「おーきーろー!」
「……ぐえっ!」
眠っていた意識が突然食らった腹部の鈍痛で叩き起こされる。
カエルのような声をあげて目を開くと、チャックの弟——確か、ザックだ—— がオレの腹部に馬乗りになっていた。
「……何だザック?」
「あーやっと起きた!遅いよスバル!」
遅いって何がだろうか、何か約束をしていたか?
「チャック兄ちゃんが晩飯できたから食べようだって!」
「晩飯……?」
時計を確認すると、時刻は夜の8時を回ったところだ。
さっき解放されて帰ったのが6時前後だったから2時間ほど寝た計算になる。
もっとも、寝覚めは最悪な部類に入るが。
「わかった、チャックにすぐ行くって伝えてくれ……」
「ウーラ・サー!」
ザックはオレの腹部から飛び降りると、そのままドタドタと下へ駆けて行った。
「……やれやれ、子供は元気だな」
頭を掻きながらベットから降りる。
「————」
先ほどの夢を思い出す。
どうも朧げで曖昧だが、あの声、あの髪の色——間違いなくランカさんだ。
そう思った時、オレは自然と耳のイヤリングに触れていた。
惑星フロンティアを旅立つ前、ランカさんから貰ったイヤリング。
なんでも想いを伝える石というのが使われているらしい。遠く離れていてもオレを守ってくれるようにとランカさんがくれたのだ。
だが、夢の中のランカさんはとても悲しい顔をしていた気がする。
あの人のあんな悲しい顔は見たことがない。
オレは一体何をしようとしていたんだ。
「そういや……」
机の上に放置されている私物の鞄が目に入る。
荷ほどきをしてないが、アレだけは出しておかねば。
鞄をごそごそとあさり、目的のものを探す。
それは思いの外簡単に見つかった。
「……あった」
取り出したのは、月光を浴びて青白く輝く鈍色のハーモニカ。
オレが12歳の誕生日に両親から貰ったものだ。
ストラップが付いており首から下げることのできる代物で、両親が死んでからもお守りがわりに手元に持っているのだ。
惑星フロンティアにいた頃は、よくグリフィスパークの丘でハーモニカを吹いていた。
下手くそでとても聴いていられるようなものじゃなかったがな。
そういえば、ランカさんと初めて会ったのもこのハーモニカを吹いている時だったな。
ランカさんはいつもオレのハーモニカを聴いて、綺麗な音だねって言ってくれた。
子供の頃のオレは、年上の人にそう言ってもらえるのが嬉しくて、次聴かせる時にはもっと上達してやるって躍起になって練習したっけ……。
手に取ったハーモニカをじっと見つめていると、下からザックの声が聞こえてくる。
「スーバールー!ご飯だよー!」
「……っと、忘れてた。晩飯だったな」
オレはハーモニカを首にかけ、荷ほどき中の荷物を一瞥し、部屋を後にした。
◆
1階へ降りると、先ほどに比べればだいぶ客足も落ち着いたらしく、いくつか空きの席も見受けられた。
どこに座るか迷っていると、お店の奥の方から呼ばれる。
「スバスバ〜!こっちこっち〜」
——このトンチキな呼び方をしてくるのは。
たぶん銀河を探しても2人といないだろう。
……いや2人も居てたまるか、1人でも十分だ。
振り返って確認すると、ワルキューレメンバーのマキナとレイナがディナーをしているところだった。
チャックもそれに混ざり一緒に食事を摂っている。
「マキナとレイナも今晩飯か?」
「そうだよ〜〈
「スバルの〈
レイナは皿の上で動く半透明な生き物を生でちゅるんとゼリーを食べるみたいに飲み込んでいる。
「待てレイナ。お前何食ってるんだ?」
「食べる?」
いや口から半透明な触手を蠢かせながら言われても……。
「え、遠慮しとく……で、オレの〈VF-25〉がじゃじゃ馬ってどういうことだ?」
そこの半透明ゼリー状物体も気になるが、それより気になるのはオレの相棒のことだ。
「ん〜スバスバは〈
「つまり……?」
「無理矢理いうこと聞かせてる」
あぁ、なるほど。そういうことか。
確かにオレの〈VF-25〉は本来の機体スペックを遥かに超える物を積みまくってる。
特に熱核バーストエンジンとかな。
当然、キャパシティオーバーになり、従来の機体の制御システムと噛み合わなくなるのだが、そこをオレは無理矢理言うことを聞かせてるってことなんだろう。
「後は長旅で機体のあちこちがガタガタなの!もう徹夜明けのお肌より酷いよ!」
「いや例えがよくわかんないんだけど……」
相変わらずコイツの言うことは半分くらい意味不明だ。
レイナの翻訳がなきゃ会話もままならん。
「とにかく!スバスバは〈
「ぜ、善処するよ……」
なんでいつの間にか怒られてるんだ俺は?
理不尽を感じながら、チャックがいつの間にか運んできたクラゲラーメンとやらを啜る。
「あ、美味い」
ソレは思いの外美味しかった。
味噌ベースのスープにクラゲ特有のダシとでも言うんだろうか……シーフードとはちょっと違うけど、それに近しい味がする。
「クラゲは調理せず生一択」
そう言ってまた半透明なゼリーを丸呑みするレイナ。
もしかしてそれクラゲか?クラゲなのか?
「クラゲの踊り食い」
「本当に触手が踊ってるじゃねーか!」
また口からクラゲが触手を出して暴れまわってる。
……なんか新種の怪物みたいになってるぞ。
「スバルも食べるべし」
「もがっ!?!?」
ツッコミを入れた隙を狙われ、レイナが鷲掴みしたクラゲを口にねじ込まれる——ってなんだこれッ!ヌルヌルしてて、柔らかいのか硬いのかよくわからん食感してるし!踊り食いのせいで触手とか口の中で暴れ回るし!しかもレイナにねじ込まれたまま口塞がれて吐き出せないし!助けて!チャック助けて!
