どこか、梟の鳴き声。彼らは夜にネズミなどの獲物を狙い佇む。
どこか、虫の鳴き声。彼らは夜にメスを求めただ音色を響かせる。
おとなしい風が木々を揺らして通り過ぎる。夜の森はただ不気味すぎるほどに静かで、厳かだ。隣に何かいる、そう思わせるほどにあたり一面生きた気配を感じる。
一歩一歩慎重に進まなければ何かに気づかれてしまう。
うっすら月と星が辺りを照らしてくれてはいるものの一寸先は闇。
闇は、人を不安にさせる。その一歩が命取りになるかもしれないから。
「コンパスは大丈夫。携帯は...なんで圏外なんだ。」
暗い森の中で、一筋の光の中を確認するが、その画面には残酷にも圏外の二文字が写し出されていた。
時計は午後2時を過ぎた頃合いだ。あたりを見渡しても木、木、木。
ここはどこなんだ?理解できていない中でただ1つわかることがある。ここは、奔放山でないということ。
あの扉を開けてからの記憶からここまでの記憶がない。目が醒めるとそこは暗い森の中だった。
何が起こったのかさっぱりだ。理由はわからないが気を失って、それで寝ていたことになるのか?
でもそれならあの廃神社で寝ていないと理由がつかない。
考えに考え、1つの結論に至る。それは僕が普段なら毛頭至らない結論だ。
かみかくし
失踪した男子大学生、50年前に忽然と姿を消した村娘
2人と同じように、僕もあの山から消えてしまったのか?
じゃああの噂は本当なのか?
そんなこと、今わかるはずがない。これは夢か幻だ。こんなこと起こるはずがない。頭を振って否定しようとする、が
じゃあ僕がこの目で見ている鮮明な景色はなんだ?吸っているいつもと違う透き通った空気はなんだ?ひっそりと聞こえてくる小さな音はなんだ?
1つ1つ克明に脳に脳へ伝えられる情報、そのリアルさが僕に問いかける。
これは、幻か?夢か?
「もうわけわかんねぇよ、本当に神隠しかよ...」
少し涙目になりながら吐き捨てる。もうさっぱりだ。
途方に暮れてその場で立ち尽くしていた時、聞こえた
低い、低いうなり声が。人の声じゃない、獣の声だ。
空気がビリビリと震えるのを感じる。
声の方向は真後ろか、だんだんと大きくなっている。
何かいる、だけどそれがなんなのか
声が大きくなるにつれ、どこか嫌な臭いが漂う。獣独特のクセのある臭い。自然を生き抜いてきた臭いだ。
足音だろうか?唸り声とは別に地に落ちる音が聞こえる。
ずしん、ずしん。かなり大きい、そして何より恐ろしかったのは、
その獣は立っている。二足歩行だ。
二足歩行の獣?一体なんだ?
恐る恐る後ろを振り返ると、そこにいたのは理解を超えた、何か
だった。
大きさは2m、全身が茶色で筋肉質。猫背で腕を垂らして歩くその化け物は、口の異様に尖った歯を見せながらゆっくりと近づいてくる。
僕は全体を認識した途端、走り出した。目に見えた物を理解する前に、考える前に、そこから逃げ出した。
あれはきっと知ってはいけないもので、僕が見てはいけないものなんんだ。きっとそうだ、そうに決まっている。
だけど、それがいけなかったのか
化け物は急にスピードを上げた。足音の間隔が早くなり地を蹴って追ってくる。もしかして、今までばれていなかったのか?
僕が走ってやっと気づいたのか?
そんなこと考えている暇なんてない、後ろを振り向く余裕なんてない。ただ、走り続けるだけだった。
気が遠くなりそうなほど走った。僕の人生20年、割と走った記憶があるがここまで死ぬ思いをしたのは初めてだ。
汗は滝のように全身から流れ、肺の空気を何度も総入れ替えしている気分だ。足もおぼつかなく視点が左右に何度も揺れる。
それでも、足を止めることなんてできない。後ろはずっと追いかけてきている。
奴の足は思ったよりも早くはなかった、しかし体力勝負となるとジリジリと追い上げられている。足音と息遣いがだんだんと大きくなっている。
『死』
昨日まで微塵も感じてなかった恐怖がヒシヒシと迫ってきている、実際どうなるかわからないが、ただ怖かった。
あの時の僕は何も考えていない。体力の限界も、水分を取らないといけないことも、ここがどこだなんてのはもう吹き飛んだ。
ただ後ろの恐怖から逃げることしか頭になかった。身体も精神も疲れていたのだから尚更だろう。
ゴールがないマラソン。そんなマラソン続けてたら、いつか限界はやってくる。
「あれ....」
突然、足がきかなくなった。足が地面に磁石のように引っ付いた。そして意思とは関係なく、ただただ震えている。疲労からなのか、恐怖からなのか。
ダメじゃないか、こんなところで立ち止まっちゃ。
肩で息をしながら膝小僧を何度も叩く。
「なんで!なんで!」
膝が真っ赤になるまで何度も叩くが、それでも震えは止まらない。寧ろ震えが大きくなる。
ついに足に力が入らなくなり、そのまま座り込んでしまった。立とうと足に力を入れても足がいうことを聞かない。
そして、視界もだんだんとぼやけてくる。ぐにゃぐにゃと辺りが歪み、真っ直ぐ座っているのかわからない。
足音も遠くなってきた。臭いはきつくなってきているのに、不思議だ。汗が目に入ってももうそれを拭き取る余力さえない。
ついには重力に負けて地面に横たわる。もう遠近感さえ狂ってきた。
遠くなる意識の中で、最後の力を振り絞って声に出す。
「やめろぉ!やめてくれ!」
「嫌だ!なんなんだよ!死にたくない!」
どれくらい叫んだか。僕には時間がなかった。遠くなる意識の中で、あいつの臭いだけが僕に改めて現実を突きつけた。
死ぬんだな、と。
「死んだんですか?」
「死んでたらここいないから」
素っ気ない一言に思わず突っ込んでしまう。
でもあそこはどう考えても死んでいたんだよね。まさかこうして生きているとはあの時の僕は思わなかっただろう。走馬灯が頭でうっすらとロードショーを開始したのを覚えてる。
「そこで、私が現れたんですよ!」
あぁ、そうだった。そこで射命丸さんが助けてくれたんだ。だけどその間気を失ってたから詳細はわからない。
「それじゃあ続き話すね、と言っても僕は気を失っていたんです。なので目を覚ましてからになります。」