傲慢は自分以外の者すべてへの軽蔑である。
テオフラストス
3周目
俺がこれまで経験した死は必ずしも無駄になるとは限らない。寧ろ必要不可欠だとさえ思えてくる。だけれども死ぬのは怖い。何かで切り裂かれるのはもう嫌だ。
そんな自分がとった行動は一つだった。
「お、おいイカロス!手を引っ張るな!」
二回の死はどちらともここら辺で起きている。だとしたら
ズキズキとした足に叱咤激励しつつ、石畳のラビリンスをダイダロスの手を引っ張って走る。だがそれはダイダロスも同じだったのか、無理に走らせた結果ダイダロスは躓いた。
痛がるダイダロスを起こそうとして、脅威と目が合う。
「ぁ……」
怪物の持っていた戦斧が振るわれ、ダイダロスの腰下から血が噴き出した。倒れていたダイダロスの瞳からはみるみるうちに生気が失われていき、俺の手を握っていた手も力無く落ちた。
その姿は正に化け物だった。巨躯な体、その頭からは天すらも貫いてしまいそうな角が隆々として聳え立っていた。牛の名残なのかは分からないが、頭からは生える白い毛は腰辺りまで伸びている。そして両手にはミノタウルスの武器であろう人一人分ぐらいありそうな戦斧が握られていた。
理性の無い瞳に見つめられた時、本能的に死を悟った。血走った目はこちらを見据えている。今から逃げようにも間に合わない。
そして凄まじいスピードで振るわれた戦斧は、
4周目
ダイダロスの定型文と共に意識が覚醒した。すぐ様ダイダロスを立たせて走り始める。今度は無理させない様に。
「どうしたんだイカロス!?」
聞いてくるダイダロスを無視しながらラビリンスを走る。
背後から追ってくる気配は無く、うまく逃げきれたのではないのかと内心安心する。
「何が何だか分からんが、そこを左に曲がった所に小さな窪みがある。そこで休もう」
何を言っているんだと思う。が、よくよく考えてみればこのラビリンスを作ったのはこのダイダロスだ。設計図が頭に入っているかは分からないが、信用に値すると思う。なんせ伝説の石工とまで言われた男だ。それに
右左に別れる道に出た。そこをダイダロスの言う通りに左に曲がる。
そして左に曲がった直後、行き止まりに当たった。
ダイダロスの方を見ると、首を傾げている。一体どうしたと言うのか。
彼はカッと目を見開くと俺の方を向いた。
「悪い、道間違えた」
殺すぞクソ親父。
そして脅威が迫る。
8周目
あの後ぶった切られた俺は、またもや左というバカ親父に蹴りを入れつつなんとか休める様な場所にまでついた。
ダイダロスは犬歯で指の表面を小さく切り、壁に地図を書き始めた。
そして書き始めた所で怪物と出会い、無残にも死んだ。
地図を書くと現れる怪物を何とか撒きつつ、地図を書かせた。
だが、地図が完成すると書かれていた壁を壊して怪物がやって来た。そしてまたもや殺される。
5、6周目で書かせた地図は7周目でバラバラにされ、俺の体もバラバラにされた。
そして8周目が始まる。
定型文から始まり、何とか窪みまで来れた俺は考えていた。
地図が無いと逃げる時に困る。もう行き止まりに当たって絶望を感じて涙と糞尿でグジョグジョになった自分は怪物と言えど見て欲しくない。若干戦斧を振るう勢いが落ちていたのは気のせいだろう。
では地図をどこに書かせるか。床か、それともまた別な所か。
そこで俺は気がついた。というか何故気がつかなかったのかと自分を殴りたくなった。
怪物 ミノタウルスがどうして生きているか?だ。
ミノタウルスはテーセウスによって倒されているはずだ。となればあの追って来たのは何だ?いや、
「おいイカロス!どうして俺を走らせる!?なんか理由があるなら言ってみろ!」
怪物からお前を逃がすためだ!と叫びそうになるのを堪え、そこで俺はふと思った。
「おとうさん、かいぶつ……みてないの?」
「怪物?あれか、アステリオスの事か?それならもう退治されたんだろ?」
ダイダロスが嘘を言う必要はない。となればダイダロスはミノタウルスを見ていない……?
そこで俺は気がついた。それならば全ての事に辻褄が合う。もしかしたらと言うだけなのに、俺の口角は三日月の様に歪んだ。
まず1周目。現在の方向とは逆の方向に走って死亡。2周目も以下同文。
3周目、ダイダロスが途中で転んで死亡。
4周目、行き止まりに当たって死亡。
5、6周目は地図を書いている途中、逃げ道を模索しながら死んだ。
そして7周目。地図を書き終えたら死んだ。
最初はミノタウルス自体が地図を書かれるのを嫌がって殺したのかと思った。だけれども
ミノタウルスの出現条件はたった一つ。
逆の方向に進んだから現れた。
ダイダロスを怪我させたから現れた。
道が違うから現れた。
地図が必要ないから現れた!
全てに辻褄が合い、電撃の様な物が全身を走る。笑いがこみ上げて来た。どうしようもない笑いが口から溢れる。
これでラビリンスから脱出する事が出来る!
そして、脅威が迫る。
9周目
……何故ミノタウルスが現れた……?分からない。どうして殺されたのか。まだ俺は行動を始めていなかった筈だ。もしかして慢心するなって事か?
自分の立てた仮定が揺らいでいる様に思えた。もしかしたらミノタウルスが現れる条件には他に理由が?それともただ単に偶々ミノタウルスの巡回ルートに俺らが当たっただけなのか。
物事が色々と不明瞭過ぎる。8周目の死だけが合わない。いや、もう一度照合すれば合うのではないだろうか?
それともミノタウルスが現れる条件が二つある……?そう考えるのが楽だが、もう一つの条件に関しては思い当たる節がない。
とりあえず今までの経験を踏まえて前回の所まで移動しよう。
と言ってもだ。大した距離じゃない。走って2分も掛からない。こんなに小さい場所で死んでいたのか。あの巨大な怪物を閉じ込めておくラビリンスがまさか小さいわけが無い。
そこまで考えて俺は絶望した。一体俺は後何回死ねば良いんだ。
間違えれば死ぬ。間違えなくても何かしらの条件で死ぬ。
まずは進む事が先決だ。進んでいればそのうち分かるだろう。
そして直後、大振りに振るわれた戦斧によって体は塵の様に吹き飛んだ。
分かる人ならばもう分かってると思う