目線でチャックにヘルプを送ると、チャックはこちらを見て大口を開けて笑っていた。
「
「さあ飲み込むべし、クラゲは生が一番!」
後頭部まで掴まれいよいよ逃げられなくなっていく。
ていうかなんだこの力?こんなちっこいくせにどこにこんな力があるんだ……。
こうして、オレのケイオス生活が幕を開けた。
初日の夜は散々ではあったが、まあ親睦を深められたと思えば、少しは——いや、ないな。特にクラゲは生じゃなくて調理しよう。うん。
密かに決意を新たにし、夜は更けていった。
◆
「スバル!おーきーろー!」
「ごはぁっ!?」
唐突に意識が覚醒する。
寝耳に水と言わんばかりに驚いたオレは、腹部に鈍痛を感じていた。
これ昨日のクラゲが当ったのか?なんて考えたりもしたが、チャック曰く——
「ラグナのクラゲは生で食っても平気だぞ」
——と言っていたので、たぶん大丈夫だろう。
じゃなきゃレイナも生で食べないだろうしな。
なら何が原因でこんな目覚め方をしなきなならないのか。
眼を開くと、答えはすぐ目の前にあった。
「……ザック?」
「そうだよ!起きろスバルー!」
ゆっさゆっさとオレに馬乗りになり、身体を揺らすザック。
なんだこの既視感は。昨日の夜もおんなじ事があった気がするぞ。
「……わかった……わかったから降りてくれ……起きれん」
「仕方ないなー」
そう言ってヒョイと降りるザック。
よーしいい子だ。聞き分けの良い子はお兄さん好きだぞ。
「……今何時だ?」
「7時!チャック兄ちゃんが朝ごはんできたって!」
「そうかー……」
唐突に起こされたとはいえ、やはり眠いものは眠い。
頭がまだボーッとしている。
「早く降りてくるんだよー!」
昨日と同じくドタドタと音を立てながら駆け下りていく。
「子供は朝から元気だな」
なんて感心しながらベッドから降り、荷ほどき中の鞄から適当な私服を引っ張り出す。
そのうち服も買いに行かなくちゃな。
着替えを終え、姿見で寝癖とかないか確認をし、オレは下へ降りようとするが——
「っと……忘れ物っと」
——忘れ物に気づいたので、一度部屋へ戻り、机の上に置いていたイヤリングを着け、ハーモニカを首から下げる。
うむ、やっぱこれがないと落ち着かないな。
今度こそ準備が整ったので、下へ降りていった。
一階へ降りると〈裸喰娘娘〉は昨日の夜までとは打って変わり静かになっていた。
まあ、営業時間外なら当然のことではある。
カウンターに掛けると、皿いっぱいの炒飯がドンと置かれた。
「……チャーハン?」
顔を上げると、そこには昨日挨拶できなかったチャックのもう1人の妹がいた。
「おはようスバル。よく寝れた?」
「え?あ、あぁ。一応な」
その後弟に叩き起こされて快眠を妨害されたことについては言わないでおこう。
「昨日は挨拶できなくてごめんね〜。私、1番上の妹。マリアンヌっていうの。よろしくね」
「おう、よろしく」
レンゲが置かれたので、早速目の前で湯気を上げる炒飯に手をつける。
「……これも美味い」
「そう。クラゲ入りのらぐにゃん炒飯のお味はいかが?」
「ごふっ!」
クラゲという単語に身体が条件反射をしてしまい、むせ返る。
何で新しい星に来ていきなりクラゲがトラウマになってんだオレは……。
「ちょ、ちょっとスバル!大丈夫?」
「ゲホッ!ゴホッ!……平気だ。たぶん」
コップの水を飲み干し、一息つく。
クラゲが使われていることに関しては、まあ置いておくとして、それを抜きにしてもここの飯は美味いものばかりだ。
「朝からうるさいぞ、スバル」
突然ドスの効いた声が横から聞こえてきたので、こんな声のやつこの家にいたか?なんて考えながらその方向を向いたら意外な人物がいた。
「ん?……ってメッサー?なんでここに」
「昨日チャックから話を聞いてなかったのか?ここはデルタ小隊の男子寮だと言っていただろう」
オレの炒飯とは違い、トーストとソーセージといういかにもブリティッシュな朝食をタブレットを見ながら摂っている。
こちらに声はかけているが、微塵も興味なさそうに見えるのはなぜだろう。
「じゃあメッサーもここに住んでるってことか?」
「そういうことだ」
意外——という言葉しか浮かばなかった。
てっきりメッサーは街のアパートで一人暮らしをしているとばかり思っていたからな。
だって最初に会った時から、馴れ合うつもりはない!みたいなオーラ全開なんだもの。
メッサーは最後のソーセージとトースト一欠片を放り込むと、食器をカウンターに置き、さっさと入口へと向かう。
「そうだ。スバル少尉」
ドアノブに手をかけようとしたところで、一旦手を止め、こちらを振り返る。そして——
「今日もやることは山のようにある。早めに基地に来るように」
——簡潔にそれだけ言い残して、去っていった。
「メッサー、また夜にね〜」
手を振りながらメッサーを見送るマリアンヌの顔はなぜか頬が赤くなっている。
熱でもあるんだろうか?だとしたらいけない。飲食店を経営する以上体調管理はしっかりしなきゃな。
「メッサーってあのクールなところがいいわよね〜」
「……え?」
余談だが、マリアンヌがメッサーに気があるということをオレが知るのは、相当後になってからのことだった。