成層圏に突入した〈アイテール〉と可変戦闘機の装甲が徐々に冷え始めた。
眼下に広がるのはどこまでも無限に続く、紺碧の大海原!
その上に覆いかぶさるように点在する雲海の切れ端はさながら空に浮かぶ島のようだ。
いつ見ても、その美しさには魂が震え、心が躍る。
だが、その空と海の調和を乱す者が眼前にいた。
雲海を切り裂いて驀進する、鳥を模したように見える遺跡戦艦シグル・バレンス。
その船影を、ついに捉えた。
同時に護衛であろう数隻の巡洋艦とその後方から追撃する〈マクロス・グラシオン〉も捉えるが、戦況は芳しくないように見える。
ラグナ宙域とは違い、遥かに強力になったワルキューレの歌が直接響いてくるのだ。
多少耐性がある程度の〈グラシオン〉では混乱が巻き起こってしまうのも無理からぬことである。
何とかヴァール化に耐えている機体も見受けられるが、ヴァール化してしまうのも時間の問題だろう。
——壊して、もっと、もっと、僕を感じて!
——そこに、そこに、君は居ますか!
歌い続ける美雲の歌を翼に乗せ、デルタ小隊の双翼が飛翔する。
「道を開けろッ!!」
攻撃目標をスバルの〈VF-31〉に切り替えた
所詮は機械、人間相手でなければ手加減する理由も謂れもない。
そうでなくとも、ルカ・アンジェローニから対ゴーストのノウハウを叩き込まれているのだ。
半自律型のゴーストに負ける理由は見当たらない。
だが、いつまでも無人戦闘機ばかりというわけにはいかないだろう。
となれば、次に出てくるのは——。
〈VF-31〉のレーダーがいくつもの光点を捉える。
計器のエラーと見紛うばかりだが、〈グラシオン〉の流星雨のように迫り来る対空砲火や支援砲撃を的確に回避して、切り込んでくる一団は他にいない。
シグル・バレンスは健在で、衛星軌道上で戦闘を仕掛けてこなかったのだから、旗艦の直掩に回っていることは容易に想像できたが、できることなら外れて欲しかった。
「来たぞ!常連のお出ましだ!」
もはや隣人と呼べるほど顔を合わせた白騎士率いる空中騎士団の一団が飛来する。
だが、そこに白騎士の機影はない。
あるのは、〈黒百合の悪魔〉だけだ。
「おい!白騎士がいねぇぞ!」
「別行動!?ですがこの状況で……!?」
「なんだっていい!ヤツがいないなら好都合だ!スバル!押さえろよッ!」
「簡単に言わんでください!」
「他の連中は面倒を見てやるんだ!文句を言うな!」
「わかってますよ!デルタ4、
デルタ小隊と空中騎士団が
各機がそれぞれを相手取るために互い違いの方向へ飛翔する。
しかし、スバルはあえて動かなかった。
まっすぐ突き進み、目視できる距離に迫った機影を捉える。
漆黒の〈Sv-262〉"ドラケン"が凄まじい速度で飛来していた。
挨拶がわりのように互いの機体が至近距離ですれ違う。
機体背面に描かれた白百合のノーズアート。
他の空中騎士団の機体とは何もかもが違う、その動き。一目瞭然だ。
もはや、それで十分だ。
だが、
「おい!さらに後方から急速に接近する機影がある!数は三!」
「増援か!?」
「増援にしちゃあ速すぎる!機体の速度的な意味でだ!」
漆黒の〈Sv-262〉の後方から紅の光が輝くのが見えた。
〈黒百合の悪魔〉を主人として、従者のように追随してきたのは真紅の無人戦闘機。
ウィンダミアが使う〈リル・ドラケン〉でもなければ、新統合軍が使う〈
データでしか見たことのない、その機体の名は——!!
「〈
スバルの叫びと共に、主人へと追いついた三機の亡霊がブレイクする。
鋭角的な機動で加速Gすらものともせずに迫って来た。
半ガウォークへ変形した〈VF-31F〉が急制動をかけて回避行動へと移り、急激なGの変化にISCとスバルの肉体が悲鳴を上げた。
「奴さん羊飼いにでも転職したのか!?」
「冗談言ってる場合かッ!!」
チャックの軽口を吐き捨てるように返す。
と、三方向から同時に放たれたレーザーをバレルロールで回避してみせた。
眼前にいる無人戦闘機は、明らかに他の無人戦闘機と動き違う。
半自律型の〈リル・ドラケン〉が可愛く思えるほどの凶悪な戦闘機動。
これが完全自律型AIの実力なのかと戦慄を覚えた。
「あんな凶暴な羊がいてたまるかってんだ!!」
〈V-9〉から発射されたマイクロミサイルを振り切るべく、熱核バーストエンジンが唸りを上げる。
フレアを撒いて牽制、加速、またフレアを撒いて牽制。
そして落としきれないミサイルは変形して直接叩き落とす!
だがそれで一息つけるはずもなく、上方からロックオンされたとアラートが鳴り響く。
「頭上注意ってなぁッ!!」
太陽の中から、漆黒の竜が舞い降りる。
右手に握られているのは陽光を受けて輝く黄金の剣。
振り下ろされたそれを受け止めるように、脚部装甲から白銀の剣を抜き放ち、受け止めた。
「久しぶりだなぁ!フロンティアの
「クソッたれが……!邪魔すんじゃねぇ!」
力任せに押し切った鍔迫り合いは〈VF-31F〉の勝利に終わった。
だが、追撃の手は緩めない。
もう一組の腕とでも言うべきコンテナユニットに搭載された二つのガンポッドが、態勢を崩した〈Sv-262〉へ弾幕を張る。
「クハッ!この程度かよッ!!」
ヒラリヒラリとまるで躍るように、容易くその全てを避け切ったヴァルターと入れ替わるようにして、今度は三機の〈V-9〉が鋭く切り込んできた。
「このッ……!」
回避は間に合わない。
そう判断した瞬間には、機体の余剰出力を全てピンポイントバリアに回して、レーザーを防いでいた。
後退しながら射撃と射撃の間にある僅かばかりの隙をついて、
そのまま上方へと離脱した〈Sv-262〉を追って急加速をかけるが、後方から再びアラートが鳴り響いた。
(少しは休ませろってんだッ……!)
度重なる急加速と急制動によるGの変化と、
それでもスバルは迫るミサイルを振り切り、降り注ぐレーザーをかいくぐり、〈V-9〉の超機動をいなしながら〈Sv-262〉へ追撃を行う。
*
「アイツら、後ろに目でもついてるの!?」
タイミングは完璧だったはず。
後ろを取り、ロックオンし、避けようのない瞬間にトリガーを引いた。
だと言うのに。
それを読んでいたと言わんばかりに〈Sv-262〉がコブラマニューバで回避したのだ。
それだけではなく、クルビットで今度は自分の後ろを取られ、鼻先を真紅の重量子ビームが掠めた。
ガウォークに変形して減速していなければ、間違いなく死んでいただろう。
『しっかりしやがれヘボ教官!突っ込みすぎ、真面目すぎってメッサーもスバルも言ってただろうが!』
「……ッ!!」
ハヤテの声が聞こえた気がした。
だが、この戦場に彼がいるはずがない。
アル・シャハルで行方不明になって以降、消息は未だ掴めないのだ。
なぜ、彼の声が聞こえたのかは定かではないが、少なくとも自分にまだ迷いがあるから聞こえたのではないか。そう思った。
(分かっています!貴方に諭されるまでもありません!)
かぶりを振って、迷いを断ち切るように操縦桿を握りなおしたミラージュが加速する。
「デルタ3、チャック中尉!私が囮になります!援護を!」
「ウーラ・サー!任せろッ!」
紫と黄の可変戦闘機が、螺旋を描くようにして空中騎士団へ挑みかかる。
その動きは、いままでの戦いと違っていた。
彼女の中では何かが変わっていなくとも、成長は積み重なって、たしかにミラージュの力となっていた。
◆
一方。
シグル・バレンスは、苛烈な追撃を受けつつも、目標であるアーグル・パトラ遺跡を目指して突き進んでいた。
上空に出現したデルタ小隊とワルキューレの最後のひとりである美雲・ギンヌメールの存在に気付き、グラミアやロイドもまた、その対応に迫られていた。
だが、その中でただひとり、ジュリアンだけは笑みを絶やさずに、嬉々とした様子でモニター越しに繰り広げられる〈VF-31F〉と〈Sv-262〉の空中戦を見ている。
(ゴーストも、機装強化したヴァルターの調子もいいみたいだね)
ほくそ笑んだ彼は、昂る感情を抑えるように、手にしたスイッチのカバーを開いて閉じるという動作を繰り返している。
そのスイッチが何を意味するかは、ジュリアンとイプシロン財団のベルガー以外には知る由もない。
「ワルキューレと美雲・ギンヌメールの歌が拮抗している……凄まじいフォールド波だ。……これもお前の想定通りか、ジュリアン」
「まさか。私とて預言者ではありません——」
その言葉には、ワルキューレへの驚きと、そして美雲への落胆が含まれていた。
彼女の歌は確かに凄まじい。
今までのどんな歌よりも強い意思がある。
だが、想定していたよりは遥かに"弱い"。
それが事実だった。
本来の美雲の歌ならば、ワルキューレの四人の歌声など足元にも及ばないほどの力を発揮することを"知っている"。
だというのに。
ハズレである四人の歌声が拮抗するのはどういうことだ。
「——何もかもが、想定外ですよ」
カチン、とスイッチの蓋が閉じられる音が騒がしいブリッジの中で、あまりに響いた。
◆
雲間を割って、シグル・バレンスが降下してくる。
それを見て、新統合軍のエリート軍人であるラウリ・マランは冷笑を浮かべた。
「機動部隊だの、精鋭部隊などと言っても、所詮は辺境のならず者か。マクロス一隻を持ちながら、蛮族の部隊も潰せなくて何がワルキューレだ」
中央——即ち地球本国から派遣されてきた彼にとって、球状星団に住む人々は、取るに足らない存在であった。
故に、作戦後の球状星団の運命はもとより配慮にない。
参謀本部から与えられた任務を全うし、手柄を立てることが全てだ。
「デルタ小隊のアラド少佐に繋げ」
指示を出した数秒後に、アラドの姿がメインスクリーンに映し出される。
何の用だ、と眉根を寄せたアラドの明らかに不快だという顔を見ても、その冷笑は崩さない。
「どうやらそちらの作戦は失敗したようですね」
「そう決めつけるには早すぎるんじゃないか?」
アラドの言葉は余裕があるように聞こえるが、その実、口調には焦燥が見え隠れしていた。
「失敗ですよ。懐に入り込まれているというのに勝ち目があるとでも?」
「やってみなきゃわからんだろう!」
「ハハハッ!ご冗談を。本当にそんな余裕があると思っているなら、あなた方は本当におめでたい頭をしている」
「なんだと?」
「いいですか。ただ一撃でテロリストの首魁など潰せる。艦隊も艦載機も出撃させるまでもなく終わることです。——反応弾を起爆させろ!」
その言葉を聞いた全員が驚愕した。
ブリッジに詰めている部下でさえ、その言葉を疑うかのように手を止めてラウリ・マランを見ている。
「まだ市民の避難は完了していないんだぞ!」
「そんなことは関係ありません。これは新統合軍の作戦です。貴君らの言葉を聞く理由も、関与する余地もない。そんなことよりも速やかに退避させた方がよろしいかと」
「待て!ラウリ——」
そこで、通信は途切れた。
否。
通信を切ったのはラウリ・マランだ。
切断した。が正しいだろう。
「起爆スイッチをこちらに回せ」
手元のコンソールにある起爆スイッチのランプが点灯する。
それはつまり、起爆の準備が整ったということだ。
それを押した瞬間に、アーグル・パトラ遺跡に設置された反応弾は起爆する。
「あんなものがあるから、蛮族どもは増長するのだということを、理解させてやる」
ラウリ・マランの笑みはどこまでも冷徹で、どこまでも無機質だった。
市民が犠牲になろうとも、友軍が犠牲になろうとも、何も感じない。
ただ命令を遂行するだけの機械。
そんな顔をしていた。
そこには些かのためらいも、迷いも見受けられない。
そして、自然な動作で、まるで隣人のチャイムを鳴らすような気軽さで、スイッチが押下された刹那——
——空が
——海が
——大地が
——ラグナの全てが、灼熱の閃光によって焼かれた。