異世界食堂another またはエル君の異世界食堂メニュー制覇記 作:渋川雅史
「ではこれより、エチェバルリア家・オルター家合同家族会議を開催します。」
トン!セレスティナが愛用の杖で床を打ち、家族会議…というよりは査問会ないし法廷の開廷を宣告した。
…ここはエチェバルリア家の食卓、下座にはエルを中心にして右にキッド、左にアディがちょこんと座っている。彼らから向かって左には双子の母であるイルマタル、右には奥からラウリとマティアスが座り、通常ラウリが坐する正面奥にはエルがこの十数年の人生で見たことがない程きつい表情のセレスティナが座っていた。
「あの~母様…これっていったい?」
状況がさっぱり飲み込めないエルが引きつった笑顔で恐る恐る尋ねるが、トンッ!再びセレスティナが床を打つ音に思わず首を竦めた。
「エルネスティ、私が何故怒っているか分かりませんか?」
いつも通り静かだが、絶対零度の怒気がこもったセレスティナの言葉にエルは真っ青な顔でコクコクと首を縦に振った。
「よろしい、説明してあげます。事の始まりはイルマタルさんから私への相談でした。」
…今や家族ぐるみの付き合いであるエチェバルリア家とオルター家の事である。イルマタルがセレスティナを訪ねて来るのは珍しくないし、主婦として母親としての悩みや話題で話を弾ませるのもいつもの事である。
だがその日は明らかにイルマタルの様子がおかしかった。
「セレスティナ様…私もうどうすればいいのか…このことは本当なら貴方にお伝えしないように言われている事です…でも私には貴方様しか相談する方がいなくて…」
嗚咽するイルマタル…おそらく誰にも相談できず、表に出せず悩み苦しんでいたのだろう。それでも意を決して自分に相談に来てくれたのだという事をセレスティナはしっかりと受け止めていた。
愛妾の身で多くの事に耐えながら二人の子供をしっかりと育てている忍耐強い彼女がこれほど苦悩する理由は一つしかない。
「アーキッド君とアデルトルートさんの事ですね?しかもエルが関係しているのですか?」
「…はい…」
「詳しく話してください。もしエルネスティが二人に不当な事をしているなら親として許してはおけません!」
セレスティナの剣幕にイルマタルがかえって驚いた。
「い…いいえ、そうではないのです!エルネスティ様はアーキッドとアデルトルートにとても良くして下さっています。あの子達にいつも言っているのです、今やエルネスティ様は騎士団長であなた方の主であることを忘れてはいけないと…なのに…あの子達へのエルネスティ様の心遣いは過分に過ぎて…。」
「?」
流石に事情が呑み込めずきょとんとしたセレスティナにイルマタルは大きく深呼吸をした後、語り始めた。
「事の始まりはもう1か月以上前の事、エルネスティ様が二人を食事に招待してくださった際にその店から二人がお土産を持って帰ってくれたのです。
『本当は直接齧るのが美味しいんだけど母様には無理かもしれないから切り分けるね?』と言って4つに切り分けて出してくれた料理でした。見たこともない程白いパン(?)に何かが挿んであったのです。どんなものか尋ねたかったのですけど『食べて食べて』と言うアーキッドとアデルトルートの笑顔があんまり嬉しそうでそのまま一つ口にしました。
…これまでの人生であんな美味しいものは食べたことがありません!ふわふわでなんの癖もない甘いパンに挟んであったのはカツレツでした。でもあれはただのカツレツではありません!何かのすり身を固めてその中にぷりぷりした食感の何かが入っていた、あのあり得ない厚み…なのに中まできちんと火が通っていたのです!カツレツにかかっていたソースは…酸味と香辛料と香草の味がまろやかに包み込まれた…更に挟まれていた野菜も…酸味と甘さが混然となった汁気たっぷりの赤い物やシャキッとした青菜…申し訳ありません混乱していて…とにかく今まで食べたことのない味だったのです!…一口で頭が真っ白になってたちまち全て食べてしまいましたから今申し上げた事は後で思い出した事です。
しばらく私は放心していたようでした。我に返ったのは『母様、母様』と二人が私を揺さぶっていたのに気づいたからです、そのまま二人はそれが当然であるかのように『美味しかったよね?』『美味しかったでしょう?』と聞いてきたので『ええ』と頷くと手を取り合って喜んでくれました。あの時私達は本当に幸せだった…
でもしばらくして、全く正体の分からない料理に不安になった私はあれがどんなものか聞いたのです。そしたらあの子達はとんでもない事を言い出しました!
『これは『エビカツサンド』と言うんだ。パンに小エビをエビのすり身でまとめていっぱいの油で『揚げた』カツを挟んであるんだよ。』
『ただのエビじゃないわ、これはね『海』で獲れたエビなの!』
『あ、あなた達…何を言って…いるの…?』
確かにあの味は川エビのそれに似ていなくもありませんでした。でも海で獲れたなんて!…海と言うのは西方諸国の更に遥か西、あるいはオービニエ山地の遥か南北の果てにある塩水を湛えた果てしない湖ではありませんか!?そこで獲れた生の物を明らかに1日経たずに調理したものなんて!?でも二人は笑って言うのです。
『エル君が私達を連れて行ってくれた店はそれを食べさせてくれる店だったの!』
『俺達もっとすごい物を食べたんだ!エビカツサンドの中に入っている小エビの何倍も大きいのを丸のまま揚げた『エビフライ』や同じ海で獲れた『カキ』っていう貝を揚げた『カキフライ』を!その場で食べなくちゃ旨くなくなるそうだから持って帰れなかったけれど…』
『そこの常連さんが教えてくれたのがこのエビカツサンドよ。『タルタルソースのかかったエビカツは冷めても最高だ!』って。』
二人はあまりの事に頭がまるで働かない私の手を取って真剣な表情でこう言ってくれました。
『母様、セラーティの家ではいつだって海産物の料理の事であの人に虐められたよね?俺たちがバカにされて叩かれるより嘲笑われても我慢してる、しなくちゃいけない母様を見るのが一番悔しかった!』
『ステファニア姉様が渡してくれた燻製のパイ包み焼きを私達に食べさせてくれたこと、絶対に忘れない!…でも今日わかったの、あの家の人たちは海産物の味なんて全然知らずにただ高価だからあんな辛いだけの料理をありがたがってるだけなんだって!バカみたいだわッ!』
『アデルトルート!』
『母様、俺達あんな料理の事二度とうらやましいなんて思わない!母様だってもうそんな事考える必要ないんだよ!』
私…私は正直胸が熱かった、涙が溢れました。私は二人をぎゅっと抱きしめていました『ありがとう、ありがとう…』と言いながら。だからその店の事はとても聞けなかったんです。
そんな私に二人はにっこり笑って言いました「これから7日ごとにその店に行くからお土産を楽しみにしていて。でもこのことはこの3人の秘密だよ」と。どういう事かと尋ねると
『遠からずエルは家族や母様、バトソンの両親をその店に招待してくれるつもりなんだ」
「その時母様以外の人をビックリさせたいらしいの、『サプライズもおもてなし』なんだって。』
『だから、特にエルの母様――セレスティナさんには内緒だよ?』
私はほとんど反射的に頷いていました、それがこの話をこれまで黙っていた理由です。」
「ああでもその後は!…二人は本当に7日毎にお土産を持って帰ってきました。
ひき肉を固めたものを揚げた『メンチカツ』を挟んだサンド、あんな分厚い肉にどうやって中まで火を通したのかいまだに信じられない『ロースカツ』を挟んだサンド…どちらも食べたことのない辛さと酸味を持った『トンカツソース』というもので味付けされていました…どんな調味料を使ったのか皆目分からない鳥の『テリヤキ』を挟んだサンド、とろとろふわふわの『生クリーム』そして『カスタードクリーム』というものと果物の砂糖漬け(!)を挟んだサンド…あまりの事にそれぞれがいったいいくらするのか問いただしましたが二人ともけろりと「一つ銅貨7枚か8枚」と言うのです!?そしてそれが嘘でない事は私には分かります!」
「そして先日、二人が持って帰って来たのはクッキーです。でも見てください、味はもとよりこの容器を!…セレスティナ様、私は恐ろしいのです。ありえない料理を銅貨たった8枚で入手できるというその店が!そして気が付けばそのお土産を心待ちにしている自分自身が!私は…いったい…どうすれば…」
顔を覆ってしまったイルマタルをセレスティナはしっかりと抱きとめてその背中を撫でる、そして決意を込めて語った。
「心配はいりませんよイルマ、ここは私に任せてください。エルにはしっかり、全て、きちんと説明させますから!」
「お父様、あなた、そう言う訳で家族会議の開催を求めます。」
かくして父であるラウリ、夫のマティアスすら怖気をふるう怒気のこもった表情と口調のセレスティナによる提案によりエチェバルリア家の家族会議は開催されたのだった。
「エルネスティ!」
「はい!」
「この世界に『存在しない店』にどうやって行ったのか、この世界に『存在しない料理』をどうやって手に入れたか、全て白状しなさい。」
セレスティナの凄みのこもった質問。がた!とラウリとマティアスがテーブルに突っ伏した。
「お父様、あなた、どうなさいました?」
「い、いやセレスティナ…その質問はどう考えてもおかしいだろう…」
「婿殿の言う通りじゃ…完全に矛盾して…」
「すごい、凄いです母様!どうしてお分かりになったんですか!?」
エルが心底からの感嘆を含んだ返答を発した。ラウリとマティアス、イルマタルが完全に目を回すが相変わらずセレスティナは凄みを湛えた笑みを絶やさない。
「初歩的な事ですよエルネスティ。イルマタルさん、あれを出してください。」
「は、はい!」
セレスティナに促されて戻って来たイルマタルが差し出したのはクッキーアソート小缶とサンドイッチが入っていた箱…証拠物件1及び2である。まずはクッキーアソート小缶をラウリとマティアスに渡した、これを手に取った二人は顎が外れんばかりに驚愕する!
「ご覧の通りですわ、こんな金属の薄板、それもこれほど美しく丈夫な塗装などフレメヴィーラどころかセッテルンド大陸の何処にもありません、更に…」
サンドが入っていた箱をセレスティナが開いて見せた、ラウリとマティアスは再度目を回す手前でかろうじて踏みとどまった…その箱は一枚の紙で立体を造る為に切込みを入れ、折られ、整形されていた…そしてその紙の頑丈さは!?
「こんな方法で箱を作るなどという技術はおろか発想すらセッテルンド大陸の何処にもありません、ある筈がありません。しかしこの二つはここに存在します。どれほどあり得ない事でも可能性が一つしかなければそれが真実です。エルネスティ、あなたは全くの異界への道を見つけたのですね?そこは私達が見たこともない料理を出す店がある、違いますか?」
「…参りました、母様…」
エルは立ち上がってセレスティナに向け上半身を90度に曲げて全面降伏した。そして語りだした、異世界食堂についての全てを…
「全く、あなたと言う子は…!」
トンッ!許容限界を超えて真っ白になっているラウリ・マティアス・イルマタルを横にこめかみに手を当て、心底呆れ果てたという表情のセレスティナが再び杖で床を打って続ける。
「お世話になった方々にお礼がしたいというのはよくわかります。そういう思いをあなたが持ってくれることは母親として嬉しく思いますよ。
でも『過ぎたるは猶及ばざるが如し』です!あんなとんでもないお土産がイルマタルさんにどれほどの不安を与えるか思い至らなかったのですか!?」
「申し訳ありませんっ!」
「謝るのは私に対してではないでしょう!?」
「はいぃーっ!、イルマタルさん、ごめんなさいっ!」
「アーキッド君とアデルトルートさん!」
「ごめんなさい母様!」
「よろしい!」
3人がセレスティナに油を搾られる事ほぼ半時間後…
「あのセレスティナ様、もうその辺で…」
「そうですね、あなた達3人への意見はここまでにしましょう。エルネスティ!3日後に私達をその異世界食堂に連れて行ってくれるそうですね?」
「は、はい!もう予約も済ませてあります!」
相変わらず迫力のあるセレスティナの笑顔にエルがすくみ上る、そして彼女はとんでもない事を言った
「そうですか、楽しみにしていますよ…なにしろその『店主』さんにもきちんと意見をしないといけませんから…お父様、これにて家族会議は終了いたします。」
「はいぃぃーっ!?」
夜も更けたのでオルター一家はエチェバルリア家に宿泊することになったのだが、そこでの3名の会話。
「だ、大丈夫かよエル?…」
「ティナさん…コワひ…」
「だ、大丈夫ですよ…マスターの料理の力は二人ともよく知ってるでしょう?…大丈夫ですって、多分…」
「エル君、顔が青い…」
赤の女王様へのプレゼンの方がよっぽど気が楽だった…今更ながら後悔するエルであった。
別室、エチェバルリア家の居間にいるのは同家の男2人…
「婿殿、まあ一杯やろう。」
「…義父上、この葡萄酒は確かクシェペルカからのとっておきでは?」
「そう、今日はとてもしらふではおれんわい。今こそこれを開ける時じゃよ。」
「正直、同感です…」
瓶の葡萄酒が半分程になった頃、マティアスが重い口を開いた。
「義父上。正直申し上げて、今日ほどティナの底知れなさを思い知った日はありません…」
「同感じゃよ。わが娘ながらなんという…これもエチェバルリア家の宿命であろうかの…婿殿、あの肖像画をみられい!」
「?」
壁を飾るのはエチェバルリア家歴代当主の肖像画だが、マティアスがあることに気が付いた
「女性の当主が多いのですね?」
「左様、我が家はどうも女系の血が濃い家系らしい。わしのように嫡男が当主になる方がむしろ珍しい位での。
…思えば婿を取った女当主であった母上がどうにも凄い方での。わしもさっきのエルと同じように絞られたことは1度や2度ではなかったわ…どうやら母上の血はわしを素通りしてセレスティナに全ていってしまったようじゃ。」
「なんともはや…エルは間違いなくその血を引き継いでいるのですね?」
「うむ、多分アレは間違えて男に生まれて来たのだろうよ。婿殿、苦労をかけるがこの家に婿養子に来たのが定めとあきらめてくれい。」
マティアスはにこりと笑ってグラスを差し上げた。
「それにしても3日後ですか…どうなりますでしょうか…」
「わしも考えるのが怖いわい…」
「名探偵セレスティナ」いかがだったでしょうか
しかし次回、セレスティナさんVSねこやの店主という我ながら恐ろしいカードを切ってしまいました。