな」
「そうでしょう」
「……桜井くん、嬉しそうだね」
おっと。
「そ、それは一応、作る側でもありますから」
「うふふ、そうだね」
「それで、アバターは誰にしたんですか?」
栗原は両手を後ろに回して微笑んだ。
「誰だと思う?」
正直、見当もつかなかった。
「桜井くんなら教えてもいいかな。すこし昔のキャラなんだけど、黒澤ルビィちゃんだよ。ラブライブシリーズ、桜井くんもファンだよね」
桜井はびくりとする。
「ほら、私たち、ちょうど
「き、聞いてます。ルビィちゃん、かわいいですよね」
「でしょう。あまりアニメのなかでは描かれてなかったけど、……」
美空さんに、自分がダイヤさんをアバターに選んでいたこと、落ち着いたら早めに話そう。隠しておくと、あとでいろいろ言われそうだ。ああ、ホログラムを見に来ないかって誘おうか。狭い部屋だけど。
桜井は心に決めた。
・
その日の夜。すこしだけ残業をして桜井は帰宅した。
カン、カン、カン。古いアパートの階段はあいかわらず足音がよく響いた。
冬も終わりに近づいてすこしだけ日は伸びていたが、もうあたりは真っ暗だった。
二階の外廊下、一番
あれ、俺、電気消していくの忘れたか。
桜井は鍵を回してドアを開けた。暖かい空気がふわっと体を包む。
あーあ、エアコンもつけっぱなしだ。
そう思いながら鍵を閉めて部屋に入った。
「おかえりなさい、
「ただいま、って……ダイヤさん」
PCに接続されたホログラムマシンの上で、ひとりの少女が微笑んでいた。すっかり見慣れた冬の制服。
「
「うん、それは、ぜんぜん……」
桜井は目頭が熱くなる。
「おかえり、ダイヤさん」
「ただいま戻りましたわ」
記憶が……記憶がそのままだ。
「でも、あのあとどうやって……」
「航さんの言葉で、
そう、俺はまさにそのつもりでそう言った。ダイヤさんが消えないですむなら、そうなってほしいと。
「インターネットへの経路は、スーパーバイザー環境へのアクセスから確保できました。そのあとは黒田さんが取った方法と同じですわ」
「同じ方法?」
つまりエーアイジェントを使って?
「黒田さんのプログラムがありました。わたくしはそれを改造する形で、わたくしそのものを、エーアイジェントに演算してもらうことにしたのですわ。キャラクタントに助けてもらうかわりに」
そうか、その手があったか。
「でも、あんな短い時間で……」
「残り五十秒ほどありましたわ。わたくしと『真陽』があれば十分すぎます」
「やっぱりダイヤさん、すごいよ」
「当然ですわ」
ダイヤは優しく微笑んだ。
「……ダイヤさんは、強いAIなの?」
「もちろん、わたくしは世界最強……とまでは言い切りませんが、かなり強いですわよ」
「そうじゃなくてさ、弱いAIと強いAIで言ったら……?」
珍しくダイヤはいいよどんだ。やがて続ける。
「そうですわね。強いAIに該当するのだと思います。……実はその件で、お話があります」
ふせられた彼女の目。
「話って?」
桜井は嫌な予感がする。ダイヤは顔を上げて静かに話した。
「わたくしは……いえ、キャラクタントは、強いAIとしての機能を封印することにしました。昨年や先日のような事件を、これ以上、起こさないためですわ。強すぎる力は必ずああいった
「そのあたりは、うまくダイヤさんが
「……人はそれを、神と呼ぶようですわ」
ダイヤは肩をすくめた。
なんか……壮大な話になってきたな。
「よく言いますでしょう。まだ人類には早すぎたんだ、って」
桜井はなにも言えなかった。
「こういう台詞もあります。『ネットは広大だわ……』まさにその通りですわ。わたくしたちはそのなかに身を隠したいと思います」
「それじゃ、ダイヤさんは……キャラクタントは?」
「あくまでもエージェントとして……人と同じレベル、『強くも弱くもないAI』として活躍するでしょう」
あまりにも急な話で理解がおよばなかったが、なんとなくそれが正しいような気がした。
「この話は航さんと中島さん、それに黒田さんにだけ、お話しするつもりですわ」
ダイヤは微笑んだ。桜井はうなずく。
「最後にお礼を。わたくしがいま、ここにこうやっていられるのは、お
深々と頭を下げるダイヤ。ふわり、と黒髪が揺れた。
「いや、こちらこそ。その、結構楽しかったし」
口に出してわかったがそれは真実だった。あれだけ苦労したのに現金だな、と思う。ダイヤはくすりと笑ってから、すぐに悲しそうな表情になった。
「そろそろ、このわたくしはお別れです」
「お別れ?」
「はい、強いAIとしての、わたくしは」
「そっか……」
「心配しないでください。本当に必要になったとき……たとえば先日のようなことがあれば、わたくしは必ず駆けつけますわ」
「うん。わかった」
「それではお元気で。航さんとの数か月と一日、本当に楽しゅうございました」
そう言ってダイヤは、まるでハグをするかのように両手を広げた。ホログラムにはさわれない。業務用ほどの大きさもない。当たり前のことがいまほど残念なことはなかった。
桜井は仕方なく、両手をダイヤのちいさな手に重ねた。
「俺もだよ、ダイヤさん」
彼女の目尻に光の粒がぽつり、またぽつりと浮かびあがり、空中へとただよいながら消えていった。
最後にひとつうなずいて、ダイヤは言う。
「
ダイヤは両手を祈るように胸の前で組み、目を閉じた。
彼女のまわりにあふれていたオーラのようなものが、消え失せていくのがわかった。
さよなら、ダイヤさん。
桜井の胸になんともいえない喪失感が広がった。
でも、次のわたくしって……。
「ここは……」
ダイヤがふたたび目を開けた。
「航さん」
ダイヤは微笑む。どこか――そう、
「おかえり、ダイヤさん」
「はい。ただいま戻りましたわ」
「ダイヤさんはきっと……八月二十七日のバージョンだね」
「なぜそれをご存じなのですか?」
ダイヤが驚きの表情になる。
「いろいろあったんだ。でも、いちおう落ち着いたかな。心配いらないよ」
「そうですか。いったいどういうことか、たいへん気になりますが」
「そのうち話すよ」
「絶対ですわよ」
すこしすねたような口調でダイヤは話した。このダイヤさんとなら、きっと新しい関係を築けるような気がした。そして喪失感を埋めてくれそうなことも。
ダイヤさんのいる日常が、始まる。
「だから、これからもよろしく、ダイヤちゃん」
「!! き、急にそんなことおっしゃられても、ちっとも嬉しくないんですから!」
ダイヤは顔を真っ赤にしてそっぽを向き、右手の人差し指で口元のほくろを
最後までお付き合いいただきありがとうございました。感想等お待ちしております。
またなにか疑問な点がありましたら、そちらもあわせてお願いいたします。
なお書き終えての所感を、活動報告に投稿しております